君のためなら死んでもいいよ。

飴月

前編:「モブくんは今日もつまんないねぇ」

 


 7月。じめじめとした気温が爽やかな夏風に変わる頃。僕は屋上へと繋がっている階段を上り、その重厚感のある扉を開いた。


 広がる青空。吹き抜ける風。



「……望月さん」



 そして、望月(もちづき)くるみ。美少女。


 一言で言えば、天才。或いは孤高でありクズであり、サボり魔である。


 いつもの様にスクールバックを枕にして寝ていた彼女は、僕の呼びかけにぼんやりと目を開けた。



「なーに。また来たの、モブくん」



 彼女は怠そうに欠伸をして、眠たげな声をあげた。一応話してくれる気はあるようで、むくりとその場で起き上がる。


 その拍子に爽やかな風が吹いて、彼女の白に近い金髪がサラサラと舞った。次いで、膝上丈で切られた、短いスカートが目に入る。


 どちらも堂々とした校則違反だった。



「うん。望月さんに話したいことがあったから」


「はいー? 私はないですけど?」


「知ってる。でも、どうせ暇でしょ」


「……モブくんて、ほんとつまんなーい」



 だる、と言葉を続けて吐き出した彼女は、退屈そうに呟いた。



「いーよ、聞いたげる。確かに暇だし。だからさぁ」



 そして。



「モブくんは、私のこと早く救ってねー?」



 救ってほしいだなんて1ミリも思っていないような。諦め切った笑顔で、彼女は笑ってみせた。


 一年程前から年中身につけるようになった、真っ黒なカーディガンの袖から痛々しい傷跡がのぞく。先週よりも傷が増えていた。


 城崎高校の天才少女こと"望月くるみ"はただ、生きることに飽きてしまっている。退屈に殺されてしまうという冗談のような言葉がただの冗談にならないような、そんな女の子なのだ。


 その反対にどこからどう見ても平凡で、モブ真っ只中な僕が、"君を救ってみせる"なんて、彼女からしたらつまらなくて仕方ないようなセリフを吐いてから、既に3ヶ月が経っていた。














 最初に望月くるみという存在を知ったのは、高校1年生の春だった。新入生特有の緊張と期待に満ちた空気の中始まった自己紹介で彼女を見たとき、電撃のようなものが身体に走ったような気がした。



「望月くるみです。趣味は音楽鑑賞とコンビニスイーツの新作制覇です。いっぱい友達欲しいので、覚えて帰ってくれたら嬉しいです。これからよろしくお願いします」



 それは普通の自己紹介だった。気を衒ったことを言う訳でもなく、面白いことをするわけでもない。それなのに、他の人の名前を全員覚えられなくても望月くるみの名前だけは帰っても覚えている自信があった。


 それほどに、望月くるみという人間には華があって、輝いていた。


 そんな彼女は勿論、瞬く間にクラスの中心になっていった。周りにいる友達もみんな何か光る物をもった人ばかりで、所謂クラスの一軍グループというやつになった。


 学級委員も推薦で彼女に決まったし、文化祭の劇の主役も彼女だった。しかし、それを不満に思う人間がいるはずもなく、「何か凄い子が1年生にいるらしい」と、"望月くるみ"の名前は入学して1年で学校中へ知れ渡ったのである。


 そんな彼女を"主人公(ヒロイン)"だとすれば、僕は彼女に憧れる同じクラスの"モブ5"といったところだろう。同じクラスにはいても、周りの人間が違えば関わることなんてない。まさに、彼女と僕は違う世界にいる。


