覚醒呪伝-カクセイジュデン-【改】

星来 香文子

第一章 紺碧の空と緋色の瞳

第1話 紺碧の空と緋色の瞳


 紺碧の空から、ソレは突然落ちてきた。

 人間の顔である。


 ふと、空を見上げていた少年に向かって、青白い肌に乱れた長い髪の男の顔が落ちてきた。

 その顔は、少年にぶつかる直前でピタリと止まり、怪しく光る緋色の瞳でじっと少年の瞳を覗き込んだ。


「見つけた……」


 重力に逆らって、ソレは顔を下に、足を上にした逆さの状態で宙に浮いている。


 これは、人間の顔か?

 否、ソレは人間ではない。


「ついに見つけたぞ……ハハハハハハっ————」


 明らかに人間ではない——ソレの緋色の瞳に反射している少年の顔は、あまりの恐怖にただ、目を大きく見開いている。

 今自分の身に何が起きているのかわからず、恐怖で動くことができないのだ。

 だが、少年は本能的に感じ取っていた。


(逃げなければ、俺は死ぬ————)


 わかっているけれど、身体が動かない。

 なんとかこの状況を変えようと思考を巡らせてみるが、相手は人間ではない、別の何かなのだ。

 まだ中学生である少年には、到底この状況から抜け出す妙案など浮かぶはずもなく……


「このままその右目をくり抜くか……いや、しかし、数十年……いや、数百年ぶりの呪受者じゅじゅしゃだ。とても珍しい身体だ。このまま持ち帰り、生き血をすすれば、われにも相応の力が————」


 ソレは妙に爪の長い親指と人差し指で少年の右まぶたを上下に押し開きながらそう言った。


(じゅじゅしゃ……? いったい、何のことだ……?)


 背筋がゾッとするとは、こういう事なのだと、このとき初めて少年は知る。

 夏の暑さのせいとは違う、別の汗が顳顬こめかみを撫でるように伝う。

 少年のまぶたに触れるその指からは、全くといって人の体温というものは感じず、冷たく、今までに触れたことのない感触だった。


 ソレはニヤニヤと卑しく笑いながら、妙に長い血色の悪い紫色の舌をぬるりと出す。

 少年の瞳に、ソレの気持ちの悪い舌先が近づく。


(やめろ……!! やめてくれ!!!)


 あまりの恐怖に体が硬直し、声がでない。

 まぶたを押さえつけられているせいで、目を閉じることもできない。


(食われる……っ!!)



「え……?」



 しかし、舌先が少年の瞳に触れるすんでのところで、ソレは突然消滅した。

 まぶたを押し開いていたあの冷たい指の感触も、恐ろしさに吹き出した汗も残っているのに、ソレは少年の目の前から消えてしまった。



「まったく、危ないところだったわ……あんたもボーッと突っ立ってないで、抵抗くらいしたらどうなの!?」


 その代わり、少年の数歩となりにいつの間にか黒い長髪の髪を一つに束ねた見知らぬ学校の制服を来た少女が立っていて、可愛らしい顔の眉間にシワを寄せて怒っている。


(だれ……だ?)


 この少女も、少年にとっては知らない人だった。


「頭首様に言われて探しにきてみれば……あんな低級の妖怪に手こずっているなんて……本当、信じられない!! あんた、それで本当に呪受者なの!?」


 少女は少年にくどくど怒っているが、少年はそれどころじゃない。

 急に視界が歪んみ、とても気持ちが悪くなって、女の子の顔もよくわからない。

 話し声も、スロー再生のように歪んで聞こえて、なんと言っていたのかわからなかった。

 視界も音も意識も遠のいていく。


「ちょっと、聞いてるの? ねぇ……!!」


 突然の恐怖に硬直していた少年の体は、一気に力が抜けて目の前の景色が、紺碧の空からアスファルトの鈍色へ。

 それから視界も何もかも真っ暗になって、少年は意識を失った。


「嘘でしょ……!?」


 少女は倒れてしまった少年の体を足で揺すったが、ピクリとも動かない。


「…………この程度で倒れるなんて…………先が思いやられるわ」



 そうつぶやいて、軽く少年の背中を蹴った。



 少年の名前は、にのまえ颯真そうま

 颯真は、十三歳……中学二年生のこの夏、初めてソレを見た。


 ソレは、妖怪やあやかしと呼ばれるたぐいのもの。

 人間ではないもの。


 そして、目を覚ました後、颯真はさらに信じられないものを見ることになる。




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