第1話 水を汲む新入り。汲ませる見習い。



「屋根にかける為の水汲みなんて、どうかしていますわ!」


 荒い息を吐きながらでも口から悪態が出るのだから、体力的にはまだ平気なのだろう。

 細い腕で、フォークと扇子くらいしか持ったことのなさそうな綺麗な指で、半分ほど水を汲んだ桶を運んできた少女が睨みつけてくる。



「屋根つる草は元々水草ですから」


 今さらだけれど、この少女は物を知らない。

 町では屋根に草を生やしている家がないと言うから、ただ彼女が愚かだというだけではないか。


「天気が続けば枯れてしまいます。枯れたら雨漏りします。まずあなたのお部屋から」

「どうしてわたくしが屋根裏部屋なんて」

「空いている部屋がないからですよ。納屋で森羊たちと一緒がいいですか?」


 フラァマの質問に、睨みつけてくる瞳が強く歪んだ。

 不当な扱いだとでも言うのか。定員外の居候のくせに。



「屋根つる草は一定量の水を溜めて、あとは水を弾いてくれます。水の量が不足すると葉を小さくしてしまうので隙間が空くんですよ。だから屋根に水やりです」

「畑の分の水やりもやりましたわ。昨日だって」

「天気が続くのだから当然です。野菜も香草も水がなければ十分に育ちません」


 言われないとわからないのか。やはり彼女が格別に愚かなんだと思う。


「人でも動物でも水がなければ干からびます。畑の野菜は自分で水を取りにいけないんですから」

「そうではなくって!」


 だん、と桶を置いて彼女がフラァマに詰め寄った。

 おでこ分だけ背丈の高い相手だから、負けないように肩を張って向き合う。舐められてはいけない。



「昨日も一昨日もわたくしが水汲み! あなたはぼんやり!」

「失敬な」

「わたくしばかりに押し付けているじゃありませんの!」


 大きな声で文句を言われるのは初めてだ。

 つまりこちらの作戦は成功。元気を取り戻したとお師様が帰ったら褒めてもらえるだろうか。



「それだけ元気ならまだできるでしょう。桶の半分もないんじゃ足りません」

「わたくしはもう疲れました! 下男のような扱い、あなたがやりなさい!」

「下男のような仕事と言いますが」


 ずい、と。半歩詰めた。

 既に十分に近かった距離が、息遣いも感じられるくらいに近く。

 詰められた相手がわずかに後ずさる。それでいい、要は家畜の相手と同じ。軽んじられたらいけない。



「家を失ったあなたはもうお嬢様ではありません。役割を果たさない人に食事は与えません」

「う……」

「あなたが朝食べたスープは誰が用意しましたか、ルーシャ?」

「……フラァマ」

「私がどうやって食料を用意していると思いますか、この森の中で?」


 片手を横に、彼女――ルーシャの視線を促す。

 森の中に存在するこの家の周囲の畑を。



 深い森の中の一角。古びた家と周辺だけ開かれている。

 屋根に草を生やした家。先述の通り防水の理由もあるし、夏場の日差しや冬の寒さを軽減する効果もあった。


 周囲の草花は、勝手に生えているものもあるけれど、多くは食用だったり薬になるものも。

 人里から離れたここでは物の売り買いも交換も出来ない。ほとんどの物を自給自足しなければならない。


 周囲の木々に統一感がないのは森なのだから当然だけれど、選別して伐採したところもある。

 蜜を取る木もあれば家の補修に使う木も。周辺が同じ植物ばかりにならないように。

 森の中で暮らすのだから、森とうまく付き合っていかなければならない。



 見渡したルーシャの瞳に今朝も食卓に並べたのと同じ種類の野菜が映るのが見えた。


「畑で……」

「ええ、この畑や森で。森羊たちの乳から作ったチーズだって」


 背丈はフラァマより大きいけれどルーシャは何も知らない。

 食事の用意も出来ないし家畜の世話もやったことがない。今着ている服だって、どうやって着るのか尋ねられたくらい。

 くるりと全身に巻いて右肩で止める。後は腰帯で締めるだけなのだけれど。それだけなのかと驚かれた。



「あなたはもうシルワリエス家のお嬢様ではありません」


 もう一度、自覚させる為に言葉にする。自分の立場を。


「働かない人に与えられる食事はありません。わかりますか?」

「それは……わかっていますわ。でも」

「この時期、天辺の葉に緑の波紋が浮かんでいると、風味に強弱がある椒白の実が出来ます」


 ここ最近私がよく見ていた小振りな木々を示した。



「与える肥料の加減を変えたりしますが、あなたに見分けができますか?」

「……」

魔里参まりさんは野生でもよく育つ根菜ですが、魔法薬用に改良されているこれは大きさで成熟が測れません。赤味が十分になったら採取しますけど、遅れると他の植物の成長を妨げます。判別できますか?」


 食事の他に魔法の薬にもよく使う魔里参は今も数十ほど植えられている。

 白っぽさが残るものから朱色、赤色と。

 赤いからと採っても中は白味が残っていたりして、見極めは少し経験が必要だ。



「……わからないわ。やったことないもの」

「ええ、やれなんて意地悪は言いません」


 意地悪なんて言わない。フラァマは姉弟子なのだから。


「森羊の乳だって、あなたが起きる前に私が搾っています」

「そ、それなら私だって」

「やめて下さい。力任せにやって蹴られるだけです」


 お師様に留守を頼まれているのだ。

 予告なく引き取ることになったというルーシャに怪我をさせるわけにはいかない。



「だいたい水汲みだって、あなたの湯浴みの為にする方が多いでしょう。ルーシャ」


 水浴びでは嫌だと文句を言うルーシャの為にたらい一杯のお湯を用意する。

 フラァマも使うけれど。せっかくだから。



「ここは森の魔女の家。育てている草花は魔法薬に使う貴重なもので、世話には注意が必要なものが多い。お師様がいない今誰がやると思いますか?」

「……フラァマ」

「あなたが今出来ることは、ルーシャ?」

「わかったわよ、もうっ」


 ふんっとそっぽを向いて、持ってきたのとは別の空の桶を持って井戸に向かった。


「汲んでくればいいんでしょ!」

「ええ、そうですよ」


 地面を強く踏み歩く背中を見送って息を吐いた。



  ◆   ◇   ◆

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