 ずっとそう思っていたのに、その認識が変わったのは、望月くるみと出会ってからちょうど1年が経った、2年生の4月のことだった。



「あれ。そういや去年も同じクラスだったけど、席隣になるの始めてだね。これを機に仲良くしてくれたら嬉しいなぁ。よろしく!!」



 望月くるみと、席が隣になったのだ。いつまでも出席番号準備なのはどうなのか、ということでした席替えで、僕は見事に学校1の人気者の隣を引き当てた。


どうしちゃったんだ、俺の運気。もしかして帰り道で事故にでも遭うのか、と本気で警戒したことを今も覚えている。



「よ、よろしく。望月さん」


「くるみでいいよ。私も君のこと海斗くんって呼んでいい? 実は海斗くんが鞄につけてる限定グッズのバンド、私も好きなんだよね。だからずっと話したいと思ってたんだ」


「マジで? まさか望月さんも好きとは……」


「だから"くるみ"でいいってば」


「……ハードル高すぎて死ぬから無理です」


「ふは、何じゃそりゃ。じゃあ、気軽に呼べるなって思ったらくるみって呼んでよ」


「うん。…………てか、僕なんかの名前知ってたんだ」


「なんかって何よ。てか当然じゃん。だって、クラスメートでしょ?」



 こうして僕は、同じクラスのモブ5を卒業して、同じクラスで席が隣で、たまにバンドトークが出来る人に変わった。


 でも、ただそれだけである。


 友達はみんな、「これを機に仲良くなって僕たちにも紹介してくれ」と切実に頼んできたが、そんなことが出来るわけがない。


 望月くるみのコミュニケーション能力は意味がわからないぐらい高いのだ。言葉の通じない宇宙人を友達だと紹介されても、おそらく殆どの人は疑うことをしないだろう。


 そんな、他クラスにも同クラスにも友達のたくさんいる望月くるみと、席が隣になったとはいえどちらかというと陰キャ組の僕が話す機会は少ない。唯一話す機会があるとすれば、バンドが新曲をリリースしたり、ペアワークをしろと言われた時だけだった。


 勿論、それだけでも僕にとっては特別なことだったし、その日はいいことがあったとたまにしかつけない日記に記すぐらいには嬉しいことだった。というか、正直に言うとそのために日記を書いていた。


 それでも、まだただのバンドトーク仲間だった僕が、彼女の特別になったのは5月に入ってからのことだった。




 ────望月くるみは意外なことに、学校をよく休む。




 それは去年から公然の事実で、1ヶ月に3日か4日は休むが、次の日学校へ来ても体調が悪そうなそぶりは見せない。


 友達に理由を尋ねられても、頭痛や腹痛を訴えていることが多く、



「気圧の変化に弱いんだよね〜〜」


「何それ、機械っぽくてウケる」



 という会話を聞いたことも一度や2度じゃない。


 気圧による体調不良は誰にでも当てはまることだ。現に僕も気圧の変化による体調不良で学校を休んだことがないわけではない。


 しかし、それに違和感を感じたのは、望月さんの隣の席になってから2週間が経った日のことだった。



「ごめん! 昨日学校休んでて授業の内容分かんないから、ノート見せてもらっていい?」


「ん。字、汚いけど、それでも良ければ」



 そう言ってノートを貸すと、昼にはお菓子とお礼のメモ付きで帰ってきた。なんとも律儀なことである。


 こういう、気の使えるところが彼女の人気の理由なのだろうと思い、人気者である望月さんと話すきっかけが欲しかったこともあって、授業終わりに話しかけてみた。



「お菓子ありがとう。もう体調大丈夫なの?」



 すると彼女は、その綺麗な顔にニパッと笑顔を浮かべて僕の方を向いて口を開いた。



「ありがとー! おうおう、もう大丈夫よ。元気極まりないって感じ。ほんとにただの偏頭痛だから心配しないでね?」


「そう、元気そうで……」



 よかった。


 そう続けようとした言葉を、ゴクリと飲み込む。


 そして、僕の様子を不思議そうに見ていた彼女に誤魔化すように笑って、「偏頭痛はキツいね」と返した。


 そんな僕に、「最近は薬とかが進化してくれてるからね! もっと発展しろー! 医療業界! って感じ」とふざけた調子で言った望月さんは、いつも通り笑っていた。


 笑っていたのに。


 そんな彼女の顔にばかり目がいって、片手でもう片方の手首を掴み、ただでさえ折れそうに細い手首に爪を立ててギリギリと締め付けている様子に、初めて気がついた。








 それ以来僕は、望月さんを目で追いかけるようになった。そして、始めて1週間で、僕が見ていた望月くるみは『虚像』だったのではないかという疑念が胸に沸いた。


 彼女は人と話している時によく、自分の身体を傷つける。それは手首だったり、太ももの裏だったりして、いずれも人の目につきにくい部分に爪をたてたり締め付けたりしているのだということに気がついた。


