雨男
道に落ちている槍
雨男
空から落ちてくる雨粒に、街を照らすネオンの光が乱反射する。
その中を一台の車が法定速度を無視し走り抜けていった。
「どうしてこうなっちまったんだよ」
車の助手席で、青髪の青年が貧乏ゆすりをしながらつぶやいた。その声色には怖気と、そしていらだちの色が混じっていた。
対する運転席で沈黙を決めていたもう一人の男もまた、ハンドルを人差し指でトントンとたたき続けている。
「しゃあねえだろ。やらなきゃ俺たちは揃って地獄行きなんだ」
「今も地獄に向かってるだろうがよ!!」
青年は頭をかきむしった。
二人の切羽詰まった状況には理由があった。
二人の職業は“何でも屋”だ。
何でも屋はどんな依頼でも受ける。それがやばいブツを運ぶ仕事であっても、要人を護衛する仕事であっても、そして殺しの仕事であってもだ。
この“クライムシティ”で、彼らのような能力のない人間はそれこそなんでもしなければ生き残れない。銃と添い寝をして、目覚めたらターゲットを撃つ。それがクライムシティでの常識だった。
とはいえ、彼らもある程度は仕事を選ぶ。ハナから即死するような仕事は事前に避ける。それもまた、彼らのような人種には必要な能力だからだ。
だが、今回は違った。
「最初は安全な仕事だったはずなのによ……」
彼らが受けたのは、なんでもない……ただの荷物を運び届けるだけの仕事だった。
積み荷もあらかじめわかっていた。アニメーションキャラクター“マジックミスティ”のヒロインであるミスティの十六分の一スケールフィギュアだ。
彼らにとってはただの玩具だが、しかし一部の人間にとっては八桁以上の電子マネーよりも価値があるものらしい。
しかしあくまで運ぶものはフィギュアだ。爆弾でも、薬物でもない。だから彼らは楽観してこの仕事を受けた。依頼料がそこそこ高かったのも理由の一つだ。
彼らは完全に見誤ってしまった。
このフィギュアを巡って、クライムシティの二大勢力であるマフィア達がにらみ合っていたことを。
彼らの車の後部座席には、しっかりと固定された段ボール箱が置かれている。その中身こそが件のフィギュアだ。
彼らはそれを“マルロチェーニ”に運ばなければならない。マルロチェーニはこの街のマフィアの二大勢力の片割れであり、血も涙もない悪鬼のような集団だ。
この組織に、彼らは美少女フィギュアを届けるのが依頼の内容だ。
しかしマルロチェーニに運ぶということは、すなわちその敵対組織である“アジアス”とそれに連なるメガ・コーポ達からも睨まれることになる。
この街で巨大勢力からにらまれる、ということは死を意味する。
彼らがこの荷物を届けてしまえば、彼らの人生は間違いなくその幕を閉じることになる。だが、かといって荷物を届けないという選択肢はもっとない。
どちらに転がっても終わり。
この車は今“地獄に向かっている”のだ。
「なぁ相棒。腹くくろうぜ。もうしょうがねえよ。わめいてもなにも変わらないだろ?」
「喚いて何も変わらないなら喚いたっていいじゃねえか!! 喚くだけ得だぜ!」
「それもそうか。じゃあ相棒、喚きながらでいいから聞いてくれ」
運転席の男は正面を見据えながら助手席の男に言った。
「俺も馬鹿じゃねえ。実はなんとかなるかもしれない案を用意してるんだ」
「お前馬鹿じゃなかったのか?」
「そこは話には関係ねえから黙って聞け。で、案がある」
