第38話 帰還

 宿屋の代金を払い、アルヴィス達は急いでガリキア街南口へ走り出した。もちろん支払いはエリザベスである。




 せめて王都までの馬車代金は自分が払おうと思ったアルヴィスは、運良く馬に餌を与えている御者を見つけ、エリザベスにそれを指差し教え走り近づく。




「おっさん! 悪いが急ぎで王都まで乗せてくれないか!?」




「なんだいきなりっ!? ――坊主達、王都までってちゃんと金は持ってるのか?」




 後ろからいきなりアルヴィスに声を掛けられた御者は、肩をビクッと震わせ振り向くと、彼らのボロボロの制服を見るなり危ぶんだ顔をして訊ねてきた。




「おじ様、お金ならちゃんとありますから馬車を出してもらえないでしょうか?」




 エリザベスがアルヴィスの一歩前に出ると、懐から財布を取りだし、相場の倍の額を見せながら頼む。




 身なりと違い金を持っていたことに眼を一瞬見開いた御者は、目の前の美少女にデレデレとしながら腰を上げ、出発の準備を始めた。




 相場の倍となると50万ゴールドはするはずだ。そんな大金を持っているのに、先程宿屋ではあまり持っていないということを言っていたことを思い出したアルヴィスは、エリザベスとの金銭感覚があまりにも違いすぎて内心酷く驚いていた。




 朝食に行かなくて良かったかもと思いつつ、アルヴィスはエリザベスに続いて乗車した。




 暫くすると、アルヴィスは御者に身を乗り出すように話しかけた。




「おっさん、俺たち急いでるんだが、どのくらいで着きそうだ?」




「あーそうだな。走りっぱなしで急いでも2日はかかるぞ?」




「そこをなんとか1日にできねぇーかな」




「おいおいっ、無茶言うんじゃねェよ坊主。急いでも2日は絶対かかる。これより速くってんなら、運良く竜車がアレスティアにあること願って下りるこったな」




「ならアレスティアまででいい、全速力で向かってくれ。そこまでならもっと速く行けるだろ?」




「……まぁ、アレスティアくらいまでならもう少しはな。でも坊主、ちゃんと貰うもん貰うぞ?」




「ああ、もちろんだ」




(それくらいなら、俺の手持ちでもなんとかなりそうだしな)




 アルヴィスは財布から全ゴールドが消えることを内心で涙しながら覚悟した。




「ねぇ、何を話してたの?」




 席に戻ったアルヴィスに、エリザベスが顔を近づけ話しかけてきた。




 かなりの速度で走っているため、音がうるさく会話しづらいのだろう。




 顔の近さにどきまぎしつつ、アルヴィスは顔を向き合わせた。




「王都までじゃなくて、アレスティアまで全力で走って貰うことにした」




「えっ!? じゃあどうやって王都まで行くのよ!?」




「それなんだが……――悪いが俺がエリザを担ぐことにした」




「え? ごめんアルくん、私今良く聞こえなかったんだけど?」




「だから、俺が、エリザを担いで、走る!」




 アルヴィスはエリザベスがわざと聞こえなかったふりをしていることに気付かず、今度はゆっくりと手振りをつけながら伝えた。




 するとエリザベスは諦めたように溜め息を吐くと、元いた位置に戻った。




 そして眼を瞑るとなぜか魔力を纏い始める。




 アルヴィスはその行動になんの意味があるのか分からず、ただ魔力の無駄遣いとしか思えなかった。




(絶対アレスティアに着くまでに体重落とさなきゃ!)




 もともと炎系統の魔法を操る彼女は、その性質からか基礎新陳代謝の機能が高い。なので身長から考えた平均体重や、ましてや同世代の女性の平均体重から考えても十分に軽いのだが、そこは乙女心というやつだ。少しでも意中の相手にはよく思われたいのだろう。




 こうして綺麗な夕焼け空が広がる頃、アルヴィス達を乗せた馬車が無事アレスティアまで着いた。




 交渉通り相場の倍の額、10万ゴールドを支払ったアルヴィスは、エリザベスと共に下りた馬車を見送ると急に屈伸運動を始めた。




「さてと、そんじゃまあ、いきますかね――よっと!」




「きゃっ!?」




 準備運動を終えたアルヴィスは、勢いよくエリザベスを肩に担ぐ。




 まだ心の準備どころか声もかけることなくいきなり持ち上げられ、エリザベスは小さく悲鳴を上げた。




「ちょっとアルくん! 君ねぇっ、スカートの女の子をいきなり肩車するかな!?」




「ん? おんぶの方がよかったか? でもそれだと顎が肩に当たって外れるぞ?」




「そういうことじゃないよっ! もぉーっ!」




 肩の上でジタバタと暴れていたエリザベスだったが、観念してアルヴィスの頭に軽く手を添える。




 それを確認したアルヴィスは、身体強化と多重加速魔法――正しくは時間操作魔法だったが――をかける。




「エリザ、もっと姿勢を低く。俺の頭にかぶさるくらいでいいぞ。風圧で飛ばされちまう。それとエリザも強化しといてくれ。全力で俺に掴まってろよ。いいか? いくぞ?」




「え? う、うん」




 エリザベスは言われた通り身体強化をした状態で改めてアルヴィスに掴まり、前傾姿勢になる。




 胸がアルヴィスの頭に触れている体勢になるが、彼はまったく気付いてはいない様子だ。だが当の本人のエリザベスは頬を赤らめている。




「――出発ッ!」




「うわぁ――っ!?」




(くッ、すごい風! 身体がもっていかれるっ)




