至高のマズメシ大作戦②

一流料理人の作る至高のマズメシの味見、もとい毒味という、前代未聞の依頼に対し、サーベルタイガーはかなり豪華な報酬を提示してきた。通常の3倍の依頼料に加え、貸し切りディナーの食事券。更に、さすがにマズイものばかりを味見させるのは申し訳ないと思ったのか、2人のために美味い料理を別途作ってくれることになった。


とはいえ、いくら報酬がデラックスでも、やりたくない仕事というものは存在する。アルマーにとって、今回の依頼は正にその類のものだった。それはアルマーが自ら料理を作るくらい、食べものに対する意識が強く、また味覚も鋭敏だったからだ。センとの共同生活で料理の担当は常にアルマーであったし、シティにある美味い店もセンより詳しい自信があった。それ故、マズいと分かりきっているものを、仕事とはいえ食べさせられるというのは、アルマーにとっては拷問以外の何物でもなかったのだ。


(おうち帰りたい……)


叶わぬ願いを込め、アルマーは額をテーブルに何度も押し付けた。


一方センは既に腹をくくっているらしく、目を閉じて静かに座っていた。しかし眉間に寄せられた皺はいつもより深いように見えた。センにとってもイヤな仕事には違いないのだろう。



サーベルタイガーが厨房に消えてから待つこと1時間、彼女は料理を乗せた皿を手にして、厨房から出てきた。


「それでは、まずはマトモな料理から……」


センとアルマーの前に並べられたのは、鮎と蓮根の天ぷらと野沢菜の出汁茶漬け。今朝2人が市場で仕入れてきた食材を使った品であり、どちらも食欲をそそる香ばしい匂いを発していた。2人は早速手を付け、その味を噛みしめる。


「美味いよ、すごく美味いよコレ。天ぷらはふっくらしてジューシー。茶漬けも出汁と野沢菜の塩味がうまくマッチしてる」


アルマーの感想を聞きサーベルタイガーは満足そうに微笑んだ。


「それは良かったです」

「でも、この後に至高のマズメシが出てくることを考えると……」

「……宜しくお願いします。私も覚悟決めて作りますので」

「これが最後の晩餐か……」


アルマーは美味しい料理の有り難さを感じ、感謝の涙をポロポロこぼしながら、天ぷらと茶漬けを平らげた。



それからまた1時間ほど経った後、青白い顔をしたサーベルタイガーが、”本番”の料理を持って厨房から出てきた。センとアルマーは思わず顔を引き攣らせる。


「お待たせしました。これが私の考える『至高のマズメシ』です」


彼女はそう言って2人の前に小さな皿を置いた。皿の上に乗せられていた料理とは…………


「あれ、もっとおどろおどろしいのが出てくるとばかり……焼き目のついた白いジャパリまんみたい」

「これは『おやき』という焼き饅頭をヒントに作った料理です」


2人のグラスに水を継ぎ足しながら、彼女は答える。


「ジャパリまんと同じで、白い皮の中に、餡が入っています。本家『おやき』では、野沢菜や切り干し大根などが中に詰められていますが、それをアレンジして作ったのがコレです。この餡のレシピを改良する時間が必要だったので、今朝私の代わりに買い出しに行ってもらったんです」

「ということは、このおやきの中身がゲキマズってこと……?」

「おっしゃる通りです。あと、皮にも少し工夫をしていますが、食べれば分かります。スゴいですよ、コレ」


そう言ってサーベルタイガーは怪しげに微笑み、手のひらを差し伸べて、「お願いします」と促した。既に『至高のマズメシ』の出来栄えを知っている、彼女のニヤリとした微笑みが、地獄へと誘う悪魔の笑みのように、アルマーには見えてしまった。


……


アルマーはガクガク震えながら隣のセンの方に目を向けると、センも強張った顔でアルマーを見ていた。


「センちゃん……」

「何も言わないで。仕事の時間です」


センは淡々と伝え、皿に目線を戻した。


「わかった。でも死ぬ時は一緒だよ。せーので口に入れよう」

「わかりました」


それから2人は少しの間逡巡した後、震える手で『至高のマズメシ』を取り、


「いくよ……」

「ええ」


意を決し、2人同時にかじりついた。


……

…………


「うっ? ぉ、ぁ、ぐえっ……?!」


噛んだ瞬間に口腔内に充満したのは、皮の小麦粉の甘い香りに、魚のハラワタのような苦さがほんのり混じった匂い。しかし舌より伝わって来たのは、ただ塩辛いだけの野沢菜漬けの餡の味。それに遅れて舞茸の香りと、甘渋い小粒のブルーベリーの弾ける触感が波状攻撃のように襲ってきた。

この料理に使われている食材の香り、触感、味、そのすべてが喧嘩して持ち味を潰し合い、代わりに食材のエグい部分が露骨なまでに全面に引き出されている。全体として何味の食べ物なのか、それさえ見当がつかない。確かに分かることは、間違いなくこれが『至高のマズメシ』であることだけだった。

当然、アルマーはそれを飲み込むことさえできず、グラスの水で喉の奥へと無理やり押し流した。そして目眩のあまり、咳き込みながらテーブルに突っ伏してしまった。


「大丈夫ですか!」


サーベルタイガーはアルマーに駆け寄って背中を擦る。


「御気分は……?」

「ああ、なんとか大丈夫」


アルマーは、サーベルタイガーそっくりの青白い顔を上げ、そう答えた。


「タイガーさん、あんたは一流のシェフだよ。食材をどう使えば美味くなるか、どう使ったらマズくなるか、分かっているんだ。だからこんな不協和音の塊みたいな一品を、狙って作れるんだ」

