第16話 浅漬けと使用人の労働形態

 エセルバートからは「もう少し様子を見た方が良い」というような内容を言われた気がするので、侍女との会話を増やしてみようと思う。

 私だって、いつまでも人見知りをしている場合ではない。

 王都に滞在する間は、どうしても彼女たちの世話になるのだ。

 早く慣れるにこしたことはない。


「エセルバート様にお米を分けていただいたので、明日の朝食にでも早速いただきたいと思います」


 畳については男性の使用人に春の部屋へと運んでもらい、別の使用人が運ぶお米を見送りつつ、迎えに出てきたヴァレーリエへと希望を伝える。

 いつまでもヘルミーネを間に挟むわけにはいかないので、個人的に一番好感度の高いヴァレーリエを選んだ。

 ヴァレーリエは杖爵の娘と、この場で一番身分の高い娘だったが、それだけに躾は行き届いており、主未満の振る舞いしかできない私の言葉でもちゃんと耳を傾けてくれる。


「承知いたしました。では、そのように料理人へ伝えてまいります」


「あと、エセルバート様がお米の炊き方も教えてくださったので……えっと、料理人は文字を読めます、か?」


「王都の民はみな勤勉で、料理人はおろか使用人にいたるまで、みな読み書きを修めております。もちろん離宮の料理人もレシピを読むことができますので、ご安心ください」


 人によってはレシピを渡しても読めないかと思ったのだが、少なくとも王城で働く使用人については要らない心配だったようだ。

 文字を読めるというのだから、エセルバートの離宮の料理人が書いてくれた米の炊き方を渡しておけば大丈夫だろう。


「……お米と一緒に浅漬けも食べたいのですが」


「あさづけ、でございますか……」


 ……あ、さすがにわかった。今のは『わからない』って間ですね。


 躾けられた娘であるせいか、ヴァレーリエの表情は読みにくい。

 が、少しだけ上擦った響きに、『浅漬け』という言葉が通じなかったのだと察することができた。


 ……うん。やっぱり私が悪かったかも。会ったばかりだからって警戒して、全然打ち解けようとしてこなかったからね。


 ここ数日の私はヘルミーネとレオナルドにばかりくっついて移動して、新しく周囲へと配置された侍女とはあまり話しをしようとはしてこなかった。

 これでは、いつまで経っても慣れる理由わけがない。


「えっと、浅漬けは……きゅうりや茄子を切って、お塩で揉んで、少し置いたら水分が出てくるので、それを絞ったもの、です」


 塩揉みとも言う、と簡単に作り方を説明してみた。

 ピクルスといった酢に漬けた漬物は今生でも食べたことがあるが、ただの浅漬けは食べたことがない。

 キングオブ漬物な梅干とは、エセルバートの離宮でしか遭遇したことがなかった。


「塩で揉むだけ、でございますね。そのような料理とも言えないようなものをお嬢様にお出しして、よろしいのでしょうか」


「……お塩で少し揉むだけの簡単なお料理ですけど、美味しいですよ」


 簡単すぎて料理とも呼べない、という理由でこれまで出てこなかったのだろうか。

 塩は一番身近な調味料であるため、浅漬けが料理として出てこないというのは少し不思議な気がした。


「きゅうりや茄子というと……野菜ならば他の物でもよろしいのでしょうか?」


大根ノキアドやカブを漬けるという話も聞いたことがありますが、同じ方法で作れるのかはわかりません」


 欲を言えば沢庵たくあんも食べたいのだが、沢庵の作り方など私は知らない。

 材料が大根だということは知っているが、浅漬けのように塩を揉み込めばできるのだろうか。

 だとしたら、あの黄色はどこからやって来るのだろう。

 黄色といえばウコンだが、市販の大根はわざわざ染めていたのだろうか。


 ……沢庵の作り方なんて、考えたこともなかったよ。


 前世では普通に店で買ったものを食べていたので、いざ再現できるかもしれないチャンスが訪れても、いまいち活かすことができない。

 味噌や醤油はレオナルドが買ってくれるが、私が作り方を知らないのだから、どうしようもなかった。


 塩揉みしただけのものを料理と呼んでいいのだろうか、と戸惑いながらも朝食には浅漬けを出してくれるとヴァレーリエが約束してくれたので、少し欲張って豚汁もリクエストしてみた。

