第46話 エセルバートのご褒美

「……あれ? 冬はこちらの離宮は使わないと聞いていたのですが」


 冬は寒いので寝殿造りの離宮ではなく本来の離宮に滞在する、というようなことをエセルバートから聞いたことがある。

 エセルバートの招待なので、てっきり今日は寝殿造りではない方の離宮へ案内されると思っていたのだが、馬車が止まったのはいつもの寝殿造りの離宮だ。

 不思議に思って迎えに出てきたキュウベェに聞いてみると、このぐらいの寒さではまだ寝殿造りでも過ごすことができるらしい。

 もう少し気温が下がると、エセルバートは離宮を移るよりも領地へと戻るのだとか。


「エセルバート様の領地というと……たしかグーモンスでしたね。王都の東だったと記憶していますが、暖かいのですか?」


「気温という意味では、あまり変わりません。ただ、グーモンスは王廟を見守るために作られた街ですので、神王祭の季節に領主が不在というのもすわりが悪うございます」


 つまりは、新年を迎えるにあたって領主が不在というのもよろしくない、ということなのだろう。

 もしくは、グーモンスの街では王廟で私の知らない祭祀が行われるのかもしれない。

 神王祭に領主であるエセルバートを必要としており、そのためにエセルバートが領地へ戻るのだ。


 ……あ、違った。エセルバート様は、本来領地にいるのが本当なんだっけ? 今が少し長く王都に滞在中、ってだけで。


 前国王が政治の中枢たる王都にたびたび顔を出していては、現国王がやりにくいだろう、と以前エセルバートが言っていた。

 それを考えれば、今のようにいつまでも王都にエセルバートがいる方が特殊で、普段は領地にいるのだろう。

 諸領漫遊の旅をしている、という実態には触れないでおく。


「アルフレッド様は、領地へは戻られないのですか?」


「私はアルフからおまえの子守を頼まれているからな。しばらく領地へは戻らないが、まあ……グルノールへ向かう際に軽く回ってきたので、大丈夫だろう」


 うちの代官は優秀である、とアルフレッドが胸を張るので、本当に優秀な人なのだろう。

 もしかしなくとも、アルフレッドに振り回されて優秀に育ってしまったのかもしれない。


「アルフレッド様の領地は……レストハム騎士団のあるメール城砦の近く、でしたか?」


「領地的にはレストハム騎士団の隣だな。私の領地にはかつてのレストハム領が少し併合されている」


「レストハム領というと……たしか、二十年ほど前の戦で帝国に取られた、とメンヒシュミ教会で教わった気がします」


「そうだな。そのレストハム領だ」


 レストハム騎士団が常駐する砦が『レストハム砦』ではなく『メール城砦』なのはこのためだ。

 昔はレストハム砦があったのだが、当時の戦で帝国に領地を削り取られ、砦を失った騎士団はメール城砦に詰めることになった。


「あと少し問題なく治められれば、私も王位継承権を得ることになる」


「王位継承権って、王爵だけではダメなのですね」


「王爵はあくまで机上での為政者に必要となる教育が終わった、というぐらいだな。実際に領地を治めてみると、それがよく解る」


 つまり王爵たちの領地経営は、そのまま実技試験のようなものらしい。

 机上の知識と血筋だけで王になられるよりも、国民としては信頼できる世継ぎ選定方法かもしれなかった。


「馬車でも言ったが、私の王位継承権はあくまで万が一には、というぐらいの気持ちでいる。次期国王はフェリシア姉上で良いだろう」


「そういえば、この世界では跡継ぎには女性が望まれるのでしたね」


 神王にまつわる神話の一つに、その理由があった。

 大切な神王の血を、不貞を働いて絶やそうとした王妃がいたのだ。

 そのことから、子どもが確実に家の血を引いているということで、跡継ぎには女性が望まれるのがこの世界の傾向だった。


「……前の世界は違ったのか?」


「前の世界では……日本だけで考えても、跡継ぎは子孫の数が増やせるから、という理由もあって男性が主流ですね」


「跡継ぎが男だからといって、必ずしも子孫が増やせるわけではないと思うが……」