運転席の男はそういうとポケットから一枚のカードを取り出した。カード自体の大きさは親指ほどのものだが、少し大きめのケースの中に入っている。
それを受け取った助手席の男は、すかさず読み取り機を取り出した。ケースからカードを出すと、それをそのまま読み取り機に挿入する。
読み取り機の後ろからはコードが伸びており、そのコードは助手席の男の目の前にあるモニタへとつながっている。
しばらくするとそのモニタに、人の顔と大量の文字列が映し出される。まるで履歴書のようになっているその画面を見て、助手席の男がつぶやいた。
「……誰だこいつ?」
「知らねえのか? 雨男だよ」
「……雨男?」
助手席の男は窓の外を見る。雨がザーザーと降り下ろしていた。
「なんで今雨男の話が必要あるんだ? 雨なら降ってるぜ?」
「そうじゃねえ。雨を呼ぶ雨男のほうじゃなくて、この街の伝説的殺し屋“雨男”の話をしてんのさ」
運転席の男はちらりと助手席の男を見る。だがどうも助手席の男はすっとんきょうな顔をしたままで固まっている。
運転席の男はどうやら説明が必要だと気付き、ため息をつくと語り始めた。
「その男はどうやって依頼するかもわからねえ、どこにいるのかもわからねえ、分かってることはそいつは“何でも屋”であることと、そいつが通った後には血の雨が降ることだけだ」
「……つまり、そいつはやべえ殺しをするってことか?」
「わからねえ。だが間違いなくこの街最強の男だ。そんでもって俺はそいつに……依頼することに成功した」
助手席の男は読み取り機からカードを取り出すと、ケースにしまい込み運転席の男に渡した。男は上着のポケットにそれをしまい込むと、話を続ける。
「たまたまだったんだ。今回の依頼がやべー依頼だってわかった翌日、たまたま飲みに入ったバーに……そいつがいた」
車が曲がり角を曲がる。歩行者におもいきり水をかけたが、気にしてる場合ではない。
車はさらに速度を上げる。
「俺はそいつに今回のことを話した。報酬の半分をお前にやるから、護衛してくれないかってな」
「は、半分!? おい馬鹿いうなよ、何勝手に……」
「やるしかねえだろうがよ。どうせ行先は地獄なんだ。金払って蜘蛛の糸垂らしてもらえるなら垂らしてもらうだろうがよ」
「……確かにな。悪かった、続けてくれ」
助手席の男は一瞬、運転席の男を殴りつけてやろうかと思ったが冷静に考えてみると相棒のやったことは正しい。確かに彼も、地獄の池で水泳大会をするくらいならアクタガワ・スパイダーの話通り糸に縋りつくだろう。
「そしたら奴は話をのんだんだ! この先のバーで合流する約束になってるんだよ。わかるか相棒? この街最強の“何でも屋”が俺たちを助けてくれるんだ。俺たちは地獄に行かなくてすむんだよ」
運転席の男が嬉しそうにそう語る姿を見て、助手席の男は……素直に喜ぶことができなかった。
その男は……雨男は本当に蜘蛛の糸なのか?
彼の相棒は完全にその雨男という人間を信じ切っている。たしかにさっき見た履歴書めいた情報が本当なら、間違いなく自分達をこの窮地から救ってくれるだろう。
だが本当なのか?
さきほど見た情報は本当なのか?騙されてやしないだろうか?例えばこの先で合流する予定だと相棒は言ったが、もしその雨男とやらが“アジアス”にこの情報を売っていたとしたら?
この街はそういう街だ。
人助けよりも利益を優先する。
今回彼らの仕事の報酬よりも高い額で、”アジアス”が今回の情報を買うとこの男に話を持ち掛けていたとしたら?
