第73話 ダメな見本とアンセルム
失礼な話なのだが、私がようやく物を隠すということを学び始めたようなので、とエセルバートからのそれ以上の追及は見逃された。
次は隠し事を悟られないよう、ふとした仕草にまで気をつけるといい、というありがたい助言つきだ。
私の離宮にランヴァルドが匿われているという秘密は、一応のところ守られたことになる。
……まあ、エセルバート様なら勝手に調べて、そのうち掴みそうな話だけどね?
もしそんなことになったとしても、私は素知らぬ顔をしてランヴァルドを離れへと押し込めておくだけだ。
エセルバートから隠してほしいと預かりはしたが、守りきれとは言われていないし、そもそも勝手に離れから出てくるような人間を、どこに情報網を隠し持っているのかもつかませてくれない御老人から素人の私が隠しきることは不可能だ。
一番の難関はエセルバートの情報網ではなく、勝手に動き回るランヴァルド自身である。
離宮に戻って早々にランヴァルドの様子を報せに来た白銀の騎士へは、エセルバートの様子を伝えておいたので、私にできることはここまでだろう。
……うん、あとは護衛の人たちに頑張ってもらうしかないね。
離宮を使っていた形跡から、侵入者があったことには気がついていたぞ。
私が何かを隠しているということにも気づかれた。
これだけ伝えておけば、護衛の二人があとは頑張るだろう。
逆に言えば、これだけ情報を伝えておいてもまだフラフラと離れから出てくるようであれば、助力はそこで打ち切る。
隠れる気のない亡霊になど、付き合ってはいられない。
……今年も、もうすぐ追想祭ですね。
例年はいつの間にか用意されている衣装なのだが、今年は私も衣装合わせに参加だ。
誰が考えているのか、神々を模した衣装は年々布地と装飾品が豪華になっている気がする。
昨年は花の女神メンヒリヤをイメージした衣装だったが、今年は芸術の女神アシャテーらしい。
花の女神メンヒリヤの時は花びらのように幾重にも布を重ねて使っていたのだが、今年は裾や飾り布に精巧な刺繍が施され、特殊な縫い方をしているのか布自体にも立体的な模様が浮かび上がっていた。
……たぶん、とんでもなく高価なんだろうな、ってのは判る。
裾を踏んで足跡などつけないようにしなくては。
そんなことを考えながら、おとなしく着せ替え人形になっておく。
どんなに綺麗に着飾ったところで、この衣装を見る人間は少ない。
一番喜びそうな人はルグミラマ砦へ行っているし、儀式中は地下にある『精霊の座』と呼ばれる
……あれ?
そういえば、と一つ思いだす。
「昨年は追想祭のあとに、メンヒシュミ教会がなにか言ってきたと思うのですが……」
たしか、突然送られてきた贈り物の中に、メンヒシュミ教会からの物もあったはずだ。
お菓子と帽子という贈り物に、私は単純に追想祭のご褒美かと思ったのだが、本当の狙いは私の機嫌をとって来年こそはメンヒシュミ教会が行なう追想祭に参加させようという意図だろう、と誰かが説明してくれたのを覚えている。
私が昨年参加したのは王城内で行なわれたイツラテル教会の司祭が準備を取り仕切る祭祀で、グルノールの街での追想祭のようにメンヒシュミ教会が関わるものではなかった。
教会同士でなにか、面倒な思惑があるのかもしれない。
「今年も国王陛下の祭祀を見守るのだとばかり思っていたのですが、実は内街の追想祭に参加するのですか?」
「クリスティーナお嬢様は、今年も国王陛下の祭祀を見守る予定だと伺っております」
ソラナが言うことには、昨年と同じ予定になっているようだ。
一日内街の追想祭に出ることを考えれば、クリストフの祭祀は会う人間の数が少なく、拘束時間も半日で済むだけ気が楽なのだが、一つだけ難点があった。
「保温をしたお茶が持ち込めると嬉しいのですが……」
「保温、ですか?」
