File. 3 至高のマズメシ大作戦

至高のマズメシ大作戦①

目の前に置かれた皿の上に置かれた『おやき』のような食べ物。こんがり焼け目のついた白い皮と、湯気とともに香ってくるほんのり甘い小麦の匂いが食欲をそそる。皮の中身はアンコだろうか、肉餡か、それともトマトか野沢菜か、想像が膨らんでいただろう———これが”普通”のおやきだったならば。

今、目の前に出されたモノを、センとアルマーは真っ青な顔で凝視していた。その表情は、おおよそ料理を前にした時のそれではなかった。危険なモンスターを目の前にして、怯えて足がすくみ上がっている時の顔であった。

なぜか。それはコレが文字通りの怪物料理モンスターだからだ。料理とは、人に美味しく食べてもらうことを目指して作られるものである。しかしコレは、そんな通常の料理の理念から外れた存在———すなわち、究極の不味マズさを求めた結果錬成された、悪魔の一皿なのだ。


(いやだ、いやだ……こんなの食べたくない……)


究極にマズいとハナからわかっているおやきを前にし、アルマーは心のなかで何度も呟いた。できるなら今すぐテーブルを蹴りとばして逃げ出したかった。しかしそれはできなかった。なぜなら、このおやきを食すことが今回の依頼なのだから。


(頼まれりゃなんでもこなのが”よろずや”だけど、これは絶対ムリぃぃぃ!)


アルマーは今回ばかりは、よろずやという自分の職を散々呪った。


一体なぜこんなことになったのか。

きっかけは昨日届いた一通のメールであった。


***


昨日は特に仕事もない暇な日だった。気持ち良い晴れの日であったので、アルマーは午前中、愛車の手入れをした後、買い物がてら軽くドライブに出かけた。昼時になって帰ってきたアルマーが、キッチンで昼食を作っていると、センがキッチンにやって来て言った。


「明日、仕事が入りましたよ」

「やったじゃん。どんな仕事?」


アルマーが聞くと、センは持っていたタブレット端末を見て、


「メールには、『市場での食材の買い出し等』とありますね。依頼主はサーベルタイガーさんですよ」

「サーベルタイガーって、あの料理研究家の?」

「そうです。私もびっくりしました」


二人が驚いたのも無理はない。

サーベルタイガーといえば、噂のビストロ『スミロドン』のオーナーシェフであり、創作料理研究家のフレンズである。サーベルタイガーの作る料理を目当てにわざわざパークを訪れる客もいるほどの、評判の良い料理人だ。

そんなパークのビッグネームからの直々の依頼である。依頼を達成すれば”よろずや”の株が上がり、パーク屈指のコックとのコネクションも得られる、おいしい依頼だ。

そういうわけで、センとアルマーは二つ返事でその依頼を受けたのだった。



翌日の早朝、二人は依頼に従って、港の市場に買い出しに出かけた。

港はシティの南部の沿岸部に所在している。そしてその隣には、港で荷降ろしされた食材などを業者や個人に卸す市場が形成されている。二人が市場に着いたのは朝7時だったが、既にシティ内外から買い出しに集まったヒトやフレンズで場内は賑わっていた。

二人は行き交う人や台車の間を縫いながら、サーベルタイガーの指示に沿って食材を買い集めていく。


「小松菜とレタス、さつまいも2本、しいたけとまいたけを2パックずつ、ブルーベリー500g、卵2パック、中力粉2kg、鮎3本。それから……野沢菜漬け(漬かりの浅いもの)1パック? なんだこれ?」

