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デパ地下で買った総菜を両手に下げて、急いで社長のマンションへ帰ると、とりあえず私はお風呂に入る。
「急げ、急げ」
私の頭で考えられる、最高の夜にするためにフル稼働だ。ジャグジーのお風呂にゆっくりはいりたい気持ちを抑えて、シャワーで済ませてメイクをやり直す。髪にオイルを塗って念入りにブローをする。
「つやつや」
口コミで評価が良かったオイルを、奮発して買ったかいがあった。
時間をスマホで確認すると、パーティーは終わりを迎えた時刻だった。
「時間って経つのが早い」
三時間なんてあっという間で、仕度を整えるまで全速力で走ったように、息が切れた。
支度を済ませてしまえば、後は社長が帰って来るのを待てばいいだけ。
「お腹が空いた」
つまみとは別に、お弁当を買っていた私は、キッチンでお弁当を食べることにした。
「しまった、まだあった」
気合を入れて買ってきた料理とお酒の準備を忘れていた。
「えっと、グラスとワインクーラー……」
キッチンやキャビネットから必要な食器を出して、リビングに用意する。いろいろ見てしまって悪いと思ったけど仕方がない。
「キャンドルとお花も買っちゃった」
キャンドルだけじゃなくて、ミニブーケまで。駅の中にフラワーショップがあってつい買ってしまった。
「うん、すてき」
自己満足にふけっていると、社長から連絡が入った。
「すんなり帰れるのね」
パーティー会場であるホテルを出ると連絡が入る。私が待っているから、社長は取り巻きをうまくかわしたのだろう。
「私も着替えをしなくちゃ」
プレゼントされたあの黒のワンピース。一度切りなんてもったいなくて、どこかで着るチャンスはないかと思っていた。社長がパーティーの愚痴を言ったときに思いついたことで、いつも癒してもらっている私ができるお返しだ。
「少しは癒しになるかな?」
何もしてあげられていないと感じていたから、喜んでもらえるといい。
社長の家にある私専用のクローゼットから、ワンピースを出して着る。デートの時と違ってヘアはブローをしただけだけど、念入りにブローしたから本当に綺麗になった。いつもまとめ髪だからブローはおざなりにしていたけど、これからはちゃんとしよう。
「やっぱりかわいい」
ワンピースは二度目の着用だけど、本当にかわいくて、バービー人形といってもいい。
「自画自賛」
鏡の前でふざけていると、ベルが鳴った。
「社長だ!」
急いでインターフォンで対応して、ドアを解除する。
玄関でいそいそとしながら待っていると、またベルが鳴った。
「は~い」
重厚なドアを開けると、そこには私の男がタキシードを着て待っていた。
「おかえりなさい」
なんだか久し振りに会うような気がして、抱きつく。
「ただいま」
「開けて入ってくるかと思いました」
「鍵は沙耶に渡してしまっただろう?」
「あ、そうでした」
玄関に入るそうそう、お帰りとお疲れ様のキスをする。
「どうした? その服」
「ふふ……」
含み笑いをして社長の手を引く。不思議そうな顔をしながらも、私に手を引かれてリビングに入る。
「ジャジャーン!」
「どうしたんだ?」
「パーティーは緊張もしているだろうし、お酒も味わえなかったんじゃないかと思って、私からの労いです」
「豪華だな、うれしいよ」
「デパ地下製品ですが」
「わかってる」
料理が出来ないことは既に社長も知っているから、隠すこともない。社長は満面の笑みでテーブルを見た。
「ローストビーフもあるんだな」
「ええ、大好きですから。寝言を言うくらいに」
「嘘じゃない、本当に言ったんだぞ?」
「分かってますぅ」
ワインの栓を抜いて、グラスに注ぐ。
「お疲れさまでした」
「お疲れ」
乾杯をして同時にグラスに口を付けると、社長は私の腰を引き寄せた。
嬉しいけど、突然で目をぱちくりした私にキスをする。
「……ん」
社長から私へワインが注がれる。口移しなんて初めての経験だけど、すんなりと出来る社長はやり手とみた。
「今日もきれいだ」
「社長もすてきです」
