第33話 二人の弟子

「ここはワイヤック谷ですか? ワイヤック谷ですね? オレリアさんのお家へ行くんですね?」


「ここはワイヤック谷で、オレリアの家へ向かっているところだが……」


 少し落ち着け、と言ってレオナルドに頭を押さえられる。

 地面の上であれば思い切り喜びを表現するためにレオナルドへ抱きつくところだったが、ここは馬の上だ。

 私の行動にも制限がある。

 制限がある範囲で、それでも最大限に喜びを伝えようとして背中でレオナルドに擦り寄った。

 そうすると、今度こそ『暴れるんじゃない』と両手でがっちりと抱きかかえられてしまう。


「暴れてませんよ、喜んでるんです」


「馬の上でティナが喜んだら、馬が驚くだろう?」


「わかりました、お馬さんの仕事の邪魔をしたらダメですね」


 喜んで抱きついてくれるのは地面に下りてからな、とレオナルドが言うので、地面に下りたらオレリアのところへ行くので、レオナルドに構っている暇はない、と応えておいた。

 拗ねたレオナルドが私の頭にあごを載せてきたが、若干鬱陶しい拗ね方をし始めたので頭突きをして包囲網を解かせる。


 私とレオナルドを乗せた馬はまっすぐと森を進み、やがてオレリアの家のある反対側の崖が見えてきた。







 馬から降りて柵を開けようとするレオナルドに、先に下ろしてくれと要求をする。

 地面に下りたら構ってやる暇はないと言ったせいか、レオナルドは少し逡巡した。

 実に懐の狭い兄である。


「……この高さなら、怪我はするかもしれませんが、死にはしませんよ」


 要約すると、下ろしてくれないのなら馬から飛び降りるぞ、となる。

 我が身を盾にした脅迫に、レオナルドは渋々ながらも私を馬から下ろしてくれた。


「打ちどころが悪ければ、この高さでも十分死ぬ。馬鹿なことは考えるな」


 落馬は怖いんだぞ、と言って、レオナルドは顔を顰める。

 ほんの冗談のつもりだったのだが、レオナルドには冗談にならなかったらしい。

 普段から馬に乗ることのあるレオナルドには、馬の怖さも十分身近な出来事だ。


「……ごめんなさい」


 冗談でも悪いことを言ってしまった、とレオナルドに謝ると、ぐわんぐわんっと頭を撫でられた。

 少し目が回る。


 私が柵を開けて、レオナルドが馬を敷地内へと引く。

 柵を元のように閉じると、レオナルドを置いてオレリアの住む家へと駆け出した。


「オレリアさん、こんにちはー! ティナですよ!」


 来客を好まないオレリアによるものか、オレリアの家にはノッカーがない。

 そのため失礼にならない程度の力で扉をノックしてから、ノブへと手を伸ばした。


「Do not open the door!」


「ほ?」


 中から聞こえた切羽詰った怒鳴り声に、思わずノブへと伸ばしていた手を引っ込める。

 それから他になにか聞こえないか、と扉に耳を貼り付けた。


 ……えっと、さすがの私も『not』は判るよ。『Do not』は、『したらダメ』だっけ?


 他の言葉も『open』や『door』といった簡単な単語だったため、私にも聞き取れた。

 聞き取れた言葉から察するに、扉を開けるなと言ったのだろう。


 ……ドアを開けたらダメなお仕事してるのかな?


 扉に耳を貼り付けたまま耳を澄ませていると、馬を繋いできたレオナルドがやって来た。


「どうしたんだ、ティナ?」


「ドアを開けたらダメみたいです」


 見上げてレオナルドにそう答えると、レオナルドもまた扉をノックした。


「オレリア? グルノールのレオナルドだが……」


「Do not open the door!」


 再び聞こえた怒鳴り声に、今度はレオナルドがオレリアの言葉を通訳してくれた。

 やはり『ドアを開けるな』であっていたらしい。


「なにか、お薬でも作っているんですかね?」


 オレリアの薬術は秘術とされているので、調薬中に訪れてしまったのなら来訪を歓迎されないのも理解できる。

 オレリアの場合は、それ以外の場合でも来客など歓迎しないと思うが。


 とにかく扉を開けるなと言うのだから、家の中に入ることも、顔を見ることもできない。


「お外で待ってまーす! お仕事が終わったら教えてくださーい」


 扉に向かってそう叫ぶと、レオナルドが苦笑いを浮かべながら「オレリアにこの国の言葉は通じないぞ」と指摘された。


 ……そう言えば、そういうことになってましたね。


 実際は人嫌いで、言葉を忘れた振りをしているだけなのだが。

 オレリアはレオナルドに対しては英語しか判らないし、話せない振りをしているので、私もそれに付き合うしかない。

 レオナルドが私の言葉を英語に直して伝えてくれたが、中からの返事はなかった。

 オレリアらしいと言えば、オレリアらしい。


 ……カーテンが閉まってる。光が入っちゃだめな作業だったのかな?


