よどみに浮かぶは

西山要

よどみに浮かぶは

 

 正月が終わり、寂しさと寒さが増した街、家への道を足早に歩く。今日はビールでも飲むかと、マンション近くのコンビニに立ち寄って、スーパードライのロング缶と珍々豆を手にレジに向かい会計を済ませる。無愛想なお兄ちゃんの「あーしたー。」と最早意味をなさない挨拶に見送られ、コンビニを出てマンションへあとわずかな道を進む。エントランスで鍵を解除し、エレベーターに乗り、回数を押してドアが完全に閉まりそうになった時、こちらに向かう女性が見えたので、慌てて開のボタンを押した。ドアが開き、女性が乗るのを待っていると、女性は怪訝そうな顔をしている。「あ、乗りませんか?」と声を掛けると「次のに乗るので大丈夫です。」と言われた。反射的に「あ、そうですか。」と声を掛けて閉のボタンを押す。ゆっくりとエレベーターが上昇していく。私と乗るのが嫌だったのだろうか。しょうがないけど、なんだかなぁ。階数を知らせるアナウンスとともにドアが開いた。機械の方が優しい、なんてな。



 「ただいま。」


  おかえりなさい。


  「なぁ、聞いてくれよ。」


  あら、珍しいわね。どうしたの?


 「さっき、エレベーターに乗るときにな、若い女の人が乗ってくるのが見えたから、待っててあげたんだ。だけど、その人な、嫌そうな顔して乗らなかったんだ。そんなに俺と乗るのが嫌だったのかな。」


  きっとその人はあなたと乗るのが嫌なんじゃなくて、おじさ、いえ、男の人と二人で乗るのが嫌だったのよ。


 「まぁ、しょうがない部分もあるのはわかるんだがな。」


  そうね、親切を受け取ってもらえないのは切ないわね。気にしないで風呂に入ってきたら。


 

 風呂に入って、餃子と缶ビール、おつまみが置かれたテーブルに着く。テレビを点けて、ニュースを見る。不倫問題が発覚したベテラン俳優とそれまたベテラン女優が離婚したことを示すテロップとともにコメンテーターだかタレントだか分からないやつが「おしどり夫婦だと思っていたので残念です。」と、なぜか神妙な面持ちで語っていた。


 「よく、人の家庭の事情にこんなに真剣になれるよな。」


  いつだって、人は煌びやかに見えるものの汚い部分を探すものよ。



 缶ビールを開けるとぷしゅっといい音がした。この音を聞いただけで爽やかな苦みが浮かぶ。


  あら、今日は缶ビールなの。プリン体がどうのって気にしてたのに。


 「今日くらいはのませてくれよ。」


  何かあったのね。


 「今日、会社で、いつも洒落っ気のない女の子がな、お洒落をしてきてたんだ。俺でも分かるくらいに。だからな、『おっ、今日はどうしたんだ。デートか?』って聞いたんだ。そしてら、『違います。』ってつっけんどんに返されてな。まぁ、そん時は違うのか、なんか機嫌が悪いなって思ったんだけどな、そしたら、副社長に呼び出されてな。『木下さん、発言に気をつけてください。』って言われたんだよ。わけわかんなくてポカーンとしてたら、『今日の堀内さんへの発言はセクハラと受け取られる可能性があります。それから部下を食事に誘うのは構いませんが、誘い方に気を付けてください。部下は断りたくても断れないんです。これは木下さんに限ったことではありませんが、気を付けるようにしてください。』ってな。俺よりも若い上司にな、説教されて。それからな、その堀内さんに若い男の社員がな『今日かわいいね。』って声かけてたんだよ。そしたら堀内さんにこにこしててな。いや分かるよ、若いイケメンとおじさんに言われるのが違うことは。しかしなぁ…。それに、部下を誘うのだって、飲みの席でしか出来ない話もあるだろう。俺が若いころはさぁ…」


  わかってるわよ、あなたに悪気はなかったのよね。でも、昔は昔、今は今よ。私も昔の人間だから、セクハラだパワハラだって言いすぎるのもどうかしらとは思うけど。でも、今まで見過ごしてしまっていた誰かの傷を想うのは、悪いことではないと思うの。


 「おじさんにとっては肩身が狭い世の中になったなぁ。」


 あら、おじさんだから楽しめることもたくさんあるはずよ。前向きに生きましょ。



 トゥルン。スマホの通知音が鳴った。スマホの画面を見ると、「新着メッセージがあります。」の文字が。メッセージアプリを開くと、娘の翔子からのメッセージだった。


 『父さん、お疲れ様。陸のお年玉ありがとう。』


 翔子たちは、正月は娘婿の実家で過ごす。いつもはこちらにも顔を見せに来てくれていたが、今年は翔子も育休から仕事に復帰するとかで、忙しく、電話で新年の挨拶をしただけだった。孫の陸へのお年玉、まだ陸は小さいから翔子たち夫婦へのお年玉になるのかもしれないが、それも郵送したのだった。


 『どういたしまして。また今度顔を見に行こうかな。』と返信する。


 翔子からの返信は「good!」と、クマのキャラクターが親指を立てたスタンプだけだった。娘家族から疎まれていないかと心配して、実の娘に気を遣うようにになったのはいつからだっただろうか。翔子にも家族があるのは分かるが、どうしても寂しさを感じてしまう。



 「小さい頃は、あんなに『父さん、父さん』って可愛かったのになぁ。」


  翔子からですか。立派に親離れ出来てるっていいことですよ。翔子も妻でお母さんだなんて感慨深いですね。


 

 『花里テーマパークは今年の三月で閉園します。今までありがとうございました。

  この先も花里での思い出が皆さんの中で生き続けますように。

  最後のライトアップは…』

  聞きなれたテーマパークの音楽に、テレビを見ると閉園のアナウンスをするCMが流れていた。



 「おい母さん。花里も閉園だって。ここ、母さんとの初めてのデートで行ったよな。翔子が生れてからも何回も…」


 花里テーマパーク。懐かしいですね。初デート、覚えていますか。あなたが絶叫系苦手なの気づいてたんだけど、あなたが一生懸命かっこつけてるのが可愛くて、結局乗り終わった後ふらふらになっちゃって。翔子と行った時も娘にいいところ見せようとして、でもやっぱりダメでカメラ係になってましたね。


 「こうやって色んなものが無くなってしまうんだろうなぁ。」


 そうですね。寂しいけれどしょうがないですね。こうやって移り変わってゆくんですよ。


 「母さんのことだ、『しょうがない』って言ってるんだろう。今日の俺の寂しさも切なさも悪いものじゃないって言ってくれるんだろう。母さんならこう言ってくれるって想像しながら弱音を吐いてしまう俺は弱いな。それに、こうやって母さんのことを思い出すと、どうしても会いたくなって、もっと幸せにできたんじゃないかって思ってしまうから、思い出さないようにしてたんだけど…

 でも、やっぱり、今日みたいな、こんな日は、母さんの、、お前のことを、、、」


 あなたが私にこうやって話しかけるの珍しいですもんね。

 私、あなたが思うより何倍も幸せでしたよ。本当に。

 あらあら、泣いちゃうんですか。

 私あなたの笑顔、好きですよ。ほら笑ってください。

 やるせなくてつらい時には私を思い出してもいいから。

 泣かないで、笑ってほしいの。







今もこれからもお前はいなくて、きっとこんな夜が何度もあるんだろう。

でも、出来るだけお前を見習って前向きに笑って生きていくから。

だから、もし、また会えたら、またお前と…

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よどみに浮かぶは 西山要 @kaname0919

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