第67話 送らない手紙
ジャスパーのおかげでパント薬の素材である雪帽子は無事に入手できたのだが、離宮へは非常に残念な報せも届いた。
サエナード王国までアドルトルの卵を採りにセドヴァラ教会が中心となって動いていてくれたらしいのだが、国境を越える時点で時間がかかりすぎ、アドルトルの生息地域に辿りついた頃にはすでに卵は孵ってしまっていたようだ。
必要なのは無精卵だったので、雛が孵ること自体はなんの問題もなかったのだが、受精していなくとも卵は卵。
栄養価のある食料としてアドルトルの親鳥や、卵を狙う蛇といった害獣にすべて食べられてしまったそうだ。
一応もう少し粘って探してみるという追記もあったが、あまり期待はできないだろう。
……おのれ、サエナード王国め。
仕方がないことだとは判っているが、誰かを恨まずにはいられない。
春に産み落とされるアドルトルの卵が必要だというのに、このまま本当に卵が手に入らなければ、グルノールの街への帰還が一年延長で確定してしまう。
ただでさえ一年近くグルノールの街を離れているというのに、これ以上窮屈な王都暮らしを延長されたくはない。
……ラローシュの花粉は、早くても半年ぐらいかかるって覚悟してたけどね! 春限定のアドルトルの卵が手に入らないとか、辛すぎるっ!!
季節によってはラローシュの花粉も一年待つことになるのだが、それは考えないようにしておく。
もともとオレリアが商品として仕入れていたということは、ラローシュの花粉は商品になると知っている誰かが集めてくれている可能性があるので、アドルトルの卵よりは楽観できる気がしていた。
「もっと早く出かけるか、国境の緊張状態が正常に戻るのを待つしかないのでしょうか?」
「妹可愛さにレオナルドが先走って、サエナード王国を丸ごと落としてくれば早いのだけど……」
「それはさすがに無理があると思います」
私の兄をなんだと思っているのだ、と唇を尖らせてフェリシアを睨む。
私の兄は融通の聞かない堅物だ。
いくら
相手が攻めてくるのならば国境まで追い払うだろうが、こちらからは戦を仕掛けないはずだ。
「今回の失敗については、サエナード王国内のセドヴァラ教会もサエナード王へと抗議をする気でいるようね」
薬術の神セドヴァラの信徒に国境はない、と薬術に関しては普段から融通を利かせているのだ。
緊張状態にあるせいで国境を越えるのに時間がかかり、そのために秘術の復活が遅れるとなればセドヴァラ教会もいろいろと報復を考えるだろう。
「天の神様は、わたくしに冷たいと思います」
「精霊の寵児は精霊に愛される存在のはずなのだけど……」
精霊には愛されるが、神様には愛されていないらしい。
国境の緊張状態はサエナード王国のせいだが、私がパント薬を作ることになったのは私のせいだ。
何日もかけた会議で復活に挑む薬を決めているところで、早く決めてよと我儘を言って、結果、運に任せてパント薬を選んでしまった。
「父上は選び直しても良い、とおっしゃっていたのでしょう?」
「言いました。わたくしが自分で選んだから、とパント薬でいいと言ったのです」
「ならクリスティーナの責任ね。天の神様のせいでも、隣国のせいでもないわ」
諦めなさい、とフェリシアに諭されて、肩を竦める。
私だって、フェリシアに諭されなくとも判っているのだ。
パント薬については、突き詰めて考えてしまえば、これを選んでしまった私に責任がある、と。
「次からは、もう少し慎重に行動いたします」
少なくとも、運を天に任せたりはしない。
自分の運命は、自分の手で掴むのだ。
やや不満が残りながらもそう宣言すると、フェリシアは綺麗に微笑み、お土産だといって一枚の報告書を置いていった。
「うわっ、……本当にサエナード王国とは緊張状態にあるのですね」
フェリシアの置いていった報告書に、つい素で驚いてしまったのだが、その瞬間にヘルミーネの顔が険しくなったので気を引き締める。
どうしても咄嗟に出てしまう素の私は、平民の田舎娘だ。
平民レオナルドの妹としてはこれでいいが、砦を預かる騎士団長の妹としては不味い。
功爵家の娘としても落第点だったし、国王から離宮をいただいた人間としてもダメだろう。
……淑女って、難しい。
「これほどの緊張状態にあっても、国境を通してくれたのですから、サエナード王国側としては融通してくれた方だと思います」
今は旅人は完全に入国を拒否され、商人であっても自国民であると証明できなければ国境が越え難い状況になっているらしい、とお茶を入れながらウルリーカが教えてくれた。
国境が緊張状態にあるとは聞いていたが、商人の入国さえ制限しているとは思わなかった。
間者を警戒して取調べが厳しくなるぐらいなら判るのだが、商人は物資を運ぶ者たちだ。
外から入ってくる物資を締め出してでも、内へと外国人を入れたくはないのだろう。
「そこまで緊張状態になっているとは思いませんでした」
「いえ、今はもっと進んでいると思います。種まきの季節はそろそろ終わりますし、王都へと情報が届くまでにも時間がかかりますから」
遠くの国境から王都へと届いた情報が『商人たちが締め出され始めた』ということなので、現地では完全に商人の行き来が止められているだろう、とウルリーカは言う。
通信手段が馬や鳥を使った伝令になるので、どうしても
「……本当に一触即発な状態ではありませんか」
国境を守る砦にいるレオナルドは大丈夫だろうか、と急に現実味を帯びてきた開戦という言葉にうろたえる。
レオナルドは騎士だ。
この世界には戦争があると聞いていたし、私が知らなかっただけで、私が生まれてからのこの十一年間の中でだって戦争はあったと聞く。
その戦でレオナルドは功績すらあげているのだが、自分の兄が戦に出るということに、これまではいまいち実感がなかったのだ。
「戦争とは
「我が国とサエナード王国は建国以来仲の悪い国ですので、少しのきっかけがあれば戦になります」
むしろ、今回は開戦までに一年以上もよくもった、とウルリーカの方が不思議そうにしていた。
前世の地球とは武器の性質が違うため、為政者たちの戦に関する考え方も違うようだ。
前世では一発ですべてが終わるような兵器があったため、為政者たちはまず話し合いで問題を解決しようとしていたし、それがダメでも経済制裁といった武力以外の方法で締め付けを行なっていた。
武力行使は、本当に最後の最後の手段だ。
けれど、この世界は違うらしい。
剣と盾と馬とで戦を行なう世界では犠牲者の数など知れているし、話し合いに時間を割くより、武力でもって一瞬のうちに勝敗を決するようだ。
……でも、実際に戦場に立つのは私の兄なんだけど……っ!