 そして、僕と同じように彼女の違和感に気がついている人がいない、ということにも。


 だって、あの"望月くるみ"が自傷をしているだなんて思わない。そんな噂は1度だって聞いたことはないし、僕の友人にさりげなく話を振ってみたが、僕の正気が疑われるだけだった。


 望月さんが自傷をしているのは人と話している時が多かったが、それでも気付かれないのはきっと、それを覆い隠すほどコミュニケーション能力が高いからなのだろう。


 欲しい言葉をくれるから。話していて楽しいから。笑顔を向けてくれるから。人気者だから。彼女と話しているときに、視線を顔より下に下げることがない。


 だから、その裏で手がどう動いているかなんて気がつかないのだろう。僕みたいな陰キャが、顔を逸らそうと思わず下を見たりしない限りは。


 それでも僕は、望月さんに何かを言うことはなかった。


 いつも望月さんは爪をたてたり、手で締め付けているだけだから、あからさまな傷跡が残る訳ではないので、確証がある訳ではないし。それに第一、それを彼女に伝えたところでどうにもならない。


 友人と読んでいいのかすら微妙なラインの人間にそんなことを言われても何かを相談する気にもならないだろう。


 それにそもそも、よく学校を休むという時点で親公認の可能性、もしくは親に何らかの問題がある可能性もあるし、無関係な僕が安易に踏み入ってもいい重さの問題ではない。


 そう思って、彼女の様子を見つめるだけだった。


 そんな日々が2週間ほど続いて、その状況が変わったのはうだる様な暑さになった5月の中頃のことだった。





 ────その日。


 望月さんは、黒檀のように綺麗だった長い髪をバッサリと切って。白に近い色に脱色し、制服を派手に着崩して、もう暑いのに真っ黒なカーディガンを羽織った、一瞬誰か分からないほど、まるで別人のような格好で学校へやってきた。



「……くるみちゃん、その、」


「…………ごめん、だれ?」



 勇気を出して話しかけた、望月さんの友人に対する一言で教室が凍りついた。


 クラスメート全員の名前を覚えている望月さんに限って、そんなことはあり得ないというのはクラス共通の認識だ。ましてや、昨日まで親しげに名前を呼んでいた友人の名前を忘れてしまうことなんて有り得ない。


 いつもと違う服装。違う髪型。違う性格。


 僕達の中で、記憶喪失、という答えが導き出されるのは当然のことだった。



「聞いたよ、くるみちゃん。記憶喪失になっちゃったんだって。私、くるみちゃんと仲良かった──」


「……あはっ、そーゆー自己紹介ウザ。ごめんだけど、過去の私が仲良くても今の私は仲良くしたいと思ってないから」



 明るい笑顔。声色。なのに、どうして雰囲気はこんなに冷たいのだろう、と。


 不思議に思えてしまうほど冷え切った空気の中で、望月さんは仲良くしようと話しかけてきた元友人の言葉を全部断った。



 ────私は覚えてないから


 ────今から覚えろ? 名前を覚えることが時間の無駄


 ────結局、忘れられる程度の仲だったんじゃん?



