【7】
第19話
わたしはガブリエルの遺品であるブレスレットを紙袋の中にしまい込み、滅多なことでは見なくなりました。ニコールもずっとネックレスをつけていましたが、控えめな彼女は、まるでガブリエルの存在を隠すように、ネックレスも服の中に隠し続けました。そううやって毎日を過ごし、訓練と『調整』と出撃がくり返される間に、わたしたちは次第に、ガブリエルの喪失を忘れていきました。
ガブリエルや、他の子たちの穴を埋めるように、次から次へと新しいパイロットたちが、養育機関から送られてきました。まるで粘土の人形みたいな、空っぽの顔をした子どもたち。その中にはガブリエルという名前も、アレクサという名前もありました。わたしたちにとって、名前とはその程度のものなのです。たぶん認識番号さえあれば、ほんとうは名前なんて必要なかったのだと思います。
わたしたちに施される訓練も『調整』もどんどん過酷になっていき、とくに『調整』に関しては、わたしたちが人間ではなく兵器として扱われていることを、否応なく突きつけられる場となりました。
そして『調整』の翌日は、あらゆる体調不良に悩まされました。わたしは他の子たちよりめまいや平衡感覚に障害が出やすいらしく、寮の階段をよく転げ落ちました。平衡感覚の喪失は、兵器としては致命的な欠陥です。転落して頭から血を流したその日、わたしは兵器としての自分の終わりを、それとなく覚悟しました。
でもわたしなんか、まだいい方だったと言えるでしょう。いちばん辛かったのは、たぶんイーサンに違いありません。
この後に及んでも、イーサンはまだ色濃く『心』を残していました。撃墜数トップ。でも同時にトラブルが絶えず、メカニックの人たちや上層部の人たちとケンカをしたこともあるそうです。そのケンカの延長上だったのか、一度は戦場で、他の部隊の
豊かな心。喜怒哀楽。ふつうの人間なら誰もが持ちえ、美しいと思われるそれらも、兵器のパーツとして生きていくには、邪魔でしかありませんでした。
『敵』を撃墜したことに喜び、誰かと話して笑い、誰かの死を素直に悲しみ、間違ったことに関しては平然と怒りの声を上げる――。上層部はミハイロワ少尉に、今度こそイーサンの『心』を抹殺することを命じました。『心』というものは、彼の価値を貶める要因にしかなりませんでした。
その結果が、おそらく『あれ』だったのでしょう。
※
わたしが基地で過ごしていたのが、正確には何年だったのか、わたし自身には分かりませんでした。それでもミハイロワ先生が教えてくれたところによると、たぶんこのころで、通算で六年間、わたしたちはパイロットとして生きていたはずでした。
六年!
それがふつうの人にとって、長いのか短いのか、いまいちよく分かりませんが、わたしたちにとっては十分長い年月でした。セキレイのパイロットは、その多くが短命です。わたしは今年で十五歳になりましたが――あくまでもわたしが『稼働』してからの年齢です。肉体年齢は一応、二十四歳程度だとのことです――そのうちの六年となれば、およそ三分の一以上を、わたしはただの『兵器』として過ごした計算になります。
……失礼、話が逸れました。つまり基地に来てから六年。ガブリエルが死んでから四回目の夏に、わたしの短い生涯を揺るがす大事件が起きたのです。そのことをこれから、追って順番に話したいと思います。
ガブリエルが死んでからの四年間、わたしたちは数多くの出撃をこなし、たくさんの『敵』を撃墜してきました。わたしたちの肉体の成長はほぼ終わり、服や靴のサイズ交換もほとんどなくなりました。四年の間に、リーランド軍曹とグエン軍曹は曹長になり、同時にミハイロワ先生も、ずいぶんと老け込んだように思われました。
実を言うと、わたしはミハイロワ先生が具体的には何歳なのか、今でも知らないのです。ふつうの人たちの加齢についてはよく分かりませんが、ふたりの軍曹――ああいえ、曹長よりは年上なのは間違いなかったでしょう。あの当時、リーランド曹長が二十九歳だったことを考えると、たぶんミハイロワ先生は、三十代の半ばくらいだったのではないかと思います。
そう、脱線しますが、ミハイロワ先生の話もしておきましょう。ミハイロワ先生はわたしたちにとって、師であり上官であり、たぶん『母』のようなものでした。彼女がわたしたちを見る目はいつも何かに憂いていて、わたしたちが戦果を上げるたびに、その色はますます濃くなりました。『敵』を落とすのは喜ばしいことなのだと、そう教えてくれたのはミハイロワ先生なのに。他でもないその先生が、わたしたちが戦うのを、まるで嫌がるような素振りを見せるのです。
元、空戦部隊のエリートであった彼女の操縦技術は、鈍るということを知りませんでした。仮想戦闘訓練で、わたしは一度も彼女に勝てませんでしたし、たぶんそれは、今でも同じことでしょう。でもイーサンは、一度だけ彼女に勝ったのです。わたしたちの師であり上官であり『母』でもあるカテリーナ・ミハイロワ先生に、イーサンはただの一度だけ、仮想戦闘訓練で、勝利を収めたのです。
あの時の光景は、忘れはしません。
擬似コクピットから出てきたミハイロワ先生は、その長い髪をかき上げると、シミュレーションの様子を見ていたわたしたちを一瞥しました。彼女に勝ったことを、心がない兵士とは思えないような笑顔で喜ぶイーサン。
「……イーサン」
「先生、俺、勝ったよ! 俺、先生に勝てたよ!」
『調整』で『心』をつぶしかけられていたイーサン。たぶんあれが、わたしが見た、イーサンが『心』から笑った、最後の瞬間だったのでしょう。
変な口を利いたら、『心』をむき出しにしたら、また『調整』送りなのに……。わたしはイーサンをバカだと思いました。勝ったら勝ったで、大人しくしていればいいのに。何も自分から『心』を開かないで、あなたの『心』はあなたの胸の中で、ひっそりとしまっておけばいいのに……。わたしはそう思っていたのです。
ミハイロワ先生は、イーサンへと歩み寄りました。
そして彼女は、イーサンの頭をなでました。
「よくやったわ、イーサン」
でもその声は冷徹そのもの、いつも通りのミハイロワ先生でした。でもわたしはこの時はじめて、この人の声がほんの少しだけ、揺らいだのに気づきました。その揺らぎは四年前の夏、ガブリエルが死んだあの夏に見た、ミハイロワ先生の声と同じでした。
四年前。自室でリーランド軍曹と抱き合っていた、ミハイロワ先生。
彼女は上官としてわたしたちの『心』を殺してきたし、まだ殺そうとしているけれど、ほんとうは彼女自身が誰よりも『心』を殺しているのではないか――。あの日、イーサンの頭をなでた時の彼女を思い出すたびに、今ではそう思えてならないのです。
季節感のない日々が過ぎ去り、それから間もなくして、ふたつの『事件』が起きました。
リーランド曹長が、戦死したのです。
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