 家の中から扉が開けられるまで、と時間つぶしに周辺を散策する。

 回りこんだ庭から見える二つの窓には、厚いカーテンがひかれていた。


 ……前は気づかなかったけど、この庭の畑って少し変じゃない?


 以前は料理用にハーブを失敬していた畑だったが、一年を城主の館で過ごしたあとでは、少し違和感がある。


 ……ハーブも野菜も、季節感がバラバラだ。


 メイユ村では見かけなかったハーブや野菜もあるが、この一年間は城主の館の裏庭にある花壇やハーブ園は私の遊び場だった。

 世話をしていたバルトとタビサが名前や性質、育て方を教えてくれたため、見分けがつくぐらいにはなっている。

 その知識を持ってオレリアの畑を見ると、春の終わりが近いというのに春先にしか使い物にならないハーブや夏の野菜、収穫期が秋頃の野菜といった、実に季節感が噛み合わない顔ぶれとなっていた。


 ……ワイヤック谷って、実は不思議空間?


 以前来た時は冬の終わりから春の初めといった季節だったが、それほど寒いとは感じなかった気がする。

 そして、前回も谷に入る前には霧に一度包まれていた。


 ……霧って、一年中同じところに発生するものじゃないよね?


 霧の森を抜けると、いつの間にか谷の底に来ている。

 私は馬の背に揺られていただけなので絶対とは言えないが、とくに下ったという感覚はなかった。

 それなのに、霧を抜けると谷底にいて、左右には高い岩壁があるのだ。


 ……改めて考えてみると、なんだか変な場所だね。


 魔法はないと聞いていたので、不思議現象もないのかと思っていたが、精霊に攫われるという不思議体験をした今となっては、この場所の不可解さもなんらかの不思議現象なのかもしれないと思える。


 レオナルドが暇つぶしに薪を拾ってくると言い出したので、私もそれに続いた。

 服が汚れる、とレオナルドは嫌そうな顔をしたが、もともと野宿も想定してレオナルドが作らせた服だ。

 多少汚れたとしても、服の使い方として間違いではない。


 薪を拾いながら谷について思ったことを聞いてみると、ワイヤック谷は四季がおかしいのだとレオナルドが教えてくれた。

 私の気づいた違和感など、ここへ食料を運ぶ黒騎士たちはすでに気がついていたらしい。

 その報告を受ける立場にいるレオナルドも、当然このことは知っていた。

 なぜそのような現象が起こっているのかは解明されていないが、不思議な気候のおかげで季節にとらわれずに薬草の採取ができ、場所は教えられないがワイヤック谷には夏でも氷柱が手に入る洞窟もあるのだとか。

 聖人ユウタ・ヒラガによって見つけ出されたこの谷は、薬術の神セドヴァラの薬草園とも呼ばれているらしい。

 オレリアはその薬草園が荒らされぬように見張る管理者でもあるようだ。


 ……オレリアさん自身が、黒騎士に見張られてるんだけどね。







 薪を両手に抱えて戻ると、茶色の髪をきっちりとした三つ編みにした小柄な娘がキョロキョロと周囲を見渡していた。

 少しのん気そうな顔つきをした娘は、私たちの姿を見つけるとほんわかとした笑顔になって駆け寄ってくる。


「おまたせしました! お師匠様がもう家に入ってもいいって……あ、薪を拾ってきてくださったんですか? ありがとうございます! もうお風呂どころか今夜の夕食用の薪も心許なかったので助かりま……あ、私はオレリア様の弟子で、パウラって言います」


 ……あ、この人絶対オレリアさんの苦手なタイプだ。


 パウラと名乗った娘は、ひと目で判るが陽気な性格をしている。

 初対面である私たちに物怖じる様子もなく、思ったままを口にしていて豪胆というか、無神経というか、とにかく大雑把そうな娘だ。

 グイグイと話しかけてくる様子が、私自身なんとなく苦手でもある。


「ティナ?」


 つい久しぶりの人見知りを発揮して、レオナルドの後ろへと隠れてしまった。

 不思議そうに首を傾げたレオナルドと、好奇心で目をキラキラと輝かせているパウラが実に対照的である。

 初対面の幼女に警戒されているのだが、パウラはそれに気づいてもいないらしい。

 視線を落として私と目線を合わせてきた。


「こんにちはー! あ、はじめましてだった。私はパウラ。お嬢さんはお名前ちゃんと言えるかな?」


 さすがにこれは子ども扱いしすぎではなかろうか。

 もうすぐ十歳になる大きな子どもに言う台詞ではない気がする。


「……ティナ、です」


 レオナルドの後ろから顔だけ出してそう答えるとパウラの手が伸びてきたので、反射的に反対へと回って逃げた。

 本能がこのパウラという娘に捕まってはいけない、と告げている。


「えっと……パウラと言ったか? 家へはもう入ってもいいんだよな?」


「あ、はい。家に入っても怖いお婆さんとお姉さんしかいませんが……」


 何度も私を抱き上げようと伸ばされるパウラの手から逃げていると、レオナルドが助け舟を出してくれた。

 レオナルドが気を逸らしてくれたおかげで、パウラの腕が私へと伸ばされるのも一応はおさまったようだ。


 ……それにしても、お師匠様を『怖いお婆さん』とか言っていいの?


