ぼくのかんがえた最強の国葬。
戦後最高の総理大臣であった馬延晋作が凶弾に倒れた。第100代総理大臣である菱田交雄は、国内外の弔意を理由に早々に国葬を決めた。目本国に、いわゆる『国葬法』がなかったために、議会は荒れに荒れたが、最終的に、目由民主党、孔明党の賛成多数により、議会から承認を得て、9月27日に国葬を迎えることとなった。
国葬反対派は、極左暴力団である。国民の国葬反対の火の粉を完全に消し去ることはできなかった。
国葬当日、式場の国技館では、国葬反対デモが行われた。デモをする左翼を襲撃する右翼、その右翼を襲撃する左翼が現れ、デモ襲撃の連鎖が続いた。多くの火炎瓶が飛び交い、国技館の外壁が焼けた。全てのデモを鎮圧するために、機動隊から放水が行われた。後日、最初のデモを襲撃した右翼デモ隊の中に機動隊員、自衛隊員、公安職員がいたことが明らかになり、国会が紛糾した。
インターネットでは、Twitterでのハッシュタグ争いが起きた。#国葬反対 #国葬反対反対 #国葬反対反対反対 と反対が連鎖し、国葬開始の午後2時のツイート数はバルスを越えた。TwitterMepanは事前に準備してなかったため、サーバーはダウンした。
一方で国技館では、手作り銃で武装した集団が現れた。その人数は21人であり原理数であった。令和の鉄砲隊と呼ばれた集団は、最終的に鎮圧されるまで、次々と警察官、機動隊、自衛官に対して発砲を続けた。その銃は特殊であり、最初は銃の発砲と認識されなかった。
同時に、国技館上空からは666体のドローンアタックが行われた。ドローンには、火炎瓶や放射性物質と書かれた瓶が巻きつけられており、国技館の屋根を焼いた。事前に消防車がスタンバイしていたので、大きな被害は免れたが、犯人はいまだ、捕まっていない。
また、全国各地では、学校や役所、公の機関で行われていた半旗への襲撃が相次いだ。作業途中の職員が襲撃されたり、半旗への放火、カラーボール投擲などが行われ、最終的に24時間中に発生した国旗損壊罪の検挙件数のギネス記録と認定された。
国葬に関する警備のために、様々なところで警備が手薄となり、空き巣、強盗なども多発した。阿鼻叫喚の一日となったのだった。
馬延晋作は、生前、国民の分断に務めた政治家だった。その一生は、国民の分断に捧げられたと言っても過言ではない。その馬延元首相の国葬は、まさに分断の分断による分断のための国葬であったと、後に歴史修正家は語った。
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