【5】
第11話
ヒナタが別れ際にくれた手紙の内容が、わたしとイーサンとで違っていたということは、もう話したかと思います。手紙の内容だけでなく、彼の方にはビーズのお守りが入っていたということも。
わたしは『心』のない兵器でしたが、それでも『心』を入れるための空洞は残っていたらしく、当時、たびたび何かにつけては、その空洞が湧き上がった何かで満たされるという現象が起きました。それはたいがい居心地の良くないもので、特にそのお守りを目にした時の胸の味というものは、今もなおうまく形容ができません。それを世間では『嫉妬』というのだと、つい最近知りました。
要するに、わたしはヒナタに『嫉妬』していたのです。ヒナタがイーサンにあげたビーズのお守りを見るたびに、当時のわたしは『嫉妬』していたのです。久我山基地にキラキラしたビーズなんてものはないので、わたしはゴミ捨て場に出向きました。ゴミ捨て場で、兵士たちが着古したシャツやズボンを集めました。それらボロボロの生地を引き裂いて、編んでミサンガを作りました。あれは思えば、わたしがはじめて自発的に起こした行動のひとつだったでしょう。
わたしが生まれてはじめてもらった贈りものは、ヒナタからもらったビーズのネックレスでした。そして生まれてはじめて誰かに贈ったプレゼントは、カーキ色のみすぼらしいミサンガでした。
それでもイーサンは、喜んでくれていたと思います。少なくとも、表面上は。
このころになると、『本音』というものと『建前』というものが存在しているのだということが分かりました。『心』がある人たちは大変だな、と漠然と考えていたのも事実です。『心』を色濃く残すイーサンは、『本音』と『建前』を誰よりも理解していて、それはわたし相手でも例外ではありませんでした。
イーサンは日常的にはわたしのあげたミサンガを身につけていましたが、出撃する時はヒナタのお守りを手首に巻いていました。彼はどうやら、わたしにそれを隠していたようでしたが、わたしは知っていました。これがおそらく、『本音』と『建前』というやつなのでしょう。わたしの空っぽだったはずの胸には『嫉妬』が満ちて、食道の内側が焼けただれていくような感覚を覚えました。
それは
……すみません、また脱線しました。話を戻しましょう。
つまるところ、わたしもまたヒナタのような『キラキラしたお守り』を作って、イーサンにプレゼントしたかったのです。イーサンのお守りを作るのは、自分でありたい。だって自分こそが、誰よりもいちばん、イーサンと一緒にいるのだから。もし当時のわたしのないはずの『心』を描くのであれば、だいたいこんなところでしょう。
イーサンがリーランド軍曹とバスケットコートでたわむれる午後。わたしは建物の日陰で、裂いたカーキの布地を、六本一組にして編んでいました。
「何作ってんだ?」
声に、顔を上げました。
グエン軍曹でした。
「ミサンガ」
「お守り?」
「はい」
このころになると、グエン軍曹もだいぶわたしたちと打ち解けるようになっていたと思います。わたしはこうやってここで会うたびに、二、三言、彼と話すようになっていました。
「誰にあげるんだ?」
「……」
「……イーサン?」
「……はい」
硬さと
「最近、どうだ?」
「特には。……グエン軍曹は?」
「俺も……。べつに」
わたしもグエン軍曹も多弁ではないので、わたしたちの会話は、得てして沈黙に偏りがちでした。わたしたちはふたり並んで、建物の陰からコートを見やりました。今日はアンドリューもゲームに加わっています。この数ヶ月で、彼も腕を上達させました。今やアンドリューはイーサンと同等か、それ以上のプレイヤーになっていました。
イーサンがアンドリューにパスをします。
このアンドリューを自分の手で殺すことになるだなんて、とうぜん、あの時のイーサンには知る由もなくて、
わたしは、
「ねえ、グエン軍曹は、いつも何を読んでいるのですか?」
グエン軍曹はいつも本を持ってきていましたが、ページを開いていても、目が文字を追っていないのは明らかでした。
「官能小説だ」
「かんのーしょうせつ?」
本の文字は横書きでしたが、英語ではありませんでした。その『かんのーしょうせつ』とやらは、彼の祖国であるベトナムの誇る、崇高な芸術的文学か何かなのだろうと思いました。
「……冗談だ」
彼はほとんどひとりごとのようにそう言って、『かんのーしょうせつ』とやらをパタンと閉じました。
それからグエン軍曹は、
「アレクサ、君も本を読むんだろ?」
「なんで知っているんですか?」
もし彼にそのことを話すとしたら、それはとうぜんイーサン以外の誰もいないでしょう。わたしもそう思っていました。
「ニコールから聞いた」
ニコール。
意外な名前でした。いいえ、もしかしたら、そこまで意外でもなかったかもしれません。ニコールとガブリエルとわたしは同じセキレイ四番機を乗り回していましたし、寮も同室でしたし、何より同期だったのですから。ただわたしとしては、目の前にいるグエン軍曹とニコールが話している場面を、うまく想像できなかったのです。
「何を読むんだ?」
「……いろいろ。でも、いちばん読んでいるのは『シンデレラ』です」
「シンデレラ……」
「ご存知ですか?」
シンデレラは世界的に有名な物語だと、かつてヒナタはそう言っていた気がします。
「ああ、もちろん」
「ニコールとはどんな話をするんですか?」
