第18話 モンスターの襲撃

 ニーナは獣と睨み合い対峙していた。身構えるが、武器と呼べるものが何もない。トラキアへ来る途中に見たキラーサーベルだ。黄色い体毛に黒い斑点。獰猛な湾曲した大きな牙をむき出して敵意を顕にしている。


〈なんでこんな所に! 街には近づかないんじゃなかったの?〉


 背後にいるリースとシャオも同様に武器など持っているはずがないのだ。肩越しに見て、ニーナは歯を食いしばり獣の射抜くような目を睨み返す。


〈あたしが――あたしがやらなきゃ!〉




 ***



 ――数時間前。



 ニーナたちは髪飾りを買い、手にはクッキーを持って食べながら歩いていた。商店のおばちゃんがニコニコとくれたのだ。シスター・リースは何度も頭を下げてお礼を言った。それをニーナとシャオは齧り、上機嫌で迷子組探しに戻っていた。


 ここトラキアは夜でも街の明かりに照らされている。どの家も灯りを付けているからだろう。それに通りにも街灯と呼ばれる物が地面に埋められていて、大人の背丈より少し高い場所でガラスに包まれた図太いロウソクがユラユラと蠢いている。


 おバカな迷子たちは入口の跳ね橋まで戻っているかも知れないと考えたニーナたちは、メドベキアの町からここまで乗せてきてくれた乗り合い馬車の小屋を訪ねた。おじいさんのあの陽に焼けた優しい笑顔が見たいというのもある。


 入口に立ち、木扉をトントントンとリズム良く叩く。リースが声をかけるが返事がない。血に対する嗅覚が鋭くなっているリースの顔が強張り始めた。吸血鬼としての性で牙が伸び始める。子供たちの視線に気付いたリースはその場から離れ、鼻元をハンカチで押さえて気持ちを落ち着けることにした。


「ごめんなさい、少し……気分が悪いの」


 そう言ってリースは雲間から覗く月明かりに照らされた木陰へと移動した。


 ニーナとシャオは顔を見合わせた。リースに寄り添おうとシャオは木陰へと走っていった。弱視でメガネがあっても良く見えていないシャオは、今では立派な薬師のようだ。


 心細さを跳ね除けるようにニーナは一人、馬小屋の方へと歩み寄りもう一度訪ねた。


「ごめんくださーい。馬のおじいさーん?」


 ふと、小屋とは別な馬小屋の両開きの木扉の下に血だまりが見え、ニーナは眉をひそめた。


 ニーナはしゃがみこんで顔を地面に近づけるように馬の様子を確認しようと覗きこんだ。


 そこには馬の食い散らかされたような死体が転がっていて、辺りに血が飛び散り異臭が鼻をつく。


 ニーナは後ずさった。辺りの静けさと暗さが、跳ね除けていた心細さを呼び覚ました。リースとシャオの元へと逃げるように走った。


「シャ、シャオ! ここ、何かいる……」


 暗がりに目が慣れてきたニーナの目にはシャオの青ざめる表情が見て取れた。


「馬が死んでた。なにかに襲われたみたい……」


 辺りを一気に不穏な空気が流れた。リースが呻くように低い声で唸っている。明らかな吸血鬼の“血の渇き”による発作だ。血の匂いに過敏に反応した顔の黒い血管が浮き出ている。


 俯いて唸り声をあげるリースにすら不気味さを感じていた。


 ニーナは困惑するシャオにその場から離れようと小さな声で言った。


 三人はゆっくりとだが確実に小屋から離れていく。腕を引くシャオにも、うつむき加減のリースは髪で表情が見て取れない。いつもの優しいリースとは明らかに違く感じて背筋に冷たいものを感じる。


