第二幕 12月31日 17時10分の奇跡

「アッ、アッ…、李仁さん。もっと来てぇっ!」


客も引け、従業員も帰った呉服屋の小上がりで、艶っぽく着物を乱れさせた美人がこの店の主、藤城李仁との激しい情交に及んでいた。

李仁の情熱的な攻めに、さっきからひっきりなしに棗の唇からは愉悦の声がこぼれていた。


「可愛い棗…。今日一日ずっと、こうして君を抱きたかった。こんなにオレを煽るなんて、本当に君は悪い子だな」

「だって…それは李仁さんがいけないんですよ?私は…っ、アアぁん…もうダメ…っ!」


言葉を紡げぬほど苛烈に攻められた棗の白い足が宙を描き、波打つ李仁の腰を逃すまいと白足袋を履いた艶かしい脚がその腰を引き寄せる。

棗の身体を包む赤い襦袢が、艶やかな黒髪が、美しく畳に振り散り、悦を堪える細い指が李仁の肩口をきつく掴む仕草に棗の限界が近い事を李仁に伝えて来る。


「嗚呼、もう…っ、、」


そう棗が切迫した声を上げた時、突然李仁の動きがピタリと止まった。

後少しと言う所で棗はお預けを食らった。


「……?!、、り、李仁…さん?」

「しっ、」


外の微かな物音に気づいた李仁は棗の唇に人差し指で封をした。

棗の忙しい息遣いに混じって店の外から人の話し声が聞こえた気がして二人は耳をそば立てた。



「あぁ〜〜やっぱりダメだったか〜〜」

「そんなっ、死ぬほど走ってきたのに、、、」

「仕方ないよ、着物は今年は諦めろ」

「でも、だって…」


あからさまにがっかりした声が閉められた店のドアの前から聞こえて来ると棗も李仁も顔を見合わせた。


「……お客さん?」


時計をみると17時10分。

店は閉まっているのだから、そのまま放って事の続きをとも思ったが、流石に李仁は自分の城を構える商売人だ。

人柄もあるのだろうが、がっかりしている客を見過ごすわけにもいかなかった。



話し込んでいた外の二人は花屋から走ってきた撫川と久我だ。

閉められたガラスドアの前でがくりと肩を落としていた。

その時だった。ガラスドアの向こう側で店の明かりがつき、白いカーテンが揺れて、そこから李仁がひょっこりと顔を現した。


「すみません、今開けますので」


そう言うと間も無くドアが開かれた。


「あ、あのっ、もう閉店されていたのでは…」

「いえいえ、大丈夫ですよ?寒いのでどうぞ中へ。

何かお入用でしょうか」


恐縮している二人に李仁は柔かに応対した。

今しがた激しいスポーツをしていた人だとは思ぬほどのポーカーフェイスだ。

棗は小上がりの襖の影で、乱れた着物や髪を整え、客の様子を息を殺して伺っていた。


「あの、着物のレンタルと…着付けをして頂きたかったんですが、僕が閉店時間を見落としていて…あのっ、ご無理なようなら」

「大丈夫ですよ。生憎今は貸し出されていていくらも無いんですが、それで宜しければお召しになりますか?」

「え、良いんでしょうか?」


遠慮して撫川がモジモジしていると、涼やかな声が小上がりから聞こえた。


「遠慮なさらずに、どうぞ。お二人共着付けて行かれますか?」


小柄な美少女が慎ましやかに小上がりから降りて来た。少なくとも二人にはそう見えた。

立ち居振る舞いやその所作の美しさにしばしば二人は見惚れて返事も忘れて魅入ってしまった。


「ふふっ、どうなさいました?さ、どうぞ畳へお上がりください。着物は普段は着られないようでしたら、お任せにしてみましょうか」


棗はいい匂いだった。

笑顔があまりにも艶やかだった。

李仁の方も上背があり久我と大差なく、着物の良く似合う男だった。

二人は無駄のない動きと阿吽の呼吸で、着付けに必要なものをものを用意して行く。

そんな理想的な呉服屋の若夫婦が眩しくて、二人ともドギマギしながらも、畳の部屋で着付けて貰うことになった。


「す、素敵ですね。ご、ご夫婦でお店を営まれているんですか?」


思わず撫川が話しかけると棗と李仁は意味深に目を見交わして微笑んだ。


