2021夏の5題
9さい
お題①「秘密基地」
蛇足の恩返し
僕は、誰も知らない秘密の場所で「だそく」を飼っている。
特に誰かに何かをされたわけでもないけれど、なんとなく生きているのが辛いなあと思っていた。
家にいても学校にいてもなんとなく落ち着かなくて、楽しくない。だから僕は、ひとりぼっちになれる場所を見つけるのが得意だった。
人に見つかりそうな気配があればすぐに移動し、また見つかりそうになるまでの間、ずっとそこで一人で過ごす。そういう風にして、十と数年なんとか生きてきた。
ここは四つ目の場所。もう誰も来なくなった神社の跡。社が小高いところにあり、たどり着くまでそこそこの長さの階段を登らなきゃいけないから、面倒くさがって誰も来ないわけだ。僕は一人になれるならそのくらいの苦労はなんてことないから、全然いいんだけど。
今年の春からここに来るようになって、夏が来た。学年が変わって少し経つけど、新しいクラスにはまだ慣れない。それとあと、家庭環境も結構変わってしまった。僕の家にはいろいろあって母さんがいないんだけど、その代わりになるような人がやってきたのだ。
父さんよりだいぶ若い女の人。職場で知り合って、まだ結婚はしてないけど、いつかしようってことでお付き合いしているらしい。その人にはお母さんって呼んでもいいよって言われたけど、なんとなく言いたくなくて、結局名前にさん付けで呼んでいる。
だってあの人、お母さんと呼ぶにはあまりにお母さんっぽくないんだもん。家事とかあんまりやってくれないし、家に勝手にペット連れ込むし。父さんと付き合う前から飼ってたハムスターだって言うけど、僕らの知ったことではないし。
とにかくそのハムスターの方が、僕よりよっぽど可愛がられてる。そう感じるくらいに僕に対して適当に接するから、あまり好きになれないんだ。
だから僕は、今まで以上に家にいるのも嫌になった。だというのに夏休みは容赦なく始まったので、ほとんど毎日家から抜け出して、秘密の場所で時間を潰している。
そうして過ごしていた、ある日のこと。僕は「だそく」と出会ったのだった。
そいつは朽ちた社のそばでとぐろを巻いていた。蛇のように体が長くてウロコも生えているんだけど、蛇じゃない。何てったって足がある。ちっちゃなツノとヒゲもある。少し毛も生えている。見たこともない、なんと言うのかもわからない生き物だった。
白とあさぎ色の中間めいた涼しげな色したそいつのことを、僕はとりあえず「だそく」と呼ぶことにした。国語でそういう言葉を習ったので、だそく。蛇には足がいらないのに、勝手に付け足してムダやジャマになっている状態をそう言うらしいけど、だそくは四本足を器用に使っていて、意外とムダじゃないのかなって思ったりした。
僕と初めて会ったときのだそくは、見るからに弱っていた。日陰にいても嫌になるくらい暑い中、犬のように舌を垂らしてだるそうにしていた。階段を全部登り終えたあと、境内に入ってからそれを見つけて、ちぇっと思いながらも僕は引き返した。それで、適当な自販機でペッドボトルの水を買い、また登ってだそくの元へと帰ったのだ。
特に動物が好きとかそんなんじゃないけど、少なくとも目の前で死なれるのは嫌だった。この場所はまだまだ使うつもりだし、死骸をそのままにして過ごすのも嫌だった。だからだそくに冷たい水をちょびちょびかけて、飲ませてあげた。だそくは少しびっくりしてもんどり打ったけど、すぐ気持ちよさそうになって、地面にできた小さな水溜まりで水浴びをし、舌をチロチロさせておいしそうに飲んでくれた。
それから先、だそくが僕に威嚇したり逃げたりすることは一切なかった。かといってよく慣れた猫みたいにすり寄られるわけではない。けれど、少なくともこの場所にいてもいいよって言ってくれてるようではあった。
僕とだそくは、しばらくの間そこで共存していた。とても居心地のいい時を過ごすことができて、嬉しかった。
しかしある日、だそくの調子がおかしくなった。
水をやってもぐったりしていて、力なくゆるいとぐろを巻くばかりになった。僕は悲しくなった。目の前で死なれたら嫌とか、もうそんな次元の話ではなくなっていた。
だそくに対して友情というか、そういう感じの気持ちを抱くようになっていたから、心の底から死んでほしくないと思うようになったのだ。
「だそく、もしかして、お腹が空いてるの?」
原因を考えて数日経ったころ。僕はその考えに行きついて、だそくに訊いた。もちろん返事はなかったが、だそくはだるそうに一度だけ尻尾を振った。
それから珍しく早く家に帰って、父さんのパソコンで調べ物をした。蛇、食べ物、検索。かちりかちりといろんな結果をクリックしては戻り、クリックしては戻りを繰り返していた、その時。
「あれ? ⬛︎⬛︎くん、もう帰ってきてたの? いつも遅いのに。まだ全然、ご飯の準備とかできてないんだけど……」
ふいに後ろから声をかけられた。女の人。この家のお母さんの立場になろうとしてる人の、何気ない言葉。
それを聞いて僕はイラッとした。ご飯の準備なんか、僕が遅く帰ってもしたことなんてなかったじゃんか。いつも仕事で遅くなる父さんの帰宅になんとか間に合わせるくらいで、この人は僕のために何かを用意していたことなんてない。
だから無視した。パソコンの画面から目を離さないまま、無言。そしたら小さな舌打ちの音が聞こえた。そんなのも今はどうでもいい。だそくの食べられそうなもの……正直僕が用意するのは難しそうなものばかりだった。