「葉野菜の塩漬けみたいですね」


センはスマホで検索した画面をアルマーに見せた上で、


「店で聞けば間違いないですよ」


と付け加え、市場内で漬物を扱っている店に行き、店の前で盛んに売り込みをかけている店員のフレンズに、野沢菜漬けは無いかと尋ねると、


「ええ、もちろんお取り扱いしていますよ!」


市場の人間らしい、威勢の良い声で答えた店員のシロカモシカは、棚からパック詰めされた野沢菜を持ってきてセンに見せた。


「漬かりの浅いものはありますか?」

「それでしたら、この商品が良いかと。他のものに比べ塩味が薄めです」

「じゃあ、それを一つ頂きましょう。あと中力粉2kgもお願い」

「まいど! 1300円になります……はい、丁度頂きました。領収書はご入用で?」

「ええ。ビストロ・スミロドンとお願いします」


センがそう答えると、シロカモシカは目をパチクリさせ、センとアルマーを交互に見つめて問いかけた。


「へえ、もしかしてお客様方はサーベルタイガーさんの代理で買い物を?」


そうだとセンが返すと、シロカモシカは心配そうな顔をして、首を傾げた。


「買付の代理を頼んだってことは、やっぱり体調崩していたのかな?」

「体調……というと、サーベルタイガーさんはどこか具合が悪いんですか?」

「サーベルタイガーさんはうちの店にもたまに来てくれているから、顔見知りなんだ。最後に会ったのは1ヶ月前だけど、その時のサーベルタイガーさん、かなりやつれた様子だったんだよね。だからちょっと心配していたんだ。大丈夫かな……よかったら、彼女によろしく言っておいてください」


シロカモシカはそう言って、他の客の応対に行ってしまった。


「もしかして病気をしていて、買い出しに行く体力がなくなっちゃったのかな」


買った野沢菜漬けと中力粉をダンボールに詰めて、アルマーが言う。センは分からないと首を振りながらも、


「どうあれ、サーベルタイガーさんのような料理人が、食材買い出しを他人に任せるってことですから、きっと相当な理由があるのでしょう」


と言って、野菜や魚が山ほど詰まったダンボールを担ぎ上げた。



買い込んだ食材を車に積んだ2人は、サーベルタイガーのビストロに直行した。ビストロ・スミロドンの小さな店舗は、港から車で5分走ったところに建つ、テナントビルの一階にあった。サーベルタイガーは一人でこの店を切り盛りしており、店はディナータイムのみの予約制、しかも一日に受ける予約は2つまでとかなり絞っている。それで経営が成り立っているのだから、さすが評判の料理人の店である。そのため彼女の店は予約の取れない名店として名を馳せているのだ。

二人は店の前に車を停め、ダンボールを担いで店に入ると、店の奥から剣を佩いた背の高いフレンズが出てきて2人を出迎えた。


「君たちがよろずやさん? 買い出しをしてくれてありがとう。私が店主のサーベルタイガーだ。君たち、お腹空いていないか?」

「ええ。朝ごはんを食べていないもので」

「じゃあ丁度良い。朝ごはんを用意しているんだ。どうかな?」


もちろん2人は「頂きます!」と即答した。あのサーベルタイガーが朝食をごちそうしてくれると言うのだ。こんなラッキーは中々ない。

上機嫌でテーブルについた2人の前に出されたのは、焼き立ての自家製クロワッサンにサラダ、スペイン風オムレツにキャベツのスープ。さすが一流の料理人の品というべきか、どれもこれも美味しく、腹の減っていた2人はあっという間に平らげてしまった。

食後のエスプレッソをちびちび飲みながら、料理の余韻に浸っている最中、アルマーはセンに話しかけた。


「サーベルタイガーさん、そんなに体調悪そうには見えないけど?」

「それは私も思いました。確かに痩せている印象はありますが、重たいダンボールも一人で運んでいましたし、シロカモシカさんの思い過ごしでしょうかね」


奥の厨房の方を遠目に覗きながら、そんな事を言い合っていると、後片付けを終えたサーベルタイガーが、自分のエスプレッソカップを持って厨房から出てきて、2人のいるテーブルについた。席につくなり、サーベルタイガーは2人に向かって丁寧にお辞儀した。


「本当に助かりました。ありがとうございました」

「いえ、あたしたちの方こそ、こんなに美味しい朝食を頂いちゃって。本当に美味しかったですよ」

「それは良かったです。やっぱり料理は美味しくなるように願って作るものなんですよね……」


サーベルタイガーは肩を落とした。その言葉尻や態度から、彼女の苦悩がひしひしと伝わってきた。気になったセンは、何かあったのかと彼女に尋ねてみた。すると彼女は一つ大きく息を吐いて、疲れで濁った瞳をセンに向け、語りだした。


「実は、あるお客様のことでひどく悩んでいます。

そのお客様はとてもお金持ちで気さくな婦人で、美食家なのですが、その一方で大変な悪食家といいますか、マズイものも大変お好みになるのです。半年ほど前になりますが、その方がこのようなオーダーを依頼してきたのです。


『シェフの考える、最もマズい料理をお願いします』


うちの店は、決まったメニュー料理だけでなく、特別料金でお客様のオーダーに沿った料理もお作りしていますので、断るわけにもいきませんでした。それにその時は私も戯れ程度に不味い料理をこしらえて、その方にお出ししたのです。そしたらなんと、その方は私の料理のマズさがクセになってしまったようなのです。

