第62話 怪しい商人の末路とオレリアの変化

 夜になると、やはりアルフが館へとやって来た。

 普段であれば砦の一日の報告をレオナルドの元へと持ってきてくれるのだが、今日は収穫祭で起こった事件や事故の報告もあるのだろう。

 手土産の書類や報告書が、いつもの倍はあった。


「なにかいいことでもありましたか?」


 館の中なので少し言葉を改め、笑みを浮かべたアルフに聞いてみる。

 夏の喧嘩以来『レオナルドお兄様』と呼ぶことは棚に上げているが、十歳の淑女として言葉遣いを改める試みは継続中だ。

 街の子どもと話す時は違和感があるのでこれまでどおりだったが、館の中では少しずつ改めた言葉を使っている。


「例の商人のことなんだけど……」


「どうなりましたか? まさか、砦の中にまで侵入はしてきませんよね?」


「そのまさかだったよ」


「え?」


 聞き間違いだろうか、と思わず瞬いてアルフの顔をまじまじと見つめてしまった。

 アルフも私の心情がわかるのだろう。

 笑みを苦笑いに変えて、なんとも困惑した顔になる。


「まさか本当に砦へ忍び込んでくるとは思わなかった。ティナがさっさと裏門から館に抜けたなんて思いつきもしなかったんだろう」


 いつまで待っても砦から出てこない私に業を煮やし、ついには軍事施設である砦敷地内へと侵入してきたらしい。

 実害のない付き纏いだけでは黒騎士にも捕縛することはできないが、砦への侵入という明確な罪があれば逮捕も投獄も思いのままである。


 ……迷惑な商人対アルフさんは、圧倒的にアルフさんの勝利だね。


 不快で迷惑ではあったが、実害はなかった。

 そのため、強制的な排除はできなかったのだが、アルフに任せた途端に半日も待たず片付いた。

 さすがのアルフである。


「見張りを付けておいたから、行動は筒抜けだったよ。日が沈むと同時に塀を乗り越えてきて、降りた先で確保された」


「うわぁ、信じられないほどの間抜けですね……って、淑女的にはどう言えばいいんでしょうか?」


「無理に直すことはないと思うけど、そうだな……「まあ、にわかには信じられませんが、随分と浅短せんたんな方もいらしたこと」ぐらいか?」


 少々自信がなさそうではあったが、せっかくアルフが言葉を直してくれたので、その通りに言ってみたところ、ヘルミーネにはわざわざ言葉を直してまで言うような内容ではない、と注意されてしまった。

 たしかに、自業自得とはいえ他者ひとの不幸を笑うような真似だったかもしれない。

 少しだけ反省しておく。


「……でも、これでまた安心して街を歩けますね」


 ついでに、とあの商人の今後について聞いてみた。

 ただの付き纏いであれば『たまたま歩く方向が同じなだけ』と言い訳もできるが、砦へと侵入してしまえば罪は明白だ。

 捕まえて牢屋に入れられるまでは私にも判るが、まさか厳重注意だけで開放されたりはしないだろう。


「刑はどうとでもなるけど、まあレオナルドの裁量次第だな」


「じゃあ、安心ですね」


 妹大事なレオナルドだったが、被害者が妹だからといって不当に刑を重くするような真似はしない。

 良くも悪くも公正で公平なのがレオナルドだ。

 あの商人が砦の牢から出てくる頃には、エルケとペトロナによってグルノールの街では商売が成り立たないようにされているはずなので、街からは出て行くしかないだろう。


 ……少し可哀想な気はするけど、全部あの商人が自分でやった結果だからね。







「オレリアさんのレースのリボンって、そんなに高く売れそうなんですか?」


 人生を棒に振った商人について考えているうちに、彼が引き際を見誤る原因となったレースのリボンに思考がそれる。

 おそろしく精緻せいちに編まれたオレリアのレースは、じっと観察してみても編み方が解らない。

 たぶんとしか言えないのだが、所謂いわゆるかぎ針で編むレースとは違うのだろう。


 作り方が謎なことは横へ置いておくことにして、私にも判ることが一つだけある。

 材料に使われている糸や宝石が恐ろしく上質なものであるため、オレリアの編むレースは高価な品に仕上がっているのだ。

 貰った当初は物の価値というものが判らなかったのでそのまま貰ってしまったが、同じものを今『お手伝いのお駄賃に』と渡されたら、高価すぎて受け取れない。

 私がオレリアの家でした手伝いの駄賃として、釣り合うような品ではないと、今なら理解できた。


 価値ある商品ではあるが、これが商売になるかはまた別の話になる。

 高価すぎて、購買層が限られてくるのだ。

 あの薄汚れた商人の顧客に、レースのリボンを買うことができる者がいるとは考え難かった。


「商人の目の付けどころは悪くなかったと思うが……オレリアのレースは、オレリアしか作れないものだから、芸術性もあるが、希少品としても価値が高い」


 アルフが知る限り、オレリアからレースを贈られた人間は五人もいないらしい。

 人間嫌いで気難しいオレリアが、気に入った人間にしか贈らないのだとか。

 オレリアからレースを受け取った者が使っているのを見て欲しがる貴婦人も多いが、いくらお金を積んだところでオレリアはレースを売らなかった、という続きは聞かなくとも容易に想像できた。

