コクまろ視点 グラコロ賛歌

何年か前の冬の、グラコロが始まる季節に書いたSSです。

王都あたりを書いている時に書いたので、本編のラストとは多少食い違いがあります。


■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □


「ぐらころー」


 小さなご主人に名を呼ばれた気がして顔をあげる。

 ご主人の寝床に顎をのせて見上げると、体を起こした小さなご主人が「ぐらころ」「ぐらころ」と鳴いていた。

 しばらく鳴き続けた小さなご主人だが、やがて目が覚めてきたのか寝床を降りる。


「おはよー、コクまろ」


 小さな手でぐりぐりと頭を撫でられ、挨拶の代わりにその手をペロペロと舐めた。

 ひとしきり頭を撫でると満足したのか、小さなご主人はぺたぺたと毛のない足で床を歩き、寝床で着る皮も替えずに部屋を出る。

 目指しているのは大きなご主人の部屋だろう。


 階段を降りる小さなご主人に続いて、大きなご主人の寝床までついて歩く。

 声もかけずに大きなご主人の寝床に入り込んだ小さなご主人は、眠る大きなご主人の耳元で「ぐらころ」「ぐらころ」と鳴いている。

 何が楽しいのかしばらく耳元で鳴き続ける小さなご主人に、待つのも暇になって寝床の横で伏せて待つ。

 相変わらずこの小さなご主人の行動は謎である。


「よし、すいみんがくしゅう、かんぺき」


 しばらく「ぐらころ」と鳴いていた小さなご主人は、これで満足したらしい。

 よじよじと寝床からおりてくると、大きなご主人の部屋をあとにした。


 てくてくと歩く小さなご主人の後に続くと、また階段を降りる。

 寝床で着る皮を着替えないと小さなご主人の世話をする赤い毛並みの雌に怒られると思うのだが、小さなご主人はそんなことも忘れているようだ。


「タービサ! ぐらころっ! ぐらころ食べたいっ!!」


「あらあら、小さなティナ嬢様。着替えもせずに……子守女中ナースメイドはどうしたのですか?」


 刃物を使っているので、台所へ入って来てはいけませんよ、と年老いた雌が前足を腰にあてて小さなご主人を威嚇する。

 ヒトの食べ物を扱う台所へは入っては駄目だと大きなご主人から言われているので、台所へは付いていくことができない。

 そのため、年老いた雌のこの言葉には全面的に賛成だ。


「コクまろも、ティナ嬢様が着替えもせずに部屋を出ようとしたのなら、止めなきゃ駄目でしょう。淑女は寝間着で歩き回るだなんて……あらあら、はだしではありませんか!」


 小さなご主人の毛のない足を見て、年老いた雌が悲鳴をあげる。

 ヒトは毛のない足で歩くことをよしとはしない。

 走りやすくて良いと思うのだが、ヒトは違うようで不思議だ。


 年老いた雌の悲鳴に呼び寄せられたのか、赤い毛並みの雌が台所へとやってきた。

 良い匂いのする籠を持っているから、ふわふわの食べ物が入っているのだろう。

 ヒトの食べ物で、小さなご主人も美味しい美味しい、と毎日食べているのだが、肉の方が絶対に美味しい。


「ティナお嬢様、まずはお着替えをいたしましょう。先日レオナルド様が誂えてくださった、黄色のワンピースなどいかがですか?」


 そのあとは顔を洗って髪を整えましょう、と言いながら赤い毛並みの雌が小さなご主人の肩を捕まえる。

 体の大きさが違うので、大人に捕まってしまえば小さなご主人に抵抗の術はない。


「ぐらころが食べたいの! ぐらころ作って!」


 このまま赤い毛並みの雌に連れられて部屋へ戻るのだろう、と思っていたのだが、小さなご主人は食い下がった。

 はしっと赤い毛並みの雌の黒い皮を掴むと、自分の要求が通るまでは一歩も動かないぞ、とでも言うようにふんばっている。


 小さなご主人の体格的に、なんの効果もない抵抗だったのだが、赤い毛並みの雌は大きなご主人に服従している。

 ということは、小さなご主人もまた赤い毛並みの雌の主であり、赤い毛並みの雌が主人の命令に服従することは当然のことだ。


 赤い毛並みの雌は小さなご主人に腰へと張り付かれると、少し困ったような顔をして、それでも小さなご主人の要求に応えることにしたようだ。


「新しいお名前ですね。ぐらころとは、どのような食べ物ですか?」


「グラタンで、コロッケで、バーガーなのっ! ぐらころっ!」


「あ~、グラタンで、コロッケで、バーガーなのですね。グラタンとコロッケでぐらころだということはわかりました」


「せんきゃべつもはいってた気がする! あと、マヨがおいしいの!」


「せんきゃべつ……? 詳しい話は、朝食のあとにお聞かせください。まずはお着替えをいたしましょう」


「はぁーい」


 どうやら話が纏まったらしい小さなご主人と赤い毛並みの雌に、欠伸を噛み殺して後ろを歩く。

 ようやく小さなご主人は寝床で着る皮を変えるらしい。







 食堂に来ての第一声が「ぐらころなるものが食べたい」だった大きなご主人に、小さなご主人がテーブルの下で前足をぷるぷると振るわせた。

