第35話

 軍に復帰したわたしには、世話役の女がつけられました。


 最初のうちは軍が委託した家政婦のような女たちだったのですが、わたしに医療的、精神的な配慮が必要になったと見るや、それは従軍看護婦に取って代わられました。


 他のセキレイのパイロットに、そんな看護婦がつけられたなんて話、聞いたことがありません。それは破格の待遇でした。それだけわたしは、あの当時の軍において、貴重な存在だったのです。


『彼女』と出会う前に派遣された女たちは、ぜんぶで八人でした。そのうちの五人は、一ヶ月も経たずに辞めていきました。わたしが軍に「辞めさせてくれ」と頼んだのです。


 その翌日には、もう違う世話役がやってきました。あの当時、わたしは久我山基地の中でももっとも重要な戦力でした。それくらいのワガママは許されましたし、こう言ってはなんですが、許されてとうぜんだったと思います。


 なんで次から次に、世話役の女たちを辞めさせたのか。まあ、ひと言で言ってしまえば、嫌だったのです。自分よりも『幸福』で『恵まれた』彼女たちに世話をされるのが。許嫁がいる人がいました。薬指に指輪がある人もいましたし、軍人の男が夫だという人もいました。わたしはどこか満たされた彼女たちの顔に、かつての自分が、あの『楽園』で暮らしていたころの『ハリエット』の面影を見ていました。彼女たちの『楽園』は終わらないのに、どういうわけか、わたしの『楽園』は終わってしまいました。それでもわたしは『敵』との戦争の最前線にいなければならないのです。あの時のわたしは、わがままを許してもらうことで、自分を満たしていました。それくらいしか、空いた『心』の埋め方を、知らなかったのです。


 ただ唯一、サリーという女のことは好きでした。サリーは二十代の後半で、結婚を誓った男が戦死したのだそうです。相手の男は瓦緋和カワラヒワのパイロットでしたが、彼女はまだ正式な妻ではなかったので、遺族年金ももらえないのだと言っていました。


 わたしはそんなサリーを気に入りました。わたしはサリーに、自分の身の上を話しました。彼女はわたしの世話役ですし、とうぜん、軍から同じことを聞かされていたはずです。でもいちいちすべてにうなずいてくれて、そして涙を流して同情してくれるサリーのことが、わたしは『好き』でした。彼女と話していると、ノーラやキンバリーと、お茶を飲んでいた時のことを、思い出せたのです。


 わたしが自らクビにしなかったのは、サリーだけでした。彼女だけはずいぶん長く続いて、たぶん七ヶ月か八ヶ月くらい、わたしの日常生活を助けてくれていたと思います。


 そして、別れはとつぜんやってきました。次にやってきた女は、年嵩のでっぷり太った女で、体積はたぶん、ノーラと同じくらいありました。彼女は前任者であるサリーが辞めた理由を、


「子どもができたんだってさ」


 わたしは横っ面を張り倒されたような気がしました。


「でもあの人の相手は、戦死したんじゃないの?」


 婚約者が死んだというサリー。泣きながらそう語ったサリーの横顔を、わたしははっきりと覚えています。


 後任の女はこともなげに、


「んじゃあ、相手はべつの男だね。そんなの、珍しいことでもなんでもないよ」




 その日の夜、わたしは猛烈な吐き気と頭痛で目を覚ましました。


 トイレでゲーゲー吐いて、その帰り道、自動販売機でオレンジジュースを買いました。部屋に戻って飲むとまた吐き気が込み上げてきて、胃液とジュースが混ざった液体を、シーツとマットレスの上に戻しました。


「……」


 たぶん『怒って』いたのだと思います。


 サリーの顔を思い出します。わたしの話を聞いてくれたサリー。わたしのことを考えて、泣いてくれたサリー。『調整』に苦しむわたしのとなりで、手を握ってくれていたサリー。彼女は一度だって、自分の今の私生活というものを見せたことはありませんでした。彼女はやっぱり向こう側の人間でした。きちんとした『心』を持ち、ふつうに他人を愛し、そして『幸せ』の上にいることができる。フェンスの向こうでわたしを『かわいそう』だと思っていたヒナタと、同じ側の人間でした。


 わたしは耳を塞ぎ頭を抱え、大声で叫びました。胸の中に沸き上がってくる何かから身を守るために、大声で何度も泣き叫びました。部屋のセンサーがわたしの異常を感知して警報がなりました。その警報の音がうるさくて、わたしは飲みかけのオレンジジュースのびんを、壁に叩きつけました。


 少しして警報が鳴り止み、三人の医療技官が部屋になだれ込んできました。砕けたびんの残骸を前に、わたしは放心しながら倒れ込んでいました。ジュースと胃液が混ざった嘔吐物の上に横たわって、サリーの『幸福』と『不幸』を、ないはずの『心』の底から願い、祈りました。


 その夜、わたしはメディカルセンターにぶち込まれ、多量の安定剤を注射されて眠りました。


 後任の女は三ヶ月くらい続いたはずですが、わたしはやっぱり彼女に解雇を突きつけました。理由が何だったのかは覚えていませんし、覚えていないということは、たぶん、大したことではなかったのでしょう。

 

   ※


 だからそんなある日、突然やってきた『彼女』の姿を見た時、わたしは目を見開きました。


 ミハイロワ中尉は、『彼女』の肩にポンと手を置いて、


「アレクサ。こちら、ヒナタ・カワムラ曹長よ」


 ヒナタ。

 ヒナタ・カワムラ。


 そう紹介されて、ヒナタは微笑んで頭を下げました。太陽のような笑顔も、その奥でキラキラとかがやいている目も、あのころと何ひとつ変わっていません。彼女はわたしがよく知るヒナタのまま大人になって、ほんとうに軍人となって、久我山基地にやってきたのです。


 わたしの『驚き』を前に、ミハイロワ先生はどこか悲しそうな顔をして、


「彼女は従軍看護婦よ。あなたの身の回りの世話をしてくれる予定です」


 身の回りの世話。そのための看護婦。

 わたしが何人もクビにしてきた看護婦たちの羅列に、彼女も並ぼうとしています。


「よろしくね、アレクサ」


 ヒナタは何も変わらない、あの優しい声で、わたしの名前を呼びました。


 彼女は両手を差し出し、わたしも訳が分からないままそれに倣いました。彼女の両手がわたしの手を包み込み、わたしは皮膚を通して、ほんものの『心』を持った人間の温かさを感じました。


 それは生身の左手だけでなく、機械仕掛けの右手にも、伝わってきました。

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