 人間嫌いのオレリアが、求められたからといって気に入らない人間に物をくれてやるわけがない。

 谷に引き籠っているうちは、お金などいくらあっても何の役にも立たないのだ。

 レースを売る理由にもならないだろう。


「出回っている数がほぼない上に、オレリアはあの通り……いろんなところに恩を受けた人間がいる賢女だ。オレリアにレースを贈られたというだけで、オレリアに恩を感じた人間が手を貸してくれることもある」


 そんな理由で、会ったこともないアルフの母親は、なにがあっても私の味方をすると決めてくれているらしい。

 アルフも同じだ。

 オレリアが私にレースをくれたから、オレリアの後見を受ける者として、私の後見をしてくれる気でいるのだとか。


「……じゃあ、商品になりそうだから、オレリアさんにレース編みを広めてみませんか? とお手紙するのはやめた方がいいですね」


「オレリアが商売に興味を示すとは思えないけど……あのレース編みの技術が残らないのは惜しい気がするな」


 ダメでもともと、誘うだけ誘ったらどうか、とアルフは言う。

 案外私がねだればオレリアはコロリと作り方を教えてくれるのではないか、と。


「わたしがおねだりしたぐらいで、教えてくれるオレリアさんだとは思いませんけどね?」


 それでも、市場に似たレースが出回るようになれば、今回のようにおかしな商人に追い掛け回されることはなくなるだろう。

 オレリアがレースを贈った、という希少性は、編み方を広めたとしてもすぐに失われるものではない。

 オレリア並みの技量で編める人間など、そう簡単には現れないのだから、オレリアが作ったものとそうでないものの見分けはつくはずだ。







 収穫祭の翌々日、メンヒシュミ教会の教室へと入ると、待ち構えていたかのようにエルケとペトロナが私の元へとやって来た。

 誇らしげな笑みを浮かべているのだが、聞かせてくれた内容はとてもではないが笑顔で語るようなものではない。


 二人曰く、詐欺まがいの商売をしている旅の商人がいる、と知人の商人や商家に報せを走らせたらしい。

 これで二人の家と取引のある商家はあの商人とはかかわらないし、そもそも街中でしつこく私に付き纏っている姿を見られているので、ほかの商家もあの商人とはかかわり合いになりたくないだろう。

 トドメはニルスが刺した。

 ニルス自身は乗り気ではなかったようなのだが、エルケとペトロナに二人がかりでお願いされて、実家のあるラガレットへと一筆したためることになったらしい。


 ……ニルスは頼まれたら嫌だ、って言えないからね。


 女子二人にお願いという形で言い包められて、ラガレットの実家へと一筆書かされたのだろう。

 これであの商人は、グルノールの街で商売ができなくなったどころか、帰路の補給さえままならない状況に陥った。


 ……おこないって、大事だなぁ。


 さすがに人生を積みすぎた商人が心配になり、館に帰ってからレオナルドに聞いてみる。

 あの商人はこのあと、どうなるのか、と。


「ティナが気にする必要はない」


 ……あれ?