「祭祀を行う『精霊の座』が地下にあるせいでしょうけど、あの場は少し寒いのです」
昨年はクリストフがジュースやお菓子を持ち込んでいたため、空腹は覚える暇もなかったが、飲み物として事前に用意されていた水は、気を遣ってくれたのかもしれないが、よく冷えていた。
薄着で数時間籠る地下で飲むには、お腹に優しくはない。
「では、今年は衣装として毛皮を追加いたしましょう」
「……アシャテーは、虹のカーテンを作った神話で雌鹿の毛皮を纏ってました、ね」
ソラナの視線を受けて、カリーサが毛皮を持ってやってくる。
神話にあわせるのなら雌鹿の毛皮を用意する必要があるが、要は寒さが凌げればいいのだ。
元の動物には拘る必要が無い。
ちなみに、芸術の女神アシャテーが作った虹のカーテンとは、オーロラのことである。
この国では見えないのだが、神話にはオーロラが記載されているので、どこか寒い国でなら見ることができるのだと思う。
衣装合わせが終わり、カリーサに手伝われて服を着替える。
ヘルミーネの授業まで何をしようかと考えながらお茶を飲んでいると、レベッカが来客の知らせを持って来た。
「今日はどなたともお約束をしていなかったと思うのですが……」
「はい。クリスティーナお嬢様は、本日どなたとも約束をなさっておりません。ですから、このたびの来客はお嬢様への課題にするべきだと、ヘルミーネ女史が」
「……わかりました」
つまりは、突然の来客に対して私がどう対処をするか、という突発的な
誰が来たのかは知らないが、事前になんの知らせもなく離宮を訪ねるだなどと、貴族としては致命傷に近い失敗であったし、淑女の館を訪ねるマナーとしても反している。
それに対する私の反応が、今回の課題になっているのだろう。
「では、『約束もなく訊ねてくるような知人は、わたくしにはおりません』と、お引取り願ってください」
「では、そのように」
スッと淑女に対する礼をしたレベッカに、回答としては正しかったらしいと確信する。
私が間違った返答をすれば、ヘルミーネではなくレベッカが誤りである理由と共に正解を教えてくれたはずだ。
「……ちなみに、どなたがいらしたのですか?」
「アンセルム様です」
レベッカの口から出てきた意外な名前に、わずかに首を傾げる。
アンセルムといえば、クリストフの末の王子で、まだ七歳の男の子だ。
交流を持ったことなど昨年の闘技大会ぐらいで、離宮へと訪ねてこられるような間柄ではない。
さらに言うのなら、七歳の子どもが一人で馬車に乗っておでかけなど、保護者が許さないはずだ。
……いや、この国の王族なんだから、それぐらいの非常識はこなすのかも……?
闘技大会で少し話した程度の印象しかないが、アンセルムは常識的で礼儀正しい可愛い男の子だった。
とても事前の知らせもなく離宮へとやって来るような無作法をするようには思えない。
「本当にアンセルム様なのですか? 間違いや、別の方についてきたわけではなくて」
「アンセルム様が、お一人で訪ねておいでです」
「それは少しおかしいですね。なにか緊急の理由があってのことでしょうか? やはりお会いした方が……」
「それはおやめください。なにか事情があるのでは、とは
王子という立場にいる人間であれば、約束もなく人を訪ねても問題にならないだなどと、覚えられたくはない、とレベッカは言う。
事情があってのことだとは思うが、だからといって甘い顔をしては、アンセルムのためにならない、と。
「……わかりました。お一人で訪ねてこられた、というところが気になりますね。誰か護衛を付けて、妃の離宮へ送って差し上げてください」
無作法を働いた王子への対応として、これでどうだろう、とレベッカを見上げる。
今度の回答はレベッカとしても問題はないようで、淑女の礼を返して部屋を出て行った。
「申し訳ございません、クリスティーナお嬢様。少しよろしいでしょうか」
