第27話 すべからく死する者 2

 ジャックは駆けた。死霊の森の鬱蒼とする樹木の上を、跳ね石の様に飛び交いアルノルトへと迫る。


「ガアァァァ!」


 ジャックは爪を伸ばし、今ではアルノルトの六〇メートルはあろうかと思われる化け物と化した巨大な身体に飛びかかった。


 アルノルトの盛り上がった大きな肩に三〇センチほど伸ばした爪を突き刺して、さらに足の爪で皮膚を抉るように深く掴んで走った。横腹から肩へ、そして腕へと向かって引き裂く。


 アルノルトは小虫を払うように手を振ってジャックを追い払おうとした。


 ジャックは咬みつき、離れまいと食らいつく。




「……また、これですか?」


 シャオは目元を擦り、猟銃のベルトを肩にかけながら言った。


「しょうがないだろ? まずは追いつかなきゃならないんだから」


 カインは拳銃を腰のホルスターにさして言った。


「アンバー、真っ直ぐだぞ? まっすぐ行かなきゃ僕たち木に叩きつけられて死んじゃうんだからな?」


「分かったわよ。何回も言わないでくれる?」


 アンバーは足首を入念にストレッチしながら化け物の方を見る。幸い、巨体が木々をなぎ倒しながら進んでくれてるおかげで見通しはいい。途中から出血しているのか化け物の黒い血が大地を染めている。ものすごい量だ。


 ジャックが切り倒していった細身の四本の丸太をニーナが浮かせ、崩れないようにカイン達がロープを巻き付け縛っていく。マリアと眠り続けるミカエル。そして、未だ”血の呪い”に抵抗しているシスターをその上に乗せる。


「よし、ニーナ、ゆっくり降ろしてくれ」


 イカダのような風体になった丸太の先端部分だけを少しニーナが浮かせる。こうすることで限界が近いニーナを少しでも休ませてやれる。八歳の女の子の体力だ。期待はできない。汗をかき、悟られまいと平気な顔をしているが限界は近いだろう。


 ルディも戦い続けてもう限界だろうに。ビリーもそうだ。一度、限界までチカラを使って気を失っているんだ。


 丸太の上に全員が乗り込むと、アンバーは足踏みを始める、徐々にその速さが上がっていき、アンバーの腰に付けたロープに引きずられて丸太が勢いよく滑り出した。


 ズガガガガガガガ!


 ボートの時のように浮かせてない分、衝撃が激しく捕まっているのがやっとだ。後方の丸太が地面に削られて徐々にチビていく。化け物まではなんとか持つだろう。


 グングンと距離が縮んでいく。ガクンガクンと衝撃が酷い。だが贅沢は言ってられない。


 化け物が進んだ道は、重たい身体を引きずるように前進しているためか地面が抉れている。周りにある木もなぎ倒されている。


 カインはアルノルトの事を考えていた。考えまいとすればするほど考えてしまう。カインはネックレスの二つの指輪を手のひらに転がした。二つに名前が彫られている。”アルノルト・パウル”そして、”サラ・パウル”最後はどっちもこう刻まれている”不変の愛を誓う”カインは握りしめた。


 今は、いい。


 カインはシスターの方を見た。”血の呪い”がジュクジュクと黒い触手を伸ばし続けている。それはシスターの身体を覆いながら黒い網状のものへと変化していっている。


 恐らくだがこれが完全に繭状になった時が時間切れなのだろう。今はまだシスターの胸の十字架の光が完全に覆ってしまうのを阻止している。


 今は、まだいい。カインはネックレスを服の中にしまい込んだ。


 今はまだ考えなくていいんだ。集中しろ。



 化け物と化したアルノルトは自分の周りを跳ね回るジャックを捕まえようと腕を振り回し、掴み損なっているのを繰り返している。


 腕がジャックの方に伸びジャックを捕らえそうになる。ジャックは空中で身体を捻って回転し、手のひらの指を一本切り飛ばした。化け物の腕から何本も腕が生えて、更にジャックを追尾する。ジャックは向かってくる腕を裂き飛ばしていった。




 アンバーのブーツが地面を数十メートル撫でながら止まった。


 化け物が振り回す腕がこの一帯の木という木のほとんどを根元からへし折っていた。アンバーは腰のポーチからナイフを取り出して腰に結んであるロープを切った。後方から迫り来るイカダをビョンと飛び跳ねて避ける。


 急造品のイカダはまだ地面を滑っている。


「あ……」


 止まる時のことを考えてなかった。カインは焦った。余計な事考えてる場合じゃなかった。


「ニ、ニーナ! 悪い! 頼む!」


 カインが言うと、イカダがフワリと浮いて止まった。


 ニーナはいつものように悪態をつかず、イカダから降りるとよろけて膝をついた。


 ニーナはフーフーと肩で息をしている。体力の限界なんだ。


「ニーナ、ここで休んでるんだ」


「イヤ」


「ダメだ」


 カインはこれ以上は許さないぞと指を立てて制した。


 ニーナはムスッとしてイカダに座り込む。バレないようにしているが、顔が赤い。


「ルディ、ビリー、いけるか?」


「やるよ」


 ルディが答え、ビリーが頷いた。


「シャオとアンバーは援護を頼む」


 さも当然と二人とも頷いた。


「とにかくあいつを止めよう、父さんだけじゃ無理だ」


 なんとかしなきゃ。



 アンバーは、まずチカラを使って飛ぶような速さで先に行き、メドベキアの町を背にすると真っ向から化け物と対峙した。


 ルディから預かった火打ち式点火器で松明に火をつけて、そのまま地面に突き刺した。弓に矢をつがえて、先端に火をつけて放つ。


 火矢は放物線を描いてアルノルトの首元に突き刺さった。


 意に介していない……こんなものじゃ効いてないんだ。


 だからって、諦められるか! アンバーは弓を引き絞り射った。



 ジャックは切り裂いては動き回り、注意を引く。そこまでは上手くいっている。化け物の進行は止められている。これも成功。だが、すぐに再生してしまう。


 ジャックは腕を交差させて、アルノルトの背中を十字に引き裂いた。再生する部分が熱を持ち、白い煙を出しながら治っていく。


 ジャックは殴りつけるように爪を突き刺した。手首まで埋まる。引き抜けばすぐ治っていく。くそ! どうすればいいんだ!



