ハミングバードの贈り物⑤
センはライラに対し、通常の客と同じもてなしをした。すなわち、得体の知れない詐欺師のフレンズのライラを事務所に通し、コーヒーを差し出したのだ。アルマーはライラを警戒して、ソファーには座らずに壁際に立ち、ライラを後ろから見張った。他方センは普通の客と対面するように、ライラの真正面に座り、どっしりと構えていた。
「わざわざあなたが出向いて来たのには、何か理由があるんですか?」
センはいつもどおりの落ち着いた口調で尋ねると、ライラは余裕たっぷりな笑みを浮かべ、
「気分よ」
と一言だけ答えると、コーヒーを一口啜った。それから、
「あなた達はエマから依頼を受けた探偵でしょう。その探偵さんたちと、ひと勝負してみたい気分になったの。だから昨日の昼に、あのホストの姿をして、あなた達の前に現れたのよ」
「あれは宣戦布告だったんですね」
「そうよ。あたしのはかりごとが勝るか、それとも探偵さんの推理が勝るか、そういう勝負が愉しそうって勝手に思ったから、ちょっかいを出してみた。で、勝敗を確認するために、こうしてここに来たわけだけど、タツヤとモリバトの変装は既に見破られちゃっていたみたいだし、残念だけど、あたしの負けのようね」
「それじゃ、あんたはあたしたちに捕まりに来たってことかい?」
口を挟んだアルマーを見て、ライラはケラケラと可笑しそうに笑い出した。
「今回の件じゃあたしは捕まらないわよ。そうよね、探偵さん?」
そう言ってライラはセンをちらりと見た。センは顔色ひとつ変えず、アルマーに向けて淡々と説明した。
「この一件でライラが実際に盗んだものはダイヤモンドの指輪だけで、残りの品は、経路はどうあれ返却しています。それに例の指輪も、もとはエマの両親から強奪したような品です。それをライラが取り返し、その指輪を持ち主の娘に返却したわけです。サイモンは被害届を出せないはずですし、ライラの罪を追求するのは困難です」
「そういうことよ、アルマジロさん」
ライラの小馬鹿にしたような言い方が癪に障り、アルマーは少しムッとしたが、ライラはそれに構うことなくセンに喋りかけた。
「それにしても探偵さん、あなたの推理、いい線いってるわ。よかったらその推理、聞かせてくれないかしら」
「……いいでしょう」
センは静かに答え、コーヒーカップをテーブルに置き、自分が推理した事件の筋書きをライラに語って聞かせた。ライラは、それまでの余裕のある態度とは打って変わった真剣な表情で、センの話に聞き入っていた。そして時折愉快そうにに頷いた。
センの話が一通り終わると、ライラはセンに拍手を送った。それから足を組み、再び例の不敵な笑みを浮かべると、
「素晴らしいわ。それじゃあ、あたししか知らない真相を教えてあげるわ。
あたしがサイモンの裏稼業を知ったのは数ヶ月前。あの男、相当セコいことやっていたみたいね。だからちょっとからかってやろうかと思って、ターゲットにしたの。3日前の土曜に出資者パーティーが催されることになり、そこにサイモンは出席するだろうと踏んだあたしは、コンパニオンガールに紛れてパーティーに入り込み、出席していた彼を誘惑したの。そしたら彼はあっさり食いつき、パーティー終了後にホテルの部屋に来るように言ってきた。深夜、彼の部屋に行ったあたしは、テキトーに彼と遊んでやった後、いくつか情報を聞き出してから眠らせて、トランクと彼の秘密の文書を奪って逃げた。
彼の秘密文書には、これまでの卑劣な取り立ての記録やら、債務者の顔写真や個人情報やらがびっしり書いてあったわ。彼、意外と几帳面だったのね。記録によると彼は何人かの債務者を、自殺に追い込んでいた。その自殺者の中にピーター・リードとメアリ・リードの名前もあったわ。
あたしの狙いは秘密文書だけだった。でも、彼が日曜に中国人の金持ちにトランクの宝飾品を全部売り払う予定だって意気揚々と言っていたから、ついでにその予定も潰してやろうと思って、トランクも奪ったのよ。
