『敵を感知』 その一
朝、制服に着替えて階段を下りると、松乃ちゃんのお兄ちゃんのおさがりの制服を着た、タクト君がリビングにいた。
制服の白いポロシャツの左肩に、いったいどうやってくっついてるのかわからないけど、ナビがへばりついていた。
『タツキ・接近』
「おはよう」
タクト君が私に気付いて声をかけるより、ナビの声の方が早かった。何だか微妙な気分だ。
「おはよう。制服、サイズちょうどよさそうでよかったね」
「うん」
朝ご飯を食べて、身支度を整えて外に出ると、私の自転車の横にお父さんのマウンテンバイクが出してあった。タクト君のためにお父さんが出してくれたものだ。
ちなみに、体操着や小物を入れてタクト君が背負っているリュックも、水筒なんかも、お父さんや麻也のを借りている。
本当に、タクト君のバックパック、リュックしか入ってなかったんじゃないかと思うくらい、タクト君は何も持ってなかった。
「じゃあ三人とも、気をつけてね!」
お父さんが運転する軽自動車の助手席から、お母さんが声をかけてきた。
私と麻也が手を振って、タクト君はぺこりと頭を下げた。
二人は同じ道の駅で働いているので、基本的には一緒に出勤しているのだ。
「行こうか。麻也も、忘れ物ない?」
「うん!」
タクト君が一緒の登校がうれしい様子の麻也は、いつもより弾んだ足どりだった。
三人でバス停まで歩く。
「麻也は、バスで行くの? 自動運転?」
タクト君が、バス停で待っている小学生たちが見えてきたところで、麻也に聞いた。
「ううん。普通のバスだよ。路線バス? 自動運転のやつより全然大きいよ」
「じゃあ、人が運転してるの?」
「うん」
タクト君は、もう見慣れた驚いた顔をしている。
「タクト君、昨日から人が運転してるっての、驚くよね。さすがに東京だって、完全自動運転なんて一般的じゃないでしょ?」
思わず突っ込んだ私を見て、タクト君の目が盛大に泳いだ。ナビのことを聞いたときみたいだ。
「そ、それは、そうだけど……」
「タクト君、東京から来たの? 僕の家も東京から引っ越してきたんだよ! 一緒だね」
麻也が言った言葉に、タクト君はまたぎょっとした。
「うん……一応……」
一応ってなんだ。リアクションがおかしくない?
でも、やっぱり東京なんだね。タブレットやパソコンで勉強するような学校の話してたし、都会っぽいなあと思ってたけど。
「じゃあ、僕行くね」
バス停で待っている登校班の子が、麻也に手を振った。麻也は手を振り返しながら、走り出す。
麻也が無事に登校班の子のところにたどり着くのを見てから、私は自転車にまたがった。
「よし。タクト君、こっから自転車ね」
「あ、うん」
「……タクト君、自転車乗れる?」
何となく不安になったので聞いてみると、タクト君は特に表情を変えるでもなく、こくんと頷いた。
「運動のために、乗ってたから」
運動のためなんだ。
「通信制の学校なんだよね? タクト君の学校。体育の代わりみたいな?」
「まあ、そう、そんなとこ」
まあ乗れるならいいや。
「じゃあ行こう」
私はそう言って地面を蹴った。
麻也たちの前を通過してしばらく行くと、上り坂がある。
この坂を上って下れば、湖だ。
いつものように立ちこぎで思い切りペダルを踏む。
ちらりと振り向くと、思ったより遅れてはいたけど、タクト君はちゃんと自転車をこいで追いかけてきていた。
でも、坂を上るのは大変そう。
私は坂のてっぺんに立ち止まって、振り向いて声をかけた。
「上まで、自転車押して来たら~?」
と、タクト君の後ろから、麻也が乗ったバスが追い越してきた。
窓から、麻也がいつもより大きく手をふっている。なぜか麻也の友達も一緒に手をふっている。
麻也の口が「がんばれ」というように動いたのが見えた。
『心拍数上昇。休憩を推奨』
ナビの声が聞こえるくらい近くまでタクト君が来たとき、麻也を乗せたバスはもう坂を下り終えて、左折していた。
「大丈夫?」
私が声をかけると、タクト君はぜえぜえと肩で息をしながら、こくこくと頷いた。
本当かなあ。すごく必死そうだけど……。
「ま、あとは下り坂だから楽だよ!」
私が励ますつもりで声をかけて下を見ると、ふと、見慣れないものが目についた。
坂道を下った先の交差点。
私たちは今、道路の左側にあるサイクリングロードにいるんだけど、この道の向かい側。右側の道路の突き当りのところに、旗が立っている。
何の旗だろう。
「よし、行こうか」
疑問に思いながらも、タクト君の呼吸が整うのを待って、坂道を下り始める。
あっという間に下り終わって後ろを見ると、タクト君は自転車をおして、歩いて下ってきていた。
怖かったのかもしれない。
仕方なく、信号のふもとでタクト君を待ちつつ、さっき目についた旗を探してみた。
道路の向こう側ではためいている旗には、人の名前が書かれていた。
――くない 竜司
「くない……?」
私がその旗を見ていると、近くの駐車場からスーツ姿の男の人が二人出てきて、ポスターが貼られた板を、旗の横の電柱に立てかけた。
そこには、お父さんよりも年上そうな、いかつい顔つきのおじさんが映っていて、その顔の横にも「くない竜司」と書かれていた。他にも「銀竜市を持続可能都市へ」とか「脱・温室効果ガス」だとか「自然と人にやさしい銀竜市を実現します」だとか書かれていた。
看板を出したり、踏み台のようなものを用意したりしているスーツの人たちのなかに、ポスターのおじさんはいなかった。
きょろきょろと探していると、音もなく一台の黒い車が、駐車場に入っていった。エンジン音がすごい静か……きっと、電気自動車だ。
「お、おまたせ」
「わあっ」
追い付いてきたタクト君の声に、私はびっくりしてしまった。何となく、盗み見をしているような気分になっていたからだと思う。
私のそんな様子に気付いたらしいタクト君が、私が見ていた旗やポスターを見た。
そして、目をまん丸にして――
昨日、校長室で見たみたいな、怖い顔になった。
「……タクト君……?」
もしかして、あのポスターの人のこと、知ってるのかな。
バタンという音がして、さっきの電気自動車から、男の人が下りてきた。
音に反応して、タクト君がそっちを見た。
下りてきたのは、ポスターに写っていたおじさんだった。
『目標を感知』
息をするのも苦しいような緊張感を漂わせるタクト君の肩で、ナビが、確かにそう言った。
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