 断る言葉は日に日にキツくなって、望月さんの周りには人が完全にいなくなった。最初は校則違反やその態度を注意していた教師も「成績一位落ちたらやめます」の言葉と、まさかの有言実行に何も言えなくなってしまったらしい。


 確かに望月さんは、変わった。笑顔や声色はそのままに、人格だけが変わってしまったように見えた。本当に記憶喪失になったのだ、と言われでもしないと納得が出来ないような変化だ。


 実際、生徒の中では記憶喪失になったのだろうということになっているし、妙に1人でいたがるから“孤高ちゃん”とか、今までも良かった成績が全教科満点になったりしたものだから“天才ちゃん”とか、「今まで私達を見下してて楽しかったのかな?」とか一気に陰口の内容の常連になって、最早1年生のときの『望月くるみ』とは別の人間として扱われ始めている。



「ねぇ、望月さん」



 それでも、本当に彼女は記憶喪失になってしまったのだろうか?



「……なーに」



 明らかに鬱陶しそうな様子で笑った彼女は、難しそうな題名が書かれた本を閉じてこちはを向いた。


 席替えが明日に迫った今日。話しかけるなら今しかないと、意を決して声をかけたのだった。



「ごめんだけど、私、君のこと覚えてな……」


「記憶喪失じゃないでしょ」


「…………へ?」


「望月さんって、記憶喪失になったわけじゃないでしょ。その格好になる前から自傷してたじゃん」



 望月さんは黒いカーディガンを羽織るようになった。それは何のためなのか。


 それは手首の、リストカット跡を隠すためだろうと僕は早々に検討をつけていた。


 だって、ずっと。ずっと隣で見ていたら分かる。憧れてたから、太陽みたいだったから。


 変わってしまう前の望月さんはいつも台詞が決められたみたいに喋っていた。それを隠すように完璧に笑っていた。気持ち悪いほど人の名前や嗜好を覚えていた。学校を休みがちで、人と話しているときによく自傷していた。


 そして、変わってから急に人並外れたように成績が良くなって、人と関わろうとすることをやめた。


 そんなの気づかないわけがないだろ。望月さんは合わせていたんだ。周りの人と仲良く出来るように、そのレベルに。


 そのストッパーを外したから今、こうなった。記憶喪失なんかではなく、素の自分に近づけたらこうなった。ただそれだけのことなのだろう。



「……ふーん、気付いてたんだぁ」



 望月さんの雰囲気がガラッと変わる。ニヤリと口角が上がる。いつも全人類に好かれそうな笑みを浮かべている顔が、ほんの少し歪んだ。



「何で今そーゆーこと言うの? 主人公気取るには手遅れすぎなんですけど。その、僕だけは気付いてましたアピール、最高にだるいね。君、超つまんないね?」



 うん、つまらない。と確認しているわりに、ニコニコと話す望月さんの顔は今まで一番輝いているように見える。


 結構酷いことを言われているはずなのに、それでも嬉しいと思ってしまったのは、ミステリアスで誰にも心を開いていなさそうな、孤高ちゃんな彼女の方に夢中になってしまったからなのだろう。



「あはっ。やっぱ世界、超つまんないな」


「…………じゃあ、どうしたらつまらなくなくなるの?」


「……んーー、君がもっと面白くなったらかな? ウザくなったから全部吹っ切ってみたけど、それでも毎日つまんないんだ。私、もう生きるのに飽きちゃった。急に言われてもって感じだよね。ごめんね?」


「別に」


「お、意外と引いてない感じ。じゃあさぁ」



 わざと狂っているような。歯車を1つ、自ら外したようなほんの少し上擦った声でそう言った望月さんは、吐息をたっぷり混ぜた声で潜めるように囁いた。



「退屈に殺される前に君が救ってくれるわけ?」



 その言葉にクラクラと目眩がして。無意識に首を縦に振っている僕は馬鹿なのかもしれない。やっぱりつまらないのかもしれない。


 或いは、酔っていたのかもしれない。


 望月さんに言われた通り、僕だけが望月さんの秘密に気がついて、こうやって頼まれごとまでしたのだと、特別だと思っていたから。









「今日のお昼はカレーパンだったんだけど」


「……だから?」


「いつもより美味しかったからもう秋だなって」


「だっる。わざわざそんなこと伝えてくんな。そもそも、カレーパンで季節感じる人早々いないよ」


「なんか秋近づくとさ、見つけた小さな秋の話したくならない? じゃあたい焼きは? 帰り道にさ、小さいたい焼き屋あるじゃん。美味しそうなたい焼きの匂いがしたら秋って感じしない?」