答えは絶望的なものになるだろう。
「相棒。その雨男、本当に信じていいのか?」
「……? どういう意味だ?」
「だからそいつは……!!!」
刹那、火薬の破裂する音とともに無数の鉄の弾丸が彼らの車を襲った。
高速回転する筒から大量の弾丸が飛び出て、彼らの車を即座にハチの巣にしていく。これでも彼らの車は防弾仕様だったのだが、弾丸はそれよりもはるかに強い威力で車をズタズタにする。
銃弾によって運悪く、というよりも当然の結果で……運転席の男と助手席の男は絶命した。
運転手を失ったことで、彼らの車は近くのガードレールに思いっきりぶつかる。
『ブツはこれか?』
車から火の手が上がり始める中、ずかずかと一人の男が近づいてきて車をまさぐった。
男は全身を機械で覆っていた。これはバトルスーツとよばれる、銃弾をはじき返し搭乗者の運動性能を高めてくれる戦闘服だ。バトルスーツは全身、頭部を含めたすべてを覆ってくれる鎧のようなものでもあり、少しの隙もない無敵のスーツでもある。
さらに男は片手で軽々しく丸い筒……ミニガンを持ち上げている。通常これはヘリや戦闘機といったものに装備されるような重量と威力を持つものであり、人間が軽々しく扱っていいものではない。
その男は、その外見からは似つかわしくない小さな段ボール箱を手に取る。
男はミニガンを地面におくと、右手でこめかみのあたりを触る。目の位置にあるバイザーからオレンジ色の光が射出され、段ボールを下から上までなめるように見まわした。
『これだ。ミスティフィギュア。手に入れたぞ』
男はそう言ってミニガンを拾うと車から離れた。
左腰に付けた手りゅう弾を車に向かって投げる。
爆発、そして轟音。周囲の人々の悲鳴と、遠くから鳴るサイレンの音。それを背にし、男は街の路地へと入っていった。
『こちらタイガー。ブツを手に入れた。今から帰還する』
男……コードネーム:タイガーはふぅとため息をついた。
事前に情報を手にしていたとはいえ、想定以上に“歯ごたえがなかった”。
ミスティフィギュアという、この街を変えかねないとんでもないブツを運んでいる人間なのだ。戦闘にも明るく、頭脳戦にすぐれ、ネットハッカーを雇っている可能性すら考慮していた。
しかし彼のスーツのファイアウォールには何も検知されていないし、スーツの機能もいつも通りだ。つまり、ハッカーはいなかったのだ。
もう少し歯ごたえがある相手と戦いたかった、男はそう思い……路地をすすむ。
……突然だった。
目の前に、男が突然現れたのだ。
「すいません……道に迷ってしまいまして……」
その声はびっくりするほど拍子の抜けた声だった。
だが、タイガーはすぐさま警戒する姿勢に入った。目の前の男が、どう視界の中に入ったのか理解ができなかったからだ。
まるでそこに瞬間移動したかのような、突然そこにわいて出たかのような、そんな違和感があった。
(ハッカー……か?)
タイガーは男を見まわす。今度は、バイザーのオレンジ色の光を出さずに目視で、である。
男はひょろんとした身体で、筋肉も少なそうだ。身長もそんなに高くはないし、タイガーと同じようにスーツを着ているわけでもない。
見てくれは、本当にただの小市民である。
それも、この街においては搾取される側の小市民。
「あのー。このあたりでですね、人がよさそうな二人をみませんでしたか。車に乗っていたと思うんですけど、連絡がつかなくて……」
タイガーは警戒していた。
素人ならば、目の前のひょろりとした男の外見に騙されてしまうだろう。とるにたらない男だと判断し、邪魔だと殴りつけておくかさもなければ殺しておくだろう。
だがタイガーは違った。
長年の戦闘経験が、彼に警鐘を鳴らしている。
“かかわるべきではない”と。
タイガーは強い相手と戦いたいという願望があった。だがそれは、あくまで同じ土俵に立っている相手とである。
『知らないな。他をあたれ』
タイガーは一言そういうと、踵を返し、路地から出る選択をした。
大通りは警察の目もあるし、下手をすれば上位組織に襲われる可能性もある。バトルスーツは目立つので、少なくとも仲間と合流するまでは人目を気にしたいのが本音だった。
だが、人目につくことよりも目の前の男の傍を通り、路地へと侵入していくことのほうが危険な気がしたのだ。
タイガーは足早に路地を出ようとする。
