閑話:レオナルド視点 クリスティーナの来訪

※誤字脱字、探せていません。

 なにか見つけても、見なかったことにしてください。

 もうしばらくこの見苦しい言い訳が続くと思います。


■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □


 いまだ国境では裸の男が目撃されたと報告が届くのだが、すでに黒騎士も国境付近に住む町や村の住民たちもこの騒ぎには慣れてきた。

 精霊と精霊が見える黒騎士、見えない黒騎士を組ませて裸の男の確保に当たらせたところ、問題らしい問題は起きていない。

 裸で国境から追い出されてきた男を精霊が見つけて無力化し、それを黒騎士たちが捕縛して証言を取る。


 証言によって決められるのは、メール城砦へ送るか、近くの村へ送られるかということだ。

 とはいえ、指揮官や貴族が裸の男たちに紛れ込んでいたとしても、碌に情報を持っているわけでもないので、そろそろこの仕分け作業も必要ない気がしている。

 このような状況が続けば、ズーガリー帝国という国が国としての体裁をいつまで保っていられるのかは謎だ。


 ……国境を守る兵士は完全に消えたようだな。


 国境を隔てていた木の根の活動が収まると、まるで林のように並ぶ木の根の隙間から国境の先を覗くことができるようになった。

 その隙間から遠眼鏡を使ってズーガリー帝国側の国境を守る砦を覗いてみるのだが、人影はひとつも見当たらない。

 試しに、と帯剣させずに黒騎士を一人だけ国境の向こうへと送り込んだのだが、意外なことに木の根はこの黒騎士を避けて道を開いた。

 どうやら、木の根は国境を守るために生えてきたわけではないらしい。


 ならばと帯剣した黒騎士をもう一人送り込んでみたのだが、こちらも木の根は無反応だった。

 男たちが武装を解除された状態で吐き出されてくるため、てっきり武器を持っての侵入を阻むかと思ったのだが、そんなことはなかったようだ。


 それでは、と国境の向こうとこちら側とで何組か黒騎士を配置し、模擬戦闘を行わせる。

 するとようやく木の根は反応を見せた。

 国境のこちら側ではなんの変化もなかったのだが、ズーガリー帝国内では地中から木の根が現れて黒騎士を絡めとり、イヴィジア王国側の国境へと押し出される時にはやはり武装を解除されていた。

 違いがあるとすれば、全裸に向かれていた者は一人もいなかったことぐらいだろうか。

 この理由は、おそらく距離だ。

 木の根に絡め取られてから国境を越えるまでの距離が極端に短かったため、服や肌着までは脱げなかったと考えられる。

 その証拠というのか、根拠になったのは転々と地面に転がった黒騎士の鎧だ。

 剣は木の根に攫われたその場に落ちており、国境へと運ばれる過程で鎧や服が剥ぎ取られるというのか、脱げてしまうらしい。


 ……とりあえず、戦闘行為を行わなければ、帝国へ入ることは可能なようだな。


 思いつく限りを試し、結果を報告書として纏める。

 何百人という規模の男たちなど、いつまでも町や村に置いてはおけない。

 これから夏が来て畑仕事が忙しくなる季節だというのに、各地の村人たちに隣国の兵士の世話など見ている暇はないのだ。

 ここ数年飢饉はなかったが、だからといって無駄に働きもしない成人男性を養える余裕などどこの村にもない。


 さて、どうするかと周辺の村から届いた報告書へと目を通す。

 もとイヴィジア王国の民であれば常識も近く、数年の食糧支援ぐらいで開拓村へと受け入れることもできるが、根っからのズーガリー帝国民ではこうはいかない。

 特に支配者階級にいた人間など、イヴィジア王国に平民として帰化することなど不可能だろう。

 イヴィジア王国とズーガリー帝国では、貴族のあり方が違いすぎる。


「団長、ティナちゃんが城の方に顔を出したと伝令が来ていますが」


「ティナがここに来るわけが……いや、ティナならありえるか? ないとは言えないというか、やりかねないというか……」


 とぼけた顔をして微笑むクリスティーナの顔が思い浮かび、そんなはずはないと否定しながらも椅子から腰を上げる。

 そんなはずはないのだが、やりかねないのが精霊を連れたクリスティーナだ。

 風の精霊を使って王都から国境にあるメール城砦まで声を届けるだなんてことをやってのけてしまうクリスティーナなのだから、王都からメール城砦まで来てしまうぐらいはなんということもないのかもしれない。

