第87話 神王祭という名の迷子イベント

 準備ができました、と呼ばれて居間へと移動する。

 暖炉へ薄く蒔かれた灰の上へ、三人並んで手形をペタンと付けた。

 おませなエルケはそろそろ暖炉に手形を付けるような年齢ではない、と恥ずかしそうにしているのだが、私については成人するまで毎年の恒例行事として決定している。

 もしかしたら、成人しても続けさせられるかもしれない。


 ……まあ、二回も精霊に攫われていたらね?


 効果の程は知らないが、保護者たちとしては気休め程度のおまじないであっても欠かしたくはないだろう。

 少なくとも、初めて精霊に攫われた時は、遠いマンデーズ館のとはいえ暖炉へと帰還しているのだ。


「今年こそは、クリスティーナも一緒にいらっしゃい」


「昨年も申し上げましたが、家族と過ごせないのはグルノールから来てくれている友人たちも同じですので、今年も彼女たちと過ごしたいと思います」


 神王祭は家族水入らずでお過ごしください、と言えば、フェリシアはおとなしく引き下がってくれるのでありがたい。

 あの手、この手と言葉を変えてくる人間は、少々厄介なので苦手だ。


「……アルフなんてどうかしら? 姉のわたくしが言うのもなんだけど、お薦めよ」


 要は『家族になれば問題解決』なのだと思う。

 たしかに家族になれば遠慮をする理由が一つ消えるが、フェリシアの弟のお嫁さんというものには、また別の問題がついてくる。


「王子さまのお嫁さんだなんて、責任の重い立場にはなりたくありません」


「クリスティーナは分別があるぶん、口説き落とすのは大変よね。普通は王子の伴侶だなんて、なりたくてもなれないものなのだけど……」


 普通は反対する父王を含め、姉姫も兄王子も歓迎しているというのに、ティナ本人が頷かない、とフェリシアは肩を竦める。

 私としては「王子の嫁においで」と言われて喜ぶのは、頭の中に花畑のあるお姫様だけだと思う。

 王位を継ぐ王子であれ、なんであれ、王子は王子というだけで責任も義務もある立場に違いはない。

 その伴侶となれば、当然重い責任を背負うことになり、半端な覚悟では隣に立てないはずだ。

 そして、引き籠り上等を豪語する私に、王子の隣に立つような覚悟はない。


「アルフも、今年こそはいらっしゃい。昨年は本当に顔を出しただけで帰ってしまったでしょう」


「いえ、私は今年もクリスティーナと離宮で過ごします。子どもたちだけで留守番をさせるというのも不安ですから」


 やんわりと大人としての責任を前面に押し出してフェリシアを交わすアルフに、その内情を推し量る。

 アルフレッドとしては、母親から「早く結婚をしろ」と催促されるのが嫌だ、と言って昨年は避難してきていたが、中身はアルフだ。

 さすがに母親には正体がバレるかもしれない、とアルフレッドの家族の集まりは避けたいのかもしれない。


「そういうことなら、俺が離宮に詰めよう」


「呼んでませんよ、ヴァルドさん」


「離宮に引っ込んでいてください、ヴァルドさん」


「あら、たまには役に立つようね、ランなんちゃらさん」


 ウルリーカの案内で、呼んでもいないのに姿を見せたランヴァルドに、三者三様の感想を洩らす。

 私とアルフの感想は歓迎せず、フェリシアは珍しくランヴァルドを歓迎していた。

 特にフェリシアはランヴァルドが離れに籠っている時から歓迎をしていない雰囲気だったので、少し意外だ。


「おまえたちは少し俺に冷たくないか? フェリはこんな時だけ微笑むな。綺麗すぎて怖い」


「あら、私の微笑みが怖く見えるようでしたら、それは貴方の心の中にやましい物があるからではなくて?」


 うふふと微笑むフェリシアは、本当に綺麗に微笑んでいるのだが、私が見てもなんだか綺麗すぎて怖い。

 とにかく、迫力のある微笑みなのだ。


「まあ、そんなわけで、離宮には俺が残るから、おまえも兄う……、家族の集まりに出てこい。王族が揃うことなど、年に一度の今夜ぐらいだからな」


 フェリシアはランヴァルドを睨んではいるのだが、主張としては自分と同じ意見であるため、追い出すことも口を挟むこともしない。