もう一度熱いキスを交わして、二人でソファに座る。キャンドルの灯りが瞳に反映されて、社長がますます素敵に写る。
見つめ合いながらゆったりとした時間が過ぎてゆく。忙しすぎる私達にとって、ゆっくりできる時間が取れるなんて、贅沢なことなのだ。
食べさせあいっこをしている、社長のこんな姿を社員が見たら、固まってしまうに違いない。
「このサプライズのためにこれを?」
ドレスアップした私を、まじまじと見る。
「だって一度しか着ないなんて、もったいないじゃないですか」
「嬉しいサプライズだ」
「疲れも飛びました?」
「ああ、吹き飛んだよ」
「パーティーはいかがでした?」
「ご婦人方が相変わらず強くて、強烈だったよ」
「可哀そう……」
「まあ、経営者の妻はそのくらいじゃないと、やってはいけない部分もあるからな」
「そうなんですか?」
「いつ何時、何があっても動じない強さが必要だ。経営者があたふたしていたら、社員はどうなる? 弱みを見せないことが重要だ」
一般の家庭に生まれて良かったと思ってしまった。社長は生まれた時から経営者になるように育てられてきたのだろう。持ち合わせている威厳も何もかも、直ぐに身に付けたわけじゃなく、そういう環境に育ったからなのだ。
いきなりそんな環境に能天気な私が入っていっても、馴染めないだろうと思う。だけど、会長の奥様はファイブスターの社員で秘書だった。どんな覚悟を持って結婚したのだろう。
「まあ、俺の母親は例外だけどな」
「例外?」
「のんびり、おっとりとした母親だよ」
社長がお母さまを紹介して下さるかどうかは、今の段階では不明。まだ付き合いだしたばかりだし、それに結婚対象としても不明。結婚を意識するには早すぎだし、私はいつでも社長と別れる覚悟をもって付き合っている。
悲しいことだけど、それが現実だ。
そのときになったら分からないけど、振り乱したりしない ようにしなくちゃと、心に決めている。
こんなに幸せな時間を一緒に過ごしているのに、頭の中は不安な事しか浮かばない。この癖を直さないと、本当に幸せな思い出は作れない。
「どうかしたのか?」
「え?」
「考えごとをしているようだ」
「……少し酔ってしまったかもしれません」
泡となって消えてしまいそうな恋愛だと、いつから感じ始めたのだろう。話しをして行く中で、お互いの理解は深まるけど同時に、私とはやっぱり世界が違う人なんだと、思い知らされることが多くなった。
ただ好きで、想いを寄せている時が一番幸せだったかも。少し手が触れただけでも胸が高鳴って、心配されれば涙が出そうになるほど嬉しくて。
今は、もっと、もっと、と要求が出てきて満足できなくなっている。
社長がそっと肩を引き寄せ、おでこにキスを落とす。
そんな瞬間も大好き。
久し振りのお酒で、身体にアルコールが回って、私は少し大胆になる。
「そんなキスじゃいや……」
社長の蝶ネクタイに指をかけて、引き寄せる。間近にある、見とれてしまうほどの美麗な顔。
「その甘い声をもっと聞かせろ」
大嫌いだったこの声だけど、この声に産んでくれてありがとう、と母親に感謝する。
社長のくれるキスは極上の一品。私の唇が離れたくないと言っている。
「いい声が聞こえないな」
「キスじゃ出ないの」
自分でも恥ずかしくなるくらい、キザな言葉が次から次へと出てくるのはきっと、社長がキザだからだ。
私を抱き上げ寝室へ向かうと、ベッドにそっと降ろされる。
なんていいお顔。真上にこの顔があるなんて、いまだに信じられないでいる。
タキシードシャツの間から見える肌が、なんとも艶めかしい。
男の顔、私を欲しがる顔、全部私の物。
「今日は欲しがるな」
「酔ってるせいかしら?」
「なら、毎日でも飲ませようか」
「ふふ……」
こうして抱かれている時だけは、不安がなくなる。私に夢中で求められているから。
もやもやしていたのが嘘のように、頭の中は社長でいっぱい。何も考えられないように、抱いてくれればそれでいい。
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