 私にとっては普通の価値観だったのだが、やはりこれが真逆の価値観となるアルフレッドには不思議なようだ。

 不可解そうな顔をして眉を寄せている。


「父は……いや、クリストフ国王陛下には三人の妻と十五人の子どもがいるが、エセルバート様の子どもは二人だけだ」


 女性が跡取りとして望まれるこの世界では珍しく、この国の王様は三代ほど続けて男が継いでいる。

 たまたま女性で王座に相応しい王族が生まれなかっただけらしいのだが、三代続けて男が王座についても特別王族が増えたわけではない。

 特に、エセルバートの代は子どもが二人しかおらず、そのうち一人は亡くなっていた。


「クリストフ様の弟君は、病気で亡くなられたのでしたね」


「クローディーヌの前にティナの離宮の主だった方だ。私の兄弟姉妹が多いのは、父に兄弟が少なかった影響もあるのだろうな」


 自分に兄弟が一人しかいなかったうえに、そのたった一人の弟は病気で亡くなっている。

 クリストフは自分の子どもたちには寂しくないよう、兄弟姉妹をたっぷり用意しているのかもしれない。

 アルフレッドと妹たちの仲はあまり良さそうではないのだが、同じ王爵を持つフェリシアとは良好な関係のようだったし、異母兄弟のエルヴィスとも仲は良さそうだった。


「……子ども、か。次期国王はフェリシア姉上で良いと思うのだが……」


 婿に来てくれる相手がいない、と言ってアルフレッドは遠い目をした。

 次期国王としてはフェリシアを押すが、伴侶がいないという理由だけで自分の下へと王座が転がり込んでくる場合もあるのだ、と。


「フェリシア様はモテモテですよ」


 毎日のように信者が離宮を訪れ、フェリシアの美を褒め称えている。

 以前は女神の美貌と恐れ多くて求婚などできなかったようなのだが、服を着るようになってからは女神ではなく一人の女性である、という当たり前のことを思いだす男性も多い。

 結果として求婚者が増えた、とフェリシアが少しだけ困っていたはずだ。

 美の信奉者や奉賛者はすべて受け入れるが、自分を独占したがる求婚者には応えられない、と。


「フェリシア姉上は、その気になれば相手なんて選び放題だぞ。あの顔で口説かれて落ちない男はいないだろう」


「……確かに、女神様に『わたくしをお嫁さんにしてください』だなんて言われて、嫌だって言える男はいないと思います」


 それなのに、フェリシアはいまだに独り身だ。

 求婚者がいても、その気になれば誰でも口説き落とせても、伴侶を選んでいない。


「フェリシア姉上からすれば、次期国王じぶんの伴侶に相応しい男がいない、ということだろう」


 そんな男がフェリシアの視界に入っていれば、すぐにでも口説き落としているはずだ、とアルフレッドは言う。

 アレは狙った獲物は逃がさない姉だ、と。


「……そうだ、ティナ。レオナルドをフェリシア姉上の婿にくれ」


です」


 レオナルドは私の兄なので、誰にもあげませんよ、と軽くアルフレッドを睨む。

 私の睨みなどなんの効果もないはずだが、アルフレッドは軽く肩をすくめた。


「……まあ、フェリシア姉上の婿はともかくとして、父からはもう娘の誰かをレオナルドに、とはしないだろう」


 そこは安心して良い、とアルフレッドが言うのは、第七王女に関することだろう。

 先日聞いたばかりだったが、あんなことがあったのなら確かに次の娘は薦めにくい。


「フェリシア様といえば、お気に入りの白銀の騎士がいるみたいですよ?」


「ほう。それは面白い話だな。詳しく聞かせろ」


 レオナルドでも良いのなら、白銀の騎士でも良いのだろう。

 王の伴侶に求められる気質については、フェリシア本人が見極めるはずだ。

 引っ張りだされたお茶会でフェリシアの横にいることが多く、フェリシアを観察していたために気が付いたのだが、フェリシアにはお気に入りというか、つい目を向けてしまう白銀の騎士がいるようなのだ。

 騎士は仕事で離宮に来ているため、普段から親しげにフェリシアと会話をするようなことはないのだが、彼と話している時のフェリシアはなんだかヤキモチで気を引きたくなるほどに優しい笑みを浮かべている。