トランクの中には彼が言ったとおり宝飾品がぎっしり詰まっていたわ。その中でも特に美しかったのは、あのダイヤモンドの指輪だった。正直自分のものにしてしまいたい位、見事な一品だった。でも、指輪の裏に銘が彫られていた。”親愛なるメアリへ 4月20日”という文字だったかしら。あたしはハッとなって秘密文書を読み返したわ。そしたら、あのダイヤモンドの指輪はメアリから奪ったものだと分かったの。誰かの結婚指輪を盗んだって、気分よくないでしょう? だから盗るのは止めたわ。
翌朝、トランクと手帳が無くなっているのに気づいた彼は大慌てで部屋中ひっくり返していたわ。あたしはその様子をホテルの窓越しに見て楽しんでいたわけだけど、途中で飽きちゃって、彼にトランクを返却する計画を進めることにした。
あたしは彼に電話をかけて、こう伝えた。
『月曜の12時30分、ホテル近くの河原に来て。そこでトランクを返却してあげる』
これで彼の行動を明日の昼間まで縛ったわ。その後はあたしも少し息抜きしたかったから、タツヤの変装をして、繁華街近くをフラフラしていたわ」
「なぜタツヤに変装を?」
「一応あたしはおたずねけものだからね。いつでもスリ替わりが可能な人物を、各地にストックしているのよ。タツヤというホストの男はそのうちの一人だったのよ。
偶然……そう、偶然。日曜日に、あたしがタツヤに身を扮していたのは、偶然だったの。そして歩くあたしの眼の前で、入国証を落とした人間がエマ・リードであったことも偶然だった。
入国証には名前や顔写真、本籍地などが必ず記載されている。落とされた入国証に目を通したあたしはびっくりしたわ。何せロサンゼルスに住むリードという姓の若い女性が、しかもピーターとメアリの面影をそっくり残した女性が、あたしの前に現れたのだから。
あたしは閃いた。あたしがサイモンから奪ったメアリの指輪をエマに返却したら、エマはどんな反応を見せるか……見てみたくなった。ひどく興味が湧いたのよ。
だからあたしは彼女に近づき、賭けた。彼女がピーターとメアリの娘であることにね。結果、賭けの出目は最高だったわ。エマは母の指輪を手にし、大慌てで探偵さんのところに向かってくれた。そして、あたしの書いたプロットに、2人の探偵さんという新たなキャストを引き込んでくれた。それも本当に良いサプライズになったわ!」
センは目を閉じ、得々と語るライラの声を、身じろぎ一つせず静かに聞いていた。やがてライラの話が終わると、センは冷めたコーヒーを飲み干し、コトリとカップを置いた。そして一言、
「解せませんね」
「あら、何が?」
「あなたがこの事件を起こした目的ですよ」
センはテーブルに上体を乗り出し、ギロリとライラを見つめた。ライラは細い弓のような眉をピクリと動かした。
「これはいわば即興劇。そう、見事な即興劇です。あなたはこの事件で、サイモン一人吊るせればそれで良かったはず。なのに、あなたは偶然手に入れた指輪と、偶然近くにいたエマや私たちを、サプライズとしてわざわざ劇に取り込んで、奇妙な劇を作り上げた。結局あなたはこの劇を通して何を得たのですか?」
センの威圧的な問いかけを聞き、ライラの顔から笑みが消えた。ライラはつまらなそうにふーっと長く息を吐き、ソファーの肘掛けにもたれかかった。そして、
「探偵さんは、どうしてその仕事をしているのかしら。金のため? 名誉のため?」
「……」
「否定しないのね、気に入ったわ。でも、その仕事をしている一番の理由って、『探偵のフレンズとして生きていく人生』に、やりがいを、そして快楽を感じているからじゃなくて?」
「うっ……」
不意に核心の輪郭をなぞられたセンは息を詰まらせた。
「あたしはあなたと似ているのよ。探偵さんは探偵としての生き方にフレンズの人生を捧げている。あたしも、あたしの今の生き方を愛しているの。人を欺き生きる、この人生をね。探偵さんは、謎をいかに解くかという点にやりがいを感じ、謎が解ければ嬉しくなる、快楽を感じるでしょう。あたしはね、他人を見ることに快楽を、そして愉悦を感じるの」
「他人を見る……?」