 メール城砦に姿を現したことはこれまでに一度もないが、グルノールの街から王都の離宮まで、もしくはマンデーズ館までという移動はこれまでもしている。

 絶対にない、とは言わせてくれないのがクリスティーナだ。







 クリスティーナ来訪の報せを受け、国境から城へと急いで戻る。

 真偽はともかくとして、突然連絡もなしに来訪したクリスティーナは、それでも丁寧に対応されたようだ。

 もしかしなくとも、着ているものと、白銀の騎士を連れていたためだろう。

 一応足元には黒柴コクまろもいるのだが、アビソルクを連れているだけでは良いところのお嬢様としか思われない。


「お久しぶりです、レオナルド様」


「なんでティナがここに……いや、ティナだからな。ティナならありえるが……」


 驚きすぎてクリスティーナを見下ろしていると、澄まし顔で応接室の椅子に座っていたクリスティーナが僅かに眉を潜める。

 淑女らしく振舞おうと所作が控えめだったが、いえの中であれば遠慮なく不満気な顔をしていたことだろう。

 クリスティーナは『ティナ』ではなく『クリスティーナ』である、とおなじみの訂正を入れてきた。


「なんでここにティ、クリスティーナが居るんだ? 子守妖精はメール城砦へは来れなかったはずだろう」


「はい。ですから、レミヒオ様と土の精霊の力を借りました」


「……またなんだか物騒な名前が出てきたな」


 精霊については今さらだが、神王領クエビアの仮王については今さらではない。

 おいそれと名前を出していい人物ではないと、クリスティーナなら判りそうなものなのだが、そんな人物とどうやって連絡を取ったのか、と考えて、気が付いた。


 クリスティーナは王都から国境にあるメール城砦へと、自分の声を届けている。

 同じ方法を使えば、レミヒオへも声を届けることはできるだろう。


「まずは用件を先に果たしましょう」


 これをどうぞ、と言ってクリスティーナがテーブルに置いたのは、小さな鉢だ。

 鉢の中央に植物の芽が出ているが、この芽には見覚えがある。

 クリスティーナが一年近く「全然育ちませんね」と毎日覗いていた鉢にいつも鎮座していたものと同じエノメナの芽だ。


「この鉢がどうかしたのか? そういえば、冬の移動に合わせて小さな鉢を用意していたが……」


「その鉢は離宮に置いてあります。こちらは昨日のうちにグルノールへ寄って作ってきた、新しい鉢です」


 名付けるのなら二号でしょうか、と至極真面目な顔をしてクリスティーナは言う。

 子守妖精の生まれた鉢が零号で、離宮にある鉢が一号だ、と。


「……グルノールへ寄ったというところから詳しい話を聞きたい気がするが、まずは用件を聞こう。お説教はそれからだ」


「お説教はアルフレッド様からたっぷりいただきましたから、レオナルド様はわたくしを褒めて甘やかせてください」


「保護者の言いつけを守らない悪い子には、褒め言葉も甘やかしもいらないだろう」


 アルフレッドからすでに叱られているということは、クリスティーナは離宮でも何かやらかしている。

 少し会話しただけでも判るアルフレッドに怒られそうなことと言えば、グルノールへ行ったことだろうか。


 ……いや、たぶん城砦訪問これもあとで怒られるんじゃないか? いや、護衛はちゃんと連れてきているな。


 人間の護衛はジャン=ジャック一人とはいえ、クリスティーナは護衛をちゃんと付けている。

 護衛がついているのだから、クリスティーナが一人で決めた暴走ということは考え難いだろう。


 ……サリーサがついていないのは気になるが。


 全部を横へ置いて、まず今回の訪問はアルフレッドの了解の下に行われているのか、とクリスティーナに確認を取る。

 そうすると、クリスティーナはそっと目を逸らした。


 『けつ・ぼう・せん』はばっちりです、と謎の格言めいた言葉をいってはいるが、本当に話が済んでいてアルフレッドからの了承が出ているのなら、クリスティーナは俺から目をそらす必要はない。

