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「おはようございます」


少し澄まして挨拶すると、同僚から返事がある。


「おはようございます」


 見目麗しく色気を振りまきながら、出来る女を演出している私は、髪をアップにして、小ぶりでも上質なピアスを付ける。もちろんプラチナかゴールド。ついでに言うならダイヤはマストアイテム。爪の手入れは怠らず、月に二度のネイルは欠かさない。リングも着けたいところだけど、社長に恋人がいるのかと勘繰られるのも嫌。シングルだという私なりのアピールをしているとは、なんて諦めの悪い女なのか。


 そして、ボディラインが少しわかる程度の上品なスーツを身にまとい、ルブタンのパンプスを履く。それが私の戦闘服だ。



「相変わらず色っぽいお声で」

「やめてよ、好きじゃないのよこの声」



 鼻にかかったような甘い声。普通にしゃべっているだけなのに、媚びて甘えていると陰口を言われたこともあった。


 子供の頃は「鼻づまり」とからかわれ、中学高校では「男好き」とたたかれた。人と話すことを止めてしまった時期もあるほど悩んで、声帯は手術出来ないのかと医師に相談したこともあった。だけど大学生になると、声を羨ましがられるようになり、自信を持つようになる。


 そしてこの声を武器に男を落として来た。誰に何を言われようが、世の中は手に入れた者勝ちなのだと思うようになった。今も謙遜はしているけど、まったくそんなことは思っていない。


 出勤も最後という女王さまっぷり。一番下だった時は、先輩よりも早く出勤して職場の環境を整えていたのものだが、気が付けば秘書課での地位が上がっていた。



「時間を止めてくれないかな」



 酔うと言ってしまう口癖だ。早くこの地位から落ちたい。「玉の輿課」である職場で一番上にいることは、ステータスでもなんでもなくて、むしろ恥。勤務年数は少なければ、少ない程価値がある。これ以上価値が下がりたくない私の切実な願いだ。


 秘書は役員のサポートをするのが仕事で、「絶対に出来ないとは言わないこと」と、入社時に言われた。秘書に憧れる者も多いが、その業務内容はまるでコンシェルジュのようだと、私を指導した先輩が言っていた。気が合わない役員の秘書になると悲惨だと、よく言われたものだ。そこへいくと私は恵まれたのだろう。役員の秘書でも、社長秘書である。容姿端麗、頭脳明晰、語学堪能と褒め称える言葉が星の数ほどある男が社長だ。


 難点といえば仕事の鬼で、毎日遅くまで仕事をしていることくらいだ。

 秘書課には名の秘書が在籍している。男の細山部長に、会長、社長、取締役についている秘書が私を含めて6人、全て女性。会長は社長の父親で、会社の経営のほとんどを社長にゆだねているけれど、毎日出勤はしている。会長秘書は並木さんという私より三つ年下の二十六 歳。彼女が私の直属の会長秘書になったときに、「社長夫人は幻と消えた」と狙いを管理職に切り替えた。取締役は三人いるけど、秘書が忙しくなるような仕事はなくて、三人についている秘書は佐藤さん、長嶋さん、三井さん 。この三人は取締役に気に入って貰ったらしく、みんなの彼氏はこのお方たちに紹介してもらったらしい。そしてまだ秘書の研修中である神原さんは、並木さんのアシスタントをしている。



「昨日は何時に帰ったんですか?」



 デスクにバッグを置くなり、私の隣に席がある神原さんが声を掛けてきた。彼女は秘書課の中でも地味で、とりわけ美人と言うわけでもなく目立つ存在でもないけど、とても清楚で凛としたところが魅力的な女性だ。落ち着いていて、気配りも出来て信頼がおける。いつも気遣いの言葉をかけてくれ、見習わなければならない所が多いのが彼女だ。地味な彼女が、秘書課に採用された理由がさっぱりわからないけれど、他の秘書達より仕事が出来るのは確かだ。


 他の役員とは違い、仕事人間の社長についている私は残業ばかりだ。こんな日々が重なり、とうとう同期からも誘いが来なくなってしまった。寂しい独り身には、同期の飲み会だけが楽しみだったのが、それすらも参加出来ないというのは、はあまりにも可哀そうではないか。


