『敵を感知』 その二
「タクト君……行こう?」
信号が青になったので、勇気をだして声をかけてみた。
タクト君は、はっとして私の方を見た。
「先に行ってて」
「え?」
予想外の返答だった。
急にどうしたんだろう?
「いやいや、遅刻しちゃうよ?」
何だか嫌な予感がする。
「だからたつ姫は、先に行ってて」
「いや、だからじゃなくて」
タクト君に話しかけながらも、ポスターのおじさん――多分「くない竜司」――のことも見てしまう。
タクト君も、すぐに視線を私からあの人に戻してしまった。タクト君は、あの人に、明らかに敵意を持ってる。すごい、怖い目で見てる。
「タクト君、あの人のこと――」
知ってるの? と聞こうとしたところで、くない竜司がこちらに気付いた。
スーツの男の人たちとにこやかに話しながら、その顔のままこちらを振り向いた。
そして、タクト君を見て、ものすごく驚いた。
……ように見えた。
ちょっと距離があるから、よくは解らないんだけど。
くない竜司が、こちらに近づいて来る。
何だろう、何でだろう。
逃げなきゃいけない気がする。
「たつ姫」
「え?」
呼ばれて振り向くと、タクト君が真剣な顔で私を見ていた。
「早く。逃げて」
「え?」
なになになに?
全然何だかわからないけど、タクト君の目も、あっちから歩いてくる推定「くない竜司」も、異様な緊張感に満ちているように見える。
ど、どうしよう。
「あーーー! おい! お前ら!」
私が葛藤していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
この声は――
「お前ら、昨日は逃げやがって! 早くこっち来い! 一緒に先生のとこ行ってもらうからな!」
横断歩道の向こう側で、ぷんすかぷんすか叫んでいるのは頼希だった。
「頼希!」
ああ、そう言えば、昨日ナビが警戒モードとやらで威嚇射撃したとこで、頼希を残して逃げて帰ってきたんだっけ。
頼希がぎゃあぎゃあ騒いでいるのを見て、スーツの男の人たちがこちらを見た。
もう一度、タクト君とくない竜司を見ると、二人は一瞬、目があったようだった。
タクト君のハンドルを握る手が、ぎちっと音を立てた。
『警戒モードをオンにすることを推奨』
ナビの声がした。
な、なにが起こるんだ……と、思ったけど、くない竜司は、ふいっと背を向けて車の中に戻ってしまった。
タクト君の足が、学校ではなく駐車場の方に向かった。
けれど、そっちの横断歩道は赤信号だ。
「待って! 危ないよ!」
私は反射的にタクト君の手を抑えた。
私の手が触れたことで驚いたらしいタクト君が、きょとんとして私を見たとき、タクト君が渡ろうした横断歩道を、黒い電気自動車が横切っていった。
後部座席の窓はスモークガラスになっていて、中に乗っている人の顔は見えなかった。
『目標、感知可能範囲内から消失』
ナビの声がして、タクト君の手から力が抜ける。
「お前らア! 早くこっち来い!」
と、横断歩道の向こう側から、湖を背にした頼希が怒鳴り声を上げた。ざわざわした心をかき乱すような頼希の声に、私の緊張の糸がブチンと音を立てて千切れた。
「ぅるっさい! 今行くから、黙って待ってなさいよ!」
気付いたらもう、大声で怒鳴り返していた。
ほとんど八つ当たりのような私の怒鳴り声に、さすがの頼希もびくっとして肩をすぼめた。
「もう知らねえ! いいか! 先生にはお前らがやったってちゃんと話してあるんだからな! ちゃんと正直に話せよ! いいな!」
負けた悪役みたいにそう叫んで、頼希は自転車をこいで先に行ってしまった。
「何よ! もう! 朝からうるさいんだから!」
結局また赤になってしまった信号の下で、私が口をとがらせると、横でタクト君がぷっとふきだした。
「たつ姫も、結構うるさかったよ」
「なっ……!」
しょしょ、しょうがないじゃない!
すっごく怖かったんだから!
「ひ、人が混乱してるときに、横からやいやい叫ぶヤツが悪いと思います!」
そう言い返したところで、信号が青になった。
「い、行こうよタクト君。もう、先に行ってなんて言わないでよ」
「うん、そうだね、アイツ、行っちゃったし」
――アイツ……。
信号を渡って、湖沿いのサイクリングロードに出る。
今日も、ソーラーパネルが朝日を反射していた。
「アイツって、あのおじさん?」
「……たつ姫には、関係ないよ」
な、なにその言い方。何か、ひどくない? 冷たいっていうか……。昨日はずっと私の左肩に隠れてたくせに。
「くない……くない竜司って書いてた」
「……」
タクト君が突然、立ちこぎを始めた。
距離が開く。
「九内竜司……ってこと?」
私の質問には、誰も答えてくれなかった。
でも、あの旗にポスター。ああいうことする人って、政治家でしょ? あれは、選挙とかの前になるとよく見る、街頭演説ってヤツの準備だったんじゃないだろうか。
私は、タクト君に追い付こうとするのをやめて、片足をついた。
指定鞄のサイドポケットからスマホを取り出した。
音声検索ボタンをタップして、ちょっと苛立った声で言う。
「くないりゅうじ」
『こちらが、くないりゅうじ、の検索結果です』
ナビよりも、もっと無機質な女性の声がそう言った。
画面に表示されたのは、さっきのおじさんのポスターの画像と、人物の情報。
――九内竜司。1970年生まれ。銀竜市市長。
「市長……!」
あのおじさん、市長だったんだ……。
銀竜市市長ってことは――。
湖上のソーラーパネルを、思わず見つめる私の横を、自動周回バスが通過していく。
このソーラーパネルや、自動運転バスを設置したっていう人だ。
市長とタクト君……一体どんな関係があるんだろう。
私は、タクト君の怖い顔を思い出した。
そのせいか、当たり前の、ただの景色の一部だったソーラーパネルが、急に、異質で不気味なものに見え始めた。
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