ざわざわとした不安に、じっとしていられなくなって部屋の中をうろうろと徘徊する。
騎士だとか、戦で功績を立てただとか、まるで実感がなかったのだが、いつ戦が始まっても不思議ではないというウルリーカに、国境にいるレオナルドが現在置かれている状況を思い知る。
闘技大会で本物の剣と剣がぶつかり合うのを見ただけでもあれだけ怖かったのに、私の知らないところで、私の兄が、競技としてではなく本当の命の奪い合いをするのだ。
レオナルドは強い、強いと聞いているが、だからといって誰にも負けないということではない。
どうにも心が落ち着かなくて、落ち着くために椅子に座り、またすぐに立ち上がる。
そんなことを繰り返していたら、見かねたレベッカが便箋を持ってきてくれた。
心配ならば、レオナルドに手紙でも書けばいい、と。
さすがに開戦が迫っている今、正規の方法では返事は送れないかもしれないが、レオナルドならば以前のように報告書へと紛れ込ませて返事をくれるかもしれない。
「そうですね。手紙を出す、出さないは別として、手紙を書くという方法は、心を落ち着ける役にたつかもしれません」
レオナルドからも手紙が欲しいと言われているし、と自分に対して言い訳をする。
本当は仕事で行っている砦へと、自分が寂しいから、不安だからといってレオナルドに手紙など出したくはない。
しかし、不安を吐き出した手紙を書くだけで、実際に送らないのならば、レオナルドの仕事の邪魔にはならないはずだ。
後日実際に出す手紙には、レオナルドが心配などする必要がないような当たり障りのない内容だけを書けばいい。
そう思って書いた感情がぐちゃぐちゃに綴られた手紙は、ヘルミーネへと添削を頼むまでもなく、黒い犬のぬいぐるみのお腹の中へとしまわれた。
この手紙は、レオナルドが無事に帰ってきてから燃やせばいい。
そう、願いを込めた。
紙へと不安な感情を書き出すという行為は、私の心を落ち着けることに、大いに役立ってくれた。
レオナルドが戦場にいる、と思いだせばやはり不安で部屋の中を歩き回ってしまうのだが、すぐに落ち着きを取り戻せるようになった気がする。
これが以前ヘルミーネの言っていた『感情を制御する』ということだろうか。
淑女には必須の技能らしい。
……要・練習、だね。
心のままにレオナルドを心配する私と、淑女として振舞うべき私とを分けて考える。
二つのことを同時に考える必要が出てきたおかげか、表面的には落ち着きを取り戻すことができた。
パント薬の製作は、素材待ちで完全に止まってしまった。
少なくとも、来年の春にアドルトルの卵が入手できるまでは進みようがない。
待っている間にラローシュの花粉が届けばいいな、とコーディの活躍に期待しつつ、ラガレットから届いたバシリアの手紙へと返信をする。
今年も王都へ滞在しようと考えているが、長く娘が離れることにバシリアの母とジェミヤンの正妻が反対しているようだ。
子どもが親元に留まる時間など短いのだから、子ども時代ぐらい自分たちの元にいてほしい、と。
「……近頃、あの子をよく見かけますね?」
「あの子?」
番犬たちの散歩帰りに玄関へと向うと、生垣の向こうに見慣れてきた猫の被り物が見える。
またあの猫頭の少年がこちらを見ているのだろう、と視線だけで促すと、猫頭少年を見たカリーサが首を傾げた。
「……あれは『あの子』ではなく、『ディートフリート様』、です」
「へ?」
カリーサの口から出てきた聞き覚えのある名前に、思わず猫頭少年とカリーサの顔とを見比べる。
カリーサの顔はいつも通り真面目なものであったし、猫頭少年は相変わらず猫の被り物をしていた。
被り物のせいで顔は見えないのだが、あの下にはディートフリートの可愛らしい顔が隠れているらしい。
「ディートは、なぜあんな妙な被り物を……?」
「さあ?」
中身がディートフリートである、と聞けば少しだけ関心が湧いた。
これまではまた変な人に付き纏われ始めたのだろうか、と見ない振りをしていたのだが、中身が判れば少しだけ安心もできる。
安心はできるのだが。
……ホントに、なんであんなことになってるの?
『猫頭少年』改め『ディートフリート』は、自分へと視線を向けられていると悟ると、判りやすく頭を抱え、顔を両手で隠し、生垣へと飛び込み、被り物の頭だけを覗かせて隠れた。
あれで隠れているつもりらしい。
……二年会わない間に何があった!?
そう考えてしまった私は悪くないと思う。
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