第20話 終わりと始まり
「楽しかったね、晴翔君」
籠兄妹が帰ってから、しばし無言の時間が続いた。
沈黙を打ち破ったのは優里亜さんだった。
「あいつら、明け透けなものいいでしたけど、不快じゃありませんでした?」
「そうね……最初はドン引きしちゃったけど、途中からはおかしくなってきちゃったなー」
「やっぱり〝あれ〟はアウトでしたか」
「ごめん、純粋に無理だった」
氷空に対しての冗談がここまで尾を引いている。さっきも反省したとはいえ、発言に注意せねばならないと肝に銘じたほうがよさそうだ。
「その件は忘れてもらえるとありがたいです」
「印象強すぎて死ぬまで忘れられそうにないのだけれど」
「走馬灯とかに出てくるレベル!?」
貴重な走馬灯に、俺のどうでもいい失態が入り込んでいいはずがない。記憶を消し去る魔法があればよいのにな。
「かくいう晴翔君は、私を走馬灯で思い返すのかな?」
「当然ですよ。家の前で見知らぬ女性が体育座りする光景なんて、忘れられるはずがないです。優里亜さんは突飛な行動が目立つので、他にもいくつか出てくるでしょうね」
あの日のことはきっと忘れられないだろう。あれ以上のことが人生で何度もあるとは考えにくい。
「晴翔君の走馬灯って、女の子のことばかり出てきそう。変態だからね」
「いつまでそのこと擦ります?」
「晴翔君が、私基準で変態じゃなくなるまで」
「鋭意努力します」
「……でも、それと同じくらいに思い返すこともあるんでしょ、晴翔君は」
そういって、優里亜さんはトロフィーが飾ってあるエリアへと近づいた。
「スポーツのこと、ですか」
「これだけ賞をもらってる。よくも悪くも、思い出しそうだなって」
「スポーツのことは、あんま考えないようにしてるんです」
「あんなに丁寧に飾ってるのに?」
「忘れたいけど、忘れたくないんです」
俺は語り始める。
怪我ひとつで、これまで頑張ってきた努力が完全に無駄になった――。
怪我をした当初は、大袈裟だが、そう考えてしまうほど、絶望の淵に追いやられていた。
もっと上を目指せたかもしれない。だというのに、どうして俺が大きな怪我なんてしてしまったんだ? なぜ俺だったんだ?
しばらく塞ぎ込んだ。自己嫌悪に陥り、なにもかもどうでもよくなった。
長い間、自分とむきあった末に、俺は後悔自体をしないようになった。過去を封印し、捨て去る。そして、新たな〝上倉晴翔〟として生まれ変わろう。そう、決意した。
かつての自分はもういない。
そういったことを、途切れ途切れになりながらも、いった。
「……そういう葛藤が、あったんだ」
「過去を捨てようとしたはずなのに、完全には捨てられなかったんです。それだけです」
「ごめんね、嫌なこときいて。でも、やっぱり晴翔君をもっと知りたい。そして理解してあげたいの」
「どうして僕なんかのことを」
「不安定、だから」
「不安定?」
次の言葉は、すぐに紡がれたわけではなかった。口の中で、いうべきことを選別しているようだった。
「どこか欠けていて、でもその隙間を無理して意識していないようにしている。最初に君を見たときから、晴翔君はそういう子だって、直感が叫んでた。」
「最初から、ですか?」
「うん。私、そういう子を見ると、放っておけない
いわく、高校時代の友人は、さほど裕福な家庭ではなかったという。
最近になって、これまで以上に生活が苦しくなり、お金に困ってしまった。以前から、友人が生活がさらに苦しくなっていそうなことは察していて、食べ物や物品の援助をしていないでもなかった。
貸した金はやや多額だった。貸しすぎともいえた。でも、長い付き合いであるし、助けずにはいられなかったから、その額でいこうと考えた。
あの子は悪い子じゃない。長年かけても、少しずつ返してくれるはずだと。仕送りがもうすこしでくるから、そしたらある程度返せるから……。
話がうまく進まなかったのは、知ってのとおりだ。
これまでも、親切心から騙されたこともすくなくなかったが、まさかあの子にまで騙されるなんて、信じられなかったという。
「……そういうことなの」
「……」
同棲という話が出てきたのは、その事案が大きく関わっていることは既知のことではあるものの、詳しい話はきいたことがなかった。
「……僕は、優里亜さんを騙したり、裏切ったりしません。別に信じてもらわなくても結構です。でも、僕まで優里亜さんを苦しめるようなことがあったら。それは、優里亜さんがかわいそうすぎる」
「ありがとう、晴翔君。そういうところ、嫌いになれない」
「それはどうも」
ふだん、こうも過去の話をすることは、まずない。
優里亜さんだからこそ、いいと思った。受け入れてくれると信じていたから。
「君と私が一緒にいれば、お互いの足りないところを埋められそうだなって思った。だから、同棲だなんて考えたのだけれど……ちょっと勝手すぎるよね」
「いいえ、勝手なんかじゃないです。僕も、そう思います」
こんなことを考えるなんて、面倒な人間だと思う。
過去がどうとか、同棲の理由だとか、うじうじ考えて。
「それはよかった、晴翔君。じゃあ、これからもよろしくね?」
でも、それでもいいと、優里亜さんなら思ってくれるはず。だから、このままでいい。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
いって、それから優里亜さんは部屋に戻った。
ここから、優里亜さんの日々が始まってゆく――。そんな気がしてやまなかった。
――――――――――――
あとがき
一章完結です!
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