第52話春麗と元

看護師の春麗は、奈穂美を病室の外に出したけれど、すぐには着替えやシップ貼りには取りかからない。

それより先に、元の仏頂面をほぐそうと考えた。

「ねえ、元君」

「横浜で元君のピアノを聴いたんだけどね」


元は、顔を春麗に向けた。


春麗

「聖歌中心だった」

「あれは、何か意味があるの?」

「それとも、弾きたかったから?」


元の顔が和らいだ。

「意味・・・覚えていないよ」

「あのピアノの前に座ったら、指が動いた」

「ゴスペルでも良かったかも」


春麗はにっこり。

「気が向いたら弾いて、教会にオルガンもあるし、ピアノもあるよ」


元がそれには答えず横を向くと、春麗。

「歌が上手い人も多いの」

「毎日歌っているし、声も鍛えてあるから」


元は、春麗をしっかりと見る。

「それ、ほんと?」

目も、さっきよりは光っている。


春麗は、そこで元に笑う。

「でも、すぐには無理」

「腕を動かすだけでも痛いでしょ?」

「だから、治るまでは我慢して」


元は「うーん・・・」とうなる。

口を「への字」に結んでいる。


春麗は、そんな元が面白い。

「弾きたいでしょ?」

「素直に言えば」

「でも、治ってからね」

「リハビリで、少しずつかな」


元は、春麗に質問。

「どれくらいで治るのかな」


春麗は少し考えるような顔で、元を焦らす。

「そうねえ・・・」

「酷い打撲で・・・一週間は最低・・・痛いよ」

「自由に動くまで、もう一週間」

「無理をすると、また痛めるよ」

「きっとトイレでも痛いはず」


元は、またうなる。

「面倒だなあ」


春麗は、また元を刺激。

「弾けなくなると、弾きたくなるってあるのかな」

「例えば、モーツァルトを弾きたいなとか」

「ベートーヴェンをガンガン弾きたいとかさ」


元は、春麗に苦笑。

「春麗さん、意地悪言っているの?」

「教会の看護師さんなのに、マジにいじって来る」


春麗は、そんな元にウィンク。

「早く治したい?」


元が頷くと、少し強めな口調。

「まずは入院服の着替え、シップも貼る」

「全て私に任せて、それはプロだから」

「抵抗はしないでね、抵抗すると痛いはず」

「治るまで、もっと時間がかかる」


元は珍しく「はい」と素直に答えている。

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