 駆け出したアルヴィスは一瞬で時速200Kmは出していた。彼はこれでも速度を抑えている方だが、その速度に肩のエリザベスはしがみつくことに精一杯だ。




 数分その速度で走っていると、ふいにアルヴィスがエリザベスに声をかける。




「この体勢にも大分馴れたから、そろそろ速度を上げるぞ?」




「えっ? なに? もう一度言って? ――きゃっ!?」




 お互い風で上手く声が聞こえないまま、エリザベスの返事を待たずに速度を上げるアルヴィス。




 優にその速度は時速300Kmは越えていた。




 手を離しそうになるエリザベスは、さらに魔力を高め掴まる力を強める。そしてその姿勢は胸が触れるほどではなく、完全に乗っていた。




 さすがに気付いていたアルヴィスだったが、指摘しては無粋というものだ。




 気付かず走っているふりをして駆け続けたのだった。














「まだ1寮の代表者は揃わないですか? アンヴィエッタ教授」




「申し訳ございません、学院長。ですが必ずあの子は来ます。もう少しだけ待っていただけませんか?」




「それでは、あと1時間だけです。12時まで待ちますが、それでも来なければ代理を用意しなさい」




「わかりました」




 学院長と呼ばれる白髪白髭の老人は、髪はオールバックに流し髭は長さを残したまま綺麗に揃えられている。




 体躯は標準だが、70歳は越えている見た目からは予想外に背筋が曲がることなく伸びスラッとしている。




 その片手に杖を持つ老人は、紳士と呼ぶのが相応しいだろう。




 この紳士こそがこのラザフォード魔術学院の学院長にして、魔術国家、ラザフォードの公爵――つまり、国王である。




 学院長室から出たアンヴィエッタは、その扉を閉めると背を預け溜め息を吐いた。




「もう待てんぞ坊や……。早く戻ってこい」




 アンヴィエッタは眼鏡を直すと、講義棟最上階の学院長室から、自室がある1寮へ向かった。




 講義棟にある教務室では気が休まらないのだろう。




 アンヴィエッタは1寮に向かう道すがら辺りを見渡すと、どんどんと各所から貴族達が馬車や竜車で到着してきていた。




 これだけの領主たちが一堂に集まるのは年に何度もあることではない。




 領主がいなくなるということは領土を狙われやすくなるということだからだ。




 だが、国王直々の召集令を無視することのできない領主達はこの時だけは手を出さないのが暗黙のルールとなっていた。




 自室に着くと、いよいよ約束の時間まで30分を切っていた。




 その事に苛立ちを隠せないアンヴィエッタは、少しでも早く姿を見るため机に置いていた煙管を片手に玄関前まで行くと、一服して心を落ち着かせる。




 だがそれでも落ち着かないのだろう。小刻みに床を踏みストレスをぶつけていた。




 そして十数分の時が経つ。




「間に合わないか……。まったく、あの子は後で半殺しの刑だな」




 アンヴィエッタが腕時計を見ると、時刻は11時50分を表していた。




 溜め息を吐き、なにやら恐ろしい発言を残しつつ開放する玄関に背を向け、代理の生徒を思案しながら自室へと向かおうとしたその時だった。




 突然彼女の背を突風のようなものが押した。




 アンヴィエッタが驚き後ろへ振り向くと――




「ようっ、先生……。間に合ったかい……?」




 そこには膝に手を付きぜぇぜぇと荒く呼吸するアルヴィスの姿と、彼の肩から下りているエリザベスの姿があった。




「遅いぞ坊やっ!」




 いきなりの帰還に驚きつつ、アンヴィエッタにしては珍しく声を荒げて怒鳴った。




「主役は遅れるもんだろ、先生」




 息を整えながらまっすぐに立ち直し応えるアルヴィスの姿を見たアンヴィエッタは、何が2人に起きていたのか大体察したのだろう。眼鏡を直しフッと息を吐くと言う。




「早くその格好をなんとかしてこい。1時間後が開会式だ」




「おうっ、わりぃな先生」




 アンヴィエッタと擦れ違うように自室へと向かうアルヴィス。




 彼に続くようにエリザベスも自室へ向かう。




「よく戻ってきた、スカーレット」




「えっ――」




 すると、擦れ違い様アンヴィエッタが声を掛けてきた。




「ところで、坊やはあんな状態で大丈夫なのか? 今更変える気はないが、あまりに無様な姿を晒すようじゃ私の面目もないからな」




 アンヴィエッタは照れ臭かったのか、わざとらしく咳をして話を変える。




「たしかにちょっとヤバイかもですね」




「おいおいっ、本当にちゃんとしてくれないと困るのだが」




 アンヴィエッタの質問に笑って返したエリザベスに驚き、いよいよ本気で心配するアンヴィエッタ。




「でも、きっと彼なら大丈夫。なんてったって、私の英雄ヒーローですから」




 そう言い去るエリザベスが残した表情は、今までの彼女と違いどこか垢抜けた笑顔だった。

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