レオナルド視点 カミールの来客

 少しずつ出立の準備を整えながら、日課としてティナの散歩を続ける。

 旅立ち用に精霊が新たに作ってくれたティナの服は、動きやすいズボンだ。

 膝が少し隠れるほどの長さで、中には羊のような姿をした精霊が織るのではなく編むことで作り上げた布を使ったタイツを穿いていた。

 俺の知っているタイツはズボンとほぼ変わらないものなのだが、精霊の作ったタイツは驚くほど薄く、ティナの足の形がよく判る。

 こんなに薄くて大丈夫なのか、とタイツに包まれたティナの脹脛ふくらはぎを持ち上げると、「レオのスケベ」とティナには怒られてしまった。


 ……しばらくは男の子の格好をさせておくか。


 俺の庇護の下、お嬢様として馬車を使った旅ができるのならよかったのだが、ここはズーガリー帝国だ。

 俺の名前など害にしかならないし、馬車が用意されたとしても俺たちは隠しへと潜むことになるだろう。

 それを考えたら布の多いスカートを穿かせておくよりも、ズボンの方が場所を取らなくていい。

 不幸中の幸いというか、今のティナの髪は少年のように短かった。

 十五歳という年齢は男女の差が体に出始めていても不思議はないと思うのだが、娘らしい丸みとは無縁のティナであれば、少年の服を着れば男の子に見えないこともないだろう。

 少年の格好をすることは、いい目くらましになるはずだ。


 ……洞窟ここじゃ妹だって知られてるから、変装にはなってないけどな。


 少年のような服装をさせていても、兵士からのティナへの貢ぎ物は変わらなかった。

 相変わらずティナの食事だけ固い黒パンではなく、柔らかなパンケーキだ。


 ……しかし、案内に兵士が来るのは珍しいな。


 前を歩く兵士の背中を見つめ、横を歩くティナの手を握りこむ。

 いつもはティナが俺を引っ張って前を歩くのだが、今日は案内の兵士がいるためティナは俺の横を歩いていた。

 案内に、と兵士が用意されることは珍しい。

 というよりも、洞窟に来てから初めてのことだと思う。

 外から人が来た、とカミールに呼ばれてのことだ。


「カミールおじいちゃん」


 ここだ、と兵士が足を止めた部屋へと、ティナが飛び込んでいく。

 中に待っているのはカミールだと理解していたようだが、他にも人間がいるはずだ、という考えには至らなかったようだ。

 俺が部屋へ入るより早く、ティナが部屋から飛び出してきて俺の背中へと隠れてしまった。


「妹が失礼した。人見知りをする……」


 まずはティナの行動を詫びておこう。

 そう思って部屋の中を見渡したのだが、見知らぬ老紳士とカミールの他に、俺の知った顔があった。

 ティナも知っているはずの顔だ。


「……なぜ、ベルトラン殿がここに」


「それはこちらの台詞だ。なぜおまえがここにいる。クリスティーナはどうした。髪が短くなっているではないか。それに、そんな男児のような格好で……『カミールおじいちゃん』とはどういうことだ!?」