 私がナパジの調味料を使った料理を食べるという話についてはアルフレッドから聞いていたのか、味噌や醤油といった調味料は離宮にも準備がされているらしい。

 豚汁についても作り方を伝えてみたのだが、こちらは浅漬けよりは料理らしい、とヴァレーリエにも受け入れられた。


 ……さて、明日の朝食が楽しみだね。







 朝食のリクエストを料理人へヴァレーリエが伝えに行くと、入れ替わるようにアーロンがやってきた。

 報告内容は、隠し通路の先にあった扉と、その鍵の取替え作業が終わったというものだ。


「確認に行きたいと思うのですが、離宮の大切な部分の確認ですので、わたくしが行くべき事柄だと思います」


 淑女が隠し通路の探検などと、と一度怒られている手前、ヘルミーネの顔色を窺う。

 たしかに『隠し通路を探検』というのは淑女としてどうかという行いだとは思うのだが、離宮の主としてならば隠し通路の確認作業は大切だとも思うのだ。

 むしろ、こんな大切な確認を他人ひとに任せる方が不味いと思う。


「……いざという時にティナさんが使うための通路ですからね。ご自身で確認をされたほうがよろしいでしょう」


 探検ではなく確認であれば、認めないわけにはいかない、とヘルミーネは背筋を伸ばした。

 主としての振る舞いを心がけるのであれば、私の行いをヘルミーネが咎めることはないらしい。


「ティナお嬢様の注文通り、扉を付け替えました。この通り、鍵を差し込めるのは内側からだけです」


「たしかに、注文通りに取り替えられていますね」


 何度か扉を開閉し、鍵穴を確認する。

 以前の扉は外からも中からも鍵が差し込めたが、今度の扉は内側からしか鍵を開けることができない。

 この扉はもともと脱出路として付いていたのだから、外から開く必要はなかった。

 外へ出るための扉であり、外からの侵入者を許す必要はない。


「レオナルドお兄様、お札を貼ってください」


「……張り紙だろう」


「お化け避けのお札ですよ。エセルバート様がそうおっしゃっていました」


 扉の外側に出たレオナルドへと、エセルバートが一筆したためた紙を手渡す。

 達筆で「たまには顔を出せ、馬鹿者」と書かれた紙は、気のせいでなければエセルバートの愛情が込められている。

 誰に向けた言葉なのかはわからなかったが、エセルバートの知人であることだけは確かだろう。


「誰が見るのでしょうね?」


「お化けと仰られるのですから、離宮の以前の主ではございませんか?」


 扉へ綺麗に張られた紙を確認していると、ジゼルも確認したかったようで扉のこちら側へと出てきた。


「以前の主というと……クローディーヌ王女より前の方でしょうか?」


「クローディーヌ王女の以前は、クリストフ国王陛下の弟君が使われていたはずです」


「王様の弟……その方は、今はどちらに?」


「ランヴァルド様は十五……いえ、十六年ほど前に病で亡くなられているはずです」


 年の離れた仲の良い兄弟で、当時はまだ王子という立場にいた現国王の悲しみは食事も喉を通らないほどだったらしい。

 葬儀のあとは毎日のように弟の墓へと参り、早世した弟を叱っていたそうだ。


 ……でも、お墓もあって、お葬式もしたってことは、別人かな?


 亡霊という表現をしていたので、ピッタリかとは思うのだが、実は生きていてピンシャン動き回っています、というのなら、葬儀の最中の棺や墓の下は空っぽだということになる。

 行方不明だというのなら本人の可能性もあるとは思うが、空の棺に向かってする葬儀など、付き合わされた参列者たちが可哀想だ。

 いくら困った性根を持つ癖の強い王族であっても、人の生死に関することまではふざけてほしくない。


 ……そういえば、亡霊の話をする前に、エセルバート様がレオナルドさんの顔を見てたよね?