アンセルムを送り届けるために部屋を出て行ったはずのレベッカが、なぜかすぐに戻ってきた。
久しぶりに刺繍でもしようかとカリーサに道具を用意してもらっていたのだが、どうやらお預けになりそうだ。
「アンセルム様にクリスティーナお嬢様はお約束のない方とはお会いになりませんとお伝えしたのですが……」
家族に会うのに、なぜ事前の約束が必要なのだ、とアンセルムは玄関ホールで拗ねているらしい。
普段は聞き分けのいい末の王子の珍しい癇癪に、警備の白騎士も、レベッカも扱いかねてしまったようだ。
「……家族、というのは?」
王子の口から出てきたと聞くには、なんとも不穏な単語である。
私の家族といえばレオナルドで、血筋の上ではアリスタルフと認めたくはないがベルトランがいた。
間違っても現王族であるアンセルムは私の家族ではない。
「どなたかに何かを吹き込まれたようで、クリスティーナお嬢様をご自身の姉か姪だと思われているようです」
「姉はともかく、姪ですか。……いえ、たしかにディートフリート様とアンセルム様は甥と叔父の関係でしたね」
それを考えれば、年上の私がアンセルムの姪である可能性もないとは言えないだろう。
あくまで年齢からくる叔父と姪の可能性の話であって、アンセルムと私が叔父と姪であるという話ではないが。
「……わかりました。一度アンセルム様にお会いして、妙な誤解は解きましょう。その間に誰か人をやって、アンセルム様の迎えを呼んでください」
手順を踏むようにと躾けたい気持ちはわかるが、そのためには一度アンセルムを離宮へ返す必要がある。
アンセルムにだって教師はついているはずなので、これはその教師の仕事だ。
まずはおかしな誤解を解いて、普段の聞き分けのいいアンセルムに戻ってもらう必要がある。
「クリスティーナ姉様!」
アンセルムのためにも厳しく言い聞かせなければ、と意気込んで玄関ホールへと乗り込んだのだが、出会いがしらの『姉様』呼びにあえなく撃沈されてしまった。
まさかアンセルムのような素直で可愛い男の子から『姉様』だなどと呼ばれる日がくるとは思わなかった。
思えば、私の知人で年下の男の子といえば、テオぐらいだ。
テオは私の髪を引っ張ったりと意地悪をすることはあっても、『ティナお姉ちゃん』だなんて可愛い呼び方をしてくれたことはない。
私を『ティナおねえちゃん』と可愛らしく呼び慕ってくれたのは、ミルシェだけだ。
……でもダメ。可愛いからって、デレデレしたらダメ。レオナルドさんになったらダメ。あれはダメなお手本。
ここは厳しく言い聞かせなければ、とにやけそうになる頬へと力を入れる。
あくまで相好は崩さず、淑女らしい笑みを浮かべて対面しなければ、とぷるぷると震える頬に全神経を集中させた。
ここしばらくで一番集中した瞬間だと思う。
視界の隅であくびをしている
「お久しぶりです、クリスティーナ姉様。昨年のとうぎ大会ぶりですが、おすこやかにお過ごしでしたか?」
「お久しぶりです、アンセルム様。丁寧なご挨拶に感心いたしましたけれど、わたくしお行儀の悪い子とはお話ししませんよ」
腰に手を当て、ぷいっと判りやすくそっぽを向く。
可哀想に、アンセルムはこれまでこんな態度をとられたことなどなかったのだろう。
反応に困ってわたわたと慌て始めた。
「え、えっと……ごめんなさい、クリスティーナ姉様。僕が何かまちがえたのですね? あやまりますから、許してください」
しゅんっとすぐに項垂れたアンセルムに、私の方が肩透かしをくらう。
拗ねて癇癪を起こしていると聞いていたのだが、あっけなくもアンセルムは落ち着きを取り戻していた。
というよりも、私が玄関ホールへとはいった瞬間からアンセルムの機嫌は上向きだ。
こんなアンセルムが本当に癇癪など起こしていたのか、とレベッカへと視線を向けると、
……変だね?