 最後が一番気になったらしい。

 なにしろベルトランは、ティナから親しみを込めて『お祖父じい様』と呼ばれたことは一度もない。

 その呼びかけが、他所の老人カミールへと当たり前のように使われていたのだ。

 ベルトランとしては面白くないだろう。


 強められたベルトランの語気に、怯えたティナがさらに隠れようとしてか、俺の背中へと顔を押し付けてきた。


「とりあえず、ティナが怯えるので声は抑えていただけませんか?」


「ぬうっ……」


 俺の背中に隠れて顔すら見せないティナに、ベルトランはなんともばつの悪そうな顔をする。

 いつもの調子で威嚇すれば、ティナからの反発があると思いだしたのだろう。


 ……まあ、今のティナが反発するかは判らないけどな。


 一応はベルトランが落ち着いたようなので、こちらもティナへと声をかける。

 怯える必要はないから、顔を見せてやれ、と。


「ティナ、ベルトラン殿だ。何度か会ったことがあるだろう。ティナのお祖父じいちゃんだぞ」


「お祖父ちゃん……?」


 恐るおそるといった様子で背中から顔を出し、ティナはベルトランを盗み見る。

 ジッと見つめてくるティナにベルトランは顔を引き締めたが、それは逆効果だと思う。

 澄まし顔のベルトランは、子どもが見るには十二分に強面こわもてだ。

 少しだけ警戒を解こうとしていたティナの体がこわばり、出しかけていた顔をまた俺の背中へと隠してしまった。


「わたし、お祖父ちゃんなんていませんよ」


「ティナのお父さんの、お父さんだ。お祖父ちゃんがいないわけないだろう?」


「……それも、そうですね?」


 変ですね、と首を傾げながらもティナは再び背中から顔を覗かせる。

 どうやら少しはベルトランに興味を持ったらしい。

 この様子なら、ベルトランが怒鳴りでもしない限りティナと交流を深めることも可能だろう。


 ……まあ、ベルトラン殿が怒鳴らずに終わるとも思えないんだけど。


 ティナの興味がベルトランへと向いたようなので、もう一人の老紳士へと挨拶をする。

 ベルトランと一緒に来たレーベラン領の貴族は、やはり歴史書でベルトランと名を並べるズーガリー帝国の騎士アルバートだったようだ。

 自身を『バート』と名乗ったのは、俺がズーガリー帝国内で『ジン』と名乗っているのと同じ理由だろう。

 イヴィジア王国へと戻りたい俺たちに手を貸すのは、ズーガリー帝国の貴族としてはまずい。

 そのため、偽名を名乗ることにしたのだ。


「カミール殿には恩があったからな。恩に報いるために呼び出されたが、運ぶ相手が噂の『熊殺しのジン』であれば話は別だ。まずはその腕を試させてもらおうか」


 話はそれからだ、と言ってアルバートは上着を脱ぎ始める。

 カミールから話は聞いていたが、本当に力こそがすべてであるらしい。

 今すぐ力比べをしたいと言い出すとは思わなかったが、もしかしたら『熊殺し』の噂の他にベルトランから俺の話を聞いていたのかもしれない。

 俺は闘技大会で一度ベルトランに勝ったことがある。

 現役時代にベルトランと好敵手であったというのなら、アルバートも俺と力比べをしたいと言い出しても不思議はない。


 室内で暴れるには限度がある、と勝負は互いの肉体のみを武器とすることにした。

 試合形式の剣戟でも怯えるティナは、テーブルの下に隠す。

 テーブルの下からであれば俺の足が見えて『ここにいる』ということは判るし、殴り合いは見えない。

 テーブルの下に潜るという淑女らしからぬ行動にベルトランが眉を顰めたが、祖父という刷り込みが功を奏したのか、俺から離れたティナがベルトランの足にくっついたあたりからベルトランの顔が死んでいる。