 いつものように胸を張り、問題ないと言うはずだ。


「ティーナ? 本当に、離宮で何をやらかしているんだ?」


「そんなことは横へ置いておいてください。まずはこちらです」


 これを見てください、とクリスティーナはエノメナの鉢を俺へと押しやる。

 『ティナ』と呼んでも訂正してこないところを見ると、話を誤魔化しているだけだ。


「この鉢を使えば、風の精霊が声を届けてくれるより早く離宮のわたくしと、メール城砦のレオナルド様とでお話しができます」


 もちろん精霊の声が聞こえることが前提条件ではあるらしいのだが、これで国境の異変に対するやり取りで、声が届くまで何時間も待つ必要はなくなる、とクリスティーナは言う。

 誇らしげに仕組みを話してくれるのだが、要はレミヒオの知識と精霊の協力によるものだ。

 俺としては、変なところで行動力を発揮するクリスティーナに、連絡と移動手段を与えられてしまい、頭を抱えたい。

 前向きに『すぐに連絡を取れる手段ができて良かった』と考えるのには、不利益の方が大きすぎる気がするのだ。


「……しかし、この連絡手段も、クリスティーナがほいほいメール城砦まで来れるようになってしまえば、あまり意味はないだろう」


「ほいほい移動できても、それを許してくれる人はいませんからね」


 やはり連絡手段は必要である、と言ってクリスティーナは姿勢を正す。

 どうやら本題に入るようだ。







 人払いを、とクリスティーナが珍しいことを言いはじめたので、従卒や護衛を退室させる。

 クリスティーナが連れて来たジャン=ジャックはいいのか、と指摘したところ、ジャン=ジャックは内容を知っているので良いのだ、と護衛としてこの場に残した。


「お菓子をあげますから、しばらくこの部屋でのお話しを盗み聞きできないようにしてくれますか?」


 ――いいよー。


 風の精霊とのやりとりには慣れているのか、クリスティーナはポケットからお菓子を取り出して精霊と交渉をする。

 ぱんぱんに膨れたポケットの淵から菓子の包みが覗いているなと思っていたのだが、精霊にあげるためのおやつだったらしい。


「随分と精霊の扱いに慣れているようだな」


「いっぱい実験に付き合ってもらいましたからね」


 こちらでは精霊の力を借りなかったのか、と聞かれれば、否定はできない。

 裸で現れる男たちを見つけ、町や村へ出て暴れ始める前に無力化させてくれていたのは精霊だ。

 確かに、俺も精霊の力を借りている。


「それで、先日の地震については錯覚と考えて間違いなさそうなのですが……」


 地震と錯覚した精霊の世界とこの世界が繋がった現象は、精霊によると人間の仕業で、仮王レミヒオの発言によると人間は人間でも神王ぐらいにしかできないだろう、とのことだった。

 そして、その神王として、俺の名前が挙がっていたらしい。


「なんだそれは。レミヒオ様の勘違いだろう。俺にそんな大それた真似ができるわけがないし、俺が神王だなんてことが……」


 あるわけがない、と続けようとして、ふと気になることがある。

 気が付くのは精霊の姿が見える時だけだったが、精霊は妙に俺へと構ってくる気がした。

 メール城砦には精霊が見える黒騎士が何人もいるが、精霊が甲斐甲斐しく世話をやこうと周囲に集まり、わいわいと話しかけてくるのは俺だけだ。

 他の黒騎士の場合は、気が向けば振り向く程度で、そもそも積極的に近づきもしない。


「……心当たりがあるのですか?」


「心当たりというわけではないが、変だと思ったことはある。そういえば、クリスティーナを追って帝都へ行った時には、精霊から『王』と呼ばれたこともあったな」


 帝都トラルバッハにおいて、クリスティーナを求めて彷徨っている時に精霊らしき声を聞いた。

 王よ、王よと呼びかけられ、それぞれの精霊が力と体を貸してくれたような気がしたのだ。


 あの後すぐに神王自身と遭遇しているため、てっきり神王が来ていて手を貸してくれていたのだろう、精霊は神王に力を貸したのだろうと思っていたのだが、クリスティーナが持って来た話が本当だとしたら、あれはまた違った意味に思えてくる。


「精霊は、レオナルド様の中の神王に反応していたのかもしれませんね」


「クリスティーナの中では俺と神王が同一人物になっているようだが、俺は神王じゃないぞ」


「わかっています。レオナルド様は両目とも黒目ですからね」


 けれど、精霊は俺に反応しているし、レミヒオは俺を神王と呼ぶし、でクリスティーナの中で俺と神王は切り離せないものになっているらしい。

 レミヒオの挙げた説として、カミールが神王の遺骸を切り刻んで『精霊水晶』と呼んで利用しているように、俺がなんらかの方法で神王の遺骸を利用しているのではないか、ということだ。


「これで行くと、レオナルド様がどこで神王様の遺骸を手に入れたのか、という話になりますが……」


「……あの時か?」


 神王の遺骸に触れる機会といえば、あれだ。

 カミールに匿われた洞窟で、クリスティーナが精霊水晶を壊して回ろうとしたことがある。

 その時に俺へ水晶に触れるようにとクリスティーナは言い、それに従った俺は毎回ピリッとした針で指先を刺したかのような痛みを味わっていた。


「それらしいことがあったかと言えば、あの時ぐらいだが……」


 神王の遺骸に触れた機会など、あの時だけだ。

 そうは思うのだが、ふと神王の言葉で気になるものがあったのを思いだす。

 谷底へと落ちる際に神王の手によって救われ、暗い空間へと招かれた。

 あの場所で、神王は確かに言っていたのだ。

 

 自分は今さら人間の寿命ぐらい待ってやれる、と。


 あの時は気がつけなかったが、神王の言った『人間の寿命』とは『俺の寿命』のことだったのだろう。

 俺が死んで体が失われれば、自覚はないが持っているらしい神王の遺骸も失われるはずだ。


「……カミールの洞窟で精霊水晶に触れる前から、俺は神王の遺骸を持っていたってことか?」


 となればどこで、と考えてひらめいたのは二十年前だ。

 俺にとっては二十年以上前の話だったが、カミールとしては五、六年前。

 ジャン=ジャックがこの話を聞いてから二年ほど経っているはずなので、八年ぐらい前の話になる。


 俺の記憶とカミールの記憶とで随分と開きがあるが、そこに精霊的な何かが関わっているのなら、まったくありえないことだとも言えないだろう。

 現に、クリスティーナが神王本人から聞いた話によれば、神王の遺骸は彼の願いを叶えるために時を止めているらしいのだ。

 叶える願いがなくなったから、と遺骸を破壊するよう神王が言い出したとのことだが、少なくとも現代まで神話の時代から神王の肉体が残っていることになる。


 神話の時代から神王の肉体が残っていることを思えば、八年か二十年かという時間など誤差の範囲と言えるかもしれない。


「……やはり、二十年前にカミールに会った時か?」


「レオナルド様は二十年前にもカミールさんに会ったことがあるのですか?」


「カミールとしては、七、八年前のことらしい」


 ジャン=ジャックが聞いてきた話と、俺がカミールへと聞いた話をクリスティーナへとしてみる。

 聞く人間が変われば違う見かたが出てくる、というのはよくあることだ。

 クリスティーナはこの話をどう受け止めるのだろうか、と注意深く観察していたのだが、クリスティーナはかすかに首を傾げただけで、特に何かに気が付いたという様子はなかった。