 パウラの声は大きいので、間違いなく家の中にいるオレリアにも聞こえているだろう。

 思ったままを口にする、というのは危険だ。


「オレリアさーん!」


 油断したら後ろから抱き上げてきそうな雰囲気のパウラから、逃げるように家の中へと駆け込む。

 まだすべてのカーテンが開かれていない部屋は、少しだけ薄暗い。

 明るい場所から急に暗い部屋へと飛び込んだため、一瞬だけ目がくらむ。

 入り口に立ち止まって少しだけ目を馴らしながら室内を見渡すと、棚の近くに立つオレリアの長身を見つけた。


「お久しぶりです、オレリアさん」


 ムギュッとまずはおもいきりハグをする。

 ハーブや薬草の匂いがするオレリアの身体に、嬉しくなって頬を擦り付けた。


「It's annoying. You must not have been a spoiled child.」


 オレリアが英語でなにかを言ったが、今度はなにを言っているのかが解らない。

 ただ、声音からして突然のハグを迷惑がっているのだろう、ということぐらいは判る。


 ……でも気にしない。私、子どもだもん。甘えたい時は甘えますよ。


 大好き、会いたかったと気持ちを込めてオレリアの腰に抱きついていると、オレリアは深くため息を一つ吐いたあと、私の頭に手を置いた。


「Did you grow a little bit?」


 おずおずと、戸惑いが伝わってくる手つきで頭を撫でられる。

 オレリアが英語でなにかを言ったが、やっぱり私にはなにを言っているのかが解らなかった。


「英語、少しお勉強中です。でも、まだ全然聞き取れないの!」


 抱きついたまま顔をあげてオレリアにそう言うと、遅れて家の中へと入って来たレオナルドがオレリアの言葉を通訳してくれる。


「オレリアは『背が伸びたな』って言っているんだ」


 私にそう教えてくれたあと、レオナルドは次にオレリアへと私の言葉を英語で伝えてくれた。

 やはりレオナルドのいる場では、オレリアは英語しか話せないし解らない振りを続けるらしい。


 ……少し不便だけど、まあいいや。


 昨年の服が小さくなるぐらい成長しましたよ、とオレリアから体を離して胸を張ると、オレリアは少し考えるような素振りをみせ、私を薬研やげんの載ったテーブルへと呼ぶ。


 ……誰ですか?


 薬研の載ったテーブルには、先客がいた。

 暗い赤毛をオレリアのようにきっちりと隙なく編み上げた、長身で生真面目そうな雰囲気の女性だ。

 雰囲気が、オレリアに似ている気もする。


 椅子へ座るように促され、素直に従う。

 すると目の前に薬研が置かれ、オレリアに見てみろ、と促されるのがわかった。


「……なんですか、この粒?」


 薬研の中にある砂粒大の物は、おそらくは鉱石かなにかを粉にしようとした物だと思われる。

 レオナルドがオレリアの指示で薬研を扱った時にも、このぐらいの粒を作っていた。


「よく見なさい! 粒じゃないわ、これは粉よ!」


 思ったままの感想として『粒』と言ったら、赤毛の女性にヒステリックな声で怒鳴られてしまった。

 驚いて女性を見上げると、大人の女性のはずなのだが今にも泣き出しそうな顔をしている。


 レオナルドの通訳によると、赤毛の女性の名前はバルバラというらしい。

 パウラの相方というか、セドヴァラ教会が送ってきたオレリアのもう一人の弟子だ。


「……オレリアさん、また粉にしろって指示だけ出したんですか」


 たしか似たような指示を出して、レオナルドが粒を作っていた。

 仕事が雑だ、とオレリアがレオナルドの作業にダメだしをしていたのを覚えている。


「ティナはそれだけの指示で出来た、とオレリアが言っている」


「私の場合はオレリアさんの言う『粉』と、私の思う『粉』が同じだっただけだと思います」


 レオナルドだって粒を作った、と指摘して、弟子にはもう少し丁寧に指導してあげてください、とレオナルドの通訳任せで言ってみる。


「素人なんですから、最初からオレリアさんの水準でお仕事ができるわけないじゃないですか」


「なっ……!?」


 バンっと強くテーブルを叩かれ、驚いて肩を竦めた。

 いったい何事か、とバルバラを見上げると、バルバラは顔を真赤にして絶句していた。


 ……あれ?


 なにか変だな、とバルバラの顔を覗き込もうとすると、バルバラに力いっぱい顔を逸らされてしまう。

 ただ、どうやら私が失言をしたらしいということは判ったので、とりなしを求めてオレリアを見上げたのだが、オレリアには頭を撫でられた。


「……ティナ、バルバラの方が薬師経験有りの弟子だそうだ」


 ……あー。そういうことですか。


 レオナルドが通訳してくれた内容に、自分の失言がわかった。

 バルバラを庇うつもりで、有能な薬師相手に私は『素人』と言ってしまったのだ。

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