マイナス20年。マイナス3年。
towa
第1話
「 足を蹴ってもいい……?」
突然放たれたその声には好奇心を強く含んでいるように聞こえ、彼女の小さな笑みからもなんとなくそれが感じとれてた。だとしても――――
「骨折してる人の足を蹴るっていう君の神経を疑うよ」
「別にいいじゃない! 減るものでもないでしょ!? そうちゃんのいじわる!」
僕は膝をパンパン叩きながら力強く反論をする彼女を僕は軽蔑の眼差しを送りながら更に反論を重ねる。
「減るとかそういう問題じゃなくて、これ以上悪化したらどうするんだって話だ!」
「その時は私がこーんな大きな注射をそうちゃんの足に刺してあげる!」
小学生の小さな体全体を使って注射を表現するが、現実的に考えて有り得ない大きさだ。
そんなものを打たれた暁には僕の足は間違いなく破裂する。
「君は本当に……いや、もういいや」
「じゃあ、蹴っていい?」
「なんで振り出しに戻るんだよ!」
「だって暇じゃない? 私なんて特にこの病院の入院歴長いんだからね。もっと言えば先輩でだよ?」
「暇だったら骨折している人の足を蹴るっていう時点でかなりヤバいが、もうそれは置いておいて、君はここに何ヶ月いるんだい?」
「何ヶ月? もっとだよ。もう何年かも覚えてないけどね……」
突如彼女の顔が曇る。ここで僕は自分の失言を悔いた。話題を変えようとしたが、すぐに彼女は続けて言った。
「私ね、生まれつき体が弱いんだ。なんなら生まれた瞬間に、いや、もっと前から死んでしまうかもしれないって言われてたみたい」
突如明かされた真実に僕は話題を変えるどころかそのまま聞き入ってしまった。
「だからね、私は今生きている心地がしない。だって私の余命宣告は既にされていてそれは私が私になった瞬間に過ぎていたんだよ? なのに私は生まれてきた……」
「もう良いよ。もうそんな辛いことを自分の口から言わなくていいんだよ」
今止めなければいけないと思った途端に反射的に言葉が出ていた。
その後も彼女は僕の声が聞こえなかったように続けたが、その内容は聞いていない。いや、聴こうとしなかった。
あまりにも小学生の僕には重くて受け止めずらい現実的な話だったからだ。
そしてその1週間後、僕は病院から退院し、それ以来彼女、『冬野 美海』とは1度も会っていない。
会っていたとしても僕の時間はもうプラスに進んでしまっている。
* * *
「それじゃあ、一旦ここでお別れだな」
「じゃあ、また後でね。こっちも終わったら連絡するから!」
「颯汰も頼むぞ」
「了解」
高校生活最後の夏休みも中盤に差し掛かり、いつか思い描いていた青春とはかけ離れた勉強地獄の生活が続く中、限りなく低いモチベーションを上げてくれる唯一の救い、オープンキャンパスに僕達は参加していた。
「太一は法学部だっけ? もう行ったし、私達も行こ?」
「うん。そういえば、僕の行く文学部ってどこだっけ?」
「1号館だよ。パンフレットちゃんと見てないわけ?」
やれやれと笑いながら、いくよと彼女は先々と足を進める。
今、僕たちは学科説明などを終え、大学の模擬授業へ僕は文学部、舞彩は教育学部、太一は法学部へそれぞれの指定された教室へ向かっていた。
「わざわざこの猛暑日にオープンキャンパスに御足労頂いきありがとうございます。文学部の模擬授業を担当します教授の渡邉です。今日は皆さんにだった―――」
高校の授業とはまた違う内容、そして妙な緊張感が教室内に漂う。
授業に集中していない訳ではないが、視線を左右に向けると予め渡された授業プリントにメモを残し続ける学生の姿のみが映った。
適度な緊張感は大切だが、固くなる必要はないと僕は思う。
少し楽にするくらいが適切だろう。
――――だけど
「寝るのは違うだろ」
僕はそう言いながらストローに口をつけてドリンクバーで持ってきたコーラを一気に吸い上げた。
「さっきから颯太は何を言ってるんだ?」
「なんでも模擬授業の時に思いっきりうつ伏せで寝てる人が1人いたらしいよ」
「模擬授業とはいえ、寝るって凄いな……」
「本当だよ。何しに来たんだよって話だよね」
「まぁ、でもそれは颯汰には関係ないことだしいいんじゃない?」
「うん、関係ないと言えば関係ないんだけどね……」
僕は別に怒ってる訳でもないし、舞彩の言うように他人のことだ。
それを放って置けばいいことだったんだ。
実際、放っておけば僕は今こんな気持ちにならなくて済んでいたはずだった。
情緒不安定。それが今の気持ちに合っているんじゃないかと思う。
* * *
〜2時間前〜
模擬授業も半分程終わってきた頃だった。
隣に座っていた女子高生が突然机にうつ伏せになり、動かなくなった。
