レオナルド視点 ティナとカミール
カリーサを探して洞窟内にある部屋をすべて回り終わると、わずかながらもティナに体力が付いてきたように思う。
とはいえ、まだ歩きながらの休憩回数が減った程度だ。
俺たちに与えられている部屋から洞窟の最奥まで休まずに歩くことはできなかったし、歩く速度も遅い。
少しは筋力がついたかとティナの
食べる量は洞窟に来た当初よりも増えているので、成長期のティナが一度回復へと向かい始めれば、あとは早いだろう。
問題は、心の方だ。
精霊いわく、中身がどこか別のところに隠れているらしいティナは、相変わらず様子がおかしい。
おしゃべりは増えてきたのだが、そのおかげで判ったこともある。
ティナの記憶は、誘拐されてから俺に取り戻されるまでが曖昧だった。
近いところでは鳥籠で見世物にされていた記憶がなく、長いものではずっと側にいたはずのジゼルの記憶がない。
ジゼルのことは、グルノールにいるものと思っていたようだ。
ではカルロッタのことも覚えていないのかと名前を出せば、カルロッタのことは覚えているというので、ティナの記憶は何が基準となって忘れられているのかが謎である。
……しかし、カリーサを探し終わってもティナが散歩を続けてくれたのは、嬉しい誤算だったな。
なんと言ってティナを歩かせようかと考えていたのだが、考える必要はなかった。
というよりも、ティナの方が考えていたようだ。
「最初の頃に回った部屋は、まだ『精霊の座』を壊してませんよ」
散歩の継続は当然ではないか、と胸を張るティナの言葉に違和感を覚える。
他の部屋の精霊水晶は嵌っている場所の確認こそしたが、破壊などしていないはずだ。
少なくとも、この部屋以外の精霊水晶はすべて無傷である。
「精霊水晶の確認はしたが、壊してはいないよな?」
「レオがちゃんと壊してましたよ。中身を全部抜いちゃったから、残ってるのはただの石みたいなものです」
「……あのチクリときていたのは、何かが抜けていたからか」
ティナが触れと言うので律儀に触ってきたが、意味のない行為ではなかったらしい。
てっきり痛がる俺を面白がっているのかと思っていたのだが、ティナ的には大真面目だったようだ。
「レオが撫でると『精霊の座』から影みたいなのが抜けて、中が空っぽになる感じ?」
「それだと、抜けた中身はどこに行くんだ?」
「えっと……レオの中?」
あれ? とそこでようやくティナは気がついたようだ。
中身が抜けているというのなら、その中身はどこへ行ったのだろうか、と。
「え? レオ、体大丈夫ですか? 神王様になっちゃったりしませんか?」
「今更な心配だな。抜いている時は気がつかなかったのか?」
オロオロと急にうろたえ始めたティナを、頭を撫でて宥める。
俺の顔と腹の辺りを見比べているところをみるに、影とやらは腹にでも溜まっているのだろうか。
……中身って、神王の遺骸だったよな? 俺は神王を食ったことになるのか……?