するとライラは立ち上がり、あの余裕たっぷりなニタリとした笑みを見せた。
「金も、宝石もいらない。あたしが求めているのは愉しさだけ。あたしはそういう生き方を自分の意思で選んだフレンズ。河原で宝石を拾っているサイモンの惨めな姿も、エマの慌てぶりとサイモンへの怒りも、探偵さんたちの見事な推理も、みんなみんな、見ていて愉しかったわ。
これが探偵さんの質問に対する答えよ。それじゃ、言うことも言ったし、あたしは帰るわ」
そう言ってライラは事務所の窓をくぐって外へ出ようとしたところ、アルマーに手首を掴まれた。どうやら怒り心頭のアルマーは、グルルとうめき声を上げ、キョトンとしているライラを睨みつけた。
「あんた、自分が言いたいことだけ言ったら、おさらばするっていうのかい。そりゃああんまり自分勝手なんじゃないか?」
「それが何か?」
「人の大切な相棒をコケにされて、黙っていられるかっての!」
「別にコケにしちゃいないわよ。あたしに似ているって言っただけ」
「いや、コケにした。あんたは、あーだこーだと自分の都合ばかり言っていたけれど、結局のところ、あんたはペテン師の悪人じゃないか。そんな悪人のあんたとセンちゃんを一緒にされて———」
「悪人はあたしよ!」
アルマーの言葉を遮って、ライラはぴしゃりと言い放ったので、アルマーはたじろいだ。ライラは強く息を吐き、眉をつり上げて、
「あなたたちのような普通の人から見たら、あたしは悪人でしょう。異端でしょう。分かってる。でもあたしはそれでいい! なんと言われようと、あたしは今の生き方を貫いていくわ。たとえ———」
「アルマー、ライラ!」
突然センが叫んだので、アルマーとライラはびっくりしてセンを振り返った。センは耳に当てていたスマホをテーブルの上にそっと置いた。
「ライラを引き止めてくれてありがとう、アルマー」
そう言われてぽかんとしたアルマーをよそに、センはライラを見てニヤリと笑った。
「ちょうどエマさんから電話がかかってきたんです。で、
『偶然タツヤさんがよろずやに来て、指輪の件についてお話してくれました。でも彼は用事があるそうで、もう帰ってしまうそうです』
と伝えたんですが、そしたら彼女は大層びっくりして、今すぐタツヤさんに替わって欲しい、お礼が言いたいと言ってきましたよ。どうしますか、タツヤさん?」
「……劇はもう終わった、幕は降りたのよ」
ライラは嫌そうにぷいと顔を背けた。しかしセンは「そういうわけにはいかない」と首を振り、ピタリとライラを指差した。
「あなたはタツヤという役の演者。なら、最後までタツヤを演じ切るのが道理」
「……」
「それに劇団長がゲストより先に退場したら、ゲストに失礼でしょう?」
センとライラはじろりとお互いを睨み合った。それはしばらくの間続き、ついに根負けしたライラは可笑しそうにケラケラ笑い出した。そして、
「いいわ。電話を貸しなさい」
ライラはそう言ってテーブルの上のスマホを取り、保留を解除して電話に出た。
「……もしもし、タツヤです」
ライラの喋り声は、一瞬のうちに女性の声からタツヤの声に変化していた。
「お礼? そんな……僕はただ、指輪をあるべき場所、人のもとに返しただけさ。でも君が喜んでくれたなら僕は嬉しいよ。
———あの指輪はね、君や君のご両親のことをよく知るある人が、サイモンから取り返してくれて、僕に預けていったものなんだ。……ある人の正体? それは言えない。……その人との約束なんだ、ごめんね。
……
そうだね。僕もあなたとあの晩、一緒に過ごせて楽しかった。楽しい夜をありがとう。
……
じゃあ、僕はもう行かなきゃ。後のことは全部、よろずやさんに伝えてあるからね。
……うん、僕は行く。ハミングバードは夜明け前にやってきて、人を夢から目覚めさせ、朝日とともに去っていく。僕は、君を12年の悪夢から目覚めさせたんだ。
…………じゃあね、さようなら。お元気で」
タツヤ、もといライラは電話を切った後、しばらく目をつぶったまま突っ立っていた。そしてスマホを元通りテーブルに置き、