 自分が説得をしてはのらりくらりとアルフレッドに逃げられる、という自覚もあるのだろう。


「……お留守番はわたくしたちだけで大丈夫ですが、ヴァルドさんはよろしいのですか? 家族が集まるのですよね?」


「俺が今更顔を出すわけにはいかないし、そもそも今夜の集まりは兄……国王陛下の家族の集まりだからな。俺が顔を出すのはおかしいだろう」


 子守ぐらいできるから、行ってこい、と追い出しにかかるランヴァルドに、アルフはしぶしぶと従った。

 クリストフの家族むすこではないという意味ではランヴァルドと条件が同じなのだ。

 アルフとしては、出席することに気後れがある晩餐なのだろう。







「今年もクリストフ国王陛下から、『イツラテルの四つの祝福』が届いておりますよ」


 そう言いながらレベッカが持って来て見せてくれたのは、昨年同様一見するとエッグタルトに見えるチーズケーキだ。

 レアチーズケーキは相変わらず見かけないのだが、カリーサに聞いてみたところ、そのままサリーサへと連絡が入れられてレシピを考えてくれているらしい。

 そういえば、カリーサたち三つ子にはそれぞれ得意分野があって、カリーサは計算が、サリーサは料理が得意だったはずだ。


 昨年同様ソラナにケーキを切らせて、不揃いになったケーキの選ぶ順番をかけて盤上遊戯ボードゲーム大会をする。

 窓に張り付くようにして猫頭の少年がこちらを覗いていたので、たまには遊びに誘ってやろうかと顔をあげたら、目が合った瞬間に逃げられた。

 あの猫頭少年は、いったい何がしたいのだろうか。


「……おまえたちは、以前はグルノールの街にいたのか」


「そうですよ」


 リバーシのコマをひっくり返しながら、対戦相手のランヴァルドと雑談をする。

 今日の話題は、なぜかグルノールの街についてだ。

 というよりも、私がグルノールの街から出てきた経緯についてだろうか。


「ってことは、グルノールに最近現れた『精霊の寵児』ってのは……」


「ヴァルドさんの言う『最近』が『ここ数年』という範囲でしたら、それはわたくしのことですね」


 一年半以上王都にいるので、その一年半の間に新たに精霊の寵児が見つかりでもしていない限りは、『最近現れた』というのは私のことになる。


「……ヴァルドさんは精霊の寵児になにか用事でもあるのですか?」


「いや、グルノール出身だと聞いたから、聞いただけだ。俺も王都に戻ってくる少し前に、グルノールに寄ったからな」


「というと……一年前の情報ですね」


 ランヴァルドは昨年の神王祭の夜に現れたので、大雑把に計算すると、ランヴァルドの情報は一年前の物となる。

 やはりランヴァルドの言う『精霊の寵児』とは、私のことだろう。


「グルノールでも、こんな風に毎日館に籠った生活なのか? 不健康だぞ。子どもは子どもらしく、外に出て遊べ」


「そこそこ外へは出ていたと思いますよ。メンヒシュミ教会へも歩いて通いましたし」


「……歩いて? そこは家庭教師じゃないのか? おまえには家庭教師がいるだろう」


 ランヴァルドが少しだけ驚いたような声を出す。

 お嬢様生活をしている私が徒歩で通ったことが不思議なのか、メンヒシュミ教会へと通っていたことが不思議なのかは判らなかったが、ランヴァルドを驚かせられたことが少しだけ楽しい。


「ヘルミーネ先生は淑女教育の先生ですよ。メンヒシュミ教会へは、レオナルドお兄様が同世代の友人を作らせたかったようで通いました」


 そのメンヒシュミ教会通いの結果に得た友人である、とエルケとペトロナを紹介する。

 二人とも昨年同様に今日は休暇扱いで、離宮のお客様待遇だ。


「メンヒシュミ教会へは七歳から通えたはずだが……?」


「わたくしは九歳の秋から通いましたね。冬はお休みしたので、基礎のお勉強が終わったのは十歳の秋です」


「そうなると今は十二歳だから……」


 二年前か、となにやら計算を始めたランヴァルドの隙をついて角に白いコマを置く。 

 黒い盤面が白へと変わるさまは、私からしてみれば壮観だ。

 黒いコマを持つランヴァルドには、悲鳴ものだったようだが気にしない。


 ……それにしても?