 これは小さなご主人が嬉しいのを隠している時に見せる仕草だ。

 小さく「わたしのすいみんがくしゅうはばっちりだね」と鳴いていたのだが、これは大きなご主人には聞こえなかったようだ。

 赤い毛並みの雌に「ぐらころという食べ物を知っているか」と大きなご主人は聞いていた。


「ティナお嬢様のおっしゃることには、グラタンで、コロッケで、バーガーなのだそうです」


「グラタンでコロッケだからぐらころか。バーガーは確かサンドイッチのことだったと思うが……」


 そもそも、どうして記憶にないものが食べたくなったのか、と大きなご主人は首を傾げている。

 これが小さなご主人の「すいみんがくしゅう、ばっちり」というものなのだろう。

 その後も朝食を食べながらご主人たちは「ぐらころ」についての情報を集める。

 小さなご主人の口から出てきた謎の「ぐらころ」という言葉だったが、食べ物ならば作ってみれば良いという結論に達したようだった。


「それでは、私はティナお嬢様のおっしゃる『ぐらころ』に挑戦してみます」


「ああ、俺はアルフたちに『ぐらころ』についてを聞いてみる」


 大人たちは真面目な顔をして顔をつき合わせていたのだが、小さなご主人の望む「ぐらころ」は結局判らなかったようだ。

 苦肉の策として赤い毛並みの雌が夕食にクリームコロッケを挟んだサンドイッチを出してきたのだが、これは小さなご主人の思う「ぐらころ」ではなかったようで、一日中「ぐらころ」「ぐらころ」と楽しそうに鳴いていた小さなご主人の機嫌は急降下した。

 ギャンギャンと鳴いて怒り出した小さなご主人に、大きなご主人と赤い毛並みの雌は困り果てていた。







 怒りつかれて眠ってしまった小さなご主人の顔を舐めていると、階段の下から物音がする。

 耳を澄ませてみると、大きなご主人が家から出て行くのがわかった。

 しばらくするとまた足音が聞こえて来て、その足音が増えていることに腰と尻尾を上げる。


「ま~ろ~、この、うらぎりもの~」


 小さなご主人の眠っている間に、と扉を開けようとドアノブに爪を引っ掛けていると、いつの間に目を覚ましたのか寝床で小さなご主人が体を起こしていた。

 じっと恨みがましい目でこちらを見てきたと思ったら、おもむろに寝床から降りてきて尻尾を引っ張られる。

 痛いのだが、まさか小さなご主人に噛み付くわけにも行かないので抗議の声をあげてお尻を床に落とす。

 するとすとんっと小さなご主人の手から尻尾が抜けた。


 ――もー、レオナルドお兄様はヴァレンティナを甘やかしすぎですっ!


 下の階から聞こえてきた主人の鳴き声に、ピンと耳と尻尾が立つ。

 小さなご主人の目が剣呑な光を宿し始めたのだが、こればかりは仕方がない。

 主人の鳴き声が聞こえてきたのだから、耳や尻尾が喜びに立ち上がるのは番犬として自然なことだ。


 ――サリーサだって一生懸命作ってくれたんですから、食べもせずにお皿をひっくり返すような我儘をしたら、ちゃんと叱ってください。


 ――しかしだな、ティナも悪気があったわけじゃないんだから……。


 ――悪気が無かったからって、食べ物を粗末にしていい理由になんてなりませんっ!


 主人の遠吠えと、大きなご主人の鳴き声が聞こえる。

 これはもうしばらくかかりそうだ、と扉の前で伏せて主人を待つことにしたら、小さな主人が背中に乗ってきた。

 小さな主人はこの家に来た頃の主人よりも小さいので、重いが我慢できる重さだ。


「ティナ、今日はどんな我儘を言ったんだい?」


「下で母様がレオナルドおじさんに怒ってるから、しばらくは近づかない方がいいよ」


 軽い足音が二つ続いて、主人の産んだ二匹の小さなご主人が扉を開ける。

 小さなご主人が先に生まれた小さなご主人に気を取られたので、その隙を逃さずに扉の脇を抜けて階段を降りる。

 一番下まで階段を降りると、主人が大きなご主人から視線をこちらにくれる。

 嬉しくなって尻尾を振ると、主人は頭と背中を撫でてくれた。


「それで、今日の我儘はなんだったんですか?」


「ティナが、『ぐらころ』を食べたいと言い出したんだが……」


「……グラコロ?」


 サリーサが再現しようとしたが、ティナの思ったものとは違ったようだ、と夕食時の小さなご主人の癇癪についてを大きなご主人が主人に話して聞かせているのだが、主人は話を聞いているようで聞いていない顔をしていた。

 大きなご主人には聞き取れなかったようなのだが、主人は小さな声で一言もらす。


 ――また日本人の転生者……? ヒット率高すぎるでしょう。


 主人がなんだか頭を抱えていたが、しがない番犬の身では子守ぐらいしか手伝えない。

 仕方がないので階段を上がって小さなご主人の部屋へと入ると、「まろのうらぎりもの~」と鳴きながら小さなご主人が飛び掛ってきた。

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