第17話 はじめてのおべんきょう

「に~もつはー♪ 塗板とばん♪ 白墨はくぼく♪ ボロ布ら~け♪」


 浮かれ気分で適当なふしを付けながら持ち物を確認する。

 塗板とは、ようは黒板だ。

 黒く塗られた板に、白墨を使って文字を書いたり消したりして使う。

 白墨はそのものズバリ、チョークだ。

 転生者の仕業か、たまに前世の世界を思いださせる物が出てきたりするが、基本的には中世に近い生活様式をしている。

 砦や教会などでは普通に紙が使われているが、まだまだ一般のご家庭で、それも子どもが勉強に使えるような値段ではないらしい。

 塗板こくばん白墨チョークで書き取りをし、覚えたらボロ布で塗板の文字を消してまた使う。

 昔の日本でも同じようなことをしていたと、テレビか何かで聞いたことがあった。


「……ティナはご機嫌だな」


「ご機嫌れすよ。やっとお勉強できましゅからね」


 遠足前の子どものように浮かれ、数分おきに荷物をかばんから出したり、しまったりを繰り返している。

 我ながらどうかと思う浮かれっぷりだが、楽しみなのだから仕方がない。


「何時になったら教会に行くんれすか? 今日からってレオさんが言っていましらよね?」


「ティナは午後の授業だな。午前は教会に近い……下町の子が多い」


「午後と午前で違うんれすか?」


「授業内容は同じだが……下町は朝が一番忙しいからな。忙しい時間に子どもの相手をしていられない、って理由で午前は下町の子が多い」


 大雑把な括りなので、もちろん例外はいる。

 朝早い時間から働いている子もいるので絶対ではないし、子どもの頃に勉強をする時間のなかった大人がメンヒシュミ教会に文字を習いにくることもある。

 一日中暇な私が午後からの授業なのは、歩いて通うことを前提にゆっくりと出かけられるからだそうだ。


 館を出る前に誂えたばかりの新しい服を着ていくか、下町の子に混ざっても浮かない中古服を着ていくかで少し口論になったが、結局保護者レオナルドの意向でヒラヒラのワンピースだ。