しゅんとしたアンセルムが気の毒で、つい目の前の黒髪を撫でてしまう。
なにか双方の間で行き違いがあることも、アンセルムの中で誤解があることも確かなので、まずは一つずつそれらを解いていくしかない。
「アンセルム様は、作法の先生から習いませんでしたか? お約束のない方を突然訪ねてはいけません、と」
「ならいました。あいての方にもお客さまをおむかえするじゅんびがあるので、とつぜんおたずねするのは失礼になる、と」
「……解っていて、したのですね?」
理解したうえで、今日の突然の訪問か、とアンセルムに確認する。
私にジッと顔を覗き込まれたアンセルムは、きょとんっと瞬くと不思議そうに首を傾げた。
「かぞくに会いにいくのに、しらせをいれるのはおかしいと、兄上がおっしゃられていました」
アンセルムの兄上というと、容疑者は三人に絞られる。
兄上と呼んでいることを考えれば、さらに
彼らは兄弟が多いせいか、王族と王爵とで兄弟間であっても明確な身分差があるせいか、兄上・姉上と同じ兄弟であっても呼び分けている気がする。
「……アンセルム様にそれを教えたのは、どちらのお兄様ですか?」
私としてはエルヴィスか、アルフレッドかと聞いたつもりなのだが、アンセルムの口から出てきた名前はまた違う名前だった。
「チャドウィック兄上がおしえてくださいました」
「チャドウィック王子というと……二番目のお兄様ですか?」
「はい!」
アルフレッドたちは兄弟間であっても呼び分けているようだが、アンセルムは幼いせいか兄はひとくくりに『兄上』だったようだ。
予想とは違う名前が出てきて驚いたが、答えを聞いてしまえば納得の名前だった気もする。
……愉快犯、だっけ?
アルフレッドの口から、そんな評価を頂いている王子だったはずだ。
真っ当な理性や自制心などない、自分が面白いと思ったことだけをする、困った人物である、と。
……末の弟に適当な教育を挟み込むとか、本当に迷惑な。
これはあとで誰かに報せを入れておいた方がいいだろう、と頭の片隅に置いて、まずはアンセルムの誤解を解くことにする。
もともとが素直なアンセルムなら、一つずつ誤解を解いていけば、すぐに修正できるだろう。
「アンセルム様、まずはわたくしがアンセルム様の家族というのは誤解です。わたくしはアンセルム様の姉でも姪でもございませんので」
「……ちがうのですか? でも、チャドウィック兄上がかみと目の色が同じだから、僕の姉様かもしれないとおっしゃりました。それに、クリスティーナ姉様はりきゅうに住んでおられますし」
「髪と目の色の同じ人なんて、親戚でなくともたくさんいますよ。それに、わたくしが離宮に住んでいるのは、クリストフ様の居城の客間では落ち着かないからです。少し距離があった方が落ち着くだろう、とクリストフ様たちがご配慮してくださりました」
アンセルムの主張と疑問に、一つひとつ丁寧に答えて誤解を解いていく。
よくもまあこれだけ適当なことを吹き込んでくれたな、と顔も見たことのない第二王子にはいささか腹も立つ。
アンセルムが突撃した相手が私だからまだよかったが、これが杖爵や相手の弱みを握ることが大好きな人間相手の失敗であれば、アンセルムには後々ついて回る弱点となっていただろう。
「……では、クリスティーナ姉様はほんとうに僕の姉でもめいでもないのですか?」
「残念ながら、違います」
「そう……ですか」
最後の疑問に答え終わり、アンセルムの誤解もようやく解けたようだ。
再びしゅんと萎れてしまったアンセルムは可哀想だったが、すぐに気を持ち直して笑みを浮かべたところはさすがに王子さまだと思う。
幼くとも、ちゃんと教育がされている。
「たいへん失礼をいたしました、クリスティーナ」
「はい。誤解が解けてなによりです、アンセルム様」
素直に詫びるアンセルムに、よしよしと頭を撫でて慰める。
頭を撫でるだなんて、王子相手にどうかと思うのだが、今さらだ。
すでに一度やってしまっているので、今回は指摘されない限りはとぼけるしかない。
誤解は解けたようなので、改めてアンセルムを応接間へと案内する。
迎えを呼んだので、迎えが来るまではお話しをしよう、と言ってレベッカにはお茶の準備をしてもらった。
「そういえば、アンセルム様はなぜわたくしを訪ねていらっしゃったのですか?」
「クリスティーナ姉……、クリスティーナは難しい本が読めると聞いたのです」
「アンセルム様よりは長く読み書きを習っていると思いますが、読めない本もございますよ?」
一番得意なのは日本語で、苦手なのは英語です、というのは飲み込んで、アンセルムの差し出してきた薄い本を受け取る。
青い背表紙の本の表紙には、なんとも物騒なタイトルが書かれていた。
……え? なんで日本語?
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