第8話 マカロンとノラカム
……うん、アーロンが凄いのか、ジゼルがダメダメなのか、わからない!
とりあえず離宮を知りたい、と言ったところ、アーロンが離宮の中を案内してくれることになった。
季節ごとの四つの部屋はもちろんとして、客間の一つひとつ、中央ホール、前の主は近寄りもしなかったらしい図書室と、私の行動範囲になる場所はおろか、洗濯室や台所、使用人が使う小道や休憩所といった、実にさまざまな場所をアーロンは把握していた。
なぜこの離宮についてそこまで詳しいのかと聞いてみたところ、職場になるのだから事前に間取りを把握しておくのは当然だ、と無表情で答えられる。
……たしかに、護衛のお仕事をするんだったら、間取りの把握は重要かもね?
有事の際に逃げるにしても、篭城するにしても、部屋と部屋の繋がりを把握しておくことは重要だろう。
逆に考えれば、どこに暗殺者や侵入者が隠れられるかという予測も立てられる。
図書室の床には仕掛け扉があったようで、案内がてらアーロンが扉を開くと、ジゼルは扉の存在を知らなかったようで驚いていた。
そんなジゼルにレオナルドとアーロンは無言だったのだが、考えていることはなんとなくわかった。
やはり白騎士は無能である、とでも考えていたのだと思う。
アーロンの下調べの成果を聞いたあとでは、見えている間取りしか調べていない護衛など、不安以外のなにものでもない。
「……あれ?」
こちらが今日から使う夏の部屋です、と案内された部屋を見て、首を傾げる。
細部は違うのだが、全体的な雰囲気がチョコミント色で、グルノールの自室とよく似ていた。
「あまり違和感はございませんでしょう? アルフレッド様のご命令で、グルノールのお部屋に似せて整えました」
いつの間に庭から戻ってきていたのか、ナディーンが部屋の中にいる。
ご確認ください、と促されて部屋の中を見渡せば、本当に雰囲気が似ていて少し怖いぐらいだ。
ベッドの上に巨大な熊のぬいぐるみがあればさらに似ていると思うのだが、ここまで似た部屋に整えられると、差異がある方が逆に落ち着く。
……アルフレッド様が、どうして私の部屋の中なんて知ってるの?
犯人がいるとすれば、私の隣にいる人しかいない。
チラリとレオナルドの顔を見上げれば、得意げに笑っているのでアタリだ。
レオナルドが私の部屋の雰囲気を、アルフレッドへと洩らしたのだろう。
……レオナルドさん、微妙! それ、微妙だからっ! 女の子の部屋のことなんて、家の外に洩らさないでっ!!
ある意味でこの離宮も私の『家』になるはずなのだが、知らない内に
壁紙や家具の色を揃えるぐらいならば気にならないが、家具の大きさや配置まで同じなのは少々行き過ぎな気がする。
あまり私の環境を変えないように、という配慮なのかもしれないが、部屋の雰囲気が違うぐらいは、別の場所にいるのだから当たり前だ。
「その箱はなんですか?」
長椅子とセットで置かれた背の低いテーブルの上に、綺麗に飾り付けられた箱を見つける。
荷物の中にはそんな箱はなかったはずなので、新たにこの部屋へと持ち込まれた物のはずだ。
「エルヴィス様からの贈り物にございます」
「エルヴィス様といえば……アルフレッド様の一番上のお兄様でしたね」
ヘルミーネの授業で習った現王族の家系図を脳内に広げ、人間関係を把握する。
エルヴィスという王子はアルフレッドの兄にあたるが、母親は違う。
最初に嫁いできたという意味では第一夫人のはずだが、血筋の上でアルフレッドの母親に一歩劣り、お后ではなくお妃と呼ばれる。
この国の王位は独特の選定方法をとっているようだが、血筋で序列を決める家であれば、間違いなくアルフレッドの下におかれる存在だろう。
……そんな人から、私に贈り物?