今度はわたしが聞きました。彼女と、彼女が乗っている四番機は今、訓練を兼ねた定期巡回に出ています。
「いろいろ。……セキレイのこと、君たちのこと、ミハイロワ少尉のこと」
わたしの知っているニコールといえば、寡黙で、わたし以上に物静かで、たぶんわたしと同じかそれ以上に、『心』を消されていました。わたしにはやっぱり意外な気がしていました。あのニコールが、グエン軍曹を相手に、そんなにいろいろな話をしていただなんて。
グエン軍曹の目が、コートで遊ぶイーサンとアンドリューに向けられます。
「なあ、アレクサ。……君たちはほんとうに、心がないのか?」
「はい」
だってわたしたちはそう作られたのですから。
「……軍は、いいや、世界はなんだって、君たちみたいな子どもを戦わせなきゃならないんだろうな」
それがグエン軍曹の『心』に巣食っていた、わたしたちに対する壁の正体でした。
でも当時のわたしには、それが彼の抱く、わたしたちへの『恐怖』だとは気づかずに、
「セキレイは、他の殺戮兵器と違って、操縦には特殊な能力と訓練が必要です。神経系への処置と投薬コントロールを受けた人間でないと、操縦できません。パイロットの寿命は短く、だから必然的に、パイロットの年齢は平均的に若くなります。ですからセキレイのパイロットは、子どもばかり……」
誰もが知っている教科書的な回答を口にし、途中でやめました。それを聞いていたグエン軍曹の顔が、今にも泣き出しそうにゆがんでいたのです。
『機械よりも精密に、AIよりも柔軟に。でも人間の心は排除して。より完璧な、よりパーフェクトな兵器の一部に』。それがわたしたち、セキレイのパイロットたちに求められていたものなのです。わたしはただ、それをその通りに回答しただけなのに。なのになんで彼がそんな顔をしているのか、わたしには分からないのです。
わたしは彼から目を外しました。コートの中で、イーサンがリーランド軍曹の手からボールを奪います。
「……グエン軍曹は、なんで軍人になったんですか?」
大人たちはみんな、わたしたちとは違います。最初から兵器として生み出されたのではなく、どこかでいつか、自分の意思で軍に入ることを決めたはずなのです。
「なんで軍人になった、か?」
「はい」
自分の意思で決める、ということが、わたしにはまだよく分かりませんでした。それでも機会があれば、訊いてみたいと考えていたのです。自分の『意思』というものを。
「……立派な人間になりたかったからだよ。親や家族や一族の期待を……、裏切りたくなかった」
それからグエン軍曹は、訥々と話してくれました。
彼はベトナムの山奥、この時代に英語すら満足に伝わらないような田舎の集落の出身で、そこの学校で歴代トップの成績を収めていたそうです。
「……きっとこいつは都会で偉くなるんだろう、ってみんなに言われていた。あの田舎の集落で『都会』って言ったら戦争の影響が強くて、『偉い』って言ったら、それは軍人のことだった」
彼が語った通り、グエン軍曹の英語はあまり流暢ではありませんでした。それでも彼は一族の『期待』を受けて、軍人になりました。『期待』というものがやはりよく分からなくて、後日、わたしは辞書を引きました。
グエン軍曹の話は、今思い出せばとても面白いものだったと思います。故郷の味が懐かしくて、兵舎の枕元でパクチーを栽培しているくだりなんて、思い出すたびに笑ってしまうのですが、あの当時のわたしは、ただ無表情でそれを聞いていました。彼の話が終わらないうちにイーサンがこの日五回目のゴールを決め、アンドリューにパスが渡り、基地のひたすらに青い空の上を、ブルーグレーの機体が鳥のようにすべって飛んで行きました。
空に馴染む、ブルーグレーの装甲。
セキレイでした。
それがニコールの乗った四番機であることくらい、よく見なくても判別できました。一瞬、コックピットの中にいる彼女と目が合ったような気がしましたが、それはいくらなんでも考えすぎでしょう。ニコール乗ったセキレイは、わたしと、わたしのとなりにいるグエン軍曹をつまらなそうな目で見つめ、また大空へと帰って行きました。
それからまた何かを話し、日は暮れて、遊びの時間はお開きになりました。ふたりがフェンスの向こうへと消えてしばらくした後、ニコールが帰ってきました。
「グエン軍曹は?」
そう訊くニコールの顔には、浮かぶはずがない微笑みのようなものが浮かんでいて、それでも『心』のないわたしは冷酷にも、
「もう帰った」
「そう……」
ニコールの肩は、目に見えて落胆していたと思います。やっぱりわたしの気のせいかもしれません。でも今なら、それは気のせいでもなんでもなかったと、そうはっきり言える気がするのです。
その日の夜、わたしはグエン軍曹の話を思い出しながら、シンデレラの本を読んで眠りました。「なぜ子どもたちが戦わなければならないのか」という問いに答えたわたし。それを泣き出しそうな顔で見つめていたグエン軍曹。汚いカーキ色の布地のミサンガ。コートの上を走るイーサンの手首。ヒナタの作った、キラキラしたビーズのお守り。
いろいろな人の、いろいろな『心』。それらが『心』の入っていない空っぽの胸の中に、水道を捻ったみたいにザーザー流れ込んできました。
自分の意思。それから、期待。『心』を持った人間の人生というものは、まあ、なんと複雑なものなのでしょうか⁉︎
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます