第25話 夕食と手がかり

 青江羽衣という名の氷塊は、じっくりと熱を伝えたことにより、急激に溶けていった。


 無愛想な態度は警戒心から来るものであったらしく、「文化祭イコールせみ説」をとうとうと語ってからというものの、距離は想像以上に縮まったようである。


「それってスタートラインに立っただけじゃないの?」

「立つだけでもやっとのことだったんです。これ以上は高望みです」

「仮定の検証はお預けかぁ〜」


 いうと、優里亜さんはビスケットをとってかじった。


 本日は優里亜さんの部屋にお邪魔している。片付け作戦のおかげもあり、かろうじて人間が生活できるだけのスペースは確保されていた。


 僕らは、円形のローテーブルに食べ物を載せ、夕食をとっていた。優里亜さんの金欠もあり、食事は粗食である。おやつか軽食と表現するのがふさわしい。


 ちなみに、僕はそのビスケットに手を触れていない。


 というのも、


「優里亜さん、よく期限切れのビスケットなんて食べられますね」

「全然大丈夫じゃない。たった一年しか経っていないでしょう? 人類の遥かな歴史と比較すれば、一年なんてほんの一瞬に過ぎないのよ」

「スケールが大きすぎるし、それは詭弁というやつではないですか?」

「未開封だったしへーきへーき。それをいったら、私の部屋は期限切れの食品ばかりよ」


 引っ越してきたのは最近であるのにもかかわらず、なぜか期限切れの食品がある優里亜さんの部屋。


 ここに来る前に住んでいたときの荷物を。ほぼそのまま持ち込んでしまったせいだという。


「同じ人類だとは思いたくありませんね」

「晴翔君、いまは多様性の時代よ? それに、世界にはそもそも二種類の人間しか存在しないわ。期限切れの食品を食べる人間と、食べない人間よ」

「当たり前のことをさも名言かのようにいいますね」

「ともかく、苦虫を嚙み潰したような顔して私を見ないでちょうだい」


 価値観の違いというものを実感する。片付け作戦のときに期限切れの食品があることは認知していたものの、それを目の前で食べられると話は変わってくる。


 百聞は一見にしかずじゃないけれど、知っていると見たことがあるは別ものである。


「これは抑えがたい本能なんです」

「性欲よりも?」

「またそこに回帰しますか」

「だって晴翔君なんだもん」

「……」


 優里亜さんは腐っているかもしれないビスケットをバリバリつまみつつ、これまた期限切れのポテトチップス、そしてビタミンとかの栄養素が入ったクッキー的なあれを食べていた。


 対する僕は、期限切れのものを口にする勇気などなかったから、自費で調達したコンビニ弁当をいただくことにした。唐揚げ弁当だ。


 飲み物は水道水。こちらは安心して飲める。


「ちょっと唐揚げあげましょうか?」

「へえー間接キスを狙いにいくんだー。それにあーんもしたくて口の中も見たくて餌付けに熱いものを感じるのかそっかそっか」

「妄想が激しすぎません?」

「あらゆる可能性を考慮したまでよ」

「僕は純粋に優里亜さんのことを考えていただけです」


 もはや優里亜さんの中身の一部には、男子高校生が含まれているんじゃないかと疑いたくなるときがある。僕以上に下ネタに反応している気がしてならない。


「いい訳はわかったから。気持ちはうれしいけど、きょうはあまり食欲がないから遠慮しておくね。また今度あーんでもして興奮しておいて?」

「はいはいそうですね」


 もはや答えるのも億劫になっていた。


 優里亜さんは食事を終えると、ふと僕にたずねてきた。


「ねえ、青江ちゃんの写真ってないの?」

「写真、ですか。どうだろう」


 青江羽衣が自分の中で存在感を強めていったのは、ここ一週間といったところである。すこし前までは、ただのクラスメイトのひとりでしかなかったし、その中でもとりわけ存在感の薄かった。


 彼女とのツーショットなど存在するはずがない。だとすると、クラスで撮った写真くらいだろうか。


「いますぐじゃなくてもいい。でも、見つかったらすぐに見せてほしいの」

「なにか青江羽衣に繋がる手がかりがあったんですか?」

「私、青江羽衣と会ったことがあるかもしれないの」


 そのひとことは、自分にとって衝撃的なものだった。


 優里亜さんと青江羽衣が、繋がっているかもしれない、だと?


「それって、いつのことなんですか」

「私の年齢を特定するつもりなの!?」

「もうバレているようなものでしょうに」

「……三年前よ。それきりだけれど」


 ちょうど、自分が中学二年生のあたりか。スポーツに没頭していたときのことだ。


「いったいどこで?」

「友達の家」

「妹ということですか」

「たぶんそうね。苗字が違うから、確証は持てないのだけれど。家庭の事情もあるから、ありえない話でもないからね」


 両親の離婚で苗字が変わっていた――その可能性は考慮していなかった。


「あと引っかかるところといえば、晴翔君がいう青江羽衣のイメージと、私の抱いているイメージ像が一致しないということなの」

「というと?」

「暗いという言葉がまるで似合わない、快活な女の子だった。影は薄くない。なんせ、会ったのが三年前だというのに、記憶の片隅に残っているような子だもの」


 明らかに、優里亜さんが三年前に出会った少女と、現在の青江羽衣はかけ離れている。もし同一人物だというなら、にわかに信じがたい。


「優里亜さんは、その友人の方とは繋がっていないんですか?」

「前はね。でも、調べてみたところだと、いつの間にか繋がらなくなっていたみたい。中学時代の友達にかけあってみたけど、いまのところ、なんら手がかりはつかめていないわ」

「なるほど……」

「そういうわけだから、写真があったらすぐ頼むわね」

「了解です」


 青江羽衣のミステリアスさは、なお底をたたくことがないようだった。

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