プロローグ二『同棲まで何があったのか:菫の場合』

 中学を卒業してから高校までの隙間。短いようだけど意外と長い。だから、こんなことも起こっちゃったりする。

「あら、蒼空そら君ももう高校生なのね。蒼桜あおちゃんも可愛くなって。ふふっ」

 わたしがリビングに入ると、お母さんはスマホを見ながらニコニコしていた。

「そのセリフだけ聞くと犯罪者のそれなんだけど、何見てんの?」

すみれ。これよこれ」

 お母さんが見せてくれたのは数枚の写真。他愛もない家族写真なのだが、特に目を見張ったのが息子らしき少年だった。

「えっ、誰これ。カッコいい…」

「あ、この子? わたしの高校の時の友達の息子さん。菫と同い年なのよ」

 お母さんの高校の時の友達の息子はイケメン…!

「お母さん、一生のお願いです! わたしにこの人を紹介してください!」

「え、まぁいいけど、向こうに話つけてからね」

 お母さんは少し困ったような顔を見せたけど、すぐに承諾してくれた。その代わり、彼と会うための交渉に一緒に行くことになったけど。


 彼の家はわたしの家からそれほど離れていなくて、お互いの最寄駅の間は二駅だ。

 でも、学区も違うし今まで会ったことはない。すれ違ったことくらいならあるかもしれないけど。

 ピンポーン

「はーい。あ、初めまして。母がお世話になっております。娘の市東いちとう蒼桜です。お話は伺っております。母の友達の恵良えらかえでさんと、娘の菫さんですよね。どうぞ、お上がりください」

 しっかりした娘さんが出てきた。育ちは良さそうだ。

「お、お邪魔します」

「あ、これお菓子です。よかったらみんなで食べてね」

「はい! お気遣いありがとうございます。用意しますね」

 そそくさと奥へ消えていく蒼桜ちゃん(さん? 様?)。わたしたちは後を追うようにして市東家に足を踏み入れた。


「それで、本日は何の御用件で?」

 しばらく雑談した後、蒼桜ちゃんがその話題を振ってきた。今日は両親がいないこと。蒼空君も帰りが遅くなること。だから今日は自分が接客しているということ。[まぁ、菫さんが相手ですからね。私が直々に話しておきたかったんですよ。でもいいんですかね。私は主人公じゃないのに、どっちのプロローグにも出て。あ、時系列は向こうの方が後でしたね]なんておかしなことも言ってたけど、悪い子じゃなさそうだ。

「お、お母さん」

「菫。自分で言いなさい」

 はぁい。

「あの…お宅のお兄様をわたしにくださいっ!」

「いいですよ」

 即答っ!

「ひ、飛躍しすぎじゃない? ほら、紹介してくださいって話じゃ…」

 お母さんは慌てふためいてるけど、蒼桜ちゃんは至って冷静だ。

「いいですって。菫さんみたいな可愛い方にもらっていただけるなら妹冥利につきます。本人の意思を蚊帳の外にして婚姻届既成事実サイン作成したいところですが、一点問題がございます。蒼空兄は『アセクシャル』です」

「「アセクシャル?」」

 わたしたちが揃って首を傾げると、蒼桜ちゃんはそれを予想していたように言った。というか、年齢も問題あると思うんだけど…

「アセクシャルとは、他者に対して『恋愛感情』も『性愛感情』も抱かない人のことです。要するに、蒼空兄は誰ともお付き合いしないしエッチしないし結婚しないということです。ここでお一つ質問よろしいですか?」