 せっかく中古の鞄と塗板を用意してもらったのに、初日から教室で浮きそうな予感がした。


 ……中古の鞄をレオナルドさんが持ってると違和感あるね。


 私がメンヒシュミ教会へ通う時用として買ってもらった鞄なのだが、ラフに着こなしてはいるが仕立ての良い服を着たレオナルドとは雰囲気が合わない。

 今日の服では、私が鞄を持っても同じ違和感が生まれていただろう。


 ……でも、初めての学校だもん。自分で鞄もって歩きたかったよ。


 子どもとはいえ女性に荷物を持たせるわけにはいかない、というのがレオナルドの考えらしかった。

 基本的には送り迎えに人を付ける、と言っていたので、せっかくの中古鞄を私が持つことはなさそうである。

 そんなことを考えながら歩いていると、大通りと中央通の交わる十字路に辿りついた。

 以前はここまで歩くだけで疲れていたが、今は少し体力が付いてきたようだ。

 毎日体力づくりと称して無駄に館の庭を歩き回っていたのだが、一応の効果があったと思っていいだろう。


 メンヒシュミ教会につくと、レオナルドは導師アンナにくれぐれも私をよろしく、と言って帰っていった。

 今日はそのまま砦に向かうのだろう。

 迎えにはバルトを寄こすので、絶対に一人では帰ろうとしないように、と釘を刺された。


 ……一人で帰った前科があるからね。


 私のせいではないが、一人で館まで帰った前例がある。

 レオナルドが釘を刺したくなるのも、無理はない。


 メンヒシュミ教会の門を出て行くレオナルドを見送ると、導師アンナから一人の男の子を紹介された。


「ティナさん、ご紹介します。この子はニルス。ティナさんのお勉強のお手伝いをします」


「ニルス・ブレンドレルです。よろしくお願いします、ティナお嬢さん」


 はにかんだ笑みを浮かべる、清潔感のある少年だった。

 歳は十二・三歳だろうか。

 七歳からメンヒシュミ教会に通えると聞いていたが、同じ授業を必要としているようには見えない。

 なんと言うのか、すでに躾も勉強もある程度は終わっている雰囲気の少年だ。

 仕立ての良い服に姿勢もよく、真っ直ぐな茶色の髪は綺麗に切りそろえられている。


 ……こういう子が普通なら、中古服じゃなくて良かったのかな?


 断固として新しい服をと主張したレオナルドを思いだしつつ、ニルスの案内で廊下を進む。

 教会内ぐらいは自分で鞄を運べるかと思ったのだが、しっかり躾けがされていると感じたニルスは、やはり躾けの行き届いた少年だった。

 荷物を他者ひとに預けるという抵抗を感じる間もなく、自然な仕草で私から鞄を受け取ってエスコートしてくれている。


 ……これ、絶対同級生とかじゃないよね。使用人とか、小姓とか、そういう感じ。


 そういえば、導師アンナはニルスを「私の勉強の手伝いをする」と紹介してくれた。

 もしかしなくとも、メンヒシュミ教会内で私のために働く下働きとして付けられたのだろう。


 ……いいのかな、これ?


 依怙贔屓えこひいきとか言われる部類のものではなかろうか。

 それとも、ここではお嬢様には当たり前に付けられるものなのだろうか。

 私自身はその辺の村人だと思うのだが、今はレオナルドの妹ということになっている。

 砦の主の妹がメンヒシュミ教会に通うとなれば、お嬢様扱いで付き人ぐらい当たり前なのかもしれなかった。


「この部屋が基礎知識の教室です」


 案内された部屋は、いつだったかレオナルドとメンヒシュミ教会の見学をした時に外から覗いた部屋だった。

 三十対の椅子と机があり、前面の壁には大きな塗板がある。


 ……普通に学校みたいだね。学校みたいなものなんだけど。


 基本的な知識を授けてくれる場所と考えれば、『教会』と呼ばれる場所であっても『学校』と大差はない。

 教会学校という言葉もあった気がするので、教会が教育の場になることはそれほど不思議ではないのかもしれなかった。

 日本にだって、昔は寺子屋というものがあったはずだ。


「席は基本的には背の低い順に前から座っていきますが……ティナお嬢さんはこちらです」


 そう言って案内された席は、最前列ではあるが端から二番目だった。

 御付の人まで用意される特別扱いなら、真ん中にでも案内されると思ったのだが、違ったらしい。


 ……あ、わかった。ニルスがいるからだね、この場所。


 明らかに私より年上と判るニルスは、背も当然高い。

 けれど私の身長は普通の九歳児よりやや小さめだ。

 背の順に席を埋めていくのなら、まず隣同士になるわけがない。


 ……レオナルドさんはここで私に友だちを作ってほしいみたいなんだけど……?


 綺麗な服を着て、隣には明らかに生徒とは思えない身奇麗な少年がいる。

 送り迎えに人が来て、自分で鞄すら運ばない私に、ここで友だちなどできるのだろうか。


 ……まあ、いいか。


 レオナルドの目論見はともかくとして、私の目当ては字が読めるようになること、だ。

 勉強を手伝ってくれるらしいニルスの存在は助かるし、本物の子どもである他の生徒と仲良くなれるとも考え難かった。

 目が合うと、ニルスはほんわかとした笑みを浮かべる。

 まずはこの少年と親交を持つところから始めようと思う。


 