「……レオナルド様のお話とカミールさんのお話に、随分と開きがあるような?」


「ここに精霊が関わってくれば、ありそうな誤差だとも思わないか?」


「そう……ですね。あるかもしれません」


 上手くは説明できないのだが、と前置いて、クリスティーナは神王と初めて遭遇した時の話をしてくれた。

 当時俺も聞いた話だったが、今聞くと違う話に聞こえる。


 神王の説明によると、最初にクリスティーナと神王が邂逅した時には、ありえない事態に世界が混乱し、そこで流れた『時間』はなかったことにされたのだとか。

 クリスティーナが追想祭で精霊に攫われるのはいつものことだが、あの日のクリスティーナは行方不明にはなっていない。

 神王に会ったという記憶を持ちつつも、精霊に攫われてどこかへ行っていたという事実は残っていなかったのだ。


 神王に関することならば、時間すらも歪むことが無いとは言えない。


「……一度、カミールさんに会って話を聞く必要がありますね」


「そうだな。機会があればもう一度会って話を聞いてみたいが……」


「では、行きましょう」


 すぐ行きましょう、と言ってクリスティーナが立ち上がったところで、聞かなければいけないことがあったことを思いだす。

 正確に言えば、聞く機会はあったはずなのだが、クリスティーナが先に話を進めてしまったために聞けずにいたこと、だ。


「そういえば、クリスティーナはどうやってメール城砦まで来たんだ? 馬車にしては早すぎるし、ジャン=ジャックの馬に乗って換え馬を使ったにしても早すぎる」


「ですから、土の精霊の力を借りました」


 風の精霊に力を借りたように、土の精霊に力を借りて移動してきたのだ、とクリスティーナは言う。

 子守妖精と土の精霊の力の違いについては、レミヒオが解説してくれたそうだ。


 ……嗚呼、また手綱を握るのが難しく……っ!


 クリスティーナのことは王都にいる間はアルフレッドに任せたようなものなのだが、そのアルフレッドの苦労が忍ばれすぎる。

 クリスティーナの手綱を握りたくとも、知らぬ間に手綱の数を増やされてしまい、掴み難いことこの上ない。


「……とりあえず、ティナはまずまっすぐに離宮へ帰ろうか」


「え? いやです。今帰ったら、アルフレッド様にまた怒られるじゃないですか」


「怒られるのか!? 許可が出て来てるんじゃないのか?」


 護衛のジャン=ジャックが一緒にいたため、アルフレッドも承知でメール城砦へと顔を出しているのだと思っていたのだが、違ったようだ。

 クリスティーナは帰れば怒られると自覚しつつも、こっそり離宮を出てきたらしい。

 ではジャン=ジャックはそれに黙って付き従ったのかと問い詰めれば、ジャン=ジャックはクリスティーナに買収されていた。

 メール城砦へと来る前に、ちらっとグルノールへと寄ってジゼルと娘の顔を見てきたのだとか。


「カリーサは何も言わなかった……わけはないな」


 移動に土の精霊の力を借りたということは、普段クリスティーナを運んでいる子守妖精が面白くないだろう。

 そう思って普段はクリスティーナの肩にいる子守妖精を探せば、クリスティーナのポケットがもぞもぞと動いている。

 覗きこんでみると、頬を膨らませて拗ねているとわかる子守妖精に何故か俺が睨まれた。

 拗ねた子守妖精は、どうやらポケットの中の菓子を全て食べてしまうつもりらしい。


「わたくしが離宮へ帰る時はレオナルド様も一緒ですよ。一緒に怒られてください」


「アルフの説教は、早めに怒られた方が短く済むぞ」


「知っています。伊達に十年近く怒られていませんからね」


 ただ、近頃は本当に切実な響きをもつ切々とした説教が聞いていて辛いらしい。

 ならば心配をかけるような真似をしなければいいだろう、と指摘すると、クリスティーナは困ったような顔をする。

 自分がやれば早く確実に解決するかもしれないことを、他者ひとに任せてあとは続報を待つだけというのもなかなかに歯がゆいのだ、と。


「だからサッと行って、サッと帰ってきましょう」


 アルフレッドが自分の不在に気づく前に離宮へと帰れば、アルフレッドが心配をすることはない。

 アルフレッドが自分の不在に気づいたとしても、俺が一緒に戻ればそれほど心配することはなかったのだろう、と安心もするはずだ、と。


「……どうあっても説教は回避できないと思うぞ」


「でも、努力次第ではお説教の時間が少しは短くなると思うんです」


「努力の方向が間違っていると思うんだが」


「いいのですよ。精霊も何が起こったのかって困っているみたいなので、アルフレッド様には任せておけません」


 クリスティーナは精霊の声が聞こえる。

 今度の騒ぎで、アルフレッドも精霊の姿が見えるようになったそうだ。

 ただし、アルフレッドに精霊の声は聞こえていない。

 そして精霊は、クリスティーナにこの事態の解決を期待しているそうだ。


「……いろいろ実験に付き合ってくれたし、レオナルド様とはお話しできるようにしてくれたし、これだけお手伝いしてくれたんだから、わたくしもお礼をしないといけないかな、と思いまして……」