「モブくんの頭には食のことしかないわけ?」



 その考えが浅はかだったと気がついたのは、それから1週間後のことだった。


 まず、望月さんは学校に来ること自体の数が減った。おまけに授業にもほぼ出なくなった。


 どうやら学校の偉い人と、全国模試で相当良い成績を残す代わりに出席をある程度免除するという前代未聞の闇取引を交わしたらしい。


 そのせいでまず望月さんに話しかける機会がない。


 さらに望月さんは基本的に自分軸で生きているので、というより生きるようになったので、僕の話がつまらなければすぐに寝るし、さっきまで笑ってたはずなのに寝るし、そもそも話を聞いてくれないことも多い。


 まるで野良猫を相手にしているようだ、と思うのだけれど。この人に話しかけ続けてどうするんだとか、救うって何だとか、僕のこともつまらないなら結果死に向かってないかとか、色々思うこともあるのだけれど。



「モブくんは今日もつまんないねぇ」



 と。頑張って、必死に話題を作って話しかけるたびに、何故か嬉しそうに言うものだから。


 "モブくん"なんていう不名誉なあだ名ですら認知されて嬉しいだなんて思ってしまっているから、きっともうどうしようもないことなのだと数ヶ月経って気がついた。



「望月さん、今日は古典の授業が意外と面白かったよ。授業出とけば良かったのに」


「ふーん、どんなことしたの?」


「古典のさ、紫の上の歌物語の解釈」


「……つまんな。出なくて正解じゃん」


「なんで? 楽しいよ。古典の詩とかって、その人だけに伝わるように工夫して言うじゃん。好きとか嫌いとか。そーゆーのが好き」


「女子か。ハッキリ言ったらいいじゃんって思わない?」


「ハッキリ言うのは勇気がいるだろ、勇気が。簡単に言えないから歌とかにしてるんだよ」


「…………へーー」



 望月さんは心底興味なさそうに溜息混じりの返事をよこして眠りについた。


 言えないから歌にする。だから僕も歌うのかもな、なんて望月さんに知られたら絶対に笑われることを思いながら、背負ってきたギターをじゃんじゃんと鳴らす。


 アンプに繋がないとハッキリと音は出ないから望月さんの眠りは邪魔しないし、何故か屋上の鍵を持っている望月さん以外は、立ち入り禁止の、この屋上へは来ないだろう。


 例外は望月さんに入れてもらえている僕ぐらいのものだ。


 その特別感だけでどれだけ振り回されたってチャラだから僕もチョロいよな、と思いながら、今度の文化祭で披露する予定の恋愛ソングを小声で歌う。



『沢山の人に好かれる君だけど

 僕だけが君を好きだなんて思わないけど

 1番好きなのは絶対的に僕だよ、と

 口にしたら死んでしまう気がしたから

 信じてくれとは言わないから

 これが嘘ならそのまま殺して』



 ゆっくり考えると、わりと過激な歌詞だ。


 でもどこか共感出来て、苦しくて、今一番好きな歌で、一番流行っている曲でもある。流行りの恋愛ソングが全部自分のことだと思えるなんて、やっぱり自分は凡人(モブ)なのだろう。


 流行りの曲通りの恋愛をしている。好きなバンドに恋愛観を左右されている。ありふれた恋のはずなのに、それでも好きだと伝えられないから今日も1人で歌っていた。


 こんな調子じゃ、つまらないままじゃ、一生望月さんを救えない。












「最近しょっちゅう歌ってるそれはあれですか、文化祭でやるとかですか」


「何で知ってんの」


「ちょっと考えたら分かるでしょ。モブ君、バンド好きで軽音部入ったって言ってたじゃん」



 きょとん、と不思議そうな顔をして言った望月はもう自分の設定を忘れているのだろうか。僕がバンドを好きという話をしたのは望月さんが孤高ちゃんになる前なのでてっきり忘れられたと思っていた。