 あの視線を向けられている者が羨ましくて仕方がなくなるような、慈愛に満ちた微笑だ。


「……わたくしの勘違いかもしれませんからね?」


 そう何度も前置きをおいて、離宮でのフェリシアの様子を話して聞かせた。







「本日はエセルバート様から昼食に招待されたはずなのですが……?」


 キュウベェに案内された一室には、エセルバートとゴドウィン老がいた。

 エセルバートがいることは招待主なのだから当然として、まさかエセルバートの離宮でゴドウィンに会うとは思ってもいなかったので驚く。

 年代的にはエセルバートと近いのだろうが、私の感覚としてはフェリシアの知人だ。


「ゴドウィンの用件は、昼食のあとが良いじゃろう」


 こちらへおいで、と促されてテーブルにつく。

 今日はゴドウィンがいる為か、畳の上で正座ではなく、座椅子が用意されていた。


「ラーメン!」


 キュウベェの給仕で目の前へと置かれた昼食に、近頃ヘルミーネに仕立て直されたはずの淑女という名の猫が脱げる。

 見慣れた中華どんぶりでは当然ないのだが、目の前に置かれたものはどこからどう見てもラーメンだ。

 黄色がかった麺に、琥珀色の汁、しっかりと味の浸み込んだ煮玉子とメンマとチャーシューが入っている。


「これはナパジの『ネマール』という麺料理じゃ。お嬢さんの知っておるものは、『らーめん』といったのかね?」


「はいです! まさかラーメンに出会えるとは思いませんでした」


 興奮のあまり素が出てしまったが、エセルバートとアルフレッドはともかく、素の私を初めて見るゴドウィンの驚いている顔と目が合い、冷静になる。

 淑女という名の猫は脱げてしまったが、今日の私は猫耳を付けているので、見逃してほしい。

 

 脱げてしまった猫を楚々と被り直し、澄ました顔を作って座り直す。

 そうすると、苦笑いを浮かべたキュウベェがお箸を用意してくれた。

 ちなみに、アルフレッドとゴドウィンの前にはフォークが置かれている。


「エセルバート様が羨ましいです。毎日でもナパジ料理が食べられるのですから」


「さすがに、毎日食べておるわけではないが……羨ましいのかの?」


「羨ましいですよ。料理人を引き抜きたいくらいです」


 一応の確認をしたところ、ナパジではラーメンことネマールは音をたてて食べるのが流儀らしい。

 そうとわかれば悩む必要もないのだが、故意に音をたてるのは下品な気がするし、流儀とは聞いてもアルフレッドもゴドウィンも静かに食べているので、私もそれに倣った。

 静々と、お箸でネマールをいただく。


「料理人はさすがにやれんの」


「言ってみただけですよ」


 少し羨んでみただけなのだが、意外に本気で受け取られてしまった気がする。

 僅かに考えるような素振りを見せるエセルバートに、本気に取らないでほしい、と訂正をいれた。

 ナパジ料理が食べたいから、とそんな軽い理由で引き抜かれては、料理人もかわいそうだ。


「料理人はやれんが、……貸すことはできるぞ」


「え?」


 聞き間違いか、とエセルバートの顔を凝視する。

 聞き間違いでなければ、なんだか凄く素晴らしい言葉を聞いた気がした。


「冬の間はわしも領地に戻るでな。お嬢さんへの褒美として、わしが留守の間に料理人を貸してやろう」


 ナパジ料理を離宮の料理人に仕込むでも、料理を作らせるのでも、好きにするといい、と続いたエセルバートの言葉に、被り直したはずの猫がまたもあっさりと逃げる。


「エセル様、大好き!」


「そんな大好きな爺の孫にならんか?」


「それはお断りします!」


 感激のあまり大好きと言葉が飛び出してきたのだが、すかさず差し込まれるいつもの言葉に、私も間髪いれずに応じた。

 いつも通りのやり取りだ。

 いつも通りのやり取りなのだが、慣れていないゴドウィンだけがこれに耐え切れず、スープで少し噎せていた。

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