「う、うん。なんでもどうぞ」

「菫さんはエッチをしたいと思いますか?」

 ちょ、直球な質問だ…

「やりたいのなら、他を当たっていただくしかありません。うちの兄じゃ、期待には応えられないので」

 やりたいけど、そう言ったら蒼空君とは付き合えない…わたしは黙るしかなかった。答えなんて、すぐには出せない。

 そんなわたしを見て、お母さんが質問した。

「でも待って蒼桜ちゃん。アセクシャルってのは、『性愛感情』と『』がない人のことなんだよね?」

「はい」

「なのになんでその…エッチのことを諦めろって言うのに、付き合うことを諦めろとは言わないの?」

 た、たしかに。盲点だった。

「いいところに気が付きましたね。蒼空兄は『アセクシャル』だと自称していますが、少しばかり複雑です。蒼空兄はとある事情から『エッチ』に対する嫌悪感を持ち、下ネタなどのそれに関連することにも否定的です。ですが、昔は恋愛小説もよく読んでいました。彼に『恋愛感情』はあるはずなんです。でも『性愛感情』はない。つまり本来は『ノンセクシャル』なんです。でも今は『将来の夢は享年=彼女いない歴』とかほざいてますけどね。彼は本当はノンセクシャルです。なので、人とお付き合いすることにエッチ程の嫌悪感はないでしょう。ですが…問題なのが解釈の拡大です。彼は恋愛感情と性愛感情を同じものとして見ています。人とお付き合いしたらエッチをしなきゃいけないって。だから、その誤解を解いてあげてください。そうすれば…蒼空兄の意識をアセクシャルからノンセクシャルに変えられれば、お付き合いは可能です」

「なるほど…で、菫。答えはどうなの? あ、デリケートな話だからお母さんの前でしたくないか。蒼桜ちゃん、お手洗いはどこかな?」

「そこの扉から出てすぐ左の扉です」

「ありがと」

「行かなくていい行かなくていい! 蒼桜ちゃん。彼がわたしの理想なの。今まで見つからなかった理想なの。だから、それに比べたらエッチくらい、別にどうでもいいって、思える」

「大丈夫ですか? 無理してないですか?」

「うん!」

 わたしの返事を聞くと蒼桜ちゃんはフッと嬉しそうにはにかむと、言った。

「わっかりました! では、ここで一つ提案があります。調べた情報によると、お二人はこれから同じ高校に通うそうじゃありませんか。まぁ、なんてご都合主義。利用させていただきますよ。ということで菫さん。あなた、蒼空兄と一緒に住んで、蒼空兄がエッチなことを克服するのを、手伝っていただけませんか?」

「え、えぇぇぇぇぇっ!」

「蒼空兄のノンセクシャルのアセクシャルへの拡大は蒼空兄のひいてはうちの問題です。本来なら、うちの問題を他人に任せることはできません。『問題児が市東家から来るそうですよ? YES! 菫が呼びました!』なんてことが起きるわけにはいかないんです」

「な、なるほど?」

「しかし、蒼空兄がノンセクシャルになることは、菫さんにとっても大変なメリットがありますし、私や母の月詩つくしそして楓さんが菫さんにそのための手段を差し上げると言っているのです。さぁ! さぁ! どうします?」

「うーん。でも、」

「同棲ですよ。同棲。菫さんは恋愛系のお話が好きと聞きました。同棲系もたくさんあったんじゃないですか? 夢に見たあのシュチュやこのシュチュを好きな人と一緒にできる。サイコーじゃないですか?」

「で、でも同居でしょ? 同棲はほら、婚約してる人たちがするものじゃ、ないの?」

「菫さんが結婚する気ならそれはもう婚約ですよ。同棲です。それに、あらかじめ同棲って言っておけば、既成事実によってお二人がお付き合いひいてはご結婚される可能性が高まるとは思いませんか?」

「そ、そうかな…」

 なんか丸め込まれた気がする。

「お二人のゴールインの妨害をするものをお掃除しながら、相手の人となりを知れる。一石二鳥ですっ! どうですか?」

 なんか訪問販売みたい。クーリング・オフは対象外なんだろうな〜。

「か、考えてみるね」

「わたしはいいと思うけどな。でも、ちゃんと自分で決めなさい。お父さん親バカには黙っとくから」

「うん」


 数日後

 結局、承諾してしまった。そっか。ここがわたしの家になるのか。と二人で暮らすにしては大きい新居を眺めて思う。市東家、意外とお金持ち説。

「お邪魔します!」

「菫さんがこの家に住むんですから、お邪魔じゃないですよ」

 玄関の扉を開くと、目の前に蒼桜ちゃんと…

「はじめまして。市東蒼空。見たまんまの男さ」

「蒼空兄もやっぱり気に入ってるんじゃん。講○社」

 ここで、わたしは写真の彼と出会ったのだ。

 写真で見るよりもカッコよく、雰囲気も優しそうだ。ただ、何言ってるんだろ?

「…あー、うん。はじめまして。恵良菫です。恵まれた良い菫で恵良菫。よろしくね!」

 あなたが好意に応えられなくても、わたしはあなたが好きだから。

 この同棲で好きになってもらうしかない。


 

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