第21話『前話の二人の気遣いは無駄だった』

 朝、時計が七時半を回った。そろそろ起きなくては学校に遅刻してしまう。

 なのにすみれは未だに起きてこない。夜ふかしでもしたのだろうか。

 起こそうと思い菫の部屋の前まで来たものの、思いとどまってしまう。

「待てよ、これ良くないのでは?」

 女子が眠る部屋に入る男子。

「まぁ、僕だしなぁ」

 そう言い訳してノックする。返事はない。

 仕方がないので扉を開ける。ベッドの上には無防備な姿の菫がいた。

 電気をつけると、菫も目を覚ましたらしくもぞもぞと動き出した。

「そらぁ、おはよ〜」

「おはよ…って、顔真っ赤じゃん。熱?」

「あー、かもしれない。きのうぬれちゃったからなぁ」

 最近雨が多い。昨日も雨だった。どうやら桃葉と遊びに行って、帰る途中で雨に降られたらしい。

 僕は体温計を取り出して渡す。

「ん、ありがと」

 画面を覗き込むと、そこには38.6の文字が。

「今日は休んだ方が良さそうだね」

「うん」

「僕も休むよ」

「え⁉︎ なんで? ねぇ、なんで?」

 心配そうに訊いてくる。

「ほら、一緒に住んでる人が調子悪かったら休まないと」

「わたしたちのせかいでは、コロナははやってないよ⁉︎」

 とはいえ、病人を一人家に残すというのも気がひけるしな…

「いーから! いきなさい!」

 菫は僕の足を押すが、力が弱すぎてよろけもしなかった。だけど、その意図はわかったから、彼女に従って学校に行くことにした。

「何か食べたいものあるか? 帰りにでも買ってくる」

「ぷりん!」

「わかった。大人しく寝てなよ」

「はぁい。はやくかえってきてね?」

 もちろんだ。


「ということだ。悪いけど、放課後は早めに帰らせてもらうよ」

 今日はどうやらクラスの数名で遊びに行くらしい。僕もじんから誘われたが、丁重にお断りした。

「ああ、分かった。でもお前、わざわざ一緒に住んでるってだけで言うこと聞く必要ないよな? まさか恵良えらのこと…」

「だとしたら休んでるわ」

「そうか〜。あ、俺電話しなきゃいけない相手がいるから席外すぜ」

蒼桜あおか? 変な嘘教えるなよ」

「違う違う。それに、本当のことしか言わねぇよ」

 と立ち去る友人の背を見て、怪しいと思うのは僕だけではないだろう。


 放課後、その予想は的中することになる。

「あれ? ソラじゃん。今からソラ達ん家行くんだけど、一緒に行こー」

「あ、ごめん。今日は家上げんのキツいかも。菫に伝言とか渡すものとかあったら僕が代わりに…」

「あぁ、スミレが風邪で寝てんのは知ってるから。お見舞いだよお見舞い。ジンに教えてもらったの。あいつ最初はヤなやつだったけど、知りたいこと察して教えてくれるとことかは良いよね」

 そこは賛同。

 どうやら彼女は仁にお見舞いに行くよう言われたらしい。僕が人手を欲しがっているとでも勘違いしたのだろうか。彼が察し間違えるなんて珍しいこともあるものだ。

 彼の間違いであったにせよ、せっかく来てくれたんだから無下にはできない。

「分かった、そしたら上がって。会えるかどうかは菫の体調次第だけど」

「はーい、お邪魔しまーす!」

 桃葉ももははまるで気にしない様子で家に上がると、真っ先に階段を上っていった。目的は分かっている。

 僕も彼女の後を追った。


 扉の向こうから声が聞こえる。どうやら菫は起きてるらしい。

「スミレ、平気? 飲み物買ってきたよ」

「ん、ありがと」

「なんか食べたいものある? 作るよ」

「んー、いまはいっかな。それより、へーき? あんまりちかいとうつるよ」

「へーきへーき。そっか、じゃあ食べたくなったら言ってね」

「え、まだいるつもり?」

「うん! 元気になるまで一緒にいてあげるから!」

「ありがと。でも、むりしないでね。あ、そらもいるの? かぎ、かかってたでしょ」

「あーうん。いるよ。遅いね」

「二人が楽しそうに話してるから入るには入れなかったんだよ」

 その言葉を聞いてようやく入室。人の話に割り込むのは苦手だ。

「ほら、プリン。あとは…なんか食べた方がいいだろ。一日飲み物だけってのもアレだしな。おじやなら食べれる?」

「う、うん! ありがと」

「じゃあ作ってるから、桃葉とおしゃべりでもしてろ。それと桃葉、マジで感染うつったら洒落にならないからドア越しにな」

「やだ」

 風邪をひくと幼児退行する人がいるとは聞いたことがあるが、風邪をひいてもいないのにそうなるとは、どうなってるんだ桃葉。

「ウチもご飯作る」

「え…あ、いや。一人でもすぐに終わるから待ってろって。桃葉の分も何か作ろうか?」

「ウチも、ご飯、作る!」

 仕方ない。病人の前で揉めるのも嫌だしな。


「ルールは簡単。スミレに食べさせて美味しいって言われた方の勝ち。勝った方にはつきっきりでスミレを看病する権利」

 桃葉が突然そんなことを言い出した。そんな勝負に参加する気はなかったが、桃葉がいると調子が狂う。このルールを利用して帰ってもらうのも手だろう。

病人すみれに元気になってもらうのが一番の目的だって努努ゆめゆめ忘れるな」

 そして、僕と桃葉の料理対決が始まった。


 20分後…

「スミレ。あーん」

「は、はずかしいよ…」

「だーめ。病気の時くらい恥ずかしさなんて忘れちゃいな」

「………あ、あーん」

 桃葉が差し出したおじやが、菫の口に吸い込まれスプーンの上から消えた。

「はふっはふ、うん。おいしい」

「良かった〜」

 菫の食事シーンなんて今までまじまじと見つめたことなかったが、病人のそれはなんだか卑猥だ。特に過剰分泌された唾液。

「じゃあこっちも。あーん」

「…ん、こっちもおいしい。それで、どっちがどっちをつくったの?」

「どっちの方が美味しいか教えてくれたら教えてあげる」

「ん…じゃあ、こっち」

 彼女が指差したのは…

「帰る。またね」

 桃葉は突然立ち上がると、荷物を抱えて勢いよく部屋を飛び出した。

『スミレに食べさせて美味しいって言われた方の勝ち。勝った方にはつきっきりでスミレを看病する権利』

 バカ野郎。

「そら、おいかけてあげて」

「でも菫は…」

「わたしはひとりでもへいきだから」

 と菫は笑った。

「ごめん、すぐ戻るから。早く風邪治して、また桃葉と遊びに行こうな」

「うん!」

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