掌編

鍛冶 樹

現代における錬金術

 放課後、部活のために俺は化学実験室の中へと入った。

 実験室特有の何とも言えない臭いが鼻腔をくすぐる。

 中に入ると部活の先輩でもある秋山凛が、白衣を着て何やら実験をしているようだった。

 だがそんな事を無視して、俺は実験用のテーブルにすぐに突っ伏した。

「なんだ? 教室に入るなりいきなり」

 疲労感が全身を包む中、体勢を変えずにそのまま返事をした。

「凛せんぱぁ~い、今日のテストも散々でしたー」

 今日は実験室の丸椅子が妙に硬く感じられた。

「あん? テストの点数が低かろうが高かろうがどうでもいいだろ?」

「いやいや、それは凛先輩が頭良いからですよー」

「成績が良いのは確かだが、そんなに重要な話か?」

 凛先輩の声が近づいて来る。俺は机から顔を上げた。

 すると目の前には、長髪を手入れもせずにボサボサにさせた低身長の少女が居た。

 どう見ても小学生くらいにしか見えない凛先輩だが、その頭脳は一級品だ。

 この高校に入ってから成績は常にトップで他の追随を許していない。県内でも有数の進学校なのにも関わらず、だ。

「大事に決まってるじゃないですかー。この部活に入ったのもそのためですし」

 この高校には帰宅部というものが存在しない。入学したからには必ず何かしらの部活に入部する必要がある。部活以外の時間は全て勉強に注ぎ込む必要があるため、俺にとってそれは厄介な問題だった。

 その問題を解決したのはこの部活だった。活動日は火曜日と木曜日のみで、それ以外は基本的には全部休みだ。まさに渡りに船、というわけだ。

 まさか、この部活に入部する一年生は誰もおらず、凛先輩以外は全員幽霊部員だとは思っていなかったが。

「ああ、なんかそんな事言ってたな。それだけ勉強してても駄目なのか?」

 凛先輩は話をしながら、液体が入った試験管を振っている。

「全然駄目ですね……このままだとまた親に怒られる……」

 俺の母親は所謂教育ママというヤツらしく、事あるごとに成績に関して口を出してくる。

 頭が悪くなるからと言ってスマホなんてのはもっての外、休日も家から遠い図書館に連れて行かれ夜になるまで帰宅できないと言う徹底っぷりだ。正直辛くないと言ったら嘘になる。

「随分辛そうだな……無理して勉強しても成績なんて上がらないし、そもそも、いい大学に入るだけだったら普段のテストの点数なんてどうでもいいんじゃないか?」

「確かにそれは、そうですけど……」

「それに、だ。本当に勉強したいんだったら別に幽霊部員になってもいいんだぞ?」

 凛先輩の言う事は最もだ。だが、そんな事をしてしまっては、

「そんな事したら唯一の楽しみが無くなっちゃうじゃないですかー」

「唯一の楽しみ?」

「そっすよ。凛先輩と変な実験してる時くらいしか楽しみが無いんですよホントに」

「なんか言い方にちょっとトゲを感じるが……そっか、楽しみだと思ってくれるんだ、ふーん……」

「そんで凛先輩、今日は何やってるんですか?」

 試験管立てに入った試験管を見ながら聞いてみるが、

「あー……まあ、それは最後に教えよう。それよりも今は君の問題の話だ」

「成績の話ですか?」

「そうだ。ちょっと質問をするから正直に答えろ」

「ええっと、はい」

 俺は取り敢えず先輩の質問に答える事にする。

「君の親は教授だったり、医者だったりするか?」

「いえ、違いますけど」

「じゃあ、いい大学を出ていたりするか?」

「どうですかね? 両親とも大学は出てるみたいですけど、聞いた事ない大学だったような」

 いったこれは何の質問だろうか。

「なるほどな……じゃあ最後の質問、勉強は……ああ、ここで言う勉強ってのは国数英社理についてだが、その中でも好きな科目はあるか? もちろん、社会ってのは地歴公民、理科は物化生含む。おまけで情報処理系でもいいぞ」