まさかそのまま寝てしまうとは想像もしていなかったが、彼女は僕の想像を軽く裏切り模擬授業が終わるまで、いや終わった後もその顔を机から離すことはなかった。
大学側も模擬授業が終わった後は教室から退出して欲しいはずだろう。
僕は隣の名残で彼女を起こすために肩を軽く揺すった。
「もう模擬授業は終わったよ。起きなよ」
「……う、うーん」
彼女は眠気眼を擦りながら僕の方へと視線を移す。
「すごく寝てたけど、もう模擬授業は終わったよ」
2回目はしっかりと耳に届いたのだろう。彼女は目を大きく開けて周りを2度3度見渡すと青ざめた。
「ど、どうしよう。この後模擬授業のレポート提出ですよね!?」
「うん。この後っていうより大学を出る時にアンケートと一緒に提出すればいいからまだ時間はあるよ」
「で、でも私授業の内容なんて前半しか覚えてません!」
「知ってる。だってその後寝てたし」
「どうしたらいいですか?」
「しょうがないな、僕のを写したらいいよ。でも、そっくりそのまま写すのはやめてくれよ」
「さ、流石に私もそこまで馬鹿じゃないです!」
彼女は少し頬を膨らませ、鋭い目を向けた。
僕は軽く謝りながら荷物をまとめて彼女と教室を後にした。
「確か外に出たらベンチがあったよね? 座りながら写させてよ。あと、自販機でジュース奢るからそれでチャラにしてくださいね」
「じゃあ、遠慮なく」
外に出ると僕は彼女の厚意に甘えて炭酸水を買うとベンチに腰をかけた。
「はい、これがプリントね。あとタメでいいよ」
「じゃあ、遠慮なく、ありがとう」
彼女はそれを受け取るとペンを左手に持ち素早くそれを写し始めた。
「左利きなんだな」
「あぁ、これ? いや、そうでもないんだよ」
「どういうことだ?」
「私こう見えて結構体が弱くてね、ずっと病院での生活を送っていたんだ」
理由になっていないことは敢えて追求せずにいると彼女は懐かしそうに、そしてどこか寂しそうに話を進めた。
「でね、ある日足を骨折してしばらく入院していた同い年の男の子がいてね、その子はいつも私のお話し相手をしてくれたんだ」
「優しい人だったんだな」
「うん! とってもね」
いつの間にか彼女の手は止まっていて、僕もそれに気づかず話に集中していた。
「でもね、当たり前だけどその子は私みたいにずっと病院にいる訳ではなかったんだ。なんとなくそれは小さいながらも私は分かっていた。だから何かその子に私という存在を覚えていて欲しくて毎日アピールを続けたんだ」
今になるとかなり痛い人だけどね。と彼女は苦笑しながら続けた。
「でも、なかなか気づいて貰えなくてね。アピールと言っても当時小学生の私が考えることだからやる事もなんか馬鹿らしくてね。毎日髪型を変えたり、ヘアピンを曜日毎に変えたり、まぁ色々。でも、その子すごい鈍感で全然気づかなくてね! 酷いでしょ。でも、唯一最後に気づいてくれたのが私がペンを持つ手を変えた時だったんだ。それが嬉しくて、ついそのまま続けてしまっていたら、いつの間にかペンを持つ時だけ左になってた」
「その子とは今も仲良いのか?」
僕がそう聞くと彼女は静かに首を横に振った。
「もう12年も会ってないよ……」
「そうか、また会えるといいな」
「うん! ありがとう」
「……ところでどこまで写したんだ?」
「え、あぁ!!」
やれやれ、と呟きながらも何故かなんとなくそんな彼女に懐かしさを感じた。
正直、自分でも訳の分からないことを言ってるのは分かっている。
彼女と会うのはこれが初めてなのだから。
「ごめん、写し終えたよ! レポートはここから自分でなんとかするから。ありがとうね」
「いや、いいよ。ジュース奢ってもらったし」
「あ、そうだ。そういえば自己紹介まだだったよね。私の名前は冬野 美海。もしもこの先何か縁があったらよろしくね」
「僕は秋山 颯汰。こちらこそよろしく」
「颯汰……そうちゃん?」
「……」
『そうちゃん』その呼び方は近所のおばさんにしか呼ばれたことのない呼ばれ方だった。
なのに何故かさっきと同じように懐かしく感じた。
しかし、それは同時に感じただけであってその先はない。
「覚えてない? 私だよ? 美海だよ」
涙を浮かべながら1歩ずつ近づく彼女に僕は感情を動かされた訳では無いのに、何故か涙が頬を伝って地に落ちていった。
色んな感情が複雑に絡まって僕の感情はもはや言葉で説明できるようなものではなかった。
でも、そんな中でも1つだけ確信を持って言えることはある。
そして、それを僕は無意識のうちに言葉にしてしまっていた。
「僕は君を知らない――――」
今、いや今日から僕の時間はプラスだけでなく、マイナスにも進むことになる。
2つの意味で。
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