彼の地の支配者
椎菜田くと
彼の地の支配者
「まったくイヤになるわ。あいつらときたら、家畜のくせに牙をむくんだから」
うんざりしているのはこちらも同じだ。このはなしを聞かされるのは何度目だろうか。
「家畜っていうのはくわれるために飼われているんでしょう? おとなしくあたしたちにくわれたらいいのに」
彼女は優秀なハンターではあるが、のむと決まってこのはなしをしだすのだ。そしてわたしはというと、いつものように適当な相づちを打ちながら聞いてやるのだった。
何千年か何万年かもわからない遠い昔、わたしたちの祖先は飼育していた家畜の遺伝子操作を試みた。サイズを大きくしようという試みは成功したかに思えたが、そのからだは想定の何十倍にも大きくなってしまった。
「家畜をくうのに命がけとはね。気を抜けば一発で潰されるなんて。あたしの仲間もたくさんぺしゃんこにされたわ……」
やつらが巨大化して以来、やつらとわたしたちの力関係はすっかり逆転してしまった。自分たちよりはるかに大きなからだと力を持つやつらの前では、わたしたちはちっぽけな存在でしかないのだ。
「まあ、あんな図体ばかりでかい連中にやられるほど、あたしはまぬけじゃないけどね。気づかれないようにそっと近寄って、ぶすりとひと刺しよ!」
進化したのは体の大きさだけではなかった。やつらは高度な知性をも獲得し、文明を築きあげた。もはや天敵と呼べる生き物がいなくなり、その勢力を地球全土へと拡大した。
「ほんと、あいつらの支配者ぶった態度は気にくわないわ。あたしたちが飼い主だってこと、すっかり忘れてるんだから。特に許せないのはあれよ、あの煙。家畜の分際であんなものを作るなんて!」
彼女が怒るのも無理はない。煙とはやつらの使う毒ガス兵器のことだ。たちの悪いことに、そのガスはわたしたちにしか効果がなく、わたしたちを死滅させるためだけに作られたものなのだ。
「しかもなによ、あのグルグルしたかたち! あんなのであたしが目を回して落っこちるとでも思っているのかしら。馬鹿にしてるとしか思えないわ!」
毒ガス発生装置は設置式で、緑色の渦巻き型をしている。先端に火をつけると少しずつ燃えながらガスを発生させるのだ。
それでも、彼女はやつらをくうのをやめない。
「家畜から逃げるなんてこと、あたしのプライドが許さないのよね」
無理してヒトから血を吸う必要はないが、彼女は負けず嫌いなのだ。
「ねぇ、今度はあなたも一緒にどうかしら。なかなかスリルがあるわよ」
女性から食事に誘われたというのにまったく嬉しくない。そもそもわたしたちオスの蚊は血を吸わないのだ。血が必要なのは産卵をするメスだけである。
「そうなの。それは残念ね」
メスの蚊とヒトとの長きにわたる戦いの歴史において、われわれオスの蚊は、まさしく蚊帳の外なのだった。
彼の地の支配者 椎菜田くと @takuto417
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