 初めての授業は、基本文字を覚えるというものだった。

 この国で使われている文字は、大陸で共通している文字らしい。

 つまり、今から教わる文字さえ覚えれば、大陸で暮らす分には読み書きに不自由しないということだ。


 ……それは頑張って覚えないとね。


 塗板に大きく書かれた五文字を自分の塗板に書き取り、何度も書き順を確認しながら練習する。

 基本文字は全二十六文字で、大文字と小文字があるところは英語と同じだ。

 実用レベルには身につかなかったが、さすがにアルファベットは覚えることができた。

 ここの文字も、二十六文字ぐらいなら無理なく覚えられるだろう。


 ……そして、ニルスはやっぱり私のお助け要員だね。


 ニルスは塗板に文字を写す様子も、文字の練習をする様子もなく、静かに私の手元を見つめていた。

 基本の文字など、今さら覚える必要ないのだろう。


 ひとしきり練習をして塗板に書かれた五文字を完璧に覚えると、少し暇を感じる。

 一つの授業が約三十分と短く、二日に一度の授業では、全ての文字を覚えるのに二週間かかる計算だ。

 文字を読めるようになるのはその先と考えると、待ち時間が少し惜しい。


「……もしかして、もう覚えてしまいましたか?」


「五文字だもん。覚えちゃいましらよ」


 授業中のため、ニルスが声を潜めて話しかけてきた。

 それに対し、私も声を潜めて答える。

 私は覚えてしまったが、他の子はまだ一生懸命練習中だ。

 邪魔はしたくない。


 小さな声でニルスに問題を出され、それに全部正解すると、ニルスは私の名前の綴りを教えてくれた。

 全部で四文字しかない私の名前の中に、今日習った文字は一文字しか入っていない。


 ……あれ? これが私の名前?


 数え直す必要もないが、何度数え直しても四文字しかない。

 不思議に思って首を捻ると、ニルスがどこか間違いましたか、と私の手から塗板を取って確認しはじめた。


 ……レオナルドさんが見せてくれた私の指輪って、もっと文字数が多かった気がするんだけど? あれ?


 疑問には思うが、文字が読めない以上ははっきりと確認のしようがない。

 館に帰ってからレオナルドに確認すればいいか、と結論付けて、教えてもらった自分の名前を覚えることにした。


 数学の授業は、私の勉強にはならなかった。

 数学というよりは、算数といった方が正しい。

 数字を覚えるところから始めて、足し算などの簡単な計算を身につけていくようだ。


 ……まあ、基礎知識は三ヶ月で読み書きと計算を習うらしいから、本当にさわりのことしか出来ないのかもね?


 この世界の数字はすでに覚えているので、今度は塗板に書き写す必要すらなかった。

 さて、どうやって時間を潰そうか、と考えていると、遠慮がちにニルスに話しかけられる。


「……数字は覚えなくていいんですか?」


「数字は市場とかで見かけりゅから、覚えちゃいましら」


「では、計算をしてみましょうか」


 他の人の邪魔にならないよう、声を潜めて話し合う。

 ニルスは私が足し算も引き算もできるという言葉に驚き、塗板にいくつかの問題式を書く。

 塗板を渡された私はというと、さすがに簡単な問題すぎて、悩む間もなく解いてしまった。


「……全部合っています。次は掛け算と割り算もしてみますか?」


「いいれすよ」


 一桁の計算は問題なく暗算で、二桁になると一瞬考えるがやはり暗算で解くことができる。

 三桁以上はこの世界の計算式が日本と同じかはわからなかったので、指を使って計算した。


「合っています。え? どうして……?」


 ……しまった、少しやり過ぎた?