「夫婦に見えたなら凄く嬉しいです、ね?李仁さん」


李仁は黙って穏やかに微笑んだ。


「え?ち、違うんですか?!これは失礼を…」


慌てる久我に棗が着物を合わせながら首を振る。


「違うんです。私は男ですから、夫婦のようでも夫婦とは言えないんです。でもそう見えたならすごく嬉しい!」


「え?!男の方なんですか?!美しいからてっきり僕ーー」


驚きのあまり撫川も久我も目を見開いた。

どう見ても華奢な女性にしか見えない。


「良いんですよ。私、こんな自分を気に入っていますから。

おや、貴方も女性のお着物がお似合いになりそうですね」


棗は撫川に手早く着付けながら鏡の中の撫川に微笑んだ。


「あの…、実は俺たちも…その、男同士のカップルなんです」


久我の告白に。李仁も棗も顔色ひとつ変えずに着付けを進めていた。

久我の角帯を李仁がぐっと力強く締め込んだ。


「大丈夫。世間とは違っても胸を張って生きたらいいんだ」

「そうそう、色々などがあっても二人で居れば何とかなりますからね」


二人のその言葉の中には、きっと今まで色々な苦労があったであろう事が滲んで見えた。


「さ!仕上がりましたよ!」


そう言うと、ぽん!と二人の背中を棗が軽く叩いた。

灰色の着物の久我と薄茶の着物に着付けられた二人の照れた顔が鏡の中に映っていた。


「うん、君たち似合うじゃないか。うちはたまに着物のファッションショーをやっていてね、今度モデルをお願いしようかな、なあ?棗」

「そうですね、いいかもしれないですね。お二人とも絵になりますから」

「うん。もし、着物の事じゃなくても何か相談事があったら気軽に遊びに来てください。力になれることもあるかも知れないし、同性カップルでないと理解できないこともあるから」


久我も撫川も同性カップルという事に、卑屈な気持ちは一つも無かったが、普通の男女のカップルのように、愛し合って居れば全てOKと言う訳では無い。

久我の親の事、二人の子供は持てないだろうという事。その他にも直面してから初めて気がつくことが沢山あった。

それらは今は保留にして考えないようにしているだけだ。


「ありがとうございます。着物は明日の夜に返しに伺います。今日は本当にすみませんでした」


「いつでも構いませんからね。…それでは良いお年を」


お互いにそう挨拶を交わして撫川と久我は店を後にした。


「素敵なご夫婦だったなあ。あんな風に俺たちもなれたらいいな」

「うん、肝が据わってるけど暖かくて二人とも凄く綺麗だったね」


生き様も立ち居振る舞いも。

そう思いながら、温かい気持ちでのんびりと歩き出す大晦日の商店街。


「お前、なかなか良い男だな」

「ははっ、今頃気がついたの?久我さんだって僕には負けるけど良い男だよ!」


見慣れぬ着物姿に胸をときめかせる二人の手は、自然と触れ合い暖かさを持ち寄るように繋がれていた。



「あのカップル。爽やかで可愛かったですね」


商店街を去っていく着物の二人の後ろ姿を見送りながら、何処か羨ましそうに棗が李仁の肩に頭を凭れた。

そんな棗を見下ろしながら李仁は微笑みが深くなる。


「君の方が可愛いよ」

「こんなに世間擦れしててもですか」

「そんな君がオレは好きなんだよ」

「……お、お腹空きましたね。お酒とご飯が美味しいお店に行きませんか?」


少し照れた顔の棗が強請るように李仁の腕に絡みつく。


「もう良い時間だよ?大晦日にやってるお店なんて」

「それがね、ちょっと気になるお店が隣町の繁華街にあるんですけど、初詣がてらちょっと行って見ませんか?」

「へえ?店の名前は?」

「ええと、なんだっけな、ルナ…ルナ…そうルナロッサ!赤い月って言うんですって」


現在19時20分。

目指すは「ルナ・ロッサ」

やってると良いが。

いや、きっとやっているだろう。













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