(俺はこうして生きてきた。スーツがあっても殺されることはある。驕らず、そして冷静に判断をすることこそが、この街で生きていくための必須条件だ)
タイガーはさらに、ファイアウォールの確認をする。未だ、ハッキングされた形跡は一切ない。
タイガーのファイアウォールは、通常のものよりも精度のいいものだ。ともすればメガコーポが雇っているネットハッカー達ですら退けることができるだろう。
だがタイガーは注意を怠らなかった。もしハッキングされたならば、即座にスーツを脱ぎ捨て逃走する必要があるからだ。スーツを亡くしたことによる懲罰をも受ける覚悟なのだ。
「あ、ごめんなさい。もう一つ言い忘れたことがありました」
男がタイガーの背中に声を投げかけてくるが、もう知ったことではない。
大通りに抜けさえすれば人目がある。この男が恐ろしい男であったとしても、そこで事を起こすことはないだろう。大通りに出さえすれば……。
だが、次の瞬間タイガーは絶句した。
身体が全く動かなくなってしまったのだ。
「が!?」
タイガーはいそいでスーツのファイアウォールを確認しようとする……が、できない。スーツのシステムが完全にフリーズしてしまっている。
「馬鹿な!?」
つい先ほどまでまったく異常はなかった。
スーツのファイアウォールは、なんらかの攻撃を受けた場合それをさばけなかったとしても危険通知は発令する。少しでも意図しない動作をスーツのシステムが起こした場合、すぐさま知らせてくれるはずだった。
通常、ネットハッカーの攻撃には事前動作があるものだ。スーツのファイアウォールはそれにも万全に対応ができているはずだった。
だが、それがない。
なのに、今の状況はなんだ?
タイガーの背後に足音が近づいてくる。先ほどの男だろう、ゆっくりゆっくりとその足音が近づいてくる。
「来るな! それ以上近づくと自爆する! 俺は誇り高きバトルスーツエージェントだ! いつでも死ぬ覚悟はある!」
タイガーは背後の男に叫んだ。
もちろんはったりだ、タイガーは死ぬつもりなどない。だがそれで少しでも相手を警戒させることができたなら、手を打つことはできる。
タイガーは今、必死にスーツを脱ぎ捨てようとシステムを走らせている。だが、システムの完了までは時間がかかるのだ。
「言い忘れていたのですが……」
だがタイガーの奮闘むなしく、声はタイガーの耳元まで来ていた。
スーツが拾ってくれる外部音声ではなく、物理的に、すぐそばで、男の最後の言葉が放たれた。
「人の依頼人を勝手に殺さないでくれますか?」
刹那。
刃どころか銃弾ですら通さないはずのバトルスーツの中に、手りゅう弾が現れた。
「え、あ、は!?」
タイガーは急いで手りゅう弾を取り除きたいが……スーツが脱げない。スーツ解除システムは、まだ50%程度だ。
男はタイガーのスーツの手から段ボールをかっさらうと「ちょっと重たいな」と言いながら路地の奥へと歩いていく。
タイガーは叫んだ。
「お、おい!! まってくれ!! 助けてくれ!! 金ならはらう! スーツもくれてやる!! そのブツももっていっていい!! だから頼む、命だけは助けて……」
タイガーの悲痛な叫び、飾らない本気の叫びを聞いて男は足を止めた。
そして振り返り、タイガーに一言言葉を投げかけた。
「やーだよ」
直後、タイガーはスーツの中にある手りゅう弾が爆発しその身を肉片と変える。
内部からの圧力を想定していないスーツは手りゅう弾の爆発で壊れ去り、空へと舞い上がったタイガーの血と肉と臓物が、路地裏へと降り注いだ。
『おつかれー。物は回収したの?』
男の耳についたイヤフォンのようなものから、女性の声が流れる。
「したよー。でも依頼はミスっちゃった」
『依頼ってあんたね……元々殺してそれだけ回収する予定だったじゃん』
「人聞き悪いなぁ。素直に渡してくれたら殺す予定はなかったよ」
男は軽い足取りで路地裏を歩く。
『まあいいや。それで? どっちに渡すの? それ』
女性の声色はあきれたといった感じだった。だが、男は全く気にする様子もない。むしろさっきよりも楽しそうにくるくると身体を回しながら路地を行く。
「面白い方」
『はぁ……じゃあとっとと帰ってきなさい。雨男』
男……雨男は軽快に返事をすると、路地の闇へと消えていった。
雨男 道に落ちている槍 @Harutomen
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