「それは、褒めて頂いているのでしょうか?」

「うん。これなら例の困った客もノックアウトできると思う……」


アルマーはそう伝えると、ガクリと頭をテーブルにうずめ、ダウンしてしまった。サーベルタイガーはアルマーのグラスに水を継ぎ足しながら、アルマーの隣のセンにも「大丈夫ですか」と聞いた。しかしセンは右手に『マズメシ』を握ったまま微動だにせず、サーベルタイガーの問いかけに何も返さなかった。


「あれ、センさん? センさん?」

「もしかして、気絶しちゃった?」


アルマーも起きてセンの肩を叩く。するとセンはゆっくりと顔を上げた。


「あまりのマズさに気絶してた?」

「……いや、そういうわけではないです」

「センさん、どうでした? 『至高のマズメシ』として通用すると思いますか?」


サーベルタイガーが再度問いかけると、センは「いや、なんというか……」とぼやいて首を傾げ、そして迷いながら一言。


「味にパンチが足りない」

「えっ、それはどういう……」


サーベルタイガーも、このセンの評価はさすがに想定外だったようで、戸惑って聞き返す。するとセンは釈然としない顔で食べかけの『マズメシ』を指差し、


「コレ、味がわからないんですよ」

「でも、美味いとかマズいとかは、さすがになんとなく分かるのでは……」

「そんなにマズ……くはないかな、多分」

「えええええ?!」


サーベルタイガーに加えて、今度はアルマーも一緒に驚き声を上げ、訝しげにセンを見つめた。しかしセンはその視線に構うことなく、


「サーベルタイガーさん、ちょっと厨房に入ってもいいですか?」

「えっ、ええ。しかし何をなさるつもりで……」

「私が味を付け直してみます」


と言って、センはサーベルタイガーと一緒に厨房に行ってしまった。テーブルに一人残されたアルマーは唖然として、厨房への入り口をただ見つめた。その20分後、口元を手で押さえ、真っ青な顔をしたサーベルタイガーが、アルマーの前を横切ってトイレへと駆け込んでいった。


***


この日の夜、例の味覚マゾの婦人に提供された『至高のマズメシ』は、最終的にサーベルタイガーというよりも、センの作品となっていたようである。なお、一流料理人であるサーベルタイガーの味覚の耐久限度を、大幅に超えた味付けを施したセンの作品が、例の婦人を見事ノックアウトしたことは、言うまでも無い。


『至高のマズメシ』を食べ終えた婦人は、恍惚な笑みを浮かべ、満足したと言った。会計の後、婦人はサーベルタイガーの告白を聞き、彼女がひどく苦労していたことを知った。そして自分の嗜好に無理に付き合わせてしまい済まなかったと、彼女に謝罪し、今後マズメシを注文しないことを約束して、帰っていった。



これでこの件は片付いたわけだが、アルマーには一つ解せない点があった。


どうしてセンはあの『至高のマズメシ』をマズくないと言えたのか。加えてセンがマズメシを更に改良して、サーベルタイガーやあの婦人をもノックアウトしたモンスター料理へとレベルアップさせることができたのは何故か、という点である。


色々な可能性を考えた結果、アルマーがたどり着いた仮説は、”センはとんでもない味覚音痴のバカ舌である”というものだった。


「思い返せば、センちゃんって昔から、料理を食べても美味しいとかマズいとかあんまり言わないんだよな。あたしの料理も、こっちから感想を訊ねてようやく『美味しいですよ』ってそっけなく返すだけだし。そもそもセンちゃんが料理する姿、あたし見たことないや」


そこでアルマーは試しにセンに味噌汁を作らせてみることにした。

「なんで私が料理しなくちゃいけないんですか」とぶつぶつ呟きながら、センが初めて作った味噌汁の味はというと……


「辛っ! 塩辛っ!!」


飲むことも難しいくらい塩分が濃かったのだ。いったいどれだけの味噌を入れたら、これほど塩辛くなるのだろうか。

アルマーはたまらず水を口に含んだ。


「そんなに塩きついですか? これくらい味ついている方が良くないですか」

「これは明らかに塩を入れすぎだよ」


そう言われてセンはおかしいなと首を傾げつつ、


「アルマーは薄味が好みなんですか」

「いや、あたしも味噌汁は濃い味の方が好きで、作るときも味噌はちょっと多めに入れているよ」

「……? アルマーが作ってくれる味噌汁はいつも薄いですが」

「あっ……」


アルマーは確信した。センは間違いなく味覚音痴だ。おそらく人よりも味覚が鈍く、味がかなり濃くついていないと味が分からないのだ。

アルマーはやれやれと頭を抱えた。マズメシの件では、センのバカ舌ぶりに助けられた形だが、この先もセンと一緒に暮らし続けるアルマーにとっては、これは厄介な問題になりそうだった。


「センちゃん」

「どうしました?」


センは箸と味噌汁のお椀を置いて、アルマーを見た。


「この先もさ、あたしが作った料理食べてくれるかな?」

「そりゃあもちろん食べますよ」

「味が薄くても、美味しくなくても、食べてくれる?」

「ええ。今までもそうしてきましたし、何よりアルマーが作ってくれる料理ですから」

「……そっか、ありがと。今後も台所はあたしに任せてくれないかな」


アルマーはそう言って、お椀に残っていたセンの味噌汁をすべて飲み干して、


「じゃああたしも、折角センちゃんが作ってくれたんだから、残さず食べないと」

「ふふふ、これでですね」


空になった2つのお椀を挟んで、2人は自然と微笑みあっていた。


ちなみにこの後、アルマーは塩分の摂り過ぎで、半日ほど頭痛に苦しむことになるが、それはまた別の話である。



File. 3 至高のマズメシ大作戦 おしまい

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