第30話 消えゆく生命

 マリアは微睡む意識の中、爆音を聞いた。脳が目覚め、ハッとして起き上がった。


 傍には”血の呪い”に抗い続けているシスターが寝ている。黒い触手は枝を伸ばし、編み目が全身を包んでいる。その隙間からシスターの姿を見る。触手は編み目の間に膜のようなものを広げていて、シスターには手が届かない。マリアが恐る恐る触れてみると、粘着質な液体のようだ。


 森の前方では、未だ収まらない爆発の粉塵が見えている。


 まだ、戦っている。みんながいる。


 マリアは剣を取り、腰の鞘に収めて走った。


 まだチカラを使いすぎた後遺症か、頭がグラグラして真っ直ぐ走れない。それでも構わず走った。


 前方には横たわっている人影が、月明かりに照らされて見える。


 あれは? もしかしてニーナなの?


「ニーナ!」


 それと……?


 マリアが走り寄ると、ビリーが大の字に寝転んだまま、ニーナのスカートに頭を突っ込んでいる。


 こちらへと狼男の姿のジャックが走ってくるのも見える。


 その背後には、大きな腹が、これまた大きく抉れたアルノルトの死骸もだ。少しづつではあるが、黒い塵になって宙に溶けていっているようだった。


 マリアはビリーの腹をお気に入りのブーツで踏んづけた。


「ぐはっ! な、なな、な!?」


 ビリーは腹部への衝撃で飛び上がるように起き上がって、辺りを見回し、マリアで視線を止めて「なんてことするんスか!」と言った。


「ビリー、あなたこそ、何をしているの?」


 マリアは笑顔だが、目が笑っていない。


 ジャックは弁解の余地なしと、頭をかいている。


 う、うーん。


 そんな中、気を失っていたニーナが意識を取り戻して起き上がる。


「ハッ! ば、化け物は?」


 ガバッとビリーとルディの上着を跳ね除けて起き上がり、辺りを見回す。


 ニーナのスカートがめくれ上がり、パンツが見えている。


 ビリーは目の前でこちらを見て、鼻血を垂らしている。視線は下と上を交互に見ていた。


 ニーナの拳がビリーの鼻先をまともに捉えた。



「ひ、ひどいっスよ~」


 ビリーはハンカチで鼻を押さえながら歩いていた。


「あ、あんたが紛らわしいことしてるからでしょ!?」


 ニーナがシスターを浮かべて歩いている。まだ、無茶は出来ない。かなり脳に熱がこもっているようだ。顔も少し赤い。まぁ、パンツ見られて照れてるのもあるのかもしれないが。


 ジャックはシスターを見る。黒い触手に覆われ、もうほとんど繭になってしまっている。アルノルトは死んだが、あの巨体だ。完全に消え、呪いが解けるまでにシスターが完全な繭になり生まれ変わってしまうかも知れない。これはまずい。どうする?


「みんな、まだ終わってないかもしれないぞ。まだ、”血の呪い”が解けないんだ」


 考えたくはないが、もしかすると……まだアルノルトは死んでないのかもしれない。


「……どうも嫌な予感がする」


 ジャックは先に行ってると言って飛ぶように走って行った。




 カインは鼻を押さえているハンカチを離し、真新しい血がついているか確認した。


「よし、止まったみたいだ」


 ハンカチを包み、押し込むようにポケットにしまいながら言った。


「代わるよ、アンバー」


 アンバーもさすがに疲れたようで、へたり込むように座っている。白い太ももの上を転がって遊んでいるミカエルは一人楽しそうだ。


 カインが腕を伸ばすとミカエルが頭から突進してきて胸に衝撃を与える。子供の頭は硬いんだ。


「うっ。いてて、痛いよミカエル」


「かーいー」


 カインはミカエルのミルクの香りが漂う身体を抱きしめた。


 思わず目元が潤む。


 傍にアンバーがいなければミカエルを抱きしめ、声を上げて泣いていたかもしれない。たった今、天涯孤独になってしまったのだ。それが、例え、吸血鬼になった本当の父親でも、悪人だとしても”失った”事には変わりないのだから。


 それでも、今は耐えろ。僕には”家族”がいる。僕は長男なんだ。耐えろ。


 疲れた顔でミカエルを抱きしめているカインはふっと包まれるような気配を感じた。


 座っていたはずのアンバーが、ミカエルの後ろから二人を包むように抱きしめていた。


 カインは堪えていた感情が波のように押し寄せてきて、思わず涙が頬を伝ってしまった。


「ずるいよ、アンバー……」


 アンバーは何も言わず、二人を抱きしめて静かに涙を流した。ミカエルが二人に挟まれて窮屈そうに、泣いている二人を見上げていた。その小さな両の手で二人の頬の涙を拭っていた。




 アルノルトは消えゆく生命の中、漂う意識の中でただただ手を伸ばした。ようやく会えた我が子、愛する妻と共に死んだと思っていた我が子へと。口を開き、息子よと、自分で何ヶ月も考え抜き名付けた名前を呼ぼうとした。”カイン”と。




 アルノルトの異形と化した身体がギシギシと骨を軋ませ、腐った肉がずり落ちるのも構わず、腹ばいのまま起き上がった。肘から先を失った腕を地面に突き刺し、身体を引きずった。再生の途中で止まってしまっている、細い神経と血管しかない左手をカインに伸ばして、息を吸った。




 ジャックは見た。アルノルトの背中の開口部が再び空気を取り込むのを。管が紫色の光を明滅させ、チカラを蓄えるのを。


「そんな……やめろぉぉおおお!」


 そこには、カインが、アンバーが、ミカエルがいる。


 ジャックは走った。アルノルトの背に足の爪をくい込ませ、手の爪を突き出して獣のように四本の脚で走った。


 ジャックの瞳が金色に輝き、そのスピードを上げる。銀色の矢の如く駆け抜ける。




 アルノルトの胸まで裂けた口が大きく開き、紫色の光を集束させていく。


 アルノルトの薄れゆく意識が言葉を発する。


 ……”カ”……”イ”……”ン”……。



 カインとアンバーは抱き合ったまま異変に気づいた。


 アルノルトの異形が、再び大口を開けて紫色の閃光を放った。



 ………………………………。

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