 あれはいったいなんだったのだろうか、と首を捻りつつ、隠し通路の鍵を閉める。

 なにはともあれ、鍵の所在がわからない扉は付け替えられた。

 これでひとまずは安心だ。







 風呂から上がって食堂に行くと、夕食の他に小皿へと載せられたいくつかの茄子の浅漬けがあった。

 早速試してくれたらしい。


「お皿の色が違いますが?」


「ティナお嬢様のご指示された塩の量で作ったものと、その味見をした料理人が塩の量を調整したものになります」


 勝手がわからず、簡単すぎる調理法に戸惑い、悩んだ末にいくつかのサンプルを作ってくれたようだ。

 主である私に試食させるのは気が引けるのだが、浅漬けを食べたがっている私しか、浅漬けの味を知らない。

 そのため、失礼を承知で試作品を持ってきてくれたらしい。


 ……濃い味を最初から出されるより、失礼でもなんでもいくつか味があった方が、私はありがたいですけどね。


「これが一番味が薄いですね」


 薄い色のついた皿を示すと、これが私の指示した塩加減だと教えてくれた。

 ならば逆にと色の濃い皿に載せられた浅漬けを食べると、今度は驚くほどしょっぱい。

 とてもではないが『漬け』とは呼べないものだった。


 ……極端だなぁ。


 濃い色の皿は塩気が強いと学んだので、今度は薄い方から味を見ていく。

 全部で六つの皿が用意されていたが、私が気に入ったのは薄い方から二枚目の皿だった。


 少しだけ味が薄めになった夕食のあと、今日はエセルバートの離宮へと呼び出されたために受けられなかったヘルミーネの授業を希望する。

 いつもであればレオナルドにセークやリバーシで遊んでもらう時間なのだが、今日は忘れないうちに聞いておきたいことがあった。


「ヘルミーネ先生、この国には労働基準法のようなものはないのですか?」


「ティナさんの仰る『労働基準法』という物がわたくしには存じ上げないものなのですが……」


 そういえばエセルバートにも指摘を受けたな、と思いだす。

 話が逸れそうだったので無視されたが、私の言う『労働基準法』は日本の法律なので、当然この国の法ではない。

 エセルバートやヘルミーネに言っても、意味が伝わるわけがなかった。


「えっと……他所の国の労働に関する法律です。就業時間やお給金など、労働条件の『最低限これだけは守りなさい』って基準が決められたもの、だったような? そういった決まりが、この国にはないのですか?」


「……ティナさんは貴族にはなりたくないと仰られていたはずですのに、法を学びたいとお望みですか? 専門的に学ばれるのでしたら、私などより優秀な専門の家庭教師をご紹介いたしますが……」


 エセルバートの離宮へ呼ばれ、王族の嫁にでもなるつもりになったのか、と続いた言葉に慌てて首を振って否定する。

 少し気になっただけで、王族の嫁になどなりたくはない。


「わたくしは王様の御用が済んだらグルノールの街に戻って、刺繍やレースを作ってのんびり暮らす予定です。責任や義務が山盛りな王族のお嫁さんになんて、なりたくありません」


 大事なことなので、何度でも言う。

 私に野心や自信があれば、王族との結婚は地位や発言権を得るチャンスなのかもしれないが、残念ながら私にあるのは日本人特有のことなかれ主義と責任への回避能力だけだ。

 貴族の娘という立ち位置ですらもお断りなのに、王族の嫁になどなりたいわけがない。


「……ただ、エセルバート様に教えていただいたのです。侍女や使用人は一日中仕事に拘束されている、と。休みらしい休みはなく、そのせいでふと気を抜きたくなる時もあるのだろう、と」