どんな繋がりがあって『私へ贈り物を』などという発想になったのか。
それがわからなくて箱を受け取りかねていると、ナディーンがエルヴィスと私の繋がりについて説明してくれた。
聞いてみれば、なんということもない。
深く考える必要はなにもなかった。
「ディートフリート様について、エルヴィス様はお嬢様に感謝されているのですよ」
「ディートフリート様……」
言われてようやく気がつく。
エルヴィスといえば、ディートフリートの父親の名だ。
王子と聞けばまずアルフレッドを想像してしまうのだが、ディートフリートの父親もまた王子であることに変わりはない。
白馬に乗ったきららかな若者をつい想像してしまうが、三十代でも五十代でも、上に王がいて存命であれば、王子は王子だ。
その子どもの躾けについては、それなりに頭を悩ませていたはずである。
「
エセルバートの話によれば、ディートフリートがあのような我儘放題に成長したのは、乳母や使用人たちのせいとの話だった。
それが本当であれば、ディートフリートを強制的に乳母たちの手から引き離すことになったマンデーズ送りを提案した私に、ナディーンが感謝をするのは少しおかしい気がする。
私からディートフリート様を取り上げて、と逆恨みぐらいされていそうなものだ。
……なんか変だね?
なにかおかしいと思いつつも、贈り物の理由はわかった。
これは一応、受け取ってもいいものだろう。
そう思って箱へと手を伸ばしたら、レオナルドに止められた。
「エルヴィス様からの贈り物に間違いがあるはずはないが、まず中身を確認するのは護衛の役目だ」
「え? 実はびっくり箱とか、『カミソリレター』的な可能性もあるのですか?」
「かみそ……?」
一瞬不可解そうな顔をしたレオナルドに、カミソリレターという単語が通じなかったのだとわかる。
私の前世でもほとんど死語に近かった単語など、解るはずがない。
レオナルドにはなんでもないです、と訂正を入れて、背後を振り返って護衛の二人を見る。
護衛の役目というのなら、護衛に付けられた騎士に任せるべきだろう。
「お願いできますか?」
「お任せください」
どちらに任せるべきかと悩んだので、どちらとでも取れるようにお願いしてみた。
ジゼルも反応していたのだが、先に請け負ってくれたのはアーロンだ。
ジゼルはここでも少し出遅れた。
結局、第一王子からの贈り物に罠などあるわけもなく、一応の点検はなされたものの、すぐに私の手へと戻ってきた。
改めて贈り物の箱を開いてみると、中には色とりどりのマカロンが入っている。
「うわぁ。可愛い……です」
つい「可愛いマカロン」と言いそうになり、誤魔化す。
私の知識としてはマカロンに見えるのだが、この国でも『マカロン』と呼ぶのかはわからない。
そう気が付いてみると、マカロンというお菓子は見た瞬間にお菓子と理解できるものなのだろうか、とも少し心配になった。
「王都で流行の『ノラカム』というお菓子ですね。私も戴いたことがございますが、サクッと噛んだあとにふわりと甘さがやってきて、美味しいお菓子ですよ」
「『ノラカム』ですか。美味しそうですね」
さて、どう振舞うべきかと悩み、箱の中を右から覗き込んだり、左から覗き込んだりとしていたのだが、その仕草に私が初めて見るものだとナディーンが察してくれたようだ。
名前と味の感想まで聞かせてくれて、私的には大助かりである。
……ノラカム、ノラカムね。覚えた。マカロンはノラカム。
見た目が可愛いのでもう少し眺めていたい気はしたが、そっと蓋を閉めた。
せっかくのマカロン改めノラカムだったが、つい先ほど到着後の休憩にとお茶をしたばかりだ。
これ以上のお菓子は、豚になる。
「今すぐ召し上がるようでしたら、お茶を用意いたしましょう」
「え?」
名残惜しいながらも蓋をしたのだが、ナディーンは私の自制心など最初から期待していなかったようだ。
自制心に期待していない、はまだいいとして、過度と思われる間食いを推奨されるのは少々困る。
私の意志はそれほど強くはないのだ。
……これがディートフリートを我儘暴君に育てた甘やかし……っ!?
