第17話

 回収された四番機の修理が終わるまで、わたしとニコールは待機の日々が続きました。わたしは人生ではじめて『退屈』というものを覚えました。仮想戦闘訓練で、幻の『敵』を相手にしながら、ニコールとさまざまなことを語り合いました。たぶんヒナタとイーサンがいちばんの親友だったとしたら、間違いなくニコールはその次に親しい友人と言えたでしょう。まるで『心』がないのがウソみたいに、わたしと彼女の話は多岐に渡りました。


 その中でもっとも印象的だったのは、やはり『愛』についてのくだりだったかと思います。


 ガブリエルの死んだ夏が終わって、秋が来て、冬になりました。南国の久我山基地にとってはごく短い冬で、雪も降らなければ鉛色の暗い空もない、名ばかりの冬でした。


「ねえ、アレクサ」

「何?」


 話しかけてくるのは、たいがいニコールの方でした。わたしは相手が誰であれ、どうやら聞き役の方が向いているようです。


「アレクサ、好きな人、いる?」

「好きな、人?」


『好き』という意味も概念ももちろん知っていましたし、このころにはようやく、そんな曖昧な『感情』の数々が、少しずつ理解できるようになっていました。わたしはオレンジジュースが『好き』です。『調整』の後の具合の悪さは『嫌い』です。


 わたしは仮想戦闘訓練を終了させ、ニコールの顔を見ました。


「誰かいるの? 『好き』な人」


 わたしたちセキレイのパイロットは『心』を殺されていますが、どうやら多少の個人差はあったようです。わたしのように、何もかも希薄な人間もいれば、イーサンのように、ふつうの人間と同じような感情を持った子もいました。


「……うん」


 でもニコールは、どちらかというとわたし側だと思っていたのです。そのニコールの口から『好きな人』という単語が出てくるなんて。


 わたしはすぐにピンときました。


「……グエン軍曹?」

「……うん」


 たぶんグエン軍曹は、ふつうの女性から見たら、とても魅力的な男性だったに違いありません。でもわたしには分かりませんでした。なんと言っても、彼を『振った』女性もいるのです。人の好み、とくに異性間におけるそれは、わたしにとってはずいぶん複雑で、そして不可解なものでした。


 ニコールはガブリエルの遺したネックレスの石をいじりながら、


「グエン軍曹を見ているとね、心臓が『キュっ』ってなるの。心不全に似た症状なんだけど……。でも、苦しくないの。その不整脈みたいな症状はね、なんとなく……。ええと」

「気持ちいい?」

「うん、そう」


 外から殺戮兵器の飛び立つ音が聞こえ、窓ガラスがビリビリ揺れました。ほとんど夏と変わらないような日差しの中で、わたしはたしかに、ニコールの頬が赤く染まるのを見ました。


 今度、グエン軍曹が来た時は、わたしもバスケットコートの中に入ろうと思いました。そうして日陰の定位置を、ニコールに譲ろうと決めました。あこがれのグエン軍曹を前にどんな話をするのか、それはニコール次第です。たぶんグエン軍曹は、枕元でパクチーを栽培している話をするでしょう。あるいはベトナムの至高の文学である『かんのーしょーせつ』について、語ってくれるかもしれません。


 わたしは不意に、例の一ドル札のことを思い出しました。リーランド軍曹は、ジュースを「ガブリエルに買ってやれ」と言いましたが、ガブリエルはもう、帰っては来ません。


「ニコール」

「ん?」

「ジュース買ってあげる」


 べつにニコールに買ってあげても、リーランド軍曹は怒ったりしないでしょう。

 そしてそのうちに、今度はグエン軍曹が、ニコールにジュースを買ってくれることでしょう。

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