食べたという表現は正しくないが、影が俺の中に留まっているというのなら、やはり気になる。
知らぬこととはいえ神王の遺骸を体に取り込むなど、神王の棺を切り刻むのと並ぶ蛮行かもしれない。
どう思う? とティナの残したパンケーキにジャムをたっぷりと塗っている精霊へと視線を向けると、精霊はきょとんっと瞬いた後、すぐに興味を失ったようだ。
大きく口を開けてパンケーキを頬張りながら、「今さら、今さら」と笑った。
……今さら? たしかに、最初に精霊水晶を撫でてから数日以上が経ってはいるし、特にこれといって体に異変もないが。
今さら、と言って放置していいものかは判らない。
ティナは『精霊の座』を破壊するように言われているのだ。
その中身が俺の中にあるというのは、あまりいい状況ではないだろう。
……せめて、中身が抜ける一助になっているだけで、俺の中に溜まっていないと判ればいいんだが。
精霊が別段気にしている様子はないので、俺が気にしても仕方がないのだろう。
前向きに考えるのなら、精霊は『精霊の座』を刻んだカミールへは手を貸さないが、俺へは相変わらず道案内を買って出たり、ティナを寝かしつけてくれたりと手を貸してくれていた。
ということは、俺は精霊から嫌われてはいないのだろう。
俺が神王を本当に取り込んでいたとすれば、カミール並みに嫌われるはずだ。
……うん、ない。俺の中に神王の遺骸なんて、留まってない。
物事は前向きに考えよう、と思考を切り替える。
精霊水晶が形を保ったまま、神王の遺骸を含むという性質だけを取り除くことができるのなら、それに越したことはない。
カミールに悟られることなく、精霊水晶の無事を確認されても困ることなく、『精霊の座』を破壊できるというのなら、これはいい方法のはずだ。
少なくとも、
食事が終わると、ティナに手を引っ張られながら洞窟内の部屋を回った。
途中、通路の向こうから兵士がやって来るのが見えるとティナは俺の背中に隠れたが、顔だけ出して兵士へと挨拶をするぐらいには精神面の回復が見られる。
これに愛嬌を振りまくという要素が加われば、完全回復も近いだろう。
……カミールにはすっかり慣れたな。
転生者カミロが残したという研究資料を読んだティナは、中身の有用性と危険性を知った上で、それを作る気はないと言うカミールに安心し、信頼したらしい。
顔を見れば『カミールおじいちゃん』と呼んで付き纏い、実験する様子を見学していた。
カミールの方も子どもに懐かれるというのは悪い気がしないようで、なにかとティナを構っている。
……いや、ティナに持たせると精霊が面白がって手を貸すことがあるから、かもしれないけどな。
精霊水晶の嵌められた仕掛けをティナに持たせると、気まぐれに精霊が力を貸して仕掛けを動かすことがあった。
カミールはこの偶然を狙ってティナに仕掛けを持たせているのかもしれない。
俺やティナがいると研究が進む、という体感はあるはずだ。
……まあ、うっかり精霊水晶をティナに見せると壊される、とは思っているみたいだけどな。
おそらくは精霊水晶が下に嵌められていると思われる覆いのある部分に、ティナが開けられないよう包帯が巻かれている。
これならば少し目を離した隙にティナが精霊水晶を壊そうとしても、すべての包帯を取り除かれる前に仕掛けを取り戻せるとでも思っているのだろう。
カミールなりに、ティナを警戒もしていた。
「カミールおじいちゃん、今日は何してるのー?」
植物プラントと呼ばれている一角にカミールの姿を見つけ、ティナが俺の手を離して駆け寄る。
俺よりカミールを取ったように見えるが、これは違う。
カミールのいる一角が、果物を栽培している一角だからだ。
何をしているの? と駆け寄りつつ、ティナはカミールの手から果物をもらうつもりなのだろう。
ようは俺がカミールに負けたのではなく、ティナの食い気に負けたのだ。
……しかし、相変わらず青々と茂っているな。
ティナがカミールから小さな籠を手渡されるのを見守って、植物プラントを見渡す。
洞窟の中で太陽の光が差し込まないというのに、ここの植物は元気そうだ。
陽の光が差し込まない洞窟内で青々と葉が茂ることも不思議だが、この場所の異常性はそれだけではない。
ズーガリー帝国の土壌では育ち難いはずの野菜や、神王領クエビアの一部地域でしか実をつけない果物の木などが、当たり前の顔をしてそこにある。
前回覗いた時に植物プラントを警備していた兵士が説明してくれたのだが、カミールが各地の植物を取り寄せ、気候や土壌を整えて栽培しているらしい。
陽の光についても特殊な仕掛けを施した照明で代用しているらしいのだが、俺にはさっぱり理解できなかった。
……ティナは温室みたいなものか、と適当に理解したみたいだけどな。
温室と聞けば俺にも多少は理解できたが、これだけ多様な植物を育てられる温室となると、その調整は至難の技だっただろう。
大前提として、洞窟内で植物が育てられるというだけでもすごい。
……しかし、毎回作りたてのジャムが出てくると思えば……ここで作ったプサルベリーだったんだな。
相変わらず食事として出てくるパンは固い黒パンだったが、ティナのためにと貢がれるパンケーキやオムレットには、蜂蜜の他に作りたてと判る温かいジャムが添えられている。
保存食として瓶詰めしたものを温めて出しているのかと思ったが、新鮮なプサルベリーが取れるのだから、食堂で作られたものだったのだろう。
……あ、ティナがつまみ食いしてる。
小さな籠へとプサルベリーを収穫しつつ、誘惑に負けたらしいティナがプサルベリーを一つ口へと運び、思わぬ酸味に顔をしかめた。
プサルベリーは甘酸っぱいが、ティナが食べるには砂糖と煮たジャムにした方がいいと思う。
ティナは甘いものが好きだが、酸味の強いものは苦手そうだった。
「見違えるほど元気になったね」
「……まだまだだ。うちのティナはあんなにおとなしくない」
洞窟へと運び込まれた頃のティナと比べれば、確かに元気を取り戻しているように見えるだろう。
しかし、元のティナを知っている俺からしてみれば、ようやく元気が出てきたか、という程度でしかない。
ティナはあまり外へ出て遊ぶ子どもではなかったが、だからといってお淑やかな少女というわけでもなかった。
ヘルミーネによる淑女教育のおかげで猫を被る技術を磨いていたが、逆に言えば猫を被る必要があるぐらいにはお転婆だったのだ。
「でも、そろそろ洞窟を出ても大丈夫だろう。外から信用できる人を呼ぶから、その馬車に乗って行くといい」
「その信用できる人間、というのは?」
「帝国では珍しいタイプの貴族だよ。筋の通らないことが大嫌いで、力こそがすべてって感じかな?」
「……それは信用していいのか?」
むしろ『筋の通らないことが大嫌い』というところに、俺たちが引っ掛かるのではないだろうか。
ティナはイヴィジア王国から誘拐されてきた、筋の通らないことをされた側の被害者だ。
そういう意味では、確かに協力を得られるかもしれない。
しかし、『筋が通らないことが大嫌い』だと言うのなら、大本の原因はともかくとして、皇帝から追っ手をかけられている逃走者の手助け自体を嫌がるのではないだろうか。
それこそ『筋が通らないことは大嫌い』だ、とでも言って。
「大丈夫だよ。彼はとてもシンプルな思考回路をしているから。あれでも一応帝国の貴族だからね。ある程度の理不尽を飲み込む下地はできている。事情を話せば、きっと手を貸してくれるよ」
不安なようなら、手合わせでもなんでもして勝てばいい、とカミールは苦笑いを浮かべた。
カミールの言う『力こそすべて』の『力』とは、権力ではないらしい。
そのまま『力』とは腕力であり、武力だ。
自分よりも強いと認めた者の言葉には、多少の理不尽も「何か理由があるのだろう」と飲み込んで聞き入れることができる人間を呼ぶつもりらしい。
「それはそれで大丈夫なのかと不安になってくるが、力押しなら多少の自信がある」
ほんの少し前まで『熊殺しのジン』だなどと呼ばれていた俺だ。
普通の人間であれば、今さら後れをとる気はしない。
「力押しに自信があるんなら、大丈夫だね。彼はとてもいい場所に住んでいるんだ。融通のきく性格も魅力的だけど、レーベラン領は方角的に丁度いい」
「レーベランと言うと……イヴィジア王国方面の、ウムブルクとポツダール砦の中間あたりの領地か。たしかあの領地は……うん?」
レーベラン領という単語に、引っ掛かるものがある。
西向きのアドルトルの紋章を探していた時にも名前が出てきたが、それ以外にも何かあったはずだ。
……たしか、ベルトラン殿が旅行と称して出かけた先がレーベラン領じゃなかったか?
アルフレッドが王都から持ち帰った情報に、そんな話があった気がする。
拳と拳で語り合える貴族がいるらしいレーベラン領にベルトランがいるとすれば、洞窟へと呼ばれる貴族の名前にも心当たりがあった。
ベルトランの現役時代に好敵手として名を馳せていた、ズーガリー帝国の騎士アルバートだ。
アルバートがまだ存命であれば、ベルトランが訪ねた知人というのは彼のことだろう。
戦場では殺しあった相手のはずだが、俺にだってサエナード王国に友人の一人や二人はいる。
ベルトランとアルバートが戦場以外では友人関係であったとしても、それほど不思議はないだろう。
むしろ、戦場で命をかけて対峙している分だけ、ある意味で気心が知れる仲とも言える。
洞窟の外の情勢についてはレーベランからの客に聞けばいい、という話になって、出立の準備を始める。
俺としては携帯食料を補充できればなんとでもなるが、旅慣れないティナはそうもいかない。
それにティナは女の子だ。
布をたっぷりと使った着替えは持ち出せないが、洗い替えの下着や簡素な服は持たせてやりたい。
「……ティナ、食料は俺が持つから、インスタントココアは置いていこう」
「
ティナは
ココアを持って行きたい、と最小限の荷物だけを詰めた小さな背負い鞄へとココアの瓶を押し込み、鞄が締まらなくなったと言って瓶ではなく着替えを取り出していた。
ティナの中では完全に着替えよりもココアが重要らしい。
たしかに着替えはなくても困るだけだが、食べ物は尽きれば死んでしまう。
重要度でいえばココアの方が高いと言えなくはないのだが、ティナのこれはただの食い意地だ。
食料については底をつけば木の実をとってもいいし、鳥や獣を狩ってもよかった。
非常食が必要になる事態など、陥らせるつもりはない。
「……シャツは一枚減らしてもいいから、下着は減らすな。それと、ココアの瓶も減らすんだ」
どう見ても鞄の大きさに対してティナの詰めようとしている瓶の数が多すぎる、と指摘すると、ティナは唇を尖らせる。
俺の作った背負い鞄が小さすぎるのが悪いのだ、と。
……俺が作ったわけじゃないけどな。
ティナが負担なく背負える大きさの鞄を、と足踏みミシンと向き合うと、いつかのように精霊がわらわらと現れた。
また何か作るのか、何を作るのか、と聞いてくる精霊にティナの簡素な服と鞄が欲しいと伝えると、彼らはせっせと作業を始めた。
今ティナがココアのために置いていくことを決めた着替えは、この時に精霊が作ってくれた新しい服でもある。
精霊の好意よりも食い意地を取るティナは、やはりどこか欠けていると思う。
以前のティナであれば俺の言葉は聞き分けるし、自分でもちゃんと考えられたはずだ。
ココアの瓶よりも着替えの方が軽く、旅をすると考えれば自分の持つべき荷物は着替えである、と。
……うん?
ティナが着替えとココアの瓶を見比べて葛藤している横で、小鬼が背負い鞄の側面に作られたポケットへと別のココアの瓶を入れている。
ココアの瓶は円柱状をしているのだが、側面のポケットは多少の厚みはあるが平らだ。
普通に考えて、ポケットの中にココアの瓶が入るわけがない。
入るわけがないのだが、小鬼はココアの瓶をポケットの中へと入れていた。
しかも、ココアの瓶は一つだけではなく、二つ、三つと次々にポケットの中へと消えて行く。
……そうだった。精霊が作った鞄だった。
御伽噺にもあったはずだ。
旅人が精霊からもらった鞄にはいくらでも物を入れることができ、増水した川の水を鞄へと入れて無事川を渡りきった、というような話だった気がする。
ティナの鞄は精霊が作った鞄だ。
御伽噺と同じような効果があったとしても、不思議ではあるが不思議はない。
「ティナ、インスタントコーヒーも持っていかないか?」
ティナの背負い鞄にいくらでも荷物が入るのなら、と少し欲を出してみる。
ティナがココアを持ち帰るのなら、俺だってお湯を入れるだけでイホークが飲めるインスタントコーヒーを持ち帰りたい。
「
私は着替えかココアかと考えるのに忙しいです、とティナが舌を出したのは、俺への当て付けだろう。
ティナの背後でインスタントコーヒーの瓶をポケットへと詰めようとしていた小鬼は、ティナの返答にインスタントコーヒーの瓶を棚へと戻した。
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