 出された問題を素直に解いただけなのだが、問題があったのだろうか。

 とはいえ、九歳と言えば日本では割り算まで習っていた気がする。

 日本でなくとも、メンヒシュミ教会には七歳から通えると聞いた。

 七歳になってすぐに通えば、三ヶ月で割り算まで出来るようになる子だっているだろう。

 特別私が計算の出来る子だとは思われないはずだ。


 私は内心で冷や汗を流していたのだが、ニルスはニルスなりに何らかの納得をしたらしかった。

 首を傾げつつも、自分を納得させるかのように何度も頷いている。


「……計算の時間は退屈れすね」


「覚えることがないのなら、解らない子に教えてあげてはどうですか?」


「わたしが、教えるんれすか?」


「メンヒシュミ教会では、知識は神メンヒシュミから与えられる祝福です。祝福を得たのなら個人で独占して終結するのではなく、まだ祝福を得られていない人が祝福に手が届くよう助けてあげましょう、というのが教義にあります」


 ようは、解った人はまだ解っていない人の手助けをしましょう、ということだ。

 言いたいことは解るのだが、今日はまだ数字を覚えることで一杯いっぱいといった感じの子どもたちばかりで、私が教えられそうなことは何もなかった。


 ……あと、知らない人に話しかけるの苦手。


 それも実年齢はともかくとして精神的には大人である私と、本物の子どもである他の生徒とでは話が合うとも思えない。


 数字を覚える邪魔をしても悪いし、話しかけるタイミングが判らないし、と悩んでいる間に、計算の時間は私を見守らなくても大丈夫だと判断したニルスは、メンヒシュミ教会の教義に従って他の子の助けとなるために席を離れていった。

 自然体で他の子どもに話しかけ、子どもたちの輪に入っていけるニルスがなんだか不思議な生き物に見える。


 ……うん、思いだした。私、人見知りする子だった。


 レオナルドに引き取られて以来、知り合う人間はみんな大人ばかりで、子どもとして、レオナルドの被保護者として、常に話しかけられる側にいたため、すっかり忘れていた。

 思い返してみれば、自分から話しかけた相手など、ほとんどいない。


 ……他者ひとに話しかけるって、どうするんだっけ?


 勉強以上の難問に、計算の時間は暇だなどと思っていた時間はあっという間に消えてしまった。







 ……結局、誰にも話しかけれなかったよ。


 大人を自負するくせに、子どもに話しかけることも出来ない自分が情けなさすぎた。

 計算の授業が終わって、少しだけ長めの休憩時間に教室の外へと出てみる。

 少し気温の下がり始めた秋風が空しく身にしみた。


「……あ、あの!」


 情けない自分にがっくりと肩を落としていると、背後から女の子の声が聞こえる。

 誰に話しかけているのだろう? と前方を見たが、私の前には誰もいなかった。


 ……え? だったらこの声って、もしかして……私に話しかけてくれてる?


 僅かに差し込んだ希望の光に、恐るおそる背後を振り返る。

 数歩離れてニルスが立っていたが、そのさらに後ろには私よりも小さな黒髪の女の子が立っていた。


「あの、わたし、ミルシェ! おねえちゃんのお名前おしえてください!」


 ミルシェと名乗った女の子の勢いにポカンと口を開く。

 握り締めたミルシェの拳が、かすかに震えているように見えるのは気のせいだろうか。


「……えっと、わたし?」


 念のために、私に話しかけているのか、と確認してみた。

 確認されたミルシェはコクコクと力強く頷いてくれる。


 ……どうしよう、話しかけられた。ちょっと嬉しい……っ。


 嬉しいのだが、気恥ずかしくもあり、咄嗟に返事ができない。

 なんと返したら正解なのかが判らなかった。

 困惑してニルスに視線を向けると、なにやら殴りたくなるようなほのぼのとした笑顔を向けられている。

 勉強の手伝いをしてくれるらしいニルスは、対人関係には関与しないようだ。


「わたしは……わたしは……」


 名前を聞かれたのだから、ただ名前を答えればいい。

 それだけのことなのに、それがひどく難しいことに感じられた。

 早く答えなければ、と気ばかり焦ってしまって喉が渇く。


「わたしはティ――」


「おれの妹を虐めんなっ!!」


 勢いをつけて答えよう、と口を開いたら、どこで聞いた声が響くと同時に後ろ髪を力いっぱい引っ張られた。

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