「それでか」


 クリスティーナが妙に聞き分け悪く、アルフレッドに心配をかけてまで自分で動く理由がわかった。

 自分が精霊の世話になっているから、その精霊の願いを叶えたいと考えたのだろう。

 確かに、精霊の声が聞こえる人間は少ない。

 王都ではクリスティーナとサリーサだけで、メール城砦では俺だけだ。

 となると、精霊の要求を叶えられる可能性があるのも、俺とクリスティーナ、あとはサリーサだけということになる。


「……カミールに会えば、精霊の願いは叶えられるのか?」


「わかりません。でもこの事態を引き起こしたのは人間だと精霊が言うので、神王疑惑のあるレオナルド様が犯人でないのでしたら、次の心当たりは妖精の生まれる球根を作ったカミールさんです」


 これほど怪しい人物はいないだろう、と言われてみれば確かにカミールほどこの事態に関与していないはずのない人物はいない。

 むしろ、カミール以外の誰がこんな事態を引き起こせるというのか、考えれば考えるほど、他がいるのなら犯人は神王だ。

 神王かカミールの二択でしか、精霊が世界に溢れるよいうようなとんでもない事態は引き起こせないだろう。







 洞窟にいるカミールに会うだけならば、それほど危険はない。

 クリスティーナと精霊の都合もあるため、少しぐらいならばと折れてみる。

 怒られる時は一緒がいいです、というクリスティーナの泣き落としに落とされたわけではけしてない。


「それで、どうやってカミールのところへ行くつもりだ?」


「土の精霊にお願いして、ですかね?」


 土の精霊、とクリスティーナが紹介すると、テーブルの上に南瓜を帽子にした小人が現れた。

 どうやら自分が紹介されるまでは姿を隠していたらしい。

 テーブルの上をてくてくと歩いて俺の目の前に来ると、帽子を脱いでぺこりと頭をさげた。


「カミールのところまでお願いできますか?」


 ――カミール だれ?


「ええ? そこからですか……」


 なんと言ったら精霊にカミールが伝わるだろうか、と考え始めるクリスティーナを横に、少し言葉を変えてみる。

 風の精霊とクリスティーナがどのようなやり取りをしたかは聞いていたので、精霊へと物を聞くコツが少しだが理解できていた。


「『精霊の座』もしくは、神王の遺骸を切り刻んで利用している人間の男がいるはずだ。これなら判るか?」


 ――わかる。


「じゃあ、そこまで俺とクリスティーナ、それから……」


 ジャン=ジャックと黒柴をそこまで送ってくれ、と告げると、土の精霊は二カッと笑って南瓜の帽子を被り直す。

 どうやらこれが了承の意思表示だったようで、次の瞬間には周囲の景色が変わっていた。


「……いや、出かけるとユルゲンたちに言付けてから頼みたかったんだが」


 少し言い方を間違えたようだ。

 それにしても、気が早いにも程がある、とまずは周囲の様子を確認する。


 ゆっくりと見渡した限りの風景は、見覚えが無いものだ。

 洞窟近くの森でも、川でもない。

 一面に薄く下草の生えた明るい場所で、少し空気が薄い気がする。

 カミールの洞窟へと運んでもらったつもりなのだが、どうやら違う場所に出てしまったようだ。


 それでは一体どこに出たのか、と考えたところで不安を感じたのかクリスティーナが腕にしがみ付いてくる。

 拗ねていたはずの子守妖精も異変を感じてか、ポケットから出てもぞもぞとクリスティーナの肩へと這い上がってきた。


「レオ、大きな木です」


 くいくいと腕を引っ張り、クリスティーナが背後を示す。

 何を見つけたのかと振り返ってみれば、そこにあったのは巨大すぎる樹だった。


「これは……もしかして、黎明の塔か……?」


 目の前の木を塔と呼べるかどうかは別として、以前見た黎明の塔は、透明な木のようなものに覆われていた。

 あの時の木が生長し、目の前の大樹となって黎明の塔を内に隠しているのだろう。


 どうやらカミールの洞窟ではなく、黎明の塔の前へと出てしまったらしい。

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