ディートフリートが育つ下地のような物が見えた気がして、内心でだけ背筋を伸ばす。
この甘やかしに乗ってはいけない、と嫌でもわかった。
「夕食が食べられなくなりますよ」
私の小さなお腹では、これ以上の間食は危険である。
それとも離宮では夕食はでないのだろうか。
そう聞いてみたところ、夕食もちゃんと用意している、との話だった。
「……でしたら、やはりこれ以上の間食は控えます」
「ティナお嬢様は、ずいぶん厳しく躾けられているのですね」
「厳しくなどありませんよ。レオナルドお兄様は、わたくしに激甘です」
少し言葉が乱れ、ヘルミーネの視線が険しくなる。
すぐに頬を引き締めれば、注意が通じたと理解できたのだろう。
ヘルミーネの表情も元に戻った。
「ディートフリート様は、いつでも食べたい時に食べたいだけお菓子を召し上がる方でしたので、ディートフリート様より小さなお嬢様が我慢できるだなんて……」
「男の子と女の子は違いますものね」
ついでに言うのなら、それこそ躾けの問題だ。
お菓子を嫌いな子どもは少ない。
好きなだけ食べられる環境にあるのなら、自制心の未熟な子どもが夕食が控えているからといってお菓子の量を減らせるわけがなかった。
そして、それは子どもへの躾けを任せられている乳母の仕事でもあったはずだ。
ディートフリートに最初から自制心がなかったわけではなく、ナディーンが「可愛いから」とろくに叱らず、躾けを怠った結果である。
名残惜しいがノラカムを片付けてもらい、長椅子へと腰を下ろす。
実に微妙な時間帯だ。
館であれば何処に何が片付けてあるのかは知っているので、自分で好きな時に取り出すこともできたが、今日は離宮についたばかりだ。
荷物はすでに片付けられているようだが、何処に何があるのかが私にはわからない。
……でも、レオナルドさんとヘルミーネ先生は早めに解散した方がいいよね。
レオナルドの荷物は侍女か誰かが片付けてくれている可能性があるが、家庭教師兼
早めに解散して自室を整えたいのだろうな、とは思うのだが、一人で会ったばかりの人間だらけの自室に置き去りにもされたくはなかった。
……これが理性と欲望の板ばさみ……っ!
レオナルドとヘルミーネに離れてほしくなくて、結局解散は言いだしたくない。
となれば、自然に自室へと二人を留めておく必要があった。
「レオナルドお兄様は、夕食までなにをして過ごされますか?」
「王都へはティナの付き添いで来たようなものだからな。これといって予定はないから、護衛の数も足りないようだし、このままティナの護衛につく」
本音としては側にいてほしかったが、レオナルドにも予定はあるだろう。
そう思って隣に座るレオナルドに聞いてみたのだが、意外に色よい返事がもらえた。
レオナルドの王都での過ごし方は、基本的には私と一緒にいてくれるつもりらしい。
……なんだろ。グルノールの街より扱いがいいよ?
一度白銀の騎士の詰め所へと顔を出したいとは言っているが、それ以外は予定らしい予定などないのだとか。
基本的に放置されていたグルノールの館とは、まるで扱いが違う。
砦の主としての仕事も、王都にはない。
……遊んでもらい放題……っ!
自然に両手が上へと伸びる。
通じるわけはないのだが、思わず万歳と両手を伸ばしてしまい、次の瞬間背筋に悪寒が走ってすぐに両手を下げた。
まず間違いなく、背後のヘルミーネは険しい表情をしているはずだ。
淑女の振る舞いを忘れるな、と。
「……わたくしは、どのようにして過ごしたらいいのでしょう?」
「基本的には館と変わらないな。ティナの好きに過ごしていい。街を見に行きたいって言うのなら、そのうちに連れて行ってやろう」
「わたくしの好きにというと、レオナルドお兄様は退屈ではありませんか?」
遊んでくれるのは嬉しいが、私は刺繍やボビンレースも好きだ。
午後はヘルミーネが授業をしてくれる。
私の方こそ一日中はレオナルドに構ってはいられない。
「それこそ護衛の仕事として片付ければいいだろ」
姿を見せて護衛をする人間もいれば、決して姿を見せずに護衛をする人間もいる。
見えているのだからつい話しかけたくもなるが、護衛はまさしく仕事中なので、護衛対象からは話しかけない方がいい。
それこそ仕事の邪魔になる。
「ティナはクリストフ様がお呼びになるまで、ここでのんびり過ごせばいい」
「わかりました。……王様に会ったら、すぐに帰れますか?」
なんとなく聞きそびれていたことを聞いてみる。
帰れないと言われるのが怖くて、ここまで言い出せなかった。
「すぐ、かは判らないが……、帰れることは帰れるはずだから、安心していい」
「……長いのは嫌ですよ?」
「呼び出しの件とは別口で、今はティナには国境付近からは離れていてほしいんだ」
国境でなにか揉めているようなことを、アルフレッドが言っていた気がする。
そういうことならば、たしかにすぐに帰りたい、というのはレオナルドの迷惑になるかもしれない。
いつか絶対に帰れるというのなら、腹を括って王都に滞在するのも今は良いことなのかもしれなかった。
ノラカムは夕食後に侍女を集めて茶会を開いてはどうか、とナディーンが提案してくれたのだが、ヘルミーネがこれを却下した。
知らない人間だらけの離宮で、少しでも早く私が人の顔と名前を覚えられるように、とのナディーンの配慮だったのだが、馬車で長期間移動をしたあと、私は必ず体調を崩す。
ヘルミーネはそれを警戒して慣れていない人間と会ってストレスを溜めるのではなく、まずは休息をと提案してくれたのだ。
……私だって、知らない人とお茶をするよりは、早く寝たかったけどね?
