第4話 部屋へお邪魔する姉


 衣緒莉先生の手料理を食べ終えた俺は、自室のベッドで横になっていた。

 母を自称する人とこれから生活していくなんて大丈夫だろうかと思ってしまうが、少なくとも先生の作る料理が美味しいのは間違いない。

 アレが毎日食べられるなら、そう悪くもないのかも……なんて思ってしまう。


「いかんいかん、胃袋を掴まれるってこういうことだよな……。それにしても、母親と思えってのは無理があるよ……」


 俺と衣緒莉先生は10歳くらいしか差がない。

 これじゃ母親ってよりも姉って言った方がまだ――


「……ん? 姉? そういえばなにか忘れているような気が……」


 あれ、なんだっけ?

 俺がなにかを思い出そうとしたその時、部屋の窓からコンコンという音がする。


「なんだ――ってうわっ!?」


 窓に近付いた俺は驚愕する。

 俺の目に映ったもの、それは――暗い夜空を背景に、べったりと窓の外に張り付く菫先輩の姿だった。

 急ぎガラリと窓を開けると、


「こんばんわ、銀次くん。今日は月が綺麗ね」

「せっ、先輩!? 一体なにしてるんですか!? っていうかなんでウチに……!?」

「今夜は用事がないと言ったから、遊びに来たのよ」

「俺は先輩に家の場所を教えたことはないはずですけど……」

「言ったでしょう、銀次くんのことならなんでも知ってると。むしろどうして知らないと思ったのかしら?」


 怖い。

 もう言ってることが完全にストーカーのそれだ。

 この人に常識云々を語っても無意味なことを今再確認した。


「せめて来るならLINEにメッセージでも下さいよ……」

「あら、それじゃ芸がないじゃない。それよりどうかしら、一人暮らしの男の子の部屋に窓から入ってくる年上のお姉さん……。まるで幼い頃から憧れていた隣家の女性が無邪気に遊びに来たみたいで、男の子なら憧れのシチュエーションでしょう?」

「ウチの隣は空き地で、しかもここが二階なことを考えるとホラーでしかないんですが」

「くすくす……酷いわ、ホラーだなんて。隣にお家がなかったのは残念だけど、そんなものは愛と業務用脚立があれば再現できるのよ」


 窓の外へ顔を出して下を覗き込むと、長い脚立が伸ばされて俺の部屋の位置まで立て掛けられていた。

 建築現場のおっちゃんがやってるのはたまに見るけど、制服を着た女子高生がそれをやっている光景はシュール極まりない。


「それよりお邪魔するわよ。今日は大事な話があるんだから」


 菫先輩は靴を脱ぎ、俺の部屋へ踏み込んでくる。

 彼女は何故か大きなリュックを背負っており、それをドサッと床に下ろした。


「は、話ってなんですか……?」

「銀次くん、昼間言ってたわよね。彼女を作るつもりだって……。大事な弟がどこの馬の骨とも知れない女に取られるなんて、お姉ちゃん耐えられない。銀次くんはいつまでも私の、私だけの弟でいなければならないの」

「俺は先輩の弟じゃありませんし先輩は俺の姉じゃありませんが」

「だから弟に悪い虫が付かないよう、もっとしっかり見張らなきゃって思ったのよ。これまで自制してきたけど、やっぱり姉と弟は一緒に暮らすべきなんだわ。同じ家で同じ時間を過ごし、同じ食事を食べ、最期には同じお墓で眠る……。そうあるべきよね? そうあるべきだわ。くすくす……」


 怖すぎる。

 たぶん自分でなにを言ってるか理解できていない辺りが余計に怖い。

 しかもこれまでは自制してきたって、あの異常発言でも抑え気味だったのかよ……。

 なんだかもう深淵に覗き込まれている気分だ。

 っていうか、この流れは――


「……待ってください先輩、一体なにを考えてます? まさかとは思いますが、この家に――」

「この家に住むわ。お父様がご不在なのはもう調査済み。これからはずっとお姉ちゃんがお世話してあげる……他の女なんて考えられなくなるくらい、お姉ちゃんの愛情で満たしてあげるから。くすくすくす……」

「そんな愛情いらないんで今すぐ帰ってください。でないと警察を呼びます」

「あらあら、冷たいのね……。でも知ってるわ、銀次くんは本当はそんなことしないって。それにもしそこまで拒絶されたら……私、もう自分でもなにをするかわからない」


 じっとりと俺を見つめ、笑みを浮かべながら言う菫先輩。

 その瞳に見つめられた瞬間、俺は本能的に命の危機を感じた。

 たぶんヒグマとかイリエワニみたいな大型捕食者と同じ檻に入れられたら、似たような感覚を覚えるんだと思う。

 しかし菫先輩はふと悲しそうな表情になり、


「……迷惑なのはわかってる。でも心配なのよ、銀次くんのことが」

「菫先輩……」

「女性から愛情を受けられなかった子が、大人になって恋人に歪んだ感情をぶつけてしまう……そうして事件になった事例が世界には沢山あるの。私は銀次くんにそうなってほしくない」


 菫先輩はそっと俺の頬に触れ、優しく撫でる。


「女のことなら私が教えてあげる……。銀次くんの欲求は全て私が叶えてあげるから。だから焦らないで?」


 慈愛に満ちた声でそう言ってくれる先輩。

 菫先輩は言動こそアレだけど容姿は相当な美人だし、流石に俺も照れ臭くなってしまう。

 だがいかんいかん、これは危険な誘いだ。

 今は俺の方がしっかり自制心を持たねば……。

 そう思っていると、部屋の外からトタトタトタと足音が聞こえてくる。

 そしてノックの後にガチャリとドアが開かれ、


「銀くーん! お風呂湧いたよぉ! ママと一緒に入ろ――」


 衣緒莉先生が入ってくるが、その直後ピタリと硬直する。


「「「あ」」」


そして、俺と菫先輩と衣緒莉先生の目が合った。

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