 どうしよう、嬉しい。



「そうだね。3年になったら文化祭しか出れないからさぁ、今回で軽音部のライブはラス2で。結構気合い入れてんの」


「……そう。モブくんがそんなに楽しそうにするなら、私もギターやろっかな」


「まじ? ギター、えげつないぐらい時間食うから退屈殺すのにオススメだよ」


「モブくんが教えてくれるんだ?」


「…………僕なの?」


「そうだよ。だって私の退屈を殺すのはモブくんの仕事でしょ?」



 そうなのか。彼女の顔を見つめる。真顔だった。どうやら本気らしい。まだ望月の中で、あの約束は生きているようだ。


 チラリと覗く手首の傷は増えていく一方で、望月さんはまだ救われていない。退屈に殺されそうな毎日を送っている。


 事実、天才としての本領を発揮し出した望月さんは、見ているだけで分かるほど本当につまらなさそうだ。


 いつかフッと死んでしまいそうだ。


 その憂鬱を僕だけが知っている。


 そのことがどうしようもなく嬉しいなんて、こんなに苦しいのにそんなことを思うなんて、どうかしている。


 望月さんが退屈に蝕まれているように。望月さんという劇薬を浴びて、僕まで蝕まれてしまったみたいだ。



「よし、じゃあマイナーとメジャーから始めるか」



 僕はいつかの望月さんみたいに後ろ手で腕を抓り、笑みを抑えてギターを差し出した。パッと望月さんの顔が輝く。初めてやることは失敗が多いから楽しいのだそうだ。


 そんな天才で孤独な彼女が僕以外には救われないで欲しい、だなんて傲慢な話だろうか。


 こうして2人でいられるなら、どうかしたままでいい。狂ったフリを続けたままでいい。













「モブくんは、よく飽きないね」


「……そりゃまあ、一世一代の晴れ舞台なんでね」



 今日も屋上でじゃんじゃんと愛を叫ぶ。その対象が隣にいるのに、不特定多数のために歌っているフリをし続けているなんて馬鹿みたいだなぁ、と思いながら。


 そんな僕を見た望月さんは、



「熱中出来るものがあるっていいね」



 と呟いた。退屈だと。つまらないと囁く声とは、言葉の熱量が違っていた。



「ないの? 熱中出来るもの」


「ない。何にもない。毎日虚無って感じぃ」


「……そう」


「…………モブくんはこーゆー時、これ以上何にも聞いてこないからつまんない」


「聞かれたかったの?」


「ううん。別に」


「そう」



 何も言えなかった、つまらない僕は、またべんべんと弦を弾く作業に戻った。



 1番好きなのは絶対的に僕だよ、と

 口にしたら死んでしまう気がしたから



 声に出さないように心で歌った。



「文化祭、ちゃんと来る?」


「……来て欲しいの?」


「当然」



 じゃなきゃ誰のために歌うんだ、僕は。



「…………まぁ、文化祭とか、マジつまんなくて暇だし。仕方ないから行ってもいいよ」



 パッと望月さんの手を見る。自傷はしていなかった。それならこれは本心だろうか。


 それだけで満たされて、続ける予定だった言葉を飲み込んでしまった。……死んでしまうなら今日が良かった。今日に、するべきだった。











 そんな毎日を過ごしているうちに、時間というものはあっという間に過ぎる。



「……よっしゃ、やるか!」


「おう!!」



 文化祭当日。いつもはサボり上等な軽音部も、文化祭マジックにうかされて熱くなっている。


 僕達のバンドはトリを務めることになっていた。後輩達のバンドが煽りを入れながらステージを盛り上げるのを、心臓の鼓動のピッチを上げながら聞いていた。


 あの歌を歌う時間が近づいてきている。


 君のためだけに歌う、だなんて痛いだろうか。またつまらないと言われるだろうか。


 それでも、僕は。



「よっしゃ、行くぞ!!」



 幕が上がる。歓声が聞こえる。


 真っ黒な頭だらけの中に咲く一輪の白い花みたいに、望月さんは舞台のセンターに座っていた。綺麗な白髪がサラサラと揺れた。