 ビリーは走って化け物に追いつくと、化け物の左足を狙った。左足はたくさんの小さな足が生えていて、慌ただしく行進している。小さいと言っても大人の足ぐらいの太さがある。


 うわ~。キモち悪ぃ。


 ビリーは短槍を横薙ぎに振り、脚の一つを斬り落とした。


 よし! 次の脚を狙っている間にすぐに代わりの足が生えてきた。


 ムムッ!


 切っても突いてもすぐに再生する。


「それなら!」


 ビリーは足のひとつに短槍を突き刺した。


「これで、どうだ!」


 ビリーの手から電撃が短槍を伝う。


 腐敗しつつある脚は焼け焦げたツンとする臭いがした。


 感電した脚は、ダラリとして地面に垂れたまま引きずられている。心無しか再生が遅い。


 これを繰り返すのか。ビリーは思う。でも、やるしかないだろ!


 ビリーはチカラを使いながら足を斬り続ける。




 ルディはビリーとは反対、右足の方に走って回った。


 巨大な足がしっかりと大地を踏み締めている。


「でっけー!」


 ルディは火の玉を作って投げた。


 ボンと弾けて巨大なふくらはぎの一部を焼く。


 ルディは拳を打ち合わせ、火の玉を振りかぶって投げた。全部焼いてやる! 覚悟しろ!



 カインは走ってアンバーのいる前方へと向かった。


 化け物は大きくなりすぎ、ウポウルよりでっぷりとした自分の腹を引きずりながら前進している。引きずられて破れた皮膚が再生している。だが、再生しきる前にまた地面に引きずられ傷がまたできる。


 なるほど。あのおびただしい血の跡はこれか。


 腹の上には大きな牙が突き出し、はるか頭上の骸骨の上顎辺りまで伸びている。


 周りの巨木と比べ、高さを大雑把に計算する。巨木から頭が突き出ている。約だが高さは三〇メートルぐらいか。胴体は倍以上はある。腹這いになっているから全長は分からないが、考えたくはない。


 骸骨は窪んだ目の代わりに紫色のオーラが光っている。


 それがこっちを向いた。


 アルノルトは、地面を這いずるための右腕を振り上げた。はるか頭上に右腕が飛び出す。


「やばい!」


 カインはメドベキアの町方面へ全力疾走した。


 振り上げた腕が月明かりを覆い隠し、まだまだ振り上がっていく。


 カインは走った。もしもここまで届いたら死んでしまう。


 頭上の腕が振り下ろされた。


 振りあがった軌道をなぞるように腕が振り下ろされながら加速していく。


 走れ走れ走れ!


 バカみたいに太い腕が巨木を薙ぎ払いながらカインに迫ってくる。まるで巨大な壁だ。


 走れ! 走れ! 走れ! 走れ!


 カインはチラリと右を見た。もうそこまで来ている。巨大な指先が地面を抉りながら迫り、手前の木が簡単にへし折れる。


 来る来る来る!


「うわわわわ!」


 カインは頭を押さえて前に向かって飛んだ。


 ズドドドドド!


 化け物の腕がカインの尻を掠めて過ぎ去っていく。


 あ、危なかったぁ。カインは膝に手を当てて起き上がり、肩で呼吸しながら胸を撫で下ろした。


「カイン! 走って! 早く!」


  え?


 グゴゴゴゴゴ!


 先程の右腕が今度は裏拳の要領で反対に戻ってきた。


「うっきー! やばいぃぃぃぃ!」


 アンバーは化け物目掛けて火矢を射った。


 火矢は弧を描いて化け物の上顎を掠めて弾かれ、腹からそそり立つ牙が守る口の中に吸い込まれていった。


「ギィアアアアアア!」


 アルノルトは苦しみの声を上げた。


 カインに迫る腕は直前で軌道を変え、自分のバカでかい口、兼、胸元を押さえている。


「はあはあ……な、なんだ?」


 カインはアンバーの元に横腹を押さえながら走っていった。



 ニーナは目を瞑り、イカダに寝転んでいた。疲労回復を少しでも早めるために呼吸に集中する。リラックスだ。それでも、気持ちが早る。早く行かないと、みんなが……。ニーナは眉をひそめた。


 気を失ったままのマリアとシスター、それとミカエルはイカダの上で眠っている。


 だめだめ。もう一度リラックスリラックス。はーふー、はーふー。


 ん? この匂いは?


 マリアのリュックサックからいい匂いがする。


 んん?


 ニーナはイカダの上で転がり、鼻をウサギみたいにヒクヒクと動かし、イモムシみたいに近づいていく。


 マリアのリュックサックの……下?


 んんん?


 ニーナは緑色のリュックサックを持ち上げてみた。


 リンゴがボトリと落ちてきた。


 あれ?


 ニーナはリンゴを手に取る。大好きなリンゴを目の前にヨダレが溢れてくる。


 赤く丸いリンゴに鼻をくっつけてクンクンと匂いを嗅いだ。これ食べたらもう少し頑張れそう!


 ニーナはリンゴを齧った。

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