グルノールの自室に似せて整えられたとはいえ、ここは全然知らない部屋だった。
ベッドに横になったからといって、すぐに眠れるはずもない。
……絶対疲れてるはずなのに、全然眠れない。
雰囲気は似せられているが、窓の大きさはまったく違う。
枕の横には好みの匂い袋が用意されていたが、見上げた天井にいつも私を見下ろしている熊のぬいぐるみの顔はない。
ヘルミーネの手配で早めにベッドへ横になったが、私担当の睡魔はどうやらどこかで迷子になっているようだ。
馬車の中ではレオナルドもヘルミーネも側にいたので問題なく眠れたが、離宮では部屋自体に慣れるまでは安心して眠れそうにない。
……こんなこと、前にもあったな。
たしか、グルノールの街へと来た最初の夜も、なかなか寝付けなかったはずだ。
眠れなくてベッドから抜け出し、カーテンの中に入って窓から外を眺めていたら、ノックもせずにレオナルドが部屋へと入って来たのだ。
あの時は強盗でも入って来たのかと、本当に怖かった。
……寝よう。いつまでも子どもじゃないよ。初めての場所でだって、ちゃんと眠れますよ。
自分に言い聞かせて、きつく瞼を閉じる。
そのまま何もせずにじっとしているのだが、やはり睡魔は訪れなかった。
……ね、眠れない。
もう何時間もベッドにいる気がするのだが、実際には一時間も経っていないと思う。
眠れないのが辛くて、体感時間が長く感じられるだけだ。
……レオナルドさんのとこ、行こ。
少し前に自分へと言い聞かせたことも忘れて、ムクリと体を起す。
そのままノソノソとベッドから降りて、扉へと真っ直ぐに進んだ。
寝つけはしなかったが、ずっと暗闇の中にいたため、目は闇に慣れている。
暗い室内も、なんとなく家具の位置が見えた。
「……ひっ!?」
控えの間へと続く扉を開けると、一対の目が扉の隙間から見える。
思わず息を飲んで固まると、目の主が扉を開いた。
「……アーロンさん?」
扉が開いてしまえば、なんということはない。
暗闇に黒い目が浮かんでいるように見えて驚いたが、今日から護衛として付けられたアーロンの目だ。
「『アーロン』でいい。物音がしたから。どこへ行く?」
簡潔に間違いを正され、扉の前にいた理由と用件を問われる。
びっくりはしたが、今日あったばかりのジゼルよりは親しみがある相手だ。
少しだけ肩の力が抜けた。
「眠れないので、レオのお部屋に泊めてもらおうかと思いまして」
「あまり、良いことではないぞ」
「子どものすることですから、見逃してください」
十一歳はそれほど子どもではない、と指摘されて、おや? と首を傾げる。
レオナルドも私もまだまだ子どものつもりでいたのだが、アーロンにとっては違うらしい。
まだ成人まで数年あると思っていたのだが、
たしかに、冷静に考えれば私だって、前世では十一歳なんて年齢で親と寝てはいなかった気がする。
……レオナルドさんの子ども扱いに甘えて、実年齢より子どもになってる? もしかして。
それはさすがに不味い気がした。
もともと甘えん坊な自覚はあったが、あまりにも子どもすぎるのは問題だ。
……しかたがない。もう少しがんばってみよう。
しぶしぶベッドへ戻ると、扉はアーロンが閉めてくれた。
マンデーズの館でも、ラガレットの街でもレオナルドと一緒に寝ていたが、あの時の私はまだ年齢が一桁だ。
年齢が二桁になって一年も経っているのだから、そろそろ本当に一人で眠れるようにならなければならない。
頑張ってベッドの中でじっとしてはいたが、私が眠れたのは空が白々と明るんできた頃だった。
眠れたというよりは、落ちたと言った方が正しいと思う。
結局満足に眠ることができなかった私は、それでも不思議なことに熱を出して寝込むことはなかった。
少しだけ、環境の変化に強くなったのだろうか。
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