 好きだ。好きだから。



「まずはこの曲っ!」



 誰よりも意地っ張りで寂しがりな、君のために歌いたい。








 音を重ねる。夢中でピックをかき鳴らす。


 練習の甲斐あって大きな失敗をすることなく前半が終わった。一度休憩を入れてから、トリとして最後にあの曲をやる。伝えたかったことを歌う。


 そう思うと舞台を降りてからの方が緊張がすごくて、もう9月だというのにやけに汗を書いていた。



「おつ〜〜。モブくんのわりに、そこそこ良かったじゃん」


「ありがと」



 顔を上げる。ニヤリと笑った望月さんが立っていた。どうやら飲み物を差し入れに来てくれたらしい。



「……なに、そんな珍しいな、みたいな目で見ないでよ。ただクラス当番サボる口実にしたかっただけだし」


「へーー、そっか」


「ニヤニヤすんな。……にしてもあれだね、このセットも自分で組んでるんでしょ。すご」


「いや、ホント頑張った。年一でしかこの舞台セット出さないからさ、ネジみたいなとこが錆びちゃってて」


「なら私も呼んだら良かったのに」


「……なんで?」


「手伝ってあげたのにってこと。は〜〜、モブくんは物分かりが悪くて嫌ですね」


「待って、今の僕が悪いの?」



 僕の問いに、べー、と舌を出した望月さんはひんやりとしたポカリを置いて客席へ戻っていった。



「あ、そうだ。頑張ってね後半戦。仕方ないから最後までいて────っえ?」



 振り返って、笑って、その一瞬。



「っ危ない!」



 ガシャン、と派手に音を立ててセットが崩れた。その衝撃で、固定していた板が落ちてくる。



「……っ大丈夫?」


「…………わた、しは大丈夫、だけど」



 右腕がじんじんと痺れている。それでも望月さんが大丈夫だと言った瞬間、痛みが吹き飛んだ気がしたからきっと大丈夫だろう。


「大丈夫か!?」とバンドメンバーの焦るような声が聞こえてすぐ、みんなで協力して板をどかしてくれた。


 全く、こんなことになる可能性は今まで十分にあったのだから、早く新しい舞台セットを買うべきだと会計と顧問に訴えなければ。


 咄嗟の判断だったけれど、急いで駆け寄って良かったな。そのおかげで望月さんは怪我をしていないわけだし、僕は────



「おい海斗、お前、腕……」



 ベース担当のやつの声に弾かれるように腕に視線を向ける。


 打撲傷。板を受けた右腕は、見事な紫色に変色していた。



「あーー、大丈夫大丈夫。あとあの曲やるだけだし、アンコールやらなければ……っ」


「いややめとけって! 来年もあるんだしさ、今年はここで終わりってことでさ」


「でもこの曲は今年しか──ッ」



 今年しか、望月さんに響かないかもしれない。


 来年はもう殺されているかもしれない。


 いつ日常に飽きて死んでしまうか分からないのに。こんなに好きなのに。好きと伝えて死ぬことすら出来ないままいるぐらいなら、腕が壊れた方がよっぽどいい。



「別に見た目ほど酷くないからっ!」


「ダメだろ。これはどう見ても、」


「でもそれじゃ、お客さんもメンバーも!」


「じゃあ、私に出させて」



 飛び交う叫び声の中に、場違いなほど透き通った声がヒンヤリと通った。



「私がやるよ、その曲。モブ君の想い全部持って、君の代わりに私が弾いてくる。いつも君が練習してたの聞いてたから、なんか出来る気するし」


「や、え、望月さ、」


「君がそれだけ必死に言うってことはさ、どうしても今年がいいんでしょ。メンバーに迷惑かけたくないんでしょ。……なら私がやったら問題ないよね? モブくんが怪我しちゃったのは私のせいだし、私が責任取るよ」



 変に説得力のある言葉だった。


 だって、きっと出来てしまう。望月さんなら出来てしまう。きっと。天才だから。


 でもその曲は望月さんに届けたかった歌で、必死だったのはそのためで、でも周りに迷惑はかけられないし、メンバーだってやりたかったはずだし、腕は痛いし、でも、あぁ、クソ……っ!!