 顔は穏やかな笑みを浮かべているのだが、違和感を覚える顔だった。

 レオナルドのこんな作った表情は、見たことがない。


 ……たまに怒らせることはあったけど、こんな怒り方してるレオナルドさん見たことないよ。


 静かにふつふつと怒っているのが判る。

 顔には笑みが、声もいつもより少しだけ低いが穏やかだ。

 それなのに、有無を言わせない迫力がある。


「えっと……あの商人、レオになにかした?」


 ほかに理由が思い浮かばない。

 しつこく付き纏われたという話をした時は少し困ったような顔をしていたぐらいなのだが、今は明らかに怒っている。


「俺は別に、なにもされていないぞ」


 ……つまり、レオ以外の人になにかをしたんだね、あの商人。


 黒騎士に捕まってそろそろ懲りたかと思っていたのだが、まったく反省していないようだ。

 ここまで聞いた以上は最後まで聞かないと気になる、と渋るレオナルドに続きを促す。

 あまり聞かせたい話ではない、と少しの抵抗はあったが、レオナルドは最後にはわたしのおねだりに屈した。


「拘留中に、見張りの黒騎士へ賄賂を渡して逃げようとした」


「うわぁ……」


 付ける薬がない、とはこういうことを言うのだろう。

 軍事施設である砦へと侵入した罪で捕縛され、その拘留中に見張りを買収して逃げようだなどと。

 罪に罪を重ねただけだ。


「ニルスがラガレットにお手紙したようなので、さすがに可哀想かなって思っていたんですけど……」


「ティナがそんな心配をしてやる価値もなかったな。砦への侵入と、騎士を買収しようとしたことから、帰国については心配をする必要もなくなった」


 あの商人が受ける刑罰については、どれだけおねだりをされても教えないぞ、と言われたので、私もおとなしく引いておく。

 想像するぐらいしかできないが、他国の軍事施設へ侵入するだけでも罪は重いと判るし、そこからさらに騎士を買収しようとしているのだ。

 ただレースのリボンを買いたかっただけ、だなんて言い訳は通じないだろう。


「……なんで断られて素直に諦められなかったんですかね?」


 売る気はないよ、とちゃんと断っていたのだが、あの商人は引かなかった。

 引かないどころかしつこく付き纏い、自ら牢の中へ飛び込んでもいる。

 その悪い方向へと振り切れすぎた情熱が、恐ろしかった。







 秋の終わりに差し掛かり、私のコートも薄手の物から厚い布地の物に変わる。

 もうすぐ冬がやってくるため、近頃のカリーサは私のために猫や犬耳の髪飾りを量産していた。

 その日の気分で、猫にも犬にもなれるように、だそうだ。

 冬の仮装については、もう諦めている。

 また精霊に攫われないように、と保護者たちが一生懸命なので、私はそれに素直に付き合うだけだ。

 一応は大人になれば精霊から興味をもたれることがなくなる、との言い伝えもあるので、これも成人するまでの話になる。


「……本当ですか? 間違いじゃないですか? ホントに、本当ですか?」


「言葉が乱れていますよ、ティナさん」


「すみません。でも……え? ホントですか? 間違いじゃないですか?」


 英語の教材に使われているオレリアからの手紙をヘルミーネに訳され、何度も文面を読み直す。

 この国の言葉はさすがに読めるようになったと思うのだが、何度読み返しても「レース編みを教えてやるから、冬あたりにでも谷へ来ていい」といった内容が書かれていた。


 驚きすぎて授業にまったく集中できず、珍しくもヘルミーネに小言をいただく。

 しかし、それでも注意の大半が頭へ入らない私に、今日はなにを言っても無駄だと早々に見切りを付けられ、授業は途中で切り上げられてしまった。


 形ばかりになってしまったがヘルミーネに詫び、レオナルドの部屋へと駆け込む。

 オレリアが来ていいと言うのなら、次の問題は保護者レオナルドだ。


「オレリアさんのところへお泊りに行ってもいいですか!?」


 うりゃ、っと近頃は意識して淑女の振る舞いをするために被っていた猫を投げ捨てる。

 ほとんど突撃するような勢いでレオナルドの胴体に飛びついていくと、オレリアからの手紙に目を通したレオナルドは眉を寄せた。


 ……あ、これ反対される。


 レオナルドの表情から、直感でそう判断する。

 オレリアの家へと行くのをレオナルドが反対する理由を考えるのなら、弟子ではないからだろうか。

 オレリアの弟子になれば、谷から出られなくなる。

 レオナルドの妹として、一緒に住めなくなるとでも考えているのかもしれない。


「オレリアさん、レース編みを教えてくれるだけだから! 薬術の弟子になるわけじゃないからっ!」


 薬術の弟子になるわけじゃないから、ちゃんと帰ってきますよ、と言い募る。

 そういえばオレリアの弟子になることは、レオナルドは最初から反対していた。

 薬術を教えられるわけではないのだが、やはりオレリアから物を教わるということに対して警戒しているのかもしれない。


「お願い、レオっ!」


 力いっぱい抱きついて、それでもまだ足りなくてレオナルドの胸におでこを押し付ける。

 グリグリと穴を掘って埋まるような勢いでおねだりをしたら、頭上からレオナルドの困ったような声が聞こえてきた。


「……一応、オレリアの気持ちが外へ向きはじめた、と捉えるべきなのか?」


 谷から出る様子はないが、オレリアが自分から人を招くことなどこれまではなかったはずだ、とレオナルドは言う。

 それだけでも、オレリアの心情に変化があったのだろう、と。


「俺からセドヴァラ教会には話を通しておこう」


「……つまり?」


 言葉だけ聞けば、オレリアの気持ちと、セドヴァラ教会の顔を立てる内容だ。

 レオナルドの気持ちはどこにも混ざっていない。


「セドヴァラ教会が薬術の弟子ではない人間の滞在を認めたら、俺も冬の滞在を認めよう」


 まあ、アルフに交渉を任せれば許可は取れるだろう、というレオナルドに、我慢できずに飛びついて頬へとキスをした。

 最大限の感謝と喜びを、淑女らしさの仮面を被ったまま伝えることなんてできなかった。

 ただ溢れる気持ちのまま、素直に感謝と喜びのキスをする。


 今年も冬の旅行は一人か、とレオナルドの悲哀の混ざった声が聞こえたが、綺麗にこれは無視した。

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