「まあ、敢えて言うのであれば地理は好きですかね? いろんな国に行ってみたいですし」

 地理の教科書を見ながら、名産品や国毎の特色を覚えるのは楽しかったりする。

「それ以外はあんまり好きじゃない?」

「そうですね。そもそも基本的に勉強は好きじゃないですし」

 凛先輩少し腕を組んで考えた後、俺の眼を見てはっきりと告げた。


「――君には、学校の勉強に対する素質はないかもしれない」


「いやまあ、わかってましたけどね……才能なんてないですよ。でも、そうハッキリ言われると……」

 いくら先輩と言えどもちょっと傷付く。

「才能というよりは素質だな。才能は努力によって磨かれる部分も含むから、君に才能が無いとは私は到底思えないよ」

「それって一緒じゃないんですか?」

 素質と才能、そんなに違いがあるようには感じないが。

「まあ才能は素質を包含していると言ってもいいかと思うが、大事なのはそこじゃない。学業の成績ってのは遺伝的影響が大きいって話だ」

「はぁ……? つまり?」

「親と子の頭の良さは、ほとんど変わらないって事だ」

 それがもし本当だったら、親の頭が悪い場合、いくら勉強しても意味がないという事になる。

「ちょっと待ってくださいよ。それだと――」

「勉強しても意味がないのかって話か? まあ聞け、医者の息子は勉強しなくても頭が良かったり、スポーツ選手の子が走るのが得意だったりするのは納得できるか?」

 授業も聞かず毎日ゲームばっかりしているっていうのに、成績は常に上位な奴がクラスメイトに居る事を思い出した。

「確かにそういう奴いますね。数学教師の息子が数学が得意だったりしますもんね」

「だろう? それに、君は学校の勉強は好きじゃないんだろう? だから君には学校の勉強に対する素質が無いと言ったんだよ」

 凛先輩はいつになく必死な表情の様な気がした。

「でも、じゃあ俺はどうすればいいんですか……?」

 素質がないなら、勉強してもしなくても変わらないんじゃないかとさえ思ってしまう。

「諦めろ」

「え。そんな身も蓋もない……」

「ああいや、素質をうまく使うのは諦めろって事だ。だから後は勉強法でなんとかするしかない」

「勉強法ですか……一応、塾とか先生から言われた通りにはやってますけど……」

「はぁ……」

 凛先輩は渋柿でも齧ったかのような表情をしていた。

「な、なんすかその表情!」

「塾はまだいいかもだが、教師の言う勉強法を鵜吞みにして、成績が上がるわけがないだろうがっ!」

「いたっぁ!?」

 試験管ばさみで頭を叩かれた。変な事を言った覚えはないつもりだったが、

「教師の言う事を聞いて成績が上がるなら、習った全員が常に満点だろう? でも実際はそうじゃない。それはなんでだと思う?」

「皆、授業をちゃんと聞いていなかったり、素質的に足りないから、ですか?」

「勿論、それもないわけじゃない。だが、一番大きいのは一人一人得意な勉強法が違うからだ。日本の教育では強制的にインプット型の効率の悪い勉強法を強いられる。自慢じゃないが私は授業なんてまともに聞いたことがほとんどない」

「それは先輩だからできる芸当な気が……ちなみに、授業中は何してるんですか?」

「だいたいスマホ弄ってる」

 まったく、凛先輩らしい。教師など相手にもしていなさそうで、それが容易に想像できる。

「それで、だ。勉強法ってのは自分で気付くモノなんだ」

「自分で気付く?」

「そうだ。書いたり、読んだり、声に出したり、人によって何が覚えやすいかなんて千差万別。いろんな方法を試してみて、一番成績が上がる勉強方法に自分自身で気付くんだ。複数の方法を試した事が今まであったか?」

「そう言われてみると、ないような……」

 自分にとってどの勉強方法が良いかなんて考えた事がなかった。教えられた通りにやればいいものだと思っていた。

「参考までに私はアウトプット偏重型って感じだな」

「なんすか、それ?」

「ひたすら問題を解く勉強法だな。勉強する時は、何もインプットせずにいきなり問題を解く。それで分からない問題の解説だけを見て再度解く。これをひたすらに繰り返す、勿論復習だけでなく予習を含めてな」

「予習でそんな事したらほぼほぼ解けなくないですか?」

「ああ、それでいいんだ。わからない部分がどこかわかるのが大事だからな」

「なるほど……?」

 今の俺がやったらパニックになる未来しか見えない。

「これを真似しろって言ってるわけじゃない。今からでも自分にあった勉強法を見つけろって話だ」

「……わかりました。ちょっと試してみます」

 現状八方塞がりだった状態の俺に、少しだけ希望の光が差し込んで来た、かもしれない。

 学年での成績なんて下から数えた方が早い。これ以上はもう下がらないと思って、いろいろと試してみよう。

 それでも駄目だったら、

「うん。だいぶ顔色も良くなってきたな」

 凛先輩の顔を見る。微笑む凛先輩は実験中よりも楽しそうだ。不思議と俺も心が落ち着いてきた。

「……なんか、その、助かりました」

「ああ気にするな。だが、教師のいう事だけは聞いちゃ駄目だ。特に英語教師の新藤の奴は特に駄目だ」

 何か根に持った言い方をする凛先輩は、試験管立てに入った試験管を見た後、俺に安全保護メガネを渡してきた。

「メガネ? 何か実験でもするんですか?」

「いや、もう実験は自体は終わってる。今のままだと特に別に問題はないが、念のためな」

「はぁ……コレ、何の液体ですか?」

 試験管をよく見ようと手を伸ばすが、

「ストップ! 今のところは大丈夫なはずだが、あまり触らない方がいい」

「ええ……何作ったんですかー」

 見るだけでも危険な液体ってなんだろうか。ぱっと思いつくのは硫酸とか塩酸だが。

「雷銀だ」

「らいぎん? ってなんですか?」

「簡単に言えば……爆弾だ」

「は?」

「今はまだ濃いアンモニア性硝酸銀水溶液だがな。さっきエタノールを入れたから、常温で一日くらい放置すれば多分爆弾になってくれるはずだ……ふふふ新藤の奴、今に見てろよ……」

 不気味な笑みを浮かべている凛先輩。

 嫌な予感がしたので、近くに放置してあった化学辞典で『雷銀』を調べてみると、

「えっと……『黒色の結晶で少しの刺激でも爆発する。優秀な起爆剤』……は?」

「ふふふ、新藤の奴に鉄槌を下してやる……!」

 俺はそんな危険な物をどかに持っていこうとしている凛先輩を羽交い締めにした。

「先輩! 駄目ですよ!」

「止めろ! 離せ! 私の怒りは奴を滅せよと囁いている!」

「ちょっと! 何があったんですか先輩! 凛先輩!」

 暴れる凛先輩を止めながらも、不思議と俺は笑ってしまっていた。

 唯一の楽しみの時間は、これからも楽しみであってくれそうだ。

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