以来、その方がうちに来る時は必ず、新作のマズい料理を要求してくるようになってしまいました」

「大層マゾな舌の方ですね」

「軽い気持ちでそんな要求を受けてしまった私にも責任はあるのですが、正直、マズい料理を作るのがすごく辛いんです。食材たちに申し訳ないですし、味見するのも命がけ、何より後片付けのときに流し場を埋め尽くす刺激臭が本当に地獄で……」

「うわあ……リアル」

「このせいで食欲が湧かなくなり、体重が4kg減りました。これ以上こんなことを続けていては、私の健康が危ないのです。ですから今日その方がいらした時には、私の気持ちをお伝えして、不味い料理を作るのはこれっきりにして頂こうと思っています」

「それがいいですよ。他人の性癖に付き合わされる道理はありませんから」

「そうですよね。でも、私一人ではちょっと……よろずやさん、よろしければ手伝って頂けないでしょうか」


そう言うと、唐突に両手をテーブルについて深々と頭を下げたので、センとアルマーは当惑してお互い顔を見合わせて、


「まあ、報酬さえ支払っていただければ、お手伝いしますが。具体的には何を……」


すればよいのですか———と言い切る前に、サーベルタイガーは感泣し、センの右手をとった。そして逃さないぞと言わんばかりに、その手を固く握りしめて、


「本当ですか? ご協力感謝いたします! なんとしても一緒に完成させましょう!」

「…………え、何を?」


センとアルマーはキョトンとしてサーベルタイガーの顔を見つめた。何となく、彼女の次の言葉を聞くのが怖くなってきた。


「それはもちろん……」


サーベルタイガーは目に溜まった涙をエプロンの袖で拭うと、天使のような笑みを浮かべてこう続けた。


「『至高のマズメシ』を、です!」


史上最悪に狂った依頼を聞き取った瞬間、センは半分口を開けたまま表情を凍りつかせ、アルマーは恐怖のあまり椅子を蹴倒して後方へ飛び退いた。サーベルタイガーは、2人の慄く姿を不思議そうに見比べて、


「大丈夫です。作るのは私一人でやります。よろずやさんには、一口味見の方をお願いして、改良点を……」


「いやいやいや、結局あたしたちもマズイものを食べるのに変わりはないじゃん! 死ぬよ、死んじゃうよ?!」


アルマーは首をぶんぶん振りながら抵抗する。


「ていうか、さっきの話の流れから、どうしてマズメシを作るっていう話になるの?!」

「それはですね、私の職人としてのプライドが、お客様の注文を途中で投げ出してしまうことを、許さなかったからです」


サーベルタイガーは腰に差した剣を抜いて眼前に掲げ、冷たい鋼の輝きを放つ刀身に誓うように述べる。


「料理人の使命は、料理を通じてお客様に幸せに、快適になっていただくこと。その使命を果たすために、常に全力で料理に向き合わねばならない。私はそう考えています。だからお客様のご注文には、全力で応えたい。

それがたとえ、マズイ料理の注文であってもです。あのご婦人は、何度もマズイ料理を私に依頼してきている。それは、まだ私の作るマズイ料理に満足していないからなのでしょう。私なら、まだ上が目指せるとお考えになっているはずなのです」

「上っていうか下だよね」

「ご婦人にマズイ料理の注文を今日限りで止めていただく。そのためには、私が考えうる至高の『マズメシ』をご提供し、十分に満足していただく他ないのです。お分かりいただけますか」

「いや、全然わかんないんですけど」

「どうかよろしくお願いいたします。それなりの報酬はいたしますから」


サーベルタイガーはまた深々と頭を下げて懇願したが、抜き身の剣が右手に握られたままだったので、アルマーから見れば腰の低い脅迫以外の何物でもなかった。

壁際でガタガタ震えていたアルマーを見かねてか、センはアルマーの側まで寄って、ポンと肩に手を置き、普段通りの冷静さを繕って、


「アルマー。これはもう仕方がないですよ」


と諭すように伝えた。更に、


「なんでもやるのがなんでも屋の仕事です。それに、この依頼で一番体を張るのはサーベルタイガーさん本人なのですから、私たちも一蓮托生。一緒に死にましょう」


とアルマーに覚悟を促した。


”よろずや”の社長であるセンが覚悟を決めたとあっては、アルマーも従うしかない。アルマーはむっつりいじけた顔で「わかったよ」と小声で呟き、そしてがっくりと項垂れた。

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