 なぜ、こんなにもメンヒシュミ教会のことを聞かれているのだろう、と少し疑問になる。

 グルノールの街での暮らしについてを聞かれていたと思ったのだが、メンヒシュミ教会に通っていたと言ってからは、聞かれるのはメンヒシュミ教会についてばかりだ。

 それも、答えれば答えるだけランヴァルドがうな垂れて頭を抱え始めるのだから、わけが判らない。


「……ヴァルドさんは、なにをそんなに頭の痛そうな顔をしているのですか?」


「おまえの話を聞いていると、あちこちで聞いた話が一気に繋がって、『あー』って叫びだしたい気分になる」


「ああ、ありますよね。そういうこと」


 そういう時は気分がスッキリして好きですよ、と続けると、ランヴァルドはジッと私の顔を見つめてきた。


「……なんですか?」


「いや、なんというか……悪かったな」


「なんですか。本当に突然、なんですか?」


 わけが判りませんよ、と盤面へ視線を落とす。

 手ひどい反撃がくるのかと思ったのだが、特にそんなことはなかった。

 先ほどの形勢逆転が決め手になって、ランヴァルドに反撃の機会はほぼない。


「一応、謝っておいた方がいいかと思ったんだが……」


「謝る必要があるようなことは、最初からしないでください?」


「なんで疑問系なんだよ」


「そもそもヴァルドさんが突然謝るから、何について謝られているのかも判りませんし」


 それもそうだな、とランヴァルドが気持ちを切り替えて顔をあげた時には、すべてが終わっていた。

 黒いコマを置ける場所はほぼなく、ずっと私の番が続く。


 結果として、ランヴァルドと私のリバーシ対決は、私の勝利で終わった。







 ……淑女教育万歳だね。


 崩した『イツラテルの四つの祝福』の中から現れた陶器の王冠に、これが数年前の自分であれば口の中から出てきたのだと薄ら寒い。

 幸か不幸か、皿の上で崩された『イツラテルの四つの祝福』からは、二つに割れた陶器の王冠が出てきた。

 王冠が出てきた、ということは幸運なのだが、せっかくの王冠が割れている、というのは不幸かもしれない。

 しかし淑女教育の賜物で、皿の上で崩しながら『イツラテルの四つの祝福』を食べていたため、口の中へと入れる前に割れた陶器を見つけ出すことができたのは、確かに幸運だろう。


「運が良いのか、悪いのか……複雑ですね」


 とりあえず、今年こそアドルトルの卵が手に入って、パント薬が作れるといいな、と考えながら割れた人形を皿の脇へと避ける。

 他にも欠片が入っていては危険なので、少し勿体無い気はするが、陶器の出てきたあたりは捨てるしかないだろう。


 ジゼルの皿から花の人形が出てきて、竜の人形がランヴァルドの皿から現れる。

 花の人形の意味は『才能の開花』や『困難の最中にある者は道が開ける』ということだったので、昨年の神王祭ではいろいろあったらしいジゼルにとって、今年は良い年になるだろう。

 竜の人形の意味は『知恵』と『長寿』なので、ランヴァルドは今年も殺しても死にそうにない。


「四つ目は樫の杖でしたよね?」


「……はい」


 カリーサの皿から出てきた杖の人形に、その意味を思いだす。

 杖といえば長寿の象徴にも思えるが、長寿は竜の人形が担当しているので、『イツラテルの四つの祝福』では違う意味として扱われる。

 杖の意味は、無病息災。

 骨折をした時の添え木や、杖をついて歩くことから、怪我や病気をしない。

 したとしても、大病にはならない、といった意味合いになる。

 私が熱を出して寝込むことはあるが、カリーサが寝込んでいるところは見たことがないので、今年もカリーサは元気にお仕事をしてくれるのだろう。


 ……今頃アルフさんは、王族の晩餐で王冠を出しているんですかね?


