第9話 実技授業

 男が講義室から姿を消すと、周りからは嘆息や男への愚痴が聞こえてきた。どうやら相当に我慢をしていたようだ。




 だがアルヴィスはてきぱきと片付け、教本を講義室角に設置されている本棚に戻すと講義室を出た。気持ちが浮わついているのか、今にもスキップをしてしまいそうな軽い足取りで次の授業場である1寮の演習場へと向かう。




 演習場は各寮に1ヶ所ずつ設置されており、講義や授業で使う場合は担当教授の管理している演習場を使用することになっている。




 つまり、今回の実戦授業を担当するのはアンヴィエッタなのだ。




 アルヴィスは今日の午後の講義時間をすべて実戦授業に割り当てている為、この時間をかなり楽しみにしていた。




 そしてアルヴィスにとって初めての実戦授業の教授をアンヴィエッタの担当する今日にしたのは、自分の寮を担当している教授の実力を1度見ておきたかったからだ。




 それほどにアルヴィスはアンヴィエッタという魔法師を注目しているのだ。




 アルヴィスが1寮の演習場に辿り着くと、場内にはすでに受講者の半数以上が集まっていた。その大半は1寮の学生だ。




 理由は違えどやはりアンヴィエッタの実力は皆気になるようだ。




 程なくすると残りの受講生達も集まり、授業時間になるとアンヴィエッタが時刻丁度に場内に現れた。




「静かにしないかッ、説明が出来ん!」




 アンヴィエッタは姿を現すなり喧騒に包まれた場内を叫び静めようとした。




 その声量に驚いたのか、アンヴィエッタの放つ空気感に気圧されたのか、或いはその両方なのか。学生達は皆一様に静まり返り、アンヴィエッタに注目する。




「ふんっ、言えば出来るじゃないか。次からは私が言わずとも静かに待っていろ」




 アンヴィエッタは場内が静まったことを確認すると、フレームを指で上げ眼鏡を直すと授業の説明を始めた。




「本日で2度目の者もいれば、今日が初めての実技授業となる者もいるだろう。まぁ、私の授業は今年度初だからな、お前達の実力はデータでしか知らん。だから皆同じ初受講者として扱うし、入学時の順位も関係なく行う。わかったな? わかったなら黙ってこのまま聞け」




 ここでアンヴィエッタは言葉を一旦区切り、学生達の反応をチラと窺う。先程のアンヴィエッタが放った強者が持つ独特な空気感が効いているのか、1人として言葉を発するものはいない。




 そのことを確認したアンヴィエッタは再度口を開く。




「お前達には今から2人組になって模擬戦を行ってもらう。相手は誰でもいい、好きに組め。5分でだ」




 アンヴィエッタは説明は以上といったように両手を叩く。それが合図になり学生達は一斉に相手を探し始めた。




 仲の良い者、隣にいる者と皆次々と組になっていく。




 そしてあっという間に与えられた時間は過ぎ、場内にいた50人が24組に分かれていた。




「時間だ、皆相手は決まったな?」




 アンヴィエッタは出来上がった組を確認しながら場内を見回すと、突然顔を覆い隠すように額に手を当て、俯きがちに首を振った。




「〈最下位〉……またお前か」




 アンヴィエッタは生徒の群れの端に独り佇むアルヴィスを発見し、呆れて顔を覆ったのだ。そんなアンヴィエッタの心情を気にもせずアルヴィスは悪びれた風もなく返事する。




「悪いな先生、知り合いがいなくてな。でも先生、俺の他にももう1人いるはずだぜ? 相手がいないやつがよ」




「ん? ああ、そうだな」




 アンヴィエッタはアルヴィスに指摘され初めてそのことに気付く。それほどにアルヴィスのことで頭が一杯になったのだろう。




 残り1名を見つけるためアンヴィエッタは再び場内を見回すと、アルヴィスとは真逆の端にいた1人の生徒が組になっていないことに気付く。




「おい、お前も組になっていないが?」




 アンヴィエッタが話し掛けたもう1人の残った生徒は190㎝近くもある長身に筋骨隆々とした体躯。肌は健康的に焼け黒髪短髪のいかにも力自慢といった風貌だ。




「この俺が恐くて誰も相手をしたくないんですよ、アンヴィエッタ教授」




 確かに彼の言う通り、周りにいる生徒は恐れているのか少し距離を取っているため彼を中心にスペースが空いている。




 そんな彼は両手両肩を上下させまったく、と言わんばかりに鼻で一笑する。




「確かにこの中では序列5位の君の相手を進んでやりたい者はいないだろうな、ロキ」




 アンヴィエッタに少なからず評価されたロキは自身の順位を誇らしく胸を張りながら腕を組む。




「なんならあなたが相手をしてくれてもいいんですよ、アンヴィエッタ教授」




 言葉こそ丁寧ではあるがロキの態度は高圧的だ。




 教授を相手にこの自信と態度は子爵の家柄からくるものなのか学年序列5位からくるものなのか、どちらにせよとても尊敬している者に対するものではない。




 だがアンヴィエッタはロキのそんな高圧的な態度を気にすることなく、ましてや臆することもなくじゃれてきた猫を相手にするように笑い返答した。




「ふっ。それはまたの機会に取っておくとするよ、ロキ。悪いが今回の相手は ──こいつだ」




 アンヴィエッタは話ながらアルヴィスのもとまで歩くと、肩をポンと叩いた。




「なッ!?」




 アルヴィスは自身の肩に手を置いてきた人物に驚きの顔を向けると、何か面白いことを思い付いた子供の様にニヤリと口許が笑っていることに気付く。それは至近距離にいるアルヴィスにしか分からないであろう些細な変化だが、アンヴィエッタには珍しい表情だった。




「勘弁してくださいよアンヴィエッタ教授。そいつを先程〈最下位〉と呼んでましたが……本気ですか?」




 ロキは怪我じゃすまないぞと言いたげな表情でアンヴィエッタに聞く。




「初めに言ったはずだが? 順位は関係ないと。それと──データしか知らんと」




(おいおい先生、あまり挑発しないでくれよ! これから闘やり合うのは俺なんだぜ?)




 アルヴィスは今も肩に手を置くアンヴィエッタに内心猛講義をするが、そんな内情を知る由もない。




「OK……潰す」




 ロキはこめかみをピクピクと痙攣させながら鋭い眼光でアルヴィスを睨み付ける。




「キレさせちゃってるじゃん先生。どうするんだよ?」




「面白いじゃないか」




 アルヴィスは声を潜め相談するも、ロキを怒らせた当の本人のアンヴィエッタはなんとも愉快そうに笑っている。




 アンヴィエッタはずっとアルヴィスの肩に置いていた右手で眼鏡の位置を直すと、アルヴィスに向き直り言う。




「何度私に同じことを言わせる気だい、君は?」




 その表情は君なら分かるだろ? と言いたげだ。




「データ的には彼奴の相手になるってわけか?」




「ふんっ」




 アルヴィスの最終確認にアンヴィエッタは鼻で応える。




「──じゃあ、ちょっとやってみますか」

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