 レベッカとウルリーカについては、ヘルミーネに一番に相談をした。

 そのため、この『気を抜きたくなる時』という言葉も、これ以上の説明をしなくとも理解してもらえる。

 エセルバートが言ったのは、つまりは「人間、誰しも疲れて気が抜けることもある。一度ぐらいの失敗は見守ってやれ」というレベッカへの取り成しだ。

 主の目がないと思って本音が出ただけなので、一度ぐらいは見逃してやれ、と。

 改める様子がないようなら、後釜を用意したうえで改めて解雇するのもよいだろう、というようなアドバイスも受けていた。


「お求めなのは、我が国の侍女や使用人の雇用形態や労働条件について、でございますね?」


「はい。以前からグルノールの館はタビサとバルトの二人だけで管理をしているのが気になってもいましたので、これを機会にそちらの改善も考えたいと思っております」


 白銀の騎士が館に滞在しているため、館の住人が増えている。

 さすがにタビサとバルトだけでは管理・維持が難しい、と昨年からは急きょ助っ人として一年の期間限定でカリーサとサリーサに来てもらっていた。

 白銀の騎士が役目を終えて館から退去すれば人数を戻してもいいかもしれないが、タビサとバルトはそろそろ老齢に片手が届いている。

 いつかは体力の衰えも出てくるはずなので、早めに引継ぎの人間は探しておいた方がいいし、定期的な休暇は必要だと思う。

 本当に、今さらだったが。


「グルノールの館の使用人は使用人ブラウニーですから、休暇という概念は必要ありませんが……」


 イリダル風に言うのなら、使用人ブラウニーは館の家具のようなものだ。

 そこにあることが家具の役目なので、休暇などというものはない。

 家具に向って「今日は一日疲れただろう。明日は休みなさい」などと言う人間はいないだろう。

 家具とは、家人に使われるための道具だ。

 使われない道具に、道具としてそこに在る意味はない。


 しかし、これが使用人しようにんになると、話は違ってくる。

 使用人はあくまで人間であって、休息を必要とすることもある。

 給金などの労働条件が合わないと思えば、職場を変える自由だってあるのだ。

 主の側も、使用人に逃げられないようそれなりの待遇を用意する必要がある。


「……気になるようでしたら、ナディーンに相談しつつ離宮の使用人たちの労働時間を管理してみてはいかがでしょうか」


 時折労働基準法についてを聞かれつつ、ヘルミーネはこの国での使用人の労働条件などを教えてくれた。

 本当はもっと細分化された法があるが、詳しく学びたいのなら専門の家庭教師を用意する、とも言いながら。


「離宮の中ではティナさんが主です。使用人の労働時間や休暇についても、ティナさんが好きに変えてよろしいですよ」


 ただし、いくら好きに変えてもいいとはいえ、最低限は行なわれなくては生活ができなくなる仕事もあるため、ナディーンへの相談は絶対だ、とも。

 ナディーンは離宮の掌握などできるはずがない私のために付けられた、いわば補助輪のような役割をしてくれるらしい。

 離宮に来た初日に出迎えてくれて以降あまり顔を見せないのは、私の代わりに離宮の使用人を管理しているのだとか。

 私自身の身の回りの世話は侍女に任せ、その侍女たちは主を任せられるとナディーンに信頼をされた四人、ということになる。

 レベッカも含めて、だ。


 ……一番わからないのは、ナディーンだね。


 エセルバートによると、ナディーンは優秀な乳母らしい。

 レベッカとウルリーカも、その優秀なナディーンが認める侍女ということになる。


 ……優秀なのに、ディートをあんなふうに育てて、優秀なのに、仕事中にレオナルドさんを口説いたり、病人の世話なんてしたくないって他人ひとに自分の仕事を押し付けたりするの?


 いまいち納得ができずにいると、ヘルミーネは使用人の管理は淑女の務めでもある、と教えてくれた。

 夫が外で働き、妻が使用人を掌握して家を管理するのだ、と。


 ……やめた。考えたって、わからないし。


 レベッカはともかくとして、ウルリーカはその後レオナルドを私の見えるところで口説いてはいない。

 私に見られていたと知ったことで、気を引き締めたのだろう。


 ナディーンについては、先に変な先入観があるからこそ、自分の目と頭では見られなくなっている気がした。

 先に聞いた話と、王都に来て本人を見てから聞く周囲からの評価が違いすぎて、混乱もしているのだ。


 ……とにかく、私が目標にするのは、使用人の労働時間の把握と改善。さすがに二十四時間職場に拘束されて二週間に一度の休暇なんて嫌過ぎるよ。


 ヘルミーネから聞いた労働条件は、前世で日本人であった感覚から聞けばブラックすぎた。

 本物のブラック企業が灰色に思えてくるぐらいには、労働条件が酷いと思う。

 まずは実体の把握と、その改善からだ。

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