 気が付けば朝になり昼になり、あっという間に寝る時間になって一日が終わる。そんな毎日だから、気が付いた時は恋人がいない寂しい三十女になってしまっていた。


 「日付が変わる前には帰ったわよ」

 「水越さんが寿退社するの反対!」


 周りの秘書たちが朝から威勢よく手を上げる。理由はかんたんで社長の秘書になりたくないからだ。私の残業っぷりを見ていれば、そうなっても仕方がない。


 「やめてよ。お年頃過ぎた女なんだから」


 恋がしたい、恋がしたい、キスがしたい。出来ればセックスも加える。ホルモンを活性化させるにはこれしかない。相手が社長なら尚いい。夢の中で何度抱かれたか。

高級化粧品を使っても肌は潤わず粉をふく。旬が過ぎた女は美味しくない。


 それでも誰でもいいわけではなく、スペックの高すぎる男と仕事を共にしていると、目が肥えすぎて上級クラスと言われる男達でさえ、私の目には霞んで見える。社長は、食物連鎖の頂点に君臨するような男なのだ。


 今夜は、合コンが入っている。何度もお願いしてセッティングしてもらった大事な合コンだ。なんとしても残業は出来ない。心は社長に100%だが、気持ちに終止符を打たなくちゃいけないと思っているのも100%なのだ。気持ちは社長、だが気分は合コン。女心は複雑だ。



「失礼します」



 社長室のドアをノックして、返事を待つ。



「どうぞ」



 今日もいい声で、ドアの外で思わずうっとりしてしまう。ドアを開けて社長を見ると、座っているデスクの後ろが大きな窓のせいか、後光が差しているように眩しい。



 「おはようございます。新聞です」

 「ありがとう」



 今日もスリムなスーツが似合うスタイル抜群の男。隙が無いことは明らかだが、入り込める隙までないのが難点だ。


 社長は無駄が大嫌いで、毎朝決まったルーティンで動く。少しでも乱すと後の予定がずれて行き、機嫌を損ねることにもなる。調整するのは私であるため、乱さないことが必須になる。時に分刻みで仕事をこなす社長は、時間にうるさいのだ。


 毎朝、新聞を読みやすくするために、新聞の輪になった部分をホチキスで止め、五紙をデスクに置く。



「コーヒーでございます」

「ん……」



 社長は必ず私の淹れたコーヒーを飲む。意外と尽くす女だったのかなと思ったのは、スキルの為と自分に言い訳をしながら、コーヒーの淹れ方教室と、煎茶の美味しい入れ方教室に通ったことだ。社長に美味しいと言ってもらいたい一心だった。なんと健気なことか。



 「今日も美味しい」



  淹れる度に言ってくれる褒め言葉。これだけで腰砕けになってしまいそうになる私は、救いようがないほど社長が好きだ。



「ありがとうございます」



 スッキリとした一重の目が私を見ている。その瞳に私が映っていると思うだけで、めまいがしそう。どうしようもないほど素敵だ。毎日見ているのに、見飽きないのは本当に好きだからに決まってる。美人は三日で飽きると言うが、美男子は何年たっても見飽きない。


 社長が見合いでも、結婚でも、彼女でもいればあきらめもつくが、まったくその気配がないだけに私に微かな妄想の希望を与えてしまうのだ。社長は罪な男だ。



 「本日の予定でございます」



 朝から夕方までのスケジュールを伝える。びっしりと詰まっている予定を読むのは、短編小説を読み聞かせしているようなものだ。コーヒーを飲みながら耳を傾ける社長は、その表情から何を考えているのか読めたことはない。本当にポーカーフェイスなのだ。



 「分かった」



 一気に読み伝えると、いつも通りの短い答えが返ってくる。



 「では、失礼します」



 社長室を出ると、社長室の前にある秘書専用デスクに座る。



 「はぁ~素敵すぎる……」



  悩殺されそうな色気にやられ、デスクに砕ける。しばらく放心状態で動けなくなるのはいつものことで、高鳴る鼓動を沈めるのに必死。


  私のデスクは秘書課にもあるけれど、荷物置き場と化してしまっている。社長は、仕事のペースを乱さるのを嫌うから、アポイントメントなしでの対応は一切しない。突然の訪問は、私を通して許可を得ることになっているために、秘書課のデスクでは仕事をすることがほとんどない。社長の呼び出しにすぐに応えるには、このデスクにいないと出来ないのだ。


 秘書課はお菓子を食べながら女子トークに花を咲かせているというのに、私には参加権利もないのか。だから恋愛も遅れをとってしまうのだ。社長のせいだ。でも……



 「常に私の傍にいなさい」



 秘書になって暫くして言われた言葉だ。愛の告白のように言われたことを、今でもはっきりと覚えている。なんて思っているのは私だけで、社長はなんとも思っていないことは分かり切っているけど、いいように考えても罰はあたらないはず。

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