 初めて孫娘から頼られているという事実に、表情筋を引き締めすぎた結果だろう。







 アルバートとの力比べは、想定外に苦戦した。

 アルバートがベルトランよりも強いという意味ではなく、主に力加減が難しかったのだ。

 老いた身で隙のない構えと攻撃を繰り出してくるアルバートに、手加減などする余裕はない。

 ところが、近頃の俺の全力は少々どころではなく脅威だ。

 全力で殴り返せば、老体でなくとも人間の体がどうなるかは判らなかった。

 これから馬車を借りて運ばれる予定の相手を、まさか殴り殺してしまうわけにもいかなかったので、細心の注意を払って攻撃を返す。

 それを手加減と取られてアルバートは激怒したが、結果としてはよかったと思っておく。

 激情して全力で殴りかかってきたアルバートの拳をすべて防ぎきると、少し冷静になったアルバートが思いだしてくれた。

 俺の拳が熊の顎をも砕くことを。

 それゆえに全力では返せないのだ、と。


 ……まあ、不満は不満そうだったけどな。


 戦場でなら手加減の必要はないが、それ以外で人を殺す趣味はない。

 人を殺すことがあったとしても、それは山賊や盗賊といったこちらを害するつもりで近づいてきた者だけだ。


 殴り合いが終わったと悟ると、ティナがすぐにテーブルの下から出てきて俺の背中へと隠れる。

 ジッとアルバートの顔を睨み始めたので、頭を撫でて気を逸らしておいた。

 どうやらティナの中で、アルバートは俺をいじめる悪い人と判断されつつあるようだ。


「いやぁ、それにしても面倒くさいね、君たち軍人は」


 殴り合わないとお互いに信用できないというのは実に非効率的だ、と呆れながらカミールはインスタントコーヒーに砂糖とミルクをたっぷりと入れた。

 それを見たティナが、珍しくも自分用にインスタントコーヒーを淹れる。

 カミールを真似て砂糖とミルクをたっぷりと入れたようだが、ティナには甘すぎたらしい。

 喉が焼けるように甘いのか、ケホっとひとつ咳をした。


「落ち着いたところで、話を戻すぞ。なぜ攫われたはずのクリスティーナがここにいる?」


「出先で拾ったんだよ。シンが毛布に包んで運んでいた」


 シン? とベルトランが訝しげにしていたので、ジンである、と訂正しておく。

 相変わらずカミールは俺の名前を覚える気がないようだ。


「帝都でティナ見つけて、取り戻した。途中いろいろあって方角も判らなくなったんだが、ティナもあまり動かせるような状態ではなかったし、ティナがある程度回復するまでカミールに匿われて洞窟ここにいることにした」


 ざっくりとティナ救出までの経緯を話し、ベルトランの中でカミールへとかけられそうになっているティナ誘拐の容疑を晴らしておく。

 ここにはいないが黒犬オスカーも活躍したと伝えると、ベルトランはわずかに表情を弛めた。


「……それで、クリスティーナはどうした? なにやら様子がおかしいし、まるで成長しておらんではないか」


「成長していない理由はわからないが……」


 様子がおかしいのは、精霊いわく『中身は安全なところに隠れている』ためだろう。

 ティナの中で何かが欠けているため、以前のティナとは微妙に違う。

 しかし、そのおかげでベルトランへの苦手意識はないようで、ティナは俺から離れないながらも無言でベルトランを見ていた。

 祖父と紹介されたベルトランが気になるのだろう。

 ベルトランの方も、これまでにないティナからの注目を意識してか、必要以上に居住まいを正していた。


「様子がおかしいのは、いろいろあったからだろう」


 結局、精霊の言っていたことには触れず、曖昧に言葉を濁す。

 カリーサの死についてはまだティナに聞かせたくなかったし、ティナの子守女中ナースメイドが遺体で発見されたことはベルトランに伝えてある。

 言葉を暈しても、言いたいことは伝わるはずだ。

 今回の誘拐は、ティナの心と体に大きな傷をつけている、と。


「――レーベランで匿うことは可能だが、その先は少し難しいな」


 洞窟の外からやって来たアルバートによると、相変わらず洞窟の外ではティナが捜索されているらしい。

 帝都周辺を探してもティナの遺体すら見つからず、ならばと捜索範囲を少しずつ広げたが洞窟にいるティナが見つかるはずもなく、現在はズーガリー帝国中でティナを探しているようだ。

 アルバートたちも洞窟ここへ来るまでにいくつもの検問で馬車を止められることになったらしい。

 とはいえ、アルバートの馬車は貴族家の紋章を掲げている。

 検問で足を止められることはあったが、口頭で少し確認をされる程度で馬車の中までは調べられなかったようだ。

 相変わらずの杜撰ずさんな検問である。


「問題は国境だ。今は検問とは別に、国境付近へ兵が集められている。どうもイヴィジア王国側で国境に陣を構え、戦を仕掛けてくる準備をしているらしいという噂だが……」


 何か知っているか、とアルバートからの視線を受けて、少し考えてみる。

 俺がイヴィジア王国にいる間は、ズーガリー帝国への攻撃など考えてはいなかったはずだ。

 あくまでティナの誘拐は一貴族の企みであり、国ぐるみの犯行ではないと考えていた。

 そのため、ひっそりとズーガリー帝国へ侵入し、ティナを穏便に取り戻すつもりでいた。

 イヴィジア王国としても、ことを荒立てるつもりはなかったのだ。

 あくまでティナの誘拐が国ぐるみのものでなかった場合には、という話だったが。


 ……一応、国ぐるみの誘拐ではなかったな。エドガーから皇帝がティナを横取りはしたが。


 横取りはエドガーからされたものなので、ズーガリー帝国皇帝がティナの誘拐自体に関与していたとは考え難いだろう。

 皇帝がしたことといえば、エドガー邸にいる美貌で評判のシスティーナという少女を取りあげたぐらいだ。

 個人的にはティナへと行われた拷問など許せるものではないが、これはティナを手に入れてから皇帝が行ったことである。

 ティナの誘拐で動いているはずのイヴィジア王国が、ズーガリー帝国そのものへと戦を仕掛ける準備をしているというのは少しおかしい。


「イヴィジア王国がズーガリー帝国へ戦を仕掛けるとは考え難い。現国王陛下は穏やかな気質で、無辜の民に犠牲の出る戦は極力避ける道を模索される方だ。それに、国境の砦を守っているのは……」