ペットとして蛇を飼う人は、エサ用のネズミや小鳥なんかをやるそうだけど、僕はそんなの触ったこともない。蛇以外で検索して、トカゲなんかのエサも調べたけど、虫とかそういうのがいいらしい。けど、僕は虫取りもしたことがない。
大きくため息をついた。何ページもたくさん読み進めて、信用していいかどうかもわからないチンケなサイトで「ゆで卵がいいですよ」と書かれているのを見た。……本当に信用ならないけど、今の僕にはこれくらいしか用意できない。諦めてゆで卵を作ろうと、キッチンへ向かうためにリビングを通りがかった。
リビングでは、お母さんもどきのあの女が勝手に連れ込んだハムスターとじゃれあっていた。僕にはご飯を用意しないのに、手ずからひまわりの種だのおやつのクッキーだのあげて、はしゃいでいた。
「あ、⬛︎⬛︎くん。お腹すいた? ごめんね、さっきも言ったようにご飯の準備できてないから……なんか適当に、ラーメンでも茹でてよ」
女はそれだけ言って、またハムスターと遊び始めた。ぼくは「うん」とだけ返事をして、けれど何も茹でなかった。卵すら。
そして、女が風呂に入ったのを見届けてから、家を抜け出した。
「だそく、美味しい?」
だそくは「それ」を丸呑みにして、目を輝かせていた。だそくの目って、社会の教科書に載ってたピカピカの仏像みたいに金キラキンで、きれいだ。
尻尾を振って嬉しそうな素振りをしてくれるから、僕も嬉しくなった。それに、いくらか元気になったみたいだ。だからもうどうでもいい。ケージから引っ張り出して手で握ったときのあたたかさとか、袋に入れて持ち歩いてる間キーキー鳴かれてうるさかったこととか、だそくの目の前に出したらとんでもない速度で逃げられそうになったこととか、もう気にしないことにしたんだ。
僕は満足げに家へ帰った。そしたら父さんがもう帰っていて、あの女が泣き喚いてるのを慰めていて、うるさかった。
「⬛︎⬛︎、あのな、⬛︎⬛︎⬛︎さんのハムスターがいなくなったらしいんだ。リビングで飼ってたから見たことあるだろう? あの子、どこかへ逃げてしまったとか、何か知らないか?」
「知らないよ」
自分でもびっくりするくらい、すんなりそんなことが言えた。でも、心臓はバクバク鳴っていて、不安でたまらなくなった。
女はみっともなくグズグズ泣きながら、真っ赤になった目をこちらに向けた。思わずすぐに逸らしてしまったけど、明らかに睨まれたことがわかった。きっと勘づかれている。というか、僕がいなくなっていたから怪しまれても仕方ない。
この時すでに、僕の中に「どう誤魔化そう」という気持ちはなくなっていた。ただただ、もうバレてしまったからどうしようもないとしか思えなかった。
結局まともなご飯は食べられないまま僕は眠ることになった。当然ながら眠れるわけもないので、こっそり家を抜け出した。
いくらなんでも、こんなに遅い時間に家を出たのは初めてだった。けれどあんまり怖くなかった。僕が向かう先にはだそくがいてくれる。あの女がいる家に留まり続けるほうがよっぽど怖かった。
夏の夜の生温い空気の中、長い階段を登るとウソみたいな量の汗が出た。けれど不思議と不快感はなく、ただ、だそくが無言で僕を出迎えてくれたことだけが幸せだった。
だそくは優しく目を細めるようにして、僕を見ていた。まるでここに来るのがわかってたみたいに。
「ねえだそく、僕もう家に帰りたくないよ。だそくとずっとここにいたい……」
鳥居を潜って壊れた賽銭箱の向こう、社の軒下で膝を抱えてうずくまる僕のそばに、だそくは寄ってきてくれた。そして僕のすねのあたりに頭をこすりつけ──ウロコが硬くて、冷たくて、気持ちいい──一声鳴いた。
きいんと金属同士を打ち鳴らしたみたいなだそくの鋭い鳴き声は、真っ暗な空へ吸い込まれていった。そしたら──じわじわと湿り気が強くなる。独特のにおいがしてくる。そして、雨が降り始めた。
ぽつぽつ、ぱらぱら、さあさあ、ざああ、どおおお。その勢いはどんどん強まっていく。僕は少しだけ怖くなってだそくを見た。だそくは相変わらず、きれいな金色の目を細めて、僕をなだめるように尻尾を振った。
どおおおお、ごおおおお、ざーんざーん。しだいに暴風を帯びてすっかり激しくなった雨から逃れるために、僕とだそくは社の中に逃げ込んだ。ぼろぼろの建物なのに不思議と雨で崩れることはなく、それが逆に恐ろしかった。
戸の形に組み上げられた木片の間から外を見ようとしたが、雨で何も見えなかった。そのうちサイレンの音がいくつも鳴り響くようになった。何故かわからないけど、家のあったあたりも学校のあたりも、もうダメになったんだろうなと、ぼんやりそれだけ確信できた。
だそくは、力の抜けた僕の足にゆるりと巻きついて、気持ちよさそうに舌をチロチロさせていた。
【以下、周辺に住んでいた老女の語り】
高台にあったあの神社だけ無事だったんでしょう。あそこにはねえ、天候を司る龍神様が祀られていたんですよ、だからきっと大丈夫だったんでしょうねえ。
あんな雨が降った原因もきっと龍神様ですよ、あの神様、近ごろだあれも御参りしなかったから……。怒っちゃったんでしょうねえ、それで町を水に沈めて……おお、怖い怖い……。
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