黒髪の奴隷少年

 聖歴一六七五年七月十四日。


 ガリア大陸の三分の一を支配する大国。

 ヴェルサイユ王国の王都は炎に包まれていた。

 堅固な城壁に囲まれた世界最大の都の空には、灰色の空飛ぶ船"魔導飛行船"が飛び、砲火を交えている。


 革命が起きたのだ。


 冷酷無比な王の重圧に耐えかねた市民は武器を手に決起した。

 当初は王室も事態を重く見ていなかったが、国軍すらも革命軍側に寝返った事で形勢は一変する。


 王室は逃げ場を失い、王都に籠もって戦うしか無かった。


 だが、それも無駄な足掻きに終わる。


 王政は打倒され、国王と王妃一家は断頭台の露と消えた。


「顧みよ! この百五十年のもの間、王室はこの国をどこへ導いてきたかを! 王室は我欲の赴くまま私腹を肥やし、民の暮らしを脅かしてきた! だが、諸君等英雄の活躍により、腐敗し切った王室はこの世から一掃されたのだ! だが、これは始まりに過ぎない! 全ては諸君等の働きに掛かっている! 我々国民の国家! 我々国民の社会! それを実現した時、我等の革命は終わりの時を迎える! そして今日、ここに、この国を統べる、新たな共和国の樹立を宣言する!!」


 革命指導者ロベスピエール公爵はそう宣言した。


 彼が樹立した共和国は、一つの混乱の終わりを告げるが、それと同時に新たな混乱の始まりをも告げていた。



 ◆◇◆◇◆



 聖歴一六七八年。

 ヴェルサイユ共和国の首都リュミエールのスラム街に住む奴隷の少年がいた。

 腰に布を巻いただけで、露わになっている身体は垢と泥で薄汚れている。

 紫がかった黒い髪はぼさぼさに伸びきっていた。


「おら、ローラン! 休んでんじゃねえ! さっさと運べ! まったくのろまなガキだな!」

 そう言うのは、少年の主人でありスラム街を中心に活動するゴロツキの頭領バスク。


「は、はい……」

 少年はその細い腕で重たい荷物を運んでいる。


 身体に力を入れると、グゥ~とお腹の虫が音を立てた。


「ったく、ろくに働きもしねえでいっちょ前に腹は減るのな」


「……すみません」

 まだ十歳の少年は申し訳なさそうに謝った。


「お頭、こいつそろそろ使い物にならなくなりそうですぜ」


「奴隷商に売り飛ばして新しいのを買った方が良いんじゃないですかい?」


 バスクの周りに立つ数人の男達が物騒な話をしている。

 少女のような可憐な顔立ちをしている少年は、あと数年もすれば高く売れるだろうと本人の前で堂々と相談しているのだ。


「そんなに痩せてたら、商品価値が下がる。売るならもう少し太らせないとな」


 彼等にとってローランは人ではなく、単なる所有物。

 手元に置いているのは情からではなく、売り払うより手元に置いた方が都合が良いから。ただそれだけだ。


 朝から晩まで働いても、バスク等がローランに与えるのは温かい食事でも労いの言葉でも無く、家畜の餌と理不尽な暴力だった。

 このスラム街では生きるのも命懸け。

 気が滅入る事も度々ある中、バスク等はそのストレスをローランへの暴力で発散していた。


「売り飛ばさねえだけ感謝しろよ」


「そうだぜ。お前なんてどうせ買い手がつかなくて鉱山にでも売られるのがオチだ」


「尤も鉱山に送られたら最後、一年もしねえであの世行きだろうがな」


「ここでまともな飯が食えるだけでも幸せだと思え」


 バスク等がテーブルに座って固いパンや安物の肉を食べる中、ローランは床の上に置かれたコップ一杯の泥水と家畜用の餌。

 それでもローランは空腹を少しでも抑えるために、それ等を両手で口へと運んだ。


 だが、全てを食べ終えた瞬間、バスク等の食事の香ばしい香りがローランの鼻を撫でた瞬間、胃袋が刺激されてグウウギュルルルと大きな音を立てた。


 もう何も考える気力すら湧かず、このまま寝てしまおう。そうローランが思ったその時だった。


「おい、ローラン!」


「は、はいッ!」

 ローランは食事をくれるのかと淡い期待を持って元気な声を上げる。


「おめぇ腹の虫がうるせえんだよ。外に出てろ」


「……すみません」

 ローランは小さく頭を下げると、よろめきながら立ち上がる。

 そしてふらついた足で扉から外へと出た。



 ◆◇◆◇◆



 ヴェルサイユ共和国の首都リュミエールは、世界最大の都として世界中から人と富が集まっている。

 三年前の革命で一度は戦火に包まれた首都も今では再建が進んで、かつての繁栄を取り戻している。

 しかし、光が当たる所には必ず影が生じるもの。

 その影の一つがローランの住むスラム街だった。


 弱肉強食の実力主義社会の荒波に取る事ができなかった者達、そしてその子孫達。

 そんな敗者の巣窟であるこのスラム街でもある種の実力主義社会が形成され、それぞれが鎬を削っている。

 ローランが身を寄せているバスク一味もその一例だった。


 皆、それぞれがあくどい商売で身を立てて、縄張りを形成しながら相互に適度な距離感を築き、何か共存関係を作り上げているのだ。


 ローランがどんなにバスク等から酷い仕打ちを受けても、逃げ出さずに留まっている理由もここにある。

 バスクの力が及ぶ範囲にいる限りは大丈夫だが、一度その範囲の外に出ると奴隷商人に攫われたり、最悪、意味も無く道楽で殺されてしまうかもしれない。


 生きるためには、どんな目にあってもバスクの下を離れる事ができなかった。


「でも、俺は、生きる! 絶対に生き抜いてやるんだ!」


 ローランは夜空に向かって叫んだ。空きっ腹に激しく響くほどの大きな声で。


 そして視線を落とし、城壁で囲まれた首都リュミエールの都心を見る。


「俺はいつかこのスラム街を出る。そして――」

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