 ズーガリー帝国との国境を守るメール城砦の主は俺だ。

 今は不在にしているが、アルフレッドとユルゲンに後を任せてきた。

 あの二人が短慮を起こし、こんなにも短い時間で戦の準備を始めるとは思えない。


「……やはり、イヴィジア王国の方から仕掛けてくることはありえない」


「そうか。しかし……両国ともに国境付近へと兵が集められていることは事実だ。レーベランで貴殿らを匿うことは可能だが、国境を越えることは難しいだろう」


 国境付近の緊張状態が解けるのを待つか、逆に神王領クエビア側の国境を越えてエラース大山脈を大きく迂回していくか、という提案に、一つ気になったことを聞いてみる。

 イヴィジア王国との国境へと兵士が集められているのなら、神王領クエビア側の検問の手は薄くなっているのではないか、と。


「実際に行ってみないと正確なことは判らないが、その可能性はある。神王領クエビアは、他国を侵略するような性質はしていないからな。ズーガリー帝国でも、そこは信頼されている。警備は普段からガラガラだ」


 ガラガラはまずいだろう。

 そうは思うのだが、俺とティナにとっては都合がいい。

 普段からガラガラらしい警備の手が、イヴィジア王国との国境へ向けられているのだ。

 多少日数はかかるが、ティナの安全を考えれば神王領クエビア側から国境を越えた方がよさそうだ。


 ……ああ、これか。


 神王領クエビア側から国境を越える。

 そう考えてみれば、イヴィジア王国側の国境へと兵士が集められている、という噂の正体が判った。

 おそらくは、アルフレッドの策略だろう。

 アルフレッドへはティナを確保した後、俺たちが国境を越えやすいよう国境を手薄にしておいてくれと頼んである。

 そろそろ俺がティナを確保したと読み、国境を越えやすいように兵を動かしたか、独自の情報網を使ってズーガリー帝国へと『イヴィジア王国ではズーガリー帝国へと戦を仕掛ける準備をしている』とでも噂を流したのだろう。

 誰かが故意に噂を広げているとでも考えなければ、ズーガリー帝国がこんなにも短期間で兵を国境へと向けるはずがない。


 ……となれば、クエビア側から国境を抜けるのが正解か。アウグーン領にコーディがいれば、そのまま荷馬車に乗っていけたんだが。


 残念ながら、コーディは帝都へと移動する際にアルフレッドへの報告書を持たせてグルノールへと送っている。

 アウグーン領のカルロッタを頼ったところで、コーディは待っていないはずだ。


 ……とはいえ、ティナにはまだ長旅に耐えられるだけの体力はないからな。


 レーベラン領方面に兵士が多くて行動に制限があるのなら、アウグーン領へと向かえばいい。

 カルロッタもティナを迎えいれるための準備をしていたはずだ。

 神王領クエビアへ向かって検問の数が減っているというのなら、カルロッタを頼った方がいいだろう。


「レーベラン領ではなく、アウグーン領へ送ってくれないか?」


 まさか領主カルロッタ逃走者おれたちに手を貸してくれている、と宣言するわけにはいかず、アウグーン領を指定する理由を暈して説明する。

 ティナを探して行動しているうちに、アウグーン領に拠点を築いたのだ、と。

 おそらくはそこにジャン=ジャックがいるはずなので、イヴィジア王国へと戻るためには一度合流する必要がある、と。


「アウグーン領か……。アウグーン領なら、領主のカルロッタ様へと紹介状を書いてやろう」


 あの女傑であれば、誘拐された妹の救出とその帰還について困っている兄へと手ぐらい貸してくださるだろう、とアルバートは言う。

 カルロッタにいらぬ嫌疑がかからぬよう暈したつもりだったが、アルバートはカルロッタの性格についても知っているらしい。

 もしかしなくとも、友人関係にあるのだろう。

 アルバートとカルロッタは、ズーガリー帝国では珍しい性質の貴族だ。

 お互いに気が合う可能性は十分にあった。

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