 なぜか毎年王冠が出る、と言っていたので、今年も出しているのかもしれない。


 夜になってランヴァルドから夜祭へと誘われたが、今年は出かけないことにした。

 その予定で昼寝をしていなかったし、昨年は半分狂言だったとはいえペトロナが迷子になり、私も一度精霊に攫われて迷子になったことがある。

 無事に神王祭の夜を過ごせたことなど、オレリアの家でと、メイユ村にいた頃だけだ。

 近年はなにかしら事件が起こっているので、今年はあえて出かけないという選択を取ってみた。

 エルケとペトロナは残念そうにしていたが、少しとはいえ昨年一度回っているので、私に付き合ってくれる。

 いずれ恋人でもできたら、二人で出かければいい、と言ったらペトロナが顔を真っ赤にしていたので、まだ初恋は継続中らしい。

 そのわりに、アーロンの反応はさっぱりだったので、この恋が叶うかどうかは謎だ。


 フェリシアが離宮へ戻ってくるのと入れ替わりに、子守の終了を宣言してランヴァルドが手を振って離宮を出て行く。

 相変わらずエセルバートの離宮に潜伏しているようだ。


 今度なにかお菓子でも差し入れに行ってやろう、と思いつつ見送ったのだが、翌朝は離宮へと馬を飛ばしてきたランヴァルドの護衛の襲撃で叩き起こされることとなる。


「……なにごとですか?」


 さすがに寝間着のまま他人ひとに会うわけにもいかないので、カリーサ作の着る毛布ことぬくぬく着ぐるみ姿でお出迎えだ。

 この毛布は、フード部分に犬の頭がついていて、すっぽり被ると茶色の犬になる。

 ついでに言えば、フードをすっぽりと被れば寝起き姿は完全に隠すことができるので、急な来客の役にたった。


 ……や、淑女としてはどうかと思うけどね。


 淑女として疑問の残る姿ではあったが、一刻を争う用件とのことだったので仕方がない。


「こちらにランヴァルド様はいらしておりませんか!?」


「ヴァルドさん、ですか?」


 他者ひとを叩き起こしておいて、用件は不良中年の家出かよ、と早速寝直したくなる。

 急速に興味が失われていくのを感じながら、フードを深く被り直した。


 ……あくびも隠せる優れものです。


「ヴァルドさんでしたら、昨夜はフェリシア様のお帰りと入れ替わりで、離宮へ戻られましたよ?」


 お疑いでしたら、フェリシア様にお聞きください、とフードの下であくびを噛み殺す。

 寝直したい気分ではあったが、しゃべっている間に頭が回り始めてもいた。


「そのラン……様が昨夜から戻られないのだ」


「戻らないって……あれ?」


 そういえば、と考える。

 昨日のランヴァルドは、ウルリーカの案内で離宮へと顔を出したが、その後ろにはいつもくっついている護衛の二人がいなかった。

 以前図書館で見かけたので、どこかへ遣いに出しているのか、扉の向こうにいるのかと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。

 供の一人も連れずに夜の闇に消え――


「これかぁー!」


 ふいにピタリと嵌るものがあり、一気に目が覚める。

 思いついたままに大きな声を出してしまい、慌てて両手で口を塞ぐ。

 淑女としては、あまりにも酷い振る舞いだ。


「クリスティーナ様、なにか心当たりがあるのですか?」


「ヴァルドさんの昨日の謎発言ですよ。悪かったな、って意味不明な謝罪を口にされていました。あれがきっと、こっそり逃げ出す前兆だったのだと思います!」


 不自然なランヴァルドの行動を思い返せば、ほかにも思い浮かぶことがある。

 子守を買って出たことからして不自然だったが、夜祭へも誘われていた。

 これは不運続きなので、と今年はあえて避けたのだが、ランヴァルドと夜祭に出かけていれば、まんまと祭りに乗じて城の外へ出て行くつもりだったのだろう。

 一緒に出かけていれば、今度は大人が迷子になるという騒ぎが引き起こされるところだった。

 そして、一緒に出かけはしなかったのだが、大人が一人消えている。







「近頃おとなしいと思ったら、護衛が油断するのを待っていたのですね」


 まず、図書館で護衛の騎士を見かけた時におかしいと気づくべきだった。

 クリストフの命で監視目的の『護衛』として付けられていた騎士が、ランヴァルドから目を離して行動していること自体がおかしかったのだ。

 あの頃にはすでにランヴァルドは護衛の油断を誘い、少しずつ自分の側から離れている時間を作っていたのだろう。


「まあ、一年も拘束できていたのですから、死んだはずの弟が生きていただけでクリストフ様は喜んでいるのでは?」


「父上はお喜びだったわ。我が子より可愛がっていた弟ですもの。この一年は本当に、ずっと機嫌がよろしかったわ……」


 一通りの話をしてランヴァルドを探しに駆け出していった護衛の騎士二人を見送ると、フェリシアから朝食へと招待された。

 身だしなみを整え、改めてフェリシアの客間へと足を運ぶと、同じ報せを聞いたらしいアルフも離宮へとやって来る。


「また姿を消した叔父上に、荒れるな……」


「え? クリストフ様って、暴れる系の荒れ方をする方なのですか?」


「暴れはしないけど、宥めるのが大変なのよ。……お母様たちが」


 お通夜モードで朝食をいただきつつ、前回の行方不明――正しくは、前回は死んだ振りからの失踪だ――時のクリストフの様子を聞く。

 突然の弟の訃報に嘆き悲しんだクリストフは食べ物も喉を通らずにやせ細り、涙が枯れるまで嘆き続け、王爵としての責務など一切を投げ出して閉じ籠ってしまったらしい。

 当時はまだエセルバートの治世であったため、王爵の一人が仕事を投げ出してしまったぐらいで国政は揺らがなかったが、今のクリストフは国王だ。

 前回と同じように気が晴れるまで嘆かれては、巡り巡って国民が困ってしまう。


「……ああ、でも今回は数ヶ月引き籠ったりはしないだろう。もうすぐお気に入りのレオナルドがルグミラマ砦から戻ってくる」


「でも、レオナルドはクリスティーナと一緒にグルノールへいつか帰るのよ? 一時凌ぎにしかならなくてよ」


 顔を突き合わせて話し合う姉と弟が、同時に私の方を見る。

 声まで揃えて名を呼ばれたので、私も間髪いれずに返事をした。


「あげませんよ。レオナルドお兄様はわたくしのです」


 前回立ち直ったのだから、今回も大丈夫だろう、と言ってみるのだが、これは見通しが甘いらしい。

 前回は死んだと思っていたので一区切り付けることができたが、今回は『実は生きていました』と判明したあとだ。

 前回のように区切りを付けることは不可能である。

 面差しの似たレオナルドで、弟を偲ぶことはもうできない。

 どこかで本物の弟が生きていると知っているのだから。


「……アルフ」


「すでに人を増やして捜索しています。逃亡資金もないはずですから、そう遠くへ行く前には……」


「逃亡資金なら、あると思いますよ?」


 なにを言っているんですか? と突っ込みを入れさせていただく。

 逃げたランヴァルドを追いかけるのなら、甘い見通しは邪魔になる。

 ランヴァルドが姿を消すこと自体は、私にとっては「あ、そうですか」といったところだが、クリストフに影響が出て、その結果として国民生活にまで影響が出ると聞いてしまえば、聞かなかった振りなどできない。


「ヴァルドさんはわたくしの絵を何枚か描いて、その度に販売許可を取りに来ていました。芸術の女神アシャテーの衣装を着た私は見ることのできた人が少なくて希少価値があるそうなので、いくらかにはなったはずです」


 そう指摘すると、フェリシアとアルフは頭を抱えた。

 私は最終的な販売額など知らないが、フェリシアたちには額が想像できるのだろう。


「……ヘンリエタも、資金提供してましたよね?」


 フェリシアはランヴァルドの存在を疎ましく思いながらも、絵の腕だけは認めずにはいられなかったようだ。

 私をモデルにして、しかし年齢をあげた大人の姿で白梟の精霊を描かせていた。


「絵の具代ぐらいは、と思ったの」


「絵の具代はクリストフ様から出ていたようなので、ヴァルドさんの懐はまったく痛んでいなかったみたいですよ」


 つまり、元手はタダだ。

 そう指摘をしたのが、今朝の記憶の最後だ。


 次に気がついた時には無心に黒柴コクまろの背中を撫でていた。

 すぐに記憶が飛んでいると気がついて、記憶を探るのだが、どうしても朝食の場での会話が思いだせない。

 否。

 話した内容自体は思いだせるし、アルフの表情も思いだせるのだが、フェリシアがどんな顔をしていたのかだけが、綺麗に頭の中から消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る