 ニーナは跳ね橋の所まで行ければと考えた。そこにはあの意地の悪そうな門兵たちが門扉の灯りの下にいる。


 一瞬、たった一瞬跳ね橋の方へと意識を向けて小屋に戻す間に、それは音もなく現れた。


 小屋の屋根に一頭のキラーサーベルが登ってニーナ達の方を観察していた。ギラつく目が暗闇の中にいっそう映える。


 それがこちらを見ているのだ。


 草原にいたあのキラーサーベルだ。もしかしたら、ずっとついてきていたのだろうか? そして馬を襲い、おじいさんを……。


 だがなにか、あの時とは違う異様な気配。


 後ずさるニーナの背中越しにシャオとリースの温もりが伝わる。同時に震えも。


 ニーナの頬を一筋の汗が伝う。


 ニーナは自らの太ももを擦り、舌打ちをした。


〈武器がない〉


 ニーナは辺りを伺う。


〈二人を……なんとかして二人を守らなきゃ!〉


 小屋の屋根にいる一頭に視線を戻す瞬間に気づいた。


 小屋の両脇にも二頭いる。


〈群れだ。これでは……〉


「あたしが戦う! 二人は逃げて!」


 異変を察知したシャオはチカラを使い両手の指をピンク色に光らせ、小屋の中を透視して言った。


「無茶です! 小屋の中にも二頭います!」


 つまり合計五体。


 小屋の中にいる。そして小屋の中にはおじいさんがいたのだ。それを聞いて瞬時に理解した。喰われたのだ。馬小屋の馬同様に。ニーナの奥底にあるものが不快さを感じる。


「あ、あぁ……そんな……お、おじいさんも……。あのおじいさんも中に……。でも……もう」


 ニーナの身体の奥で感じていたおじいさんの最後に笑った顔が思い起こされ、それがまるで燃え消えていくように感じた。瞬間、ニーナは走り出していた。


 小屋の両開きの木扉をチカラで掴んで勢いよく開け、隣りに陣取っていたキラーサーベルの鼻っ面を強く打ち付けた。


 勢いで砕けた木片の一つを操り、もんどり打っているキラーサーベルの脇腹を木片が貫いた。


 ドサリと音を立て、キラーサーベルが動かなくなるのを見届ける。


 屋根の上のリーダー格らしきキラーサーベルが威嚇するように吠え、呼応するように小屋のそばにいたキラーサーベルが地面を蹴ってニーナに迫る。


 ニーナが足元にある石を複数浮かせ、横薙ぎに飛ばした。キラーサーベルは横腹を石になぶられ、痛みに後退する。


 屋根にいたキラーサーベルの鋭い牙が上空からニーナに肉薄する。


 早い! 間に合わない! そう思ったニーナの目の前に何かが覆いかぶさり、フワリと抱きしめられた。


 キラーサーベルの大きな牙が踏み出したリースの背中を引き裂いた。


 思わず拍子抜けたニーナの目の前で、リースの背から血飛沫が見えた。


 キラーサーベルは一旦距離を取り、傷を与えた獲物が弱る様子を伺った。


 リースが吸血鬼特有の赤黒い血を吐いてその場に倒れむと走りよっていたシャオが思わず叫んだ。


「イヤアァァァ!」


 跳ね橋の門を守る十字軍兵士二人が、シャオの叫び声に異変を察し武器を手に走った。


 ニーナはなにが起きたのか分からなかった。そして何が起きたかを理解すると、なにかがキレた。


 ニーナの橙色の髪がチカラの余波で吹き上がり、瞳に光が宿る。


 小屋の中でを貪っていた二頭のキラーサーベルが更に飛び出して来る。その口には肉片がぶら下がり、血で鼻面が真っ赤だ。


「こん……のぉおやろおおおぉ!」


 ニーナが胸の前で見えない何かを掴むような仕草をすると、見えないチカラが小屋を掴む。小屋全体が震えてギシギシと音を立て始めた。更にチカラを爆発させる。合掌するように手が合わさる。


 小屋の両端の柱が砕け、キラーサーベル二頭が押し潰され、外にいた三頭が正面のニーナと、その音に異変を感じて身構えた。


「ァァアアアア!」


 ニーナの鼻から真っ赤な血が吹き出すと、小屋が重力を無視したかのように浮かび上がった。


 兵士二人はその光景に思わず脚を止めた。


「な、なんだ?」


 ニーナが振り上げた両手を勢いよく振り下ろすと、小屋はキラーサーベル三頭目掛けて落下する。


 狼狽え、散り散りに避けようとするが二体が巻き込まれた。いち早く避けようとしていたリーダー格の一頭でさえ身体の半身を巻き込まれる。ダメージに悶え、前脚をかき、逃れようとするがやがて力尽きた。


 ニーナは息を荒らげ、収まらない怒りに拳を震わせていた。


 シャオはリースの傷口に手を当て、涙を垂らす両目を瞑ってチカラを指先へと集中する。シャオの指先がピンク色に輝くと、一本一本がユラユラと何か見えないものを探るように動いた。


 ニーナは我に帰るとリースに駆け寄った。


「シャオ! シスター・リースは!? 大丈夫!?」


「これは……すごい。もう治り始めてます。でも、こんな……こんなのって」


 リースは痛みに呻き赤黒い血を吐いた。再生する肉片は時間を遡るように塞がっていき、再び裂け始めると大きな目玉がギョロリと辺りを見回す。異形の姿でリースは立ち上がる。リースの桃色の瞳がみるみる血走り、血に飢えた赤黒い色に染まり始める。


 リースは呼吸が早まり、シャオの首筋の脈打つ豊潤な香りに囚われ始めていた。


 大きく口を開け、伸びた二本の牙がシャオに向く。


〈ダメ……ダメ……それだけはダメ!〉


 リースは自分の頬を両手で強く打ちつけた。パーンと大きな音が鳴り響く。リースがそっと目を見開くと元通りの桃色の瞳に戻っていた。


「もう……大丈夫ですよ。シャオ、ありがとうございます」


 ニーナとシャオはいつもの優しい笑みを向けてくれるリースに戻ると、胸を撫で下ろした。


 いつの間にか近くにまで来ていた門番の兵士二人は狼狽えて言った。


「ま、魔女だ……。こ、こいつら魔女だあぁああ!」


「橋を上げろぉぉお!」


 兵士たちは走り出していた。


 ニーナたち三人は半ば呆然としてその後ろ姿を見送っていた。

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