「これで本当に幕引きよ。後は探偵さんたちのやり方に任せるわ」
と、元の声で吐き捨てるように言った。
「ええ。好きなようにやらせてもらいます」
「そう。それじゃあ今度こそあたしは帰るわ」
「ハミングバードは朝日とともに去ると」
「そういうことよ」
ライラはそう言ってウインクをすると、先程開けた窓から出ていこうとして、窓枠に手をかけた。そこでライラは思い出したかのように、
「探偵さん」
と、センを振り返ると、今度は不純物のない微笑を浮かべて、
「良い相棒を持ててちょっと羨ましいわ。あたし、あなたたち2人のこと気に入ったわ。いずれまた、どこかで会うでしょう。さようなら」
そう言い残し、窓から飛び去っていった。
ライラの飛影が空の彼方に消えると、センは大きく息を吐き出して、ソファーに崩れ落ちた。
「……少々、神経がすり減りました。昨日、よく寝ておいてよかった」
遅れて吹き出してきた汗をハンカチで拭いながら、センはため息まじりに言う。
「あたしも疲れたよ。ちょっと休もう」
アルマーも頷き、ソファーにごろんと横になった。そして二人して長い息を吐いた。
「アルマー」
「なに?」
「さっき、ライラに言い返してくれてありがとう。あれ、すごく嬉しかった」
「え? ああ、アレね。あれは勢いというか、頭に相当血が昇っていたんだ。あははは」
「……ありがとう」
「いやあ、いいんだって。あはははは」
アルマーは耳を赤くして大笑いした。それからアルマーはソファーの上で寝返りをうって、センのいる方に顔を向けると、
「センちゃん」
「なんですか?」
「逆にさ、あたしがセンちゃんと同じことを言われたとしたら、センちゃんはどうした?」
そう聞かれてセンはしばし天井を見つめた後、
「私なら……ライラに鱗を投げつけていましたね」
「おお、怖!」
センはフフフと軽く笑うと、鱗を一枚引き抜いて投げた。鱗は真っ直ぐに飛び、壁にかかっていたダーツの的の中心に深く突き刺さった。
ライラが去ってから1時間半後に、エマはよろずやを訪ねてきた。
ライラによって仕組まれた一連の事件について、エマにどこまで真実を話すべきか、センとアルマーは最後まで悩んだ。しかし結局、エマが知る権利のある内容については、全て包み隠さず伝えることにした。もちろんライラという詐欺師が介在していたことも伝えた。
センから事実を聞かされたエマは、最初とても狼狽していた。特に両親が既に死亡してしまっていたこと、それからライラというフレンズの詐欺師がタツヤになりすましていたことに、ひどくショックを受けていた。
それでも彼女は最後には納得して涙を拭き、スッキリした顔になっていた。
彼女はハンドバッグから指輪を取り出して、輝くダイヤモンドを指の腹で撫で、見つめながら、
「これでようやく、両親を天国に送り出してやることができます。よろずやさん、両親の魂を救って頂き、ありがとうございました」
と言って頭を下げ、指輪を両手でぎゅっと握りしめた。指輪に宿る、長い旅から帰還した両親の面影を抱きしめるように。
そしてエマは指輪とともに帰っていった。別れ際、彼女はぽつりとこんなことを言い残していった。
「ライラというフレンズの詐欺師が、サイモンから指輪を取り返してくれたんですよね。まさか詐欺師に救われる日が来るとは思いもしませんでした。
去りゆく彼女の背中を見つめながら、アルマーはセンを小突き問いかけた。
「なんかいいカンジになってるけど、結局あいつは悪人なんだよね?」
「悪人には違いありませんよ。でもライラは、善悪のものさしの外側で生きているフレンズなのでしょう。私はそう感じました」
「……? 一体どういうこと?」
「ひとつ確かに言えることは、あいつはとんだ”場違いハミングバード”だってこと!」
センは青空を翔けていく一羽の小鳥の影を睨み、不敵に笑った。
File. 2 ハミングバードの贈り物 おしまい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます