レオナルド視点 西を向いたアドルトルの紋章 2

「ご指名は、誘拐犯のウィリアムでよろしかったのですよね?」


「ああ。まだサエナード王国へ返還されていなかったはずだ。ラガレットで誘拐事件を起こしたウィリアムは、ジェミヤン殿の管轄になっていたはずだが……」


 ウィリアムがティナを誘拐したのは、四年近く前のことだ。

 ティナの誘拐事件の責任問題が発端となって戦までしているのだが、まだウィリアムが国内に留め置かれているというのも妙な話である。

 普通は早々に親族が保釈金を払って引き取るか、開戦時にでも宣戦布告に首を切って送り返しているはずだ。

 そのどちらもが行われなかったのは、ウィリアムの行動が独断によるものという、本人の証言のせいである。

 親族は「他国まで出かけて誘拐事件を起こし、捕まるような者は我が一族ではない」と責任問題が飛び火することを厭って無関係を貫き、開戦時に首を落とさなかったのは被害者であるティナが手心を加えてやってくれと言ったからだった。

 ついでに言えば、現国王であるクリストフは捕虜の首を落とすような蛮行を好まない。

 こうなってくると、ジェミヤンもウィリアムの扱いには困っているはずである。


「サエナード王国側からは『保釈金は自分で稼げ』と言われたそうですわ」


 ジェミヤンとウィリアムの主人であるコンラッド王子とのやり取りにおいて、そう決定が出されたらしい。

 サエナード王国としては、勝手に国境を越え、そこで誘拐騒ぎを起こすような人間は、本来なら自国とは関係のない人間だと切り捨てたかった。

 しかし、その行動が失脚させられた主を思っての行動となってくると、手段は間違っていたとしか言いようはないのだが、コンラッド王子本人が切り捨てることを躊躇ったそうだ。

 結果として、サエナード王国としては賠償も保釈金も出すことはしないが、何年かかってでも自分で金を稼ぎ、保釈金を支払って帰って来い、という通達がコンラッド王子からウィリアムには出されたらしい。

 敬愛するコンラッド王子からの通達に、今はウィリアムも汗水流して鉱山で働いているとのことだった。


「自分で撒いた種を自分で刈り取れば帰国を認める、とおっしゃるのですから、コンラッド王子はサエナード王国の王族としては珍しい方のようですわね」


「まあ、そうだな。あの国では珍しく、民から慕われる王族だ」


 だからこそ、他の王子や王女からは煙たがられている。

 

 コンラッド王子が直接治める領地の様子を調べてみると、彼は転生者である可能性が高い。

 統治の仕方が、サエナード王国のこれまでのやり方とまるで違うのだ。

 生まれた階級がすべてだという選民意識の塊のようなサエナード王国で、身分上は最上位に近い王族という立場に生まれながら、彼は平民を虐げず、実力者は身分にこだわらず重用する。

 他の王子や王女に同じ資質を持った者はいないようなので、コンラッド王子自身の性質が異端なのだろう。

 考え方は、イヴィジア王国の王族に近い。


「単純に考えて、これ以上国力を落としたくないだけという気もいたしますわね」


 昨年の戦で、サエナード王国の内情はガタガタになっているはずだ。

 功を焦って前へ、前へと出てきた主だった騎士や将軍はすべて俺が叩き潰したので、軍部の再編には年単位で時間が取られるだろう。

 西の国境は好戦的なズーガリー帝国と接しているが、ここはエラース大山脈のおかげで西からは攻められ難い立地となっていた。

 北の国境は神王領クエビアと面しているため、クエビアの性質的に隣国が弱体化しているからといって攻めてくるとは考え難い。

 問題は南の国境が面するイヴィジア王国なのだが、こちらはサエナード王国建国以来の仲の悪さだ。

 サエナード王国の軍部がボロボロと判る今こそ攻め滅ぼす好機ではあるのだが、クリストフはそんなことはしないだろう。

 他所の国では王位は血族同士が殺し合って奪い合うものらしいのだが、我が国では王爵内で押し付け合い、一番相応しい者が王位に付く。

 望む・望まないに関係なく、能力があって民の生活を任せられるから、とそのすわらされるものだ。

 今いる民たちの生活を守ることに精一杯で、国土を増やしたり、さらに民を増やしたりしたいなどとは考えない。


 ……まあ、邪魔な王子・王女も戦死なり暗殺なりされたし、コンラッド王子も動きやすくなっただろう。


 コンラッド王子が王位に付けば、サエナード王国は時間が掛かっても持ち直すことができると思う。

 逆に言えば、ここで持ち直せなければ本当に潰れてしまうということだ。

 コンラッド王子であれば民と手を取り合って国を立て直すことができるだろうが、他の王族では民を活かせず殺すことしかできないだろう。


 サエナード王国については、これ以上こちらから何かをする必要はない。







 俺たちを乗せた馬車が城門をくぐると、今度は門番たちの詰め所として使われている部屋へと案内された。

 向かう場所が向かう場所なので、と左右を門番の兵士に挟まれて城壁内を移動する。

 こちらです、と兵士の案内で通されたのは、地下に作られた牢屋だ。

 自身の保釈金を稼ぐために鉱山で働いているというウィリアムが、両手に枷を嵌められた姿で牢の中に待っていた。


 ……少し、筋肉がついてきたか?


 四年前に一度会っただけなので、その印象もどうしても四年前のものになる。

 以前はいかにも貴族の子息といった風貌で、帯剣していてもヒョロヒョロとした細長い印象しかなかったのだが、鉱山で働いているおかげか、少し筋肉がついてきたように見えた。

 肩や足の肉付きが、以前の貴公子然としたものではない。


「なんの用件だ。私は早く保釈金を稼いでコンラッド王子の元へと帰らねばならぬ。おまえなどの相手をしている暇はない」


 普段はラガレットから離れた鉱山で働いているのだが、今日は俺が面会依頼を出していたため、ラガレットの街まで呼び寄せられていた。

 一日でも早くコンラッド王子の下へと戻りたいウィリアムには、いい迷惑だったことだろう。


 ……まあ、ティナを誘拐した奴にそんな気を遣う必要もないと思うが。


 ティナを誘拐した犯人、と思えば殴り殺したくもあるが、ウィリアムに攫われたティナは取り戻してもいる。

 街の住民の命が奪われたことを思えば軽すぎる罰な気もするが、一応は自分で自分の保釈金を稼ぐという労働にも従事していた。

 ウィリアムの扱いについては、俺が口を挟むことではない。


「貴殿をサエナード王国の貴族と見込んで、見せたいものがある」


「見せたいもの?」


「この紋章だ。アドルトルの紋章は、サエナード王国に多い紋章だろう。どこの家の物か判らないか?」


 檻越しではあったが、紋章の描かれた金の指輪をウィリアムに見せる。

 両手を枷で拘束されたウィリアムでは指輪を手にすることはできなかったので、できるだけ見やすいように指輪を持ち、その周囲で頭を動かすことでウィリアムは指輪の紋章をさまざまな角度から観察した。


「……たしかにアドルトルは我が国に多い紋章だ。アドルトルの獰猛な性格から、その強さにあやかりたいと紋章にいただく家が多い」


 しかし西向きは珍しいな、と言ってウィリアムの頭は止まった。

 正面からジッと指輪の紋章を見つめ、記憶を探るかのような少しの沈黙がある。


「……だめだ、やはり判らない。なにか功績でもあげた新しい家の物ではないか? 本国でなら調べられるだろうが、私の記憶にはない」


 三男で、いずれは家を出される予定だったので、跡取りとしての教育はほとんど受けていないのだ、とウィリアムは言う。

 跡取りの長女や、その代用品とされる次女までは貴族家の紋章をすべて覚えるように教育されるが、三男である自分にはそこまでの教養は求められなかったため、すべての紋章を覚えてはいない、と。


「イヴィジア王国にある我が国の資料は、国が分かれる前の古い物が主だろう。新しい資料が欲しければ、本国へと問い合わせるがいい」


 用が済んだのなら、早く鉱山に戻してくれ、と言い始めるウィリアムに、一応の礼を言っておく。

 無駄足になってしまったが、サエナード王国の人間からの証言も得られた。

 やはり、一度サエナード王国へと行く必要がありそうだ。







「お役に立てなかったようで、残念ですわ」


 階段をあがって地上に出ると、地下への扉が閉ざされるのを待ってバシリアが口を開く。

 求めていた情報が得られなかった俺に対して、思うことがあったようだ。

 バシリアには何の非もないことなので、これは否定しておく。

 アドルトルの紋章についてウィリアムが何も知らなかったことは、バシリアの責任ではない。


「バシリア嬢が事前にウィリアムを連れて来てくれていたおかげで、早く用事が済んだ。手際がよくて助かったよ」


 ありがとう、と言うと、バシリアは少しだけ頬を赤らめたあと、ぷいっと外を向く。

 お役に立てたのなら何よりです、と少しだけ突き放したような声で言われたのだが、これは照れ隠しだろう。

 ティナがバシリアはツンデレで可愛い、と言っていた。

 たしかにツンツンと澄ましてはいるが、根は素直で親切な少女だ。

 顔を逸らして照れを隠していたと思ったのだが、すぐにまたこちらを向いて紋章については自分でも調べてみます、と協力を申し出てくれた。


「凝った意匠なら、父が好きかもしれませんわ」


 私にも紋章を見せてください、とバシリアが言うので紋章の指輪を手渡す。

 バシリアは手にした指輪を物珍しそうに見つめると、首を傾げた。


「西を向いたアドルトルの紋章は珍しいですわね」


「ウィリアムもそう言っていたが……バシリア嬢でもわからないか」


「私の記憶にあるサエナード王国のアドルトルの紋章は、みな東向きですわ。珍しいものですもの、すぐに見つかりそうなものなのですが……」


 本宅へ戻ったら一度調べてみます、と言いながらバシリアは紋章を覚えようとジッと指輪を見つめる。

 そんなバシリアに、ティナより少し背が高いのだな、と思考が逸れ始めて緩く頭を振った。

 ティナがいないせいで、無意識にティナを探してしまっている。

 行方を捜すのなら判るのだが、同年代の少女の中にティナの面影を探し始めているのは、どう考えても不味い兆候だ。


「……あれは」


「どうかしまして?」


 バシリアからティナの面影を探そうとする自分の思考を振り払い、気を逸らすため故意に周囲を見渡す。

 ゆっくりと巡らせた視界に、城壁の手前で止められているほろの付いた馬車を見つけた。

 旅商人の馬車に目が留まることが自分でも珍しく、記憶を探るとその理由がすぐに出てくる。

 城門の前で検問を受けている馬車は、見覚えのある物だった。


「あ、こんにちは。お久しぶりです、レオナルド様」


「一年ぶりか。久しぶりだな、コーディ」


 門番から荷台の検問を受けているコーディが、こちらに気付いて頭を下げる。

 検問の最中であるため、まだ城門の中へは入って来られないが、門番の兵士に荷台を調べられている間はコーディも退屈なようだ。

 愛想の良い笑顔で挨拶をしてくれる。


「……今回の商売は、どういう旅程で進んでいる?」


「旅程、ですか?」


 なんでそんなことを聞かれるのか、と少しだけ不思議そうな顔をして、それでもコーディは聞かれたことへ素直に答えた。

 ラガレットは俺の支配地域ではないが、国境は俺が押さえているということを思いだしたのだろう。

 特に隠し立てをする話題でもないようで、仕入れ台帳を見せつつ旅程を聞かせてくれた。


「……ということは、コーディはルグミラマ砦からラガレットまで来たのか」


「はい。昨年はクリスティーナお嬢様の注文で、寄れなかった町や村があるので、今年は信用を取り戻すのが大変です……」


「それは、なんというか……悪かったな」


 セドヴァラ教会を通じて逃した売り上げの補填はしているが、商売人というのは信用が命だ。

 ティナの依頼を優先したために毎年寄る町や村を素通りしていたのなら、昨年のコーディの顧客は戸惑っただろうし、今年も素通りされるかもしれないコーディの馬車を待つ理由もない、と別の商人から商品を買ってしまってもいるだろう。

 ティナの依頼した商品はきちんと届けられたが、コーディへの補填は年単位で必要かもしれない。


 ……補填、か。


 真っ直ぐな性根のコーディならば、ただ金を渡しても受け取ることはしないだろう。

 だとしたら、少しばかり役立ってもらいたい。


「ルグミラマ砦から……いや、サエナード王国内でもいい。気になる馬車とすれ違ったりしなかったか?」


「気になる馬車、ですか? 具体的にはどのような馬車でしょう」


「すれ違う時に御者が挨拶をしないだとか、人目ひとめを避けるように進んでいただとか……とにかく、小さな異変でもいいから、違和感のある馬車は?」


 思いつく限りの例を挙げてみるのだが、コーディの記憶に引っ掛かるものはないようだ。

 コーディは申し訳なさそうな顔をして、違和感を覚える馬車とはすれ違わなかった、と答えた。


「その馬車が、各所に検問が設けられた理由ですか?」


 ルグミラマ砦からラガレットの街までの馬車が通る大きな道や要所となる道、馬車が通るのが難しいほどに細い道にまで、黒騎士による検問があって物々しい雰囲気だったらしい。

 なにかおかしいと思いつつも、自分たちが昨年戦をしたサエナード王国の人間だから検問が厳しいのだろう、と思っていたそうだ。

 しかし、その考えはラガレットの街へ来て間違いだと気付いたらしい。

 取調べはサエナード王国から来た旅人よりも、サエナード王国へと向かう旅人に対するものの方が厳しいと気付いたようだ。


「……今年の商売は大変だ、と言っていたな」


「はい。でも、クリスティーナお嬢様には甥の命を救っていただきましたし、新しい顧客も増えたので……来年あたりまでは少し苦しいかもしれませんが、すぐに信頼を取り戻してみせますよ」


「では、苦しいと思われる今年は、俺に少し雇われてくれ。旅の商人ならイヴィジア王国の外へも行くだろう。その情報が欲しい」


 商売をしながら各地を回り、情報を持ち帰ってほしい、とコーディに持ちかける。

 コーディはサエナード王国の民だ。

 俺がサエナード王国へと行くことは難しいが、コーディならば家に帰るだけという理由でサエナード王国へ入ることができる。


「詳しい話はグルノールでしたい。ラガレットでの商売が終わったら、周囲をよく観察しながらグルノールの街まで来てくれないか?」


「……わかりました。俺でお役に立てるのなら、グルノールへ向かいます」


 別れ際にコーディへも指輪の紋章を見せてみたのだが、やはり心当たりはないようだった。

 サエナード王国の貴族であるウィリアムですら知らなかった紋章だ。

 商人でしかないコーディが知らなくとも不思議はない。

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