一週間前。君との出会い その一

 六月。湖を吹き抜ける風は、まだ少し冷たい。

 衣替えをしたばかりの半袖からのびる私の腕を、ひやりとなでる。

 まあ、今は、自転車で立ちこぎをして坂道を上っているので、それが気持ちいいんだけどね。

 

 私――大倉おおくらたつは、いつものように愛用の自転車クロスバイクで、山の中のサイクリングロードを通って中学校に向かってる。 

 私が通う銀竜ぎんりゅう中学校の夏服は、白いポロシャツに水色のプリーツスカート。シンプルすぎてかわいくないという子もいるけれど、私はアイロンがけをしなくていいから楽だって、お母さんが喜んでいたので、割と気に入っている。

 水色のスカートを揺らしてペダルを踏みこむたびに、頭の後ろでポニーテールがはねる。

 ようやく坂を上りきると、下り坂の先に、朝日を反射してキラキラ光る、湖が見える。

 この町のシンボルでもある、銀竜湖ぎんりゅうこだ。

 波の揺れに合わせて自然にきらめく光の他に、無機質に光る白い光も見える。

 あれは、湖の中央部分に、ふたをするように設置されている、最新式の「湖上太陽光発電こじょうたいようこうはつでん」のためのソーラーパネル。

 まだ実験段階だそうだけれど、将来的には町の電力に活用するために、今の銀竜市ぎんりゅうしの市長が建設したもの……なんだって。

 私がこの町に引っ越してきた去年の春には、とっくに湖に浮かんでいたので何とも思わないけど、ここで生まれ育ったみんなには、まだ見慣れない異物なんだとか。


 そんな湖を眺めながら、サドルに座って坂を下り始めると、後ろからスクールバスが来て私を追い越していった。

 窓から、弟の麻也まやが手を振っている。

 私もにっこり笑って振り返した。

 麻也は、私が向かっている銀竜中学校の隣にある、銀竜小学校に通っている五つ下の弟だ。

 私が中学二年なので、麻也は小学校の三年生。

 小学生たちは、登校班でスクールバスに乗る。麻也まやとは、ついさっき家の近くのバス停で別れたばかりだ。


 中学指定のデカいかばんを背負って、自転車をおして麻也まやをバス停の登校班まで送り、そして自転車を走らせる。


 これが私の朝のルーティンってわけ。


 カラカラと音をたてて颯爽と坂道を下っていく。

 私を追い越したバスが、湖沿いの道路に突き当たって左折していった。

 私も同じ道を行くべく、べダルをこぐ。


 サイクリングロードは湖側にあるので、私は道路を渡らなくてはいけない。


 一度赤信号で止まって息を整えて、信号が変わると同時に地面を蹴る。


 ――その時だった。

 

「わっ!」


 横断歩道の真ん中に来たところで、突然、目の前の湖が真っ白に光った。


 すごく眩しい!

 ほんの一瞬のことだったろうけれど、あまりに強い光に目がくらむ。

 思わず目を閉じて、片足をペダルから下ろして立ち止まってしまった。

 まぶたの向こうで、光が消えていくのを感じたとき、すぐ近くからププッと自動車のクラクションが聞こえた。


「へっ? あ、ご、ごめんなさい」


 音に驚いて目を開けると、すぐ近くに車がいた。

 信号がいつの間にか赤になってる!

 私は大慌てで、ペコペコと頭を下げながら自転車をこいだ。

 横断歩道を渡り切ったところで立ち止まって、もう一度過ぎ去る車に頭を下げる。


 あ。光……!


 思い出して、湖を見てみるけれど、今はもう、何事もなくいつもの景色になっていた。


「あ、あれ?」


 さっきの、何だったんだろう?

 自転車をおりて、湖側にある木製の柵まで自転車をおして歩いていってみた。

 道路もサイクリングロードも、湖畔よりも高い位置にあるので、湖を見下ろす形になる。

 柵から身を乗り出すようにして下を覗き込んでいると、誰かが私の肩に手を置いた。

 反射的にバッと振り向いたら、ほっぺに何者かの人差し指がささった。


「何やってんだよ、たつ姫」


 ばかにしたような声で、私のほっぺに人差し指を突き刺しているのは、マウンテンバイクにまたがったクラスメイトの頼希らいきだった。

 頼希は、私と同じく中学入学の春にこの地域に引っ越してきた移住者仲間で、私と同じく自転車通学をしている男子だ。

 野球部に入っているので、きっちりと短く髪を刈り上げていて、つり上がった目をにやにやさせて、私のほっぺをつんつんしている。完璧に「いたずらっ子」って感じの見た目に仕上がってる。

「びっくりしたじゃんもう、やめてよ」

 私は口をとがらせて、頼希の指から逃げるように顔を動かすと、頼希の手を振り払った。

「何してんだよ、朝から湖なんかのぞいて。なんか落としたのか? お前、案外ドジだもんな」

 ケラケラと笑いながら失礼極まりないことを言ってくる頼希を、私は目を細めて横目でにらみ返した。

「ちがうよ。頼希も、さっきの光見たでしょ?」

「は? 光って?」

 ――あれ?

「え? さっき、湖、光ったよね?」

「別に。ソーラーパネルならいっつも反射して光ってんじゃん」

「いや、そうじゃなくて。こう、雷のもっとすごいやつみたいに、ピカーッて……」

 頼希が困ったような顔になっていく。

 あれ? なんで?

「……ねぼけてんじゃね?」

 頼希はなぜか気の毒そうに私を見て、苦笑いした。

「疲れてんの?」

「ええっちょっと! 気付かなかったの?」

 あんなにまぶしかったのに? 

「気付かないも何も、あっちからずっとサイクリングロード来てるけど、そんな光なんか全然見てないぜ?」

「ええ……?」

 そんな。確かにさっき――

「ねぼけすぎだろ。寝不足なんじゃね?」

 頼希はそう笑い飛ばすと、地面を蹴ってペダルをこぎ始めた。

「じゃあな、俺もう行くぞ! お前も早く来いよ」

「えー……」

 頼希はシャカシャカと自転車をこいで、あっという間に私を置いて行ってしまった。

 

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