「行ってくるね、モブくん」



 望月さんは、普段の存在感からは信じられないほど、今にも消えてしまいそうなほど儚い笑みを浮かべて、何かを堪えるように舞台へ上がっていった。


 歓声が聴こえる。メロディラインが響く。あれだけ練習したのに、望月さんの方が上手いのはもうさ、犯罪だろ。


 悔しい。虚しい。痛い。どうしたらいい?


 色んな気持ちが胸に突き刺さるけど、結局言いたいことがこれしか浮かばなかった僕は、完全に望月さんに蝕まれてしまったんだ。


 ただ僕は、望月さんにあんな顔をさせたかったわけじゃないのに。









「モブくん。腕の具合、どう?」


「……どうと言われても」


「だ、だよね。そりゃ、そうだよね……」



 望月さんはしょっちゅうお見舞いに来た。あれほど毎日がつまらないと言っていた孤高ちゃんは何処へ行ってしまったのか、面白くもない冗談を言って、無理に明るくして、何かしらお見舞いの品を置いて帰る。


 そして、いつも何かを言いかけて、苦しそうにその言葉を読み込んで去っていくのだった。



「でもちょっと複雑骨折しただけで、治ったらすぐ日常生活には戻れるらしいよ。ギターも弾けるらしいし」


「そっ、か」



 望月さんは途端にほっとしたような顔をした。やはり1番気にかかっていたのはそれらしい。



「それは、良かった。私、モブくんのギターそこそこ好きだったし。来年こそあの曲弾いて──」


「もうやらないけどね」


「……え?」


「ギターはやめることにしたんだ」



 彼女はポカンとしたような顔をした後、この世の絶望でも見たような顔をした。いつもどこか自信満々な彼女の初めて見る顔だった。



「あ、ぇ……ごめ、」


「別に望月さんのせいじゃないよ」



 ただ、自分が嫌になってしまっただけだ。自分に失望しただけだ。


 あの時望月さんに背負わせて、救うどころかより重たいものを持たせてしまった僕がギターをやるということが、許せないだけだ。これからギターを弾くたびにあの無力感を思い出すのなら、ここで辞めてしまいたい。


 そんな想いを込めて微笑んだ。



「だから、気にしないで。望月さんは本格的にギター始めたらいいと思うよ。すごく上手だったじゃん」



 望月さんの綺麗な目からつぅ、と大粒の涙が流れる。喉を絞ったような声だった。



「……っそか、そうだよね。あははっ、ごめんね。私なんて存在しなければ良かったね」


「そんなこと、」


「私のこと、一生許さなくていいよ。これからずっと償って生きるから、責めて責めて呪い殺すぐらい、だから、えっと、モブくんは、君は、私を、私のことッ」



 泣き叫ぶような声でそう言った望月さんは、キッと僕のことを睨んで、強引に涙を拭って、その態度とは裏腹に、グルグルと包帯の巻かれた腕を優しくなぞった。



「…………やっぱ、全部嘘だから忘れて。これまでのことは全部、冗談ね。バイバイ、モブくん」



 そして、ぐしゃぐしゃの泣き顔でそう呟いた望月さんは、バタバタと逃げるように病室を出ていった。望月さんの細い腕は、内出血になりそうなほど強く握られていた。


 この時僕は、どうしたら良かったのだろう。


 ────死んでしまいたい、と口にする彼女の代わりに死んだっていいぐらい、望月さんのことが好きな僕は、このとき。

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