第84話 兄妹デート 1

「おはようございます、レオナルドお兄様」


「おはよう、ティナ」


 朝目が覚めて、身だしなみを整えて居間へと入る。

 そこにレオナルドの姿があることを確認して、ホッとした。

 昨日から何度も確認しているのだが、余程私はレオナルドが居ることが嬉しいらしい。

 兄離れどころか、しばらく離れていたせいで私のブラコンは完全に悪化していた。


 長椅子で寛ぐレオナルドの横へと座り、温かいハーブティーを飲む。

 夏の間はレモン水が美味しいのだが、近頃は寒くなってきたので温かいハーブティーだ。

 そしてレオナルドは夏でも冬でも、寛いでいる時は珈琲だった。

 一度なぜ珈琲なのかと聞いたことがあるが、理由は男の子らしい実にくだらないものだ。

 少年時代に苦い珈琲を飲む騎士を見て、カッコいいと憧れたらしい。

 以来、珈琲を楽しめる大人になりたい、と苦くても珈琲を飲み続けてきたのだそうだ。

 そして涙ぐましい努力の成果か、今では苦い珈琲も楽しめる舌になったらしい。


 ……そうまでして飲むものかは謎だけどね。


 私は昨夜レオナルドに付き合って、苦い思いをしたので当分はいい。

 もう数年は砂糖とミルクを入れて飲むし、大人になってもレオナルドに付き合ってたまに飲むぐらいだろう。


「ティナ、今回は八ヶ月ほど離れていたが……王都には慣れたか?」


「離宮での暮らしには慣れましたけど、やはりグルノールの街へ戻りたいです」


 慣れたか、と聞かれたので、警戒して『グルノールへ帰りたい』と返しておく。

 慣れたのならこのまま王都で暮らしても大丈夫だろう、と言わせる気はない。


「……離宮での暮らしには慣れたんだな?」


「離宮での暮らしには、慣れましたよ?」


 おや、言い換えてきたぞ、と首を傾げる。

 どうやら私が離宮での暮らしに慣れたかどうかが重要で、このまま王都に住むかという話ではなかったようだ。


 なにか話があるのだろうか、とカップをテーブルへ置く。

 私が話を聞く気になったと判ったのか、レオナルドもカップをテーブルへと置いた。


「帰って来たばかりで言うのもなんだが……冬は例年通り砦を回ってきたいと思っている」


「……昨年の冬は王都にいらしたではありませんか」


「昨年は王都の闘技大会で優勝したからな。しかし、今年は違う」


「今年はどこの闘技大会にも出られていないのではございませんか?」


 昨年は王都の闘技大会で優勝したから、王都で過ごした。

 それを言うのなら、今年はどこの闘技大会にも出ていない。

 少なくとも、レオナルドが君臨する四つの砦では、団長の不在とサエナード王国との戦争準備で闘技大会どころではなかったはずだ。


「闘技大会はたしかに何処の砦でもやらなかったが、今年は戦があったからな。例年の順番に関係なく、今年はルグミラマ砦で祭祀を行う」


「行う、って決定事項ではありませんか」


 相談でも、私の様子を探っているのでもなく、これはただ決定事項を伝えているだけにすぎない。

 腹が立ったので、えいっと太ももを抓ってやった。


「帰ってきたばかりだというのに、またお出かけになるのですね」


「その代わり、秋の間は思う存分に甘えていいぞ」


 ドーンと来いとばかりにレオナルドが両手を広げたので、せっかくなので勢いをつけて左膝の上へと座り直してやる。

 子どもの体重とはいえ、そろそろ片膝へと私を座らせるのは辛いはずだ。

 少しぐらい痛い思いをすればいい、と思って膝に乗ったのだが、レオナルドの眉はピクリとも動かない。

 勢いが足りなかったかな? と腰を浮かせてもう一撃加えようとしたら、サッと膝の裏にレオナルドの手が差し込まれて抱き上げられた。

 そのまま両膝の上へと座らされたので、やはり私の攻撃は効いていたのだろう。


「お膝の上は十歳の誕生日に卒業したはずですよ?」


 簡単にやり込められてしまったのが少し面白くない。

 久しぶりの至近距離から見上げるレオナルドの顎には、剃り残しの髭があったので、それを引っ張って報復をしてやる。

 太ももを抓ったり、膝に飛び乗ったりするよりも、髭を引っ張る方が判りやすく効果があった。

 痛っと反射的に出てしまったのだろう小さな悲鳴が聞こえる。


「……今はティナから乗ってきただろう?」


「左の膝へは、わたくしから座りましたね」


 完全に膝の上へと座らせたのは、やはりレオナルドだ。

 さすがに保護者の膝に座って甘えるような年齢ではないので、これにはしっかり抗議をしておいた。


「そろそろ兄にべったりとくっついて甘える年齢でもありませんからね、甘え方を散財に変えましょうか?」


 おねだりしますよ、と軽く脅してみたのだが、レオナルドにはまったく通じない。

 むしろ、なにか欲しいものがあるのか、と食いつかれてしまった。


「なんでも買ってやるぞ。なにが欲しい?」


「物もお菓子も十分ありますよ。そうですね……」


 少し考えてみるのだが、自分から言い出したことなのに、なにも思い浮かぶものがない。

 だからといって手軽な値段のもので話を終わらせようとすれば、またお菓子や調味料といった食べ物に落ち着いてしまう気がした。


「……いて言えば、兄が欲しいです」


 物は十二分に与えられているが、者は全然足りていない。

 いまや一番身近なはずの兄と離れている時間が長く、伯母と従兄弟とは交流らしきものを持ち始めてはいるが、やはりレオナルドはレオナルドで特別だ。

 欲しいものと考えれば、兄と過ごす時間ぐらいしか思い浮かばなかった。


「秋の間は甘え放題だぞ」


「その秋は、もう半分以上過ぎていますけどね」


 話が一周したところで、朝食の時間となった。







「レオナルドお兄様、わたくしとデートをしましょう」


 歳相応な甘え方をヘルミーネに相談したところ、お出かけをおねだりしてみてはどうか、と提案された。

 物より思い出だそうだ。

 半分ぐらいは、私の出不精を心配してのこともあると思われる。

 近頃は離宮の外へも出ることはあるのだが、ほぼ行き先はジークヴァルトの館の離れだ。

 もしくは、印刷工房のあるメンヒシュミ教会である。

 どちらも馬車で向うお馴染みの場所となっているため、あまりお出かけという気分ではなくなってしまっていた。


「というわけで、王都に何処か面白い場所はございませんか? 観光らしい観光は、一度もしたことがございませんし」


「……そうだったのか?」


 よくよく考えれば、そうだった。

 特に気にしたことは無かったのだが、普通なら憧れるであろう『王都』といういわゆる都会に滞在しているというのに、私は離宮に引き籠ってばかりで、観光地らしい場所へは一度も足を向けていない。

 すでに一年以上滞在しているのに、だ。

 さすがにこれには反省もする。

 出不精にも程がある、と。


 ……や、一応やることがいっぱいあったしね?


 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読んだり、写本を作ったり、秘術を素材の加工をするところから作ってみたり、処方箋レシピをエラース語に直してみたり、ボビンレースの指南書の原稿を作ってみたり、本を印刷してみたり、バシリアやミカエラとお茶会をしてみたりと、振り返ってみれば私の生活は意外にも毎日のように予定がある。

 観光地を巡ってみたいだとか、思いつく暇もなかった。


「好きに生活していたはずなのですが、グルノールの館での過ごし方とあまり変わりませんね?」


 はて、と改めて自分の行動を振り返る。

 黒柴コクまろの散歩に庭へと遊びに出るぐらいで、グルノールの館でも基本的に私は室内にいた。

 勉強や刺繍をして過ごすことは苦ではなかったので、暇を感じて外へと出たがったことはなかったはずだ。


 ……うん、悪化してるね、私の出不精ひきこもり


 よく考えれば、グルノールでは自主的に黒柴の散歩に出ていたが、離宮ではアルフレッドことアルフに一日二度の散歩を義務付けられているあたり、退化しているとも言えるだろう。

 早くグルノールへ帰りたい、とやれることを優先しすぎた結果だ。


「そういえば、ティナはグルノールの街もろくに知らないんじゃないか?」


「グルノールの街はお祭りで何回かエルケたちと回ったので、大通りと中央通ぐらいは知っています。というか、ほかは『行ってはいけない』って兄に禁止されましたし」


 裏道も一応は知っているが、これはレオナルドに抱き運ばれて春華祭に移動した程度で、道を覚えているかと聞かれたら自信が無い。

 改めて考えてみると、本当に私は狭い範囲で生きているのだな、と驚いてしまう。

 そして、それを苦痛に感じない程度にはのん気だ。

 これが好奇心の塊のような男児であれば、早々に家を飛び出していただろう。


「……グルノールの街に戻ったら、もう少し行動範囲を広げてみるか?」


 王都に比べれば小さいが、劇場もあるぞと教えられて驚く。

 グルノールの街にそんな施設があるなんてことを、今始めて知った。







 お出かけに連れて行って、とレオナルドにおねだりしてみたのだが、相手が悪かった気がする。

 レオナルドは仕事人間だ。

 王都広しといえども、遊ぶ場所といえば花町や酒場ぐらいしか出てこない。

 お洒落なレストランや美味しいケーキ屋など出てくるはずもないし、若者が集まる観光地や遊び場など、情報として頭に入っているのかも怪しかった。


 ならば、とアルフレッドことアルフに相談したところ、身なりの良い少女を連れて行っても浮かない場所として観劇をお勧めされる。

 私とレオナルドの頭では、その存在すら一生気づかなさそうな施設だ。


 ……さすがアルフさん! 頼りになる!


 観劇に連れて行ってください、と一応の目的を提示してレオナルドにおねだりしてからは早かった。

 チケットは離宮の主が見に行くと言えばすぐに押えられ、場所さえ決まればレオナルドが女児を連れて行ける場所として頭を悩ませる必要もない。

 少し騒がしくなったのは、観劇に興味を持った侍女が色めき立ったことぐらいだ。


 ……せっかくの王都だから、エルケとペトロナにも観劇見学って思ったんだけどね?


 思ったよりも、観劇というものは乙女心を刺激するらしい。

 いつも仕事中は感情を顔に出さないようにしているウルリーカとレベッカですらも、その日のお供になりたがった。


 ……まあ、いいか。レオナルドさんも、なんだか張りきっちゃったし?


 妹とデートという単語は、兄には魅力的だったらしい。

 アルフのアドバイスに従って「観劇に連れて行って」と言ったのだが、レオナルドは王都で現在行なわれている劇のチケットを一通り揃えて戻ってきた。

 大小入れて全部で五つある劇場で、現在演目を行なっている劇場は三つだ。

 すべてを見れば、侍女と女中メイドそれぞれを一度は連れて行くことができるだろう。

 さすがに全員を一度に『お供』として連れて行くのは、劇場側に迷惑だ。